さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

紅梅の候 岡部文夫『雪代』

2018年02月25日 | 日記
 このオリンピック期間中は、私もはじめて見るカーリングにはまってしまった。計算と勘と度胸と知恵と努力の蓄積に乾坤一擲の博打の感覚が合わさっていて、おもしろいスポーツだ。少人数のメンバーの息が合っていないと点に結びつかないところも、今の時代向きである。特に女子では、カリカリしている他国のチームと日本のチームの陽気な雰囲気の対照が印象的だった。当たり籤ならぬナイス・ショットが出ると、けらけら笑ってみせる若い娘らしい健康な姿に何となくほっとしたものを味わうことができた。

 ふだんどの競技スポーツでも、あれだけ長い時間、特定の選手の息遣いを見つめ続けるということは、なかなかない。カーリングには、野球やゴルフの試合を見ている感じと共通の要素がある。だから、今後は日本でも人気の競技のひとつになるのではないだろうか。今後はスキー場やスケート場にもカーリングの楽しめる設備が常備されて、一般の人が気軽にカーリングを楽しめる時代になればいいと思う。シニア向きの要素もあるような気がする。長野や北海道などでは、温泉地にもそういう設備を作って、春秋までできるようにしたらいい。

 この時期、私が読みたいと思って引っ張り出して来てあった本は、岡部文夫の歌集『雪代』である。岡部文夫は、北国の冬の歌が印象的な歌人である。

はららぎしひとときのまの風花に紅梅の蕊つゆつゆとせり 

 巻頭の一首。昭和五十五年の作である。私の身近なところでは白梅より少し遅れて紅梅が咲き始めているが、北国ではまだそれどころではない。二月の雪がこれでもか、これでもかと降り続くという天気予報である。掲出歌、わずかに降って来た雪が陽に溶けて、紅梅の蕊がそれに潤っていっそう輝いているというのだ。初々しい春の喜びの感覚が伝わって来る、いい歌である。

ものなべて孤独ならむか暗黒のはげしき風に欅は立つに

 しかし、玄冬の厳しさは圧倒的で、森閑と冷えた大地に夜は暗闇が大きくのしかかっている。そこに風がはげしく吹きつける。

降る雪の音さへもなき冬の夜に一つ炎の如くにあらむ

 しんと静まり返っている時間もある。そのなかで、一つの炎のような己というものを確かめている。一個の存在として、己を意識し、生きてもの思うことに集中している。

 昭和五十五年というのは、1980年。もう38年も前になってしまった。八十年代というのは、古い日本の風物がばらばらに解体されて、それまでに存在した強固な思想や制度の枠組みがゆらぎだした時代である。「戦後」が次の「戦後以後」の時代に向かって新たな摸索をはじめていたのだ。そのなかでは、岡部文夫の歌は「戦後」そのものであったし、そこにおける成熟のひとつのかたちを生きて体現していたのだと言える。岡部とほぼ同じ軌跡を歩んできた坪野哲久も同様である。いま読んでいると、一首の姿の引き締まった強さに打たれる。とてもかなわない、という気がする。それが、この頃のこういう歌の良さである。短歌が円満に近代短歌を受け継いでいるという安心感のようなものがあるのだ。

 昭和五十五年当時、私は現代短歌をまだよく読んでいなかった。むろん岡部文夫の名前も知らなかった。詩歌よりも近代小説をよく読んでいた。当時は寺山修司が健在で、自分の大学の友人とは吉増剛造の詩集や正津勉の詩を話題にしていた。粟津則夫のランボー訳詩集と渋澤孝輔の詩が私のお気に入りだった。私の知人は何かと村上春樹を話題にしていたが、私は初期の作品以外は続けて読まなかった。ハルキに関してはもっぱら聞き役だった。……思えば遠くに来たもんだ。


江田浩司 現存(プレセンシア)の羽ばたき

2018年02月17日 | 現代詩
 江田浩司の詩歌集『ピュシスピュシス』(2006年刊)の中から一篇の詩を引いて何か書いてみることにする。詩の題は、「現存(プレセンシア)の羽ばたき」。 
※印のあとには、小さな画面で読んでいる人のために振り仮名を示した。

現存の羽ばたき  ※「現存」に「プレセンシア」と作者による振り仮名。

その一連目。

焼け焦げた記憶の欲望に
襲われた数多の私が
衰えた幾世紀もの願いに宛てて
無数の手紙を書き送る

注釈。 自分がいま願ったり考えたりしていることは、過去に多くの人が願ったり、考えたりして、かなわなかったことの集積の上に立っているので、私の今は、痛ましいそれらの記憶の上に生れて存在しているのだ。そこでは、心身を備えた今の「私」の存在と、今の「私」の「言葉」とを、過去の記憶のすべてのイメージに重ね合わせることができる。これはあらゆる作家の創造のシステムと同じ構造を持つものだが、そのような世界観によって、これらの詩は書かれている。だから、私は過去に手紙を書き送るように、また、私自身の過ぎ去った時に向けても、そこで消えて行った言葉をなぞるように、私の言葉を書く。それが「現存」の意味である。

二連目。

慄き、薙ぎ倒された私の顔   ※「慄」に「おのの」と作者による振り仮名。
影が蝟集する切断面      ※「いしゅう」
痙攣は絶え間なくつづく
狡猾な夢が横貌を見せている    ※「よこがお」

注釈。 だが、そこで「書く」ことによってあらわれて来る「私の顔」は濃密な影の濃淡によって、くっきりとは見えないものに統合され、または分割されたりなどしており、かたちあるもののようでいて、夢によって、夢のなかで掻き混ぜられるもののような、曖昧なかたちをしたものでしかない。

  三連目。

熟れた風が水を織る
楕円が巣食う湿った顔
死の意匠は身を沈め
歌は私の暗がりに立ちどまる

注釈。 この一連は、なかなか美しい。「熟れた風が水を織る」というのは、夏から秋にかけての蒸し暑い温度の風だ。そのような生の時間の風に、水面が布の表面のように微細な波で罅割れて、波が動いてゆく。そのように、「私」は語られる。または「書かれる」。または「歌われ」て「私の暗がりに立ちどまる」。その「私」の「顔」は、「楕円が巣食う湿った顔」だ。楕円と楕円、またもうひとつの楕円が、重層し、絡み合いながら「私」らしきかたちを形成している。そこに「死の意匠は身を沈め」ている。数多の楕円をたったひとつの円の像に形成する時は、私が死ぬ時だ。だから、「死」はいつもその時を狙っている。

  四連目。

声から洩れる
光の中に立ち止まる
雨の階段をバラバラな影が
すべってゆく

注釈。 三連目までの、やや読み飽きた感じがしないでもない既成の重苦しい詩語を用いた詩句から、この一連は飛び出してさわやかである。声というのは、自分の声だけとはかぎらない。とりわけ他者の声である。声には、常に明るさがある。どんな時でも声になった時には、声はひろがることによって、閉ざされた「私」から外へ、外へと出ようとする性質を持つものなのだ。だから、声は「光」を持つと言ってもいい。その光に一瞬恍惚とする。と、影が逃げていく。立ち去って行く。影が、出ていく。階段を「すべってゆく」。それはひとつの影なのか、いくつもの影なのか。

  五連目。

青白い記憶の脈拍
光の蠕動に呑まれてゆく貌   ※「ぜんどう」
砂埃にまみれた無残な風が
ゆらゆらと海を越える

注釈。 それらの無数の「影」は、「私」、この場合は無数の「私」の記憶の中で、光に呑まれ、光に束ねられて、そこに幾多の「貌」が溶解してゆく。消え去ったイメージの総体が、風に吹き飛ばされて、大地を超え、さらに「ゆらゆらと海を越える」。一個の「私」の物語は、地球大の「記憶」の物語へと伸びあがり、拡大してゆき、脈を打つ。

 三連目のおわりの二行がやや型通りなところがあって、五連目で「砂埃にまみれた無残な風が」「ゆらゆらと海を越える」の、「無残な風が」という把握が、抽象的で物足りない。やはりもう少し具体的であってほしいと感ずる。全体の統一は損なわれていないが、一篇の詩としての完成度が高められたかわりに、犠牲になっているものがある。作者は、ここから必然的に、更にここのところを具体的に言うために、心を砕くことになる。それが、第7章のような、とてつもない作品群を生んでゆくのだ。    
 ※翌日に少し手直しをした。この項、つづける予定。


すべてのアートを愛する人々のためにすぐれた紙の維持存続を!

2018年02月17日 | 暮らし
同人誌「ベラン」の2号が届いた。この雑誌は、私の敬愛する歌人の角田純と、版画家で歌も作る松本秀一の二人が中心になって出しているものである。今回は、その中身ではなくて、その編集後記にあたる「ベランだより2」に気になる記事を見つけたので引いてみる。

「創刊号の表紙に使ったベラン アルシュのクリームが、とうの昔に廃番になっていてホワイトに変えざるを得なかった。
 今号で辛うじて調達できた本文の用紙もすでに廃番というか、同じ名前の紙はあるにはあるのだけれど、色味が違うし、品質も別物のような気がする。
 とかくこの世は恐ろしい。最近、とみに恐ろしい。何が起こるか分からない。            (松本秀一)」

 紙がなくなる、というのは版画の刷りをやっている人たちにとっては深刻な問題であろう。

 そう言えば、これと同じことを雑誌「BRUTUS」の1月1・15合併号の「危険な読書」特集のなかで、松岡正剛とグラフィックデザイナーの町口覚が話していた。いま日本では『広辞苑 第七版』のような厚さの本をかがれる製本所がどんどんつぶれているのだそうだ。そうして、「製本もだけど、紙も危ない」ということを町口覚が言っている。

「町口  今、製紙会社も、新しい書籍用紙をなかなか作れないんです。銘柄の絞り込みが進んでいくでしょうね。まだ写真集はいい紙があるから、海外に持っていくと「この紙はなんだ?」「ジャパニーズペーパーだよ」とか威張れるんだけど、実際はそろそろヤバイ。一方でインクは進化していて、今、台湾のインクがすごくいいんですけど。
松岡  レンブラントの時代から、版画のために日本の和紙を取り寄せたという話があるけど、その手の伝説もだんだん危なくなってくる。
町口  (略)いくら本と出会えるスペースが増えたとしても、肝心のモノが均質化したとしら本末転倒で、モノ作り屋としては危機。これからの時代、五感に訴えられない本ってまずいじゃん、って。」

 和紙の技術や、マイナーな高級紙の品質維持のために必要なものは何だろうか、ということを考えてみたい。以前にNHKの「新日本紀行」で、伝統的な和紙を作っている職人の姿を見たことがあるが、和紙にかぎらず、洋紙の世界でも、もっと注目して取り上げていかなければならないものがあるはずだ。その例が「ベラン アルシュのクリーム」だろう。

 「紙を守り育てよう」という運動を、美術家や作家や詩歌人たちが起こして取り組んでみたらどうだろう。たとえば、これからのオリンピックのポスターをどんな紙に印刷してゆくつもりなのか。全国一律というのが日本人は好きだが、私はこういうところで一工夫したらいいと思う。たとえば、和紙に印刷して濡れないようにカバーをかけた特別版のポスターがあってもいいのではないか。デジタル時代だからこそ、逆に手を抜いてはいけない局面があるのではないだろうか。さらに多様なアイデアを取り入れて、大手の独占を避けることも必要だ。

 そういう取り組みの一つひとつが、地域経済の活性化や、障害を持つ人の職場づくりなどとつながっていけたらいいと思う。

スローガンは、「五感に訴える本を!」「アートを愛する人々のためにすぐれた紙を!」というようなところだろうか。


外塚喬『散録』

2018年02月15日 | 現代短歌
 今日は玄関の早咲きの梅の木が満開に近くなっているし、私としては一年でもっとも好きな時期である。さて、外塚喬氏の近刊『散録』の歌を引いてみたい。

水鳥は水のひかりにまぎれゆき人のこころに跡をのこさず

 こういう渋い歌がさらっと詠めるというところが、いいなあ、と思った。この二首前に、

ふるさとに咲く黄あやめがまなうらにありて暮れ方の鉄橋わたる

 ある年齢に達していないと決して詠めない歌というのは、あるのだと、自分より年齢が上の歌人の作品を見ていて思う事は多く、と同時に、自分もまた、そういう歌がわかる年齢になったのだと思わせられる事もしばしばある。この歌は、親をなくした者にはより深くわかる歌だと思う。

踏みしだく野の枯草に甘やかに匂へるあればさらに踏みゆく

ジョーカーの使ひどころを待ち待つに歳月はわがこころ曇らす

 長年職場で揉まれて生きて来た男が、定年以後はただの善人になりきるなんどということは、ある筈もない。とは言いながら、至極やさしくなっている。己の毒を吐き出すには、もうこだわりが遠くなっている。かつてあれほど憎んだ不正義漢のことも、もういいか、放っておいてやる、などと思い始めて。

思ひ出し笑ひのやうな表情に咲く花いくつ椿がいつつ

いたはりてくるるは花か花の香か目を瞑りこころを空に投げ出す

 二首目の花は、別にさくらでなくてもいいと思う。私の場合は梅で、子規は梅の香の歌の定型化したものを批判していたが、梅は香るし、まして古人は現代のわれわれよりも嗅覚が鋭かっただろう。人生において、年々歳々傷むことは増してゆき、加齢とともに悲苦の種は増える。けれども、花があることは、われわれを明るくする。

母を恋ふときのこころは青澄めるみづうみの上を風のごとゆく

うつむかず面をあげむ向日葵をひとりひとりの声と思ひて

 さりげない詠み口のなかに凝らされた工夫のあとをさぐって読むのも楽しみな一冊である。向日葵の歌は、人間への信頼を述べた述志の歌であろう。こういうかたちになる、というところがおもしろい。

石原吉郎の詩「気配」を読む

2018年02月12日 | 現代詩 戦後の詩
 石原吉郎の詩を読む。たまたま手元にある「星座 第一号」という三十ページほどの小冊子で、表紙には「石原吉郎 書下し作品集」とある。昭和五一年五月矢立出版。定価500円。装丁が司修。詩七篇にインタヴューを収める。

  気配

とどかねば
とどかなければ緑の極限へ
風の支度
水の支度
ながかったとは思わぬが
一度の食卓へ
そんなにも生きたのだ
とどかねばそして
とどかなければ
すべて支度する
気配へいそがねば
とどかねば
     
 全部で十二行の詩である。行番号を付す。
1とどかねば
2とどかなければ緑の極限へ
3風の支度
4水の支度
5ながかったとは思わぬが
6一度の食卓へ
7そんなにも生きたのだ
8とどかねばそして
9とどかなければ
10すべて支度する
11気配へいそがねば
12とどかねば

1行目の「とどかねば」と2行目の「とどかなければ」はリフレインで、いきなり何か切迫した息遣いを感じさせる。1行目を読んだ時に、どこに「とどかなければ」いけないのか?という疑問を持つが、その謎はただちに「緑の極限へ」という言葉で答を与えられる。ではその「緑の極限」というのは何か。それを続く詩の言葉は説明してくれるのか?ということを思いながら読んでいくのだが、

3風の支度
4水の支度
5ながかったとは思わぬが
6一度の食卓へ

と来て、「緑の極限」が、「一度の食卓」と同じ目的の場所・時間であるということが、わかる。そこに行くには、「風の支度」や「水の支度」が要るのだ。季節だとすれば、冬を経て「緑の極限」に向かって伸び拡がって行こうとする、いのちの芽のようなものの思いを、上空に向かって「とどかねば」、「とどかなければ」と懸命に「届こう」としている。

 けれども、「一度の食卓」は一回きりのもので、その「極限」と同時に決定的に終わってしまうものであるような気配が漂っている。その証拠に、

5ながかったとは思わぬが
6一度の食卓へ
7そんなにも生きたのだ

「ながかったとは思わぬが」と「そんなにも生きたのだ」という詩行の間に「一度の食卓へ」という言葉が差し挟んであるわけだから、この「一度の食卓」は、長くはないが自分でも思っている以上に生きた人が「気配」を感じるような「一度の食卓」の「気配」なのだということになる。そうすると石原吉郎の死に方を知っている読者としては、このただならぬ
「緑の極限」への「気配」は、ほとんど死と同義の生の極限のようなもののことではないかと思われる。しかし、これは生の絶頂と死の絶頂とが相通うという、通俗化したエロスとタナトスの論理を詩に流し込んだものではなくて、作者の固有の生についての倫理観を幻の「食卓」に形象化したものとして読まなければならない。「緑の極限」はすなわち生の極限のことだろうか。ここが微妙なところである。「一度の食卓」では何かを食べたり、誰かと会ったりするということがないのだろうか。どうしても最後の晩餐のイメージが、「食卓」という言葉の下にちらついて来るようだ。

あえぐように切迫しながら、「支度」をして、伸びあがり、自然そのものと同化したような「風の支度」と「水の支度」を整えながら、「とどかねば」と希求するもの、それは何だろうか。そのような「気配」を感じている。生き急ぎ、死に急ぐような、あえぐような希求する感じをもって、まだ「とどか」ない時間を生きている現実の作者がいる。
 
 読者としては、そのような切迫した生の息遣いを持ちながら自分は生きているだろうか、という反問を持ち、また逆に「とどか」ない悩みを抱きながら生きている者にとっては、この詩は、

10すべて支度する
11気配へいそがねば
12とどかねば
 
という焦慮の感覚を言い当てたものとして、共鳴するところがあるはずなのだ。この時に人はどのような姿勢でいるのだろうか。石原吉郎の詩は、急角度で生きる者の倫理を表明したものなのであり、そういう意味では危機の時空に宙づりにされた言葉でもある。「すべて支度する」と言って、「気配へいそがねば」と続けるときに、はからずも「急がねば」という一語を漏らした。そうすると、この「支度」は、どうしても「緑の極限」であるような死の支度へと傾斜するようだ。ところが、簡単には届かないから「とどかねば」と言い続けることになるわけなのだ。言うなれば、生も死も難いのだ。そこで踏みとどまるという事が、詩を書くことなのであり、またこのような危地の詩を生きるということでもあるのだろう。安易にはさわれない、戦後の一精神のかたちである。


國森晴野『いちまいの羊歯』

2018年02月10日 | 現代短歌
 グレン・グールドのハイドンの晩年のピアノ・ソナタ集を聞きながら、國森晴野の『いちまいの羊歯』をめくっているうちに、一つの納得感のようなものが生まれて来た。

かみさまの真似をしてみる20°Cの試験管にはみどりが澱む

無いものは無いと世界に言うために指はしずかに培地を注ぐ

寒天は澄んでわたしの胎内にひとしく熱を与えつづける

 言うべきことはきちんと言う事ができる清潔な文体である。決して情感に流されてはいない。最近は「無いもの」をあることにしてしまう研究者の過ちが世間で話題になることが多いが、それは「寒天」に自らの身体感覚を重ねるような、研究対象への愛情を欠いているために起きるまちがいであろう。研究そのものよりも自己顕示欲や、ただの利害の方にすぐ目が向いてしまうのは、生きることの中に「詩」が組み込まれていないからだ。「詩」は空無のなかに意味を生むことができる。

コロニーと呼べばいとしい移民たち生まれた星を数える真昼

 トランプのアメリカとは何の関係もない歌だが、これをどなたか訳してアメリカに届けてほしい。必ず確かな反応があるはずだ。シャーレの中の微生物たちは、さながらアメリカの移民たちだ。それを「いとしい」という感性こそ、今後の世界を形作るものでなくてはならない。それは「もったいない」よりも世界に訴えてみたい、「やさしさ」という日本語の持つ価値だ。これはテロや戦争を肯定する感性とは対極のものだ。

真夏日の街をまっすぐゆく君が葉擦れのように鳴らすスカート

 この「君」は自分自身のことなのではないかと思うが、さわやかな歌である。

さよならのようにつぶやくおはようを溶かして渡す朝の珈琲

 初読の際には、実を言うとこういう歌が気に障って放り出したのである。何か意識して作りすぎているような気がしたからだ。でも、続く歌をみていると才質はまぎれもないものだし、この二首後の、

椎茸はふくふく満ちるとりもどせない夕暮れをかんがえている

 なんて、読む方に何かを「かんがえ」させないでは止まない力がある。東直子エコールでありながら東直子をこえる可能性を見せている作者とでも言うべきか。

あの青に還りましょうかぴかぴかの荒巻鮭を抱えて歩く

 こんなふうに完璧に東直子の歌を消化したそのあとが問題だ。やはり、現実そのものの手触り、「現前」、私の造語で言うと「幻相」の「現前」をとらえる意志が必要だ。それは時には時局に掉さすような政治的なものとか、生身の生活の痛みとか、そういうものを歌の対象として含むことがあってもいい筈だ。単に美的であったり、審美的な態度を崩さないでいられること自体には何の価値もないのではないかと思う。

某月某日、私はとりあえず本書を同じ叢書の田丸まひるの『ピース降る』とともに、勤務先の図書室で買ってもらうことにしたのである。
 

デジタル時代のダイヴァーシティー

2018年02月09日 | 地域活性化のために
雑誌「WIRED」の最新号のタイトルは、「<わたし>の未来 Identity  デジタル時代のダイヴァーシティー」である。

 巻頭の編集長のエッセイは「最適化されてはならない」である。実に明確なメッセージだ。現下の情報差異消費資本主義に対して、われわれはどう向き合ったらいいのか。各人の心身の消費不可能な<辺境>としてある、脆弱な<趣味>や<美意識>の徹底的な洗練と自覚を梃子にして乗り切ろうとすること自体は、ほとんど不可能なのかもしれないが、そういう不可能への願いとして、この雑誌のコンセプトが提示されている、ということは、稀有な事である。趣味が良くなければ洗脳を解くことはできない。美意識に目覚めなければ、生成し続けるシステムに対して抵抗することはできない。さらには、システムの再生産の中でも置いて行かれるのだ。ということだろうか…。

 第一に、表紙が美しい。これは某週刊誌の表紙とはまさに一線を画している。国分功一郎と熊谷晉一郎との対談という思想のデザインの仕方がいい。その対話を彩るYOUSUKE KOBASHI の絵が、みごとにこれに照応している。

たぶん今は封印されている種々の問題についても、若手のルポルタージュや写真をあくまでも全体の均整を損わないなかで少しずつ載せてゆくというかたちで紹介することは、この雑誌なら可能かもしれない。ほかに気になる記事をあげると、ネットという谷間の話。ロスタム・バトマングリのはなし。ツクルバの提案。おもしろい。こういうクールな雑誌を一部の若者だけのものにしておくのはもったいない。オジサンたちものぞいてみるべきだ。

※2020年12月13日に再度アップする。

中村草田男『火の島』

2018年02月09日 | 俳句
 中村草田男の『火の島』を見つけて買って来る。  

ラヂオの銃聲看板さむく相對す    中村草田男

 街角でたまたま店の奥に置いてあるラジオの音が聞こえて来たのである。作り物ではなく、ニュースの中継であろう。看板は商家の生活を暗示する。初句の早口の字余りが、ただならぬ感じを伝えている。制作年月日を確かめたら何に取材したかがわかるが、それはおく。言葉がいきなりこちらを打って来る感じを言いたかった。

三日月へ乙女の聲は落ちず上がる

 これは歌をうたっているのだ。そのようにとりたい。口語脈である。たぶん同時代とこれまでの三日月の句に対して緊迫している。さらに何よりも己の内側の下降しようとする者に対して、緊迫している。

冬濤の最後躍りぬ懸崖へ

叙景句だが、むろんここでも落下願望は猛々しい。危機をのぞきこもうとするロマンチシズムでもある。

優曇華やしづかなる代はまたと来まじ

 昭和の時代を生きている人の実感であろう。優曇華という言葉は、何か永遠性とつながっていくような、尊い仏性のようなものを連想させるところがある。

戰記なれば殺の字多き冬日向

※「殺」に「さつ」と振り仮名。

 この句集の刊行は、昭和十四年十一月。やまない日中戦争が重苦しくのしかかり、戦争の記事は日常の一部と化してもいる。

犬いちご戰報映画観る暇なし

 これを見ると草田男もけっこうあぶないところにいたことがわかる。私が手にしているのは昭和十五年の四版だから、その頃まではまだこのぐらい言っても良かったことになる。次は「火之島三日」と大きく章立てして「伊豆大島行」と小題がある中から。

火の島は夏オリオンを曉の星

火の山は夏富士を前戰を背

※「戦」に「いくさ」と振り仮名。

 火の山は活火山の三原山である。「背」から直接太平洋と対米戦争を読むのは、かえってつまらない。戦のことを忘れて見ている、としたいが、三原山自体が燃える火そのものだから、やはり戦争は離れられない。「爆音と夏日火口に底ごもる」という世界である。

霧ひらけばたゞ柱なす日の噴煙

灼け岩へ杖さしおろし人降りる

満目赭し飛ぶゆゑ蝉は見えしのみ

 嘱目の力作がドキュメントとして並ぶ。おしまいに霧が出ているおかげで虹の贈り物まで見ることができた。

濤音を負ひ火の山の虹を仰ぐ

※「濤」に「なみ」と振り仮名。

 これは、三原山火口の圧倒的な景色によって観念を吹き飛ばし、それによって等身大の作者を取り戻そうとする試みだったろうか。もとよりそうした観念の所有のない現代の大方の読者には、無用の悩みであるかもしれないが、草田男の代の知的な人々にとっては、ほぼ死活問題であった。同時にいまここに引いた作品から安易に反戦の志などは読み取らない方がいいだろうと私は思う。少なくとも行く先を憂えるという関わり方であって、そこを出られない時代の制約があった。そういう緊張感が伝わって来た。直近の週刊誌の記事をみると、四月に開戦の可能性があるという。今日の新聞をみると、政府は韓国滞在者にメールで緊急に安否が確認できる連絡システムの使用を呼びかけるという。破局的な株価の暴落が予想される戦争などもってのほかだが、政権の延命のためには何をしでかすかわからない国の元首が心配だ。「ラヂオの銃聲看板さむく相對す」などという句は見たくない。

 ※今見たら『火の島』が『火の鳥』になっていた。火の、と打ってから、一瞬何か考えたためにこうなってしまった。文章を書く時には眼鏡を外すので、こういうことも起きる。哄笑された方もおられよう。ま、ご愛嬌というところで。 


なみの亜子『「ロフ」と言うとき』

2018年02月04日 | 現代短歌
白洲正子の小林秀雄について書いた文章で、小林が骨董に打ち込み始めた頃、いいものを見ると、たびたびある「感じが来る」ということがあって、それが直接鑑定にはつながらないというところが、骨董を見る修行になるのだと、骨董指南の青山二郎に小林ともども教えられたということを書いていた。

古典詩歌を読むことにおいても、突然あるものがいいと思えたりする時というのはあって、これはもうほとんど勘のようなものだから、いいも悪いもないのであるが、ここ最近では、中世歌人のある集にそういう感じを受けて、その感じをずっとあたため続けているのだが、現代の歌集や近代短歌の場合は、いつその感じが「来る」かわからないので、時々取り出してめくって見ていることが必要である。さて近刊の話を。

〇なみの亜子『「ロフ」と言うとき』より

あたらしき歩行にひとの動くとき犬の二頭は杖に即きゆく

 ※「即」に「つ」と振り仮名。

「ロフ」というのは、手術の影響で歩行に困難をきたした夫の使う杖の名前である。「ロフストランドクラッチ」というらしい。作者は十年以上前に吉野の山中に移住して、確か雑誌にも写真入りで紹介されていた記事をみたような記憶が私にはうっすらとある。それが今は夫の故郷の岸和田に移っていると「あとがき」にある。人生というのは、本当に思いもよらぬことがあるものだ。田舎の自然に浸りながら、犬と暮らす。それはひとつの夢の実現であったはずだ。

腹底よりごおっと出でくるひとの声ああ歩きたい歩きたいんや

まっくらな息溜まりゆく待合所朝のこころはそっとしておく

 体が思うにまかせぬ夫を思いやる歌は痛切である。なみの亜子の作品には、どこかぶ厚い印象を受けるところがあって、私はそれを変な表現かもしれないが、「肉身の持つ実体感が厚い」とメモしたことがあって、その直接のきっかけは忘れてしまったが、過去の歌集のどれかをみれば思い出すかもしれない。

なにものも渡らぬ鉄橋このようにさびしきものを渡す山合い

 こういう歌が、最初みた時は何とも思わなかったのだが、あとになってもう一度見るといいと思った。そういう歌がけっこうあるのだ。詩歌の集を読むことのむずかしさは、そこにある。これも夫のことを思う一連の歌のひとつで、夫のことを思うからこそ、こういう「ないものをない」と言う事が、歌になるのだ。がらんと開いた空間を埋めるのは、私の淋しい感情だ。

どんぐりの帽子拾いつつ山をゆく人だって失いたくないものを失う

冬雨に朝は濡れおり 床ふかく沈めるわれを引き上げよわれは

 ※「床」に「とこ」と振り仮名。

 この本には、冬の山住みの厳しさが感じられる。私より適任の読者がいるにちがいないが、寸感を記してみた。