このオリンピック期間中は、私もはじめて見るカーリングにはまってしまった。計算と勘と度胸と知恵と努力の蓄積に乾坤一擲の博打の感覚が合わさっていて、おもしろいスポーツだ。少人数のメンバーの息が合っていないと点に結びつかないところも、今の時代向きである。特に女子では、カリカリしている他国のチームと日本のチームの陽気な雰囲気の対照が印象的だった。当たり籤ならぬナイス・ショットが出ると、けらけら笑ってみせる若い娘らしい健康な姿に何となくほっとしたものを味わうことができた。
ふだんどの競技スポーツでも、あれだけ長い時間、特定の選手の息遣いを見つめ続けるということは、なかなかない。カーリングには、野球やゴルフの試合を見ている感じと共通の要素がある。だから、今後は日本でも人気の競技のひとつになるのではないだろうか。今後はスキー場やスケート場にもカーリングの楽しめる設備が常備されて、一般の人が気軽にカーリングを楽しめる時代になればいいと思う。シニア向きの要素もあるような気がする。長野や北海道などでは、温泉地にもそういう設備を作って、春秋までできるようにしたらいい。
この時期、私が読みたいと思って引っ張り出して来てあった本は、岡部文夫の歌集『雪代』である。岡部文夫は、北国の冬の歌が印象的な歌人である。
はららぎしひとときのまの風花に紅梅の蕊つゆつゆとせり
巻頭の一首。昭和五十五年の作である。私の身近なところでは白梅より少し遅れて紅梅が咲き始めているが、北国ではまだそれどころではない。二月の雪がこれでもか、これでもかと降り続くという天気予報である。掲出歌、わずかに降って来た雪が陽に溶けて、紅梅の蕊がそれに潤っていっそう輝いているというのだ。初々しい春の喜びの感覚が伝わって来る、いい歌である。
ものなべて孤独ならむか暗黒のはげしき風に欅は立つに
しかし、玄冬の厳しさは圧倒的で、森閑と冷えた大地に夜は暗闇が大きくのしかかっている。そこに風がはげしく吹きつける。
降る雪の音さへもなき冬の夜に一つ炎の如くにあらむ
しんと静まり返っている時間もある。そのなかで、一つの炎のような己というものを確かめている。一個の存在として、己を意識し、生きてもの思うことに集中している。
昭和五十五年というのは、1980年。もう38年も前になってしまった。八十年代というのは、古い日本の風物がばらばらに解体されて、それまでに存在した強固な思想や制度の枠組みがゆらぎだした時代である。「戦後」が次の「戦後以後」の時代に向かって新たな摸索をはじめていたのだ。そのなかでは、岡部文夫の歌は「戦後」そのものであったし、そこにおける成熟のひとつのかたちを生きて体現していたのだと言える。岡部とほぼ同じ軌跡を歩んできた坪野哲久も同様である。いま読んでいると、一首の姿の引き締まった強さに打たれる。とてもかなわない、という気がする。それが、この頃のこういう歌の良さである。短歌が円満に近代短歌を受け継いでいるという安心感のようなものがあるのだ。
昭和五十五年当時、私は現代短歌をまだよく読んでいなかった。むろん岡部文夫の名前も知らなかった。詩歌よりも近代小説をよく読んでいた。当時は寺山修司が健在で、自分の大学の友人とは吉増剛造の詩集や正津勉の詩を話題にしていた。粟津則夫のランボー訳詩集と渋澤孝輔の詩が私のお気に入りだった。私の知人は何かと村上春樹を話題にしていたが、私は初期の作品以外は続けて読まなかった。ハルキに関してはもっぱら聞き役だった。……思えば遠くに来たもんだ。
ふだんどの競技スポーツでも、あれだけ長い時間、特定の選手の息遣いを見つめ続けるということは、なかなかない。カーリングには、野球やゴルフの試合を見ている感じと共通の要素がある。だから、今後は日本でも人気の競技のひとつになるのではないだろうか。今後はスキー場やスケート場にもカーリングの楽しめる設備が常備されて、一般の人が気軽にカーリングを楽しめる時代になればいいと思う。シニア向きの要素もあるような気がする。長野や北海道などでは、温泉地にもそういう設備を作って、春秋までできるようにしたらいい。
この時期、私が読みたいと思って引っ張り出して来てあった本は、岡部文夫の歌集『雪代』である。岡部文夫は、北国の冬の歌が印象的な歌人である。
はららぎしひとときのまの風花に紅梅の蕊つゆつゆとせり
巻頭の一首。昭和五十五年の作である。私の身近なところでは白梅より少し遅れて紅梅が咲き始めているが、北国ではまだそれどころではない。二月の雪がこれでもか、これでもかと降り続くという天気予報である。掲出歌、わずかに降って来た雪が陽に溶けて、紅梅の蕊がそれに潤っていっそう輝いているというのだ。初々しい春の喜びの感覚が伝わって来る、いい歌である。
ものなべて孤独ならむか暗黒のはげしき風に欅は立つに
しかし、玄冬の厳しさは圧倒的で、森閑と冷えた大地に夜は暗闇が大きくのしかかっている。そこに風がはげしく吹きつける。
降る雪の音さへもなき冬の夜に一つ炎の如くにあらむ
しんと静まり返っている時間もある。そのなかで、一つの炎のような己というものを確かめている。一個の存在として、己を意識し、生きてもの思うことに集中している。
昭和五十五年というのは、1980年。もう38年も前になってしまった。八十年代というのは、古い日本の風物がばらばらに解体されて、それまでに存在した強固な思想や制度の枠組みがゆらぎだした時代である。「戦後」が次の「戦後以後」の時代に向かって新たな摸索をはじめていたのだ。そのなかでは、岡部文夫の歌は「戦後」そのものであったし、そこにおける成熟のひとつのかたちを生きて体現していたのだと言える。岡部とほぼ同じ軌跡を歩んできた坪野哲久も同様である。いま読んでいると、一首の姿の引き締まった強さに打たれる。とてもかなわない、という気がする。それが、この頃のこういう歌の良さである。短歌が円満に近代短歌を受け継いでいるという安心感のようなものがあるのだ。
昭和五十五年当時、私は現代短歌をまだよく読んでいなかった。むろん岡部文夫の名前も知らなかった。詩歌よりも近代小説をよく読んでいた。当時は寺山修司が健在で、自分の大学の友人とは吉増剛造の詩集や正津勉の詩を話題にしていた。粟津則夫のランボー訳詩集と渋澤孝輔の詩が私のお気に入りだった。私の知人は何かと村上春樹を話題にしていたが、私は初期の作品以外は続けて読まなかった。ハルキに関してはもっぱら聞き役だった。……思えば遠くに来たもんだ。