さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

真野 少歌集『unknown』

2016年05月29日 | 現代短歌 文学 文化

 跋文に「阿木津英氏は文字通り師として教え導いてくれた。」とある。即物的な緊密な文体と、現象に真向かう時の気合いのようなものは、確かに阿木津英ゆずりのものだろう。また、阿木津英の師にあたる石田比呂志や、阿木津がよくよく読みこんだ玉城徹の作品からも示唆を受けているらしい作品がある。巻頭の章より引く。

人界の上にひろがる雲のむれ多なる電気コードを垂るる   ※「多」に「さわ」と振り仮名。

雲間よりハンバーガーが降る時を道に拾いてわれも喰らえり

 一首めは、「雲のむれ」で一度切れるのだろうが、一読して得られる印象は、直下の「多なる電気コード」が、まさに「雲のむれ」の中から垂れているかのような不気味なイメージである。
二首めは、さらに幻想的で、雲間から今度はハンバーガーが降っている。玉城徹の夕暮れは帽子が空を飛ぶごとしという歌のイメージが一瞬頭をかすめる。たぶんその歌を本歌取りのように底に沈めながら、何かいやしい事をしているような、罪深いことを当たり前な顔をしてやっているというような、受け入れ難い事も受け入れて生きてしまっているというような、そんな感じの生の感触が手渡される。シュールリアリズムである。二首目の歌のすぐあとに、こんな歌がある。

額縁店の壁に我、我、我、我、我、我を充てよと額のひしめく

何も入っていない額縁が、自分を使ってくれとひしめいている。壮絶な自己主張である。こんなことを普通は考えない。そこに「絵」を入れたら、その「絵」は十全の「我」になるのかもしれない。自我論としてもおもしろい比喩だし、空無の枠組みが「我」だという逆転の発想は、秀逸で頷かせられる。後半から引く。

くろがねの扉の塗りの剥げたるはひとびとが日日掌に押すところ
                 ※「剥」の活字は文字化け対策に略字とした。

 こういう、やや持って回ったような目の付け方は、現代の歌人たちが磨きをかけて来た技なので、真野の身近にいる島田幸典などと同じエコールの匂いがあるけれども、バスケットボールの三点シュートが決まった時のような美しさがある。そうして、阿木津英の歌のような「現存在」の<気分>の呼び起こしが、かすかに感じられる。

河岸に並べる見れば板覆うブルーシートを様式となす

 これは、ホームレスの家を見ている。「様式となす」と言った瞬間に、私たちが無意識に受け入れているものが対象化されて、<かたち>になって見える。

「侵略」は戦後の言葉とざくざくと父ざくざくと筍を食む

 息子は「父」の主張が理解できる。けれども、抵抗も感じている。だから、食事をする父が筍を噛む音は、「ざくざく」と荒々しい。散文の言葉では言えないニュアンスをみごとに伝えている。

捕らえたるばったは草をしく籠にことごとく死す夏の一夜に

 同じ一連の少年時回想の歌である。誰しも一度はこういう経験があるだろう。無垢でありながら、なにか後悔しなくてはならないところに立たされてしまっている。ひとが、中年期を過ぎてこういうことを言う時は、現在の自らの後悔や罪の意識が投影されているのだ。無益な殺生をしているような日常というもの。真野の作品は、そこのところの後ろ暗い感じを<気分>としてとらえて、作品化している。

 

たまには政治のはなし 訂正

2016年05月25日 | 政治
 最近同日選が取沙汰されているけれども、私なりに予測を立てると、選挙民もばかではないから、自・公の政権維持は変わらず、安倍さんも続投ということになるのではないかと思う。その一方で、衆議院で与党が三分の二を獲得することはたぶんできないだろうし、野党は共産党の微増と民進党の現状維持という結果になるのだろうと思う。勝利した側は勝利の実感が薄く、負けた側は負けても次への期待をつなげるという結果だ。もっとも参議院は念願の過半数を超えるかもしれないが、これは参議院だけでやっても同じ結果になると思う。それで、みすみす減るはずの与党の衆議院議員にしてみれば、これは冗談ではないだろう。

 そうして、与野党ともに引っ込みがつかなくなっているТPP条約の批准に関しては、アメリカの大統領選の結果待ち、ということで、今は誰も真剣に考えていない。けれども、クリントン政権になって、クリントン氏がやっぱりТPPはやりましょう、ということになったら、本邦国会もあわてて追認の腰を上げるというわけで、そうなったら強行採決も辞さず、消費税同様既定の方針です、ということになるわけなのだろう。選挙の後に上げるだけの話である。つまり、国民は朝三暮四の猿だ。

 そこで問題になるのは、ТPPの協約の細かな中身なのだ。すべてが国民の前に本当に明らかにされているのだろうか。A氏は、交渉の会議の席上でいったい何を約束したのか?それが言えないから、「辞任に追い込まれた」かたちになっただけで、本当は本人が一番やめたかったのではないかと、私などは推察し、かつ同情している。あれだけ抵抗できたということは、よほどA氏は清廉潔白な政治家だったのだ。最後は妙な記録つきの「収賄場面」の演出をした連中にしてやられたけれども、私はA氏を攻撃する「清潔な」地球防衛隊みたいなひとびとの気が知れないと思っている。
 国家の権益の根幹を危機にさらすような条約の関係者になるなんて、誰だっていやだ。日露戦争の時の小村寿太郎ほどの覚悟があったとしても、一人で背負い切れるものではないだろうと思う。

 そもそもТPPの話題を先送りにして、消費税導入の時期に争点を移していること自体が、与野党ともにうさんくさい。すでに選挙のことで頭がいっぱいなのだろうが、「不信任決議案」自体が、与野党合作の(無意識の)筋書きなのではないかと私は思う。なんだか腐った55年体制の匂いがする。膨大な国費を無駄にしてこんな茶番劇をしている暇があったら、その分の予算を熊本城の修理代にでもした方がよほど後世のためになるというものだ。というわけで、私は衆参同日選挙には反対である。

※これは、いやになって消してあったのだが、いまみると当たっていたし、2018 四月二十日に見直して、もう一度出すことにした。


小高根二郎『棟方志功 その画魂の形成』(昭和四十八年刊)

2016年05月24日 | 本 美術
 五十代以上のひとで棟方志功の名前を知らない人はいないだろう。けれども、いまの高校生や大学生の多くは、案外知らないのかもしれない。倉敷の大原美術館や東大駒場前の日本民芸館で出会う、という人もいるだろうが、あの強烈な「わだばゴッホになる」というセリフや、版画制作時の熱狂的な姿は、われわれが共有すべき歴史的な記憶のひとつなのではないだろうか。

  その棟方伝説の成立を丁寧にたどって書かれたのが、若い頃から棟方に親しんだ小高根二郎の著書である。棟方本人の書いたものや、いくつもの証言に拠りながら、その間をつなぐ著者の文章は、豊穣なひらめきに満ちており、評伝と言うよりは伝奇小説に近い。そもそも棟方の存在自体が、逸話のかたまりのようなものなので、この和製ゴッホの天真爛漫かつ純粋な生涯をたどりながら、文章自体が自ずから歩行のうちに必然的に舞踏を演ずることになっている。そうしてここで主役になっているのは、棟方志功という芸術家だけではなく、近代日本の「美」と「芸術」という神なのである。


富岡多恵子『行為と芸術 十三人の作家』

2016年05月21日 | 現代短歌 文学 文化
 この本の表紙は暗黒舞踏をする土方巽の戦慄的な写真である。美術出版社刊1970年初版で第四版は1974年刊。充実した内容でカバーの見返しには若かりし頃の著者の目を伏せた笑顔の写真がある。白黒の印刷だが図版と写真も各章に四ページずつ入れられていて、これがおもしろい。むろん古書で手にした。知らなかったなあ、富岡多恵子がこんな仕事をしていたなんて。

「十三人の作家」は、横尾忠則、磯崎新、唐十郎、粟津潔、土方巽、一柳慧、高松次郎、杉浦康平、武満徹、和田勉、山口勝弘、大島渚、東松照明と、当代の最高のアーティスト、表現者ばかりが選ばれている。しかも凡百の新聞記者の書く文章とはちがうのだ。自分の感性を相手の仕事のなかに投げ込みながら、対話のなかで理解し切り取ったものを的確な言葉で定着している。1968年、69年は、戦後の前衛的な精神が一斉に開花した時代だったのだということが、この十三人の名前を見てもわかる。いまの時代の前衛的なものはその孫か曾孫世代にあたり、だいたいがその二番煎じ三番煎じになっているから、先端にあるものが見えにくい。われわれは富岡多恵子がつかんだものを学び直して、前衛の初心に戻れたらいい。

「つまり、このひとりの写真家は、写真のもつ記録性、表現力、伝達力、とことごとく対立しているのである。自分の主観、考え方、世界の見方が入りこむ口をはじめからこのひとは自分でできるだけせばめているのである。自分がとった何千枚かの沖縄の写真の中から幾枚かを選び出すことで、これがオキナワだというのは、沖縄に申しわけないことである。ただ、このひとの写真集にたいへんな主観的な見方、或は独自な見方、を写真を眺めるひとが感じとるとしても、それは写真家のこういう自己へのストイシズムが表現(傍点)されたのではなく、自己の行為への最初の対立と懐疑が、その行為たる写真をたんにナニカの表現に終らせなかったのだと見るべきであろう。(略)

だから東松照明という写真家が沖縄という島へ行ってとってきた写真が、沖縄の現実かというとそうではないのかもしれない。それは沖縄の現実ということになっている状態なのかもしれないのである。(略)(その他の百人の写真家と)もし東松照明というひとの写真がちがうとすれば、その感受性やものの見方がちがう以上に、かれらの目の前にある現実の質がちがうのではないのだろうか。これこそが現実だという認識と、これは現実だという認識のちがいではなかったのだろうか。」       (東松照明)

これだけではわかりにくいかもしれないが、「とりあえず現実ということになっているそこにある状態にカメラを向けるより仕方ないのではないか」というように、東松照明の写真を富岡多恵子は見た。そこから読者の私に観取できるものがある。インターネットというものは、ここでいう「とりあえず現実」を限りなく強化してしまう道具なので、時々こういう文章や東松照明の作品なりに目をさらして、自分の感覚を洗っておかなければならないのだ、というようなことを、いま唐突に思ったのだった。十三人の作家は、いわゆる芸術とか、いわゆる建築とか、いわゆるナニナニという制度に巻き込まれていなかった人たちである。はだかで自分だけの力で突出していたのだ。それは感動的な光景である。


小林勇『厨に近く』

2016年05月18日 | 現代短歌 文学 文化
  小林勇は、日本人が本当のうまいものを食べることができた時代の人である。どれも随筆の一篇ごとに自分で描いた絵を配して、交流のあった数多の文化人のエピソードを織り交ぜながら、話題は食べ物を中心にして何やら懐かしい文章だ。そうして、「食通」とか何とかいう人のような語り口は微塵もない。雉酒で御機嫌になった露伴先生の話がある。「貧乏人」の食う美味いてんぷら蕎麦の話がある。こんな本が、古書店の百円棚にあるんだからなあ…。引いてみよう。

 ひとを愛する時は「たべてしまいたい」という。ところで牡丹の花はたべて、好ましいものだ。大輪の白い牡丹の散る前に花弁だけとって熱湯の中をさっと通し、すぐ水に放す。冷えたら静かに出して、二、三枚ずつきれいに重ね、白磁か染付の皿に、河豚の刺身のように美しく並べる。紅い花弁を二つ三つ飾りに入れると美しい。少量の塩を入れた日本酒と酢半半の二杯酢をつけて食う。ゆで過ぎたり、手荒く水をしぼったりして、くしゃくしゃにしては駄目だ。豊満の花一個は三、四人のたべるに適した量となる。「多きは卑し」だ。正倉院の美女を連想してたべるのもしゃれているではないか。     「牡丹を食う」

 名文である。機会があったら、若い者に筆写させてみたい。そういう教育法もある。本書は、昭和五十三年刊。牡丹散つて、昭和も遠くなりにけり、ということだ。

 

 



大谷晃一『歌こそ わが墓標 昭和無名歌人伝』 短歌採集帖( 2 )

2016年05月15日 | 現代短歌 文学 文化
 大谷晃一の著書は数多い。本書のあとがきには、「どうやら、事実としての人の一生を書き継ぐことを、私は自分の仕事としているようである。このたびは、その折り節に短歌を詠むことによって生きて来た人たち二十一人の列伝を編むことになった。」とある。聞き書きを元にして、要所に語り手の言葉を織り込みながら簡潔に叙していく文章は、緩急自在で人を飽きさせない。実用の文章が、文芸の文章の気息を学びながら熟練し、熟成されたものである。だから、太谷晃一の文章は、日本語の散文のひとつの見本ともなるものだろう。
 本書では、昭和という戦争の時代を生きた人々の姿が、短歌をなかだちにして語られる。胸がいたむこと、いたいたしくてやるせないこと、そんなことばかりである。「阿修羅のマレー沖 岩崎嘉秋さん」の章から。岩崎さんの仕事は、パイロットである。引く。

「サイゴンに近い仏領印度支那のツドウモ基地に進駐した。いま、ベトナム。十六年十二月八日にシンガポールを、九日にマレーのクアンタンを爆撃した。十日、イギリス東洋艦隊に最初の攻撃をかけた。戦艦「レパルス」の後甲板に二百五十キロ弾を命中させた機を、岩崎さんは操縦していた。しかし、自らも被弾し、かろうじて基地にたどりついた途端、左のエンジンが停止、あやうく命びろいした。マレー沖海戦である。この歌も、のちに作った。

  飢に狂ふ鷲のごとくに艦襲ふ眼血走りて人を見ざりき
  わが魂のたふときものも落下せり爆弾を艦に放てる瞬間(とき)に

 (はじめて空を飛んだときの)あの空の美しさもロマンもそこにはなかった。火薬のにおい。閃光。高角砲の光の乱射。それこそ凄惨をきわめた。空というのは阿修羅のごときものか、と思った。その空と心中しなければならないのだ、といたたまれない心境である。
 太平洋の各地を転戦した。ラバウル爆撃へ行った二十七機のうち、帰れたのはたった三機だった。硫黄島への敵の空襲の瞬間、一式陸上攻撃機で最後に飛び立って内地へ帰った。木更津と豊橋の海軍航空隊で教官を務め、その間に郷里から嫁をもらった。(略)
 敗色が濃くなる。困難な、そして辛い任務が続いた。台湾から比島へ、要人を救出に行く。荒天の暗夜を選び、向こうの飛行場へ無灯火で強行着陸する。この繰り返しである。第一航空艦隊司令長官の大西滝治郎中将らを特攻基地に運ぶ任務もやった。諸君、私より一足先に死んでくれ、と訓示が終わると乗せて帰る。死んで行く若い隊員をとても見ていられなかった。一度は沖縄空襲で弾を受け、破片が岩崎さんのお尻にささる。生きていたのが不思議だった。
 終戦の日、台湾の高雄にいた。ああ、おれの人生は終わったんだ、おれの生命はもはや償却ずみだと思った。もう、爆音は聞きたくない。空も見たくない。……」                    

 このあと岩崎さんは慣れない地上での仕事に窮して、誘われて海上自衛隊に入り、のち民間会社の「朝日ヘリコプター」に移って、種々の活動にあたった。この章は次のようにしめくくられる。

「ヘリコプターのローターが回り、その影で下の雲に丸い虹ができている。蓮の花のような綿雲が浮かんでいる。雲がこのまま蓮台になってくれて、わが一生を終わることができたら、無上の幸せだな、と飛びながら思う。一首できた。

  蒼みたる秋空飛べば吾が下に蓮台に似る綿雲の浮く 」

 死地をかいくぐったからこそ、虹を見てこのように思うのである。まさに、その仕事をしている人でなければ詠めない歌にちがいない。

片山貞美の歌 1

2016年05月08日 | 現代短歌
 以下の文章は、2014年1月付の原稿であるが、読んだことのない人のためにフォルダの中から発掘して再掲する。また新たな状況の文脈のもとに、片山の歌を置くことができるのではないかと思う。

 片山貞美といえば、言葉を通して眼前の物象の在りようを正確無比につかみとり、存在物のモノとしての現れに直接突き当たろうとするかのような作歌姿勢が、私には慕わしい。たとえば無作為に一九八二年刊の歌集『すもも咲く』から二首歌を引いてみると、

  山のいもの天狗の鼻の光りつつ昼けむりくる谷を見おろす
  岩くらく走れる流れ日おもてに玉だれかけて池にさざめく

というような、歌集のどこを開いてみても、モノの物質性と文字の物質性とが、瞬時に融合しつつ打ち合うような独特の詩境を示している。それは定型詩としての玲瓏とした音楽性を含み持つ至高の藝術的達成だった。

 しかし、昭和二五年から三五年ごろまでの約十年間の歌を集めたという第一歌集『つりかはの歌』をめくってみると、後年の円熟の予感はあるものの、だいぶ作品の様相を異にしている。後記において作者自身が、じぶんの歌は、狭い「私歌」にすぎないと謙遜し、あえて自己限定の弁を述べているのにもかかわらず、鋭い社会性を持った歌が数多く収められていることに驚かされるのである。いや、謙遜と言うよりも己の歌の狭さを呪いながら、幾重にも屈折した言葉を連ねたのが、『つりかはの歌』の後記の言葉であった。歌を見よう。

  石炭満載車輌つづき去り水をこぼしつつワム車輌去る
  待たされてゐて仰ぐ電柱複雑にトランスも載せ靄ごもるなり
  心此処に置けば即ち逼塞のただすべのなきさま見するはや

 これが、歌集冒頭の三首である。ここの句またがりの多い不安定なことばの運びに端的にあらわれているものは何か。作者は、真っ黒い石炭列車や、靄に黒々とかすんで見える電柱のトランスを見つめながら、自らの物思いや情念を押しつぶそうとしている。「心此処に置けば」とは、そういうことだ。わかりいい歌ではない。通勤の途次ホームに立って列車を待ちながら、「逼塞」している。言うならば、立ったまま追い詰められているというような状況なのだ。あえてそのような所に身を置こうとする精神の傾きも見て取れよう。

 片山ら多くの「戦中派」の人々は、自己の生活と、生きる上での(それから文学上の)理念となるようなものを、当時流行の社会理論の助けをかりずに自前で再建しなければならなかった。だから、敗戦によって招来された自由も、彼らには無条件に享受できるようなものではなかったのである。

  油槽車はUSA700050わが帰りゆく電車を待てば
  紛れつつありしいのちのいきいきと財万億とともに蘇る
  ひきぬかれたる心胆はをさまれどいまいましjet機飛びすぎつ
 
 これらの歌には、被占領国に生きるくやしさが読みとれる。二首目のjet機は、米軍の軍用機。「ひきぬかれたる心肝」とは、戦争に敗れた日本人の誇りを示唆している。それを己一個の恥辱としても受け止める感覚が、ここには存在する。


草野大悟『俳優論』 跳ぶ!こと  

2016年05月08日 | 
 津野海太郎の本のところで触れてから、すぐに読みたくなって買ってしまった。本の帯には、「芝居に惚れて。惜しまれて去った俳優があとに遺した一束のメモ」とある。1992年晶文社刊。ブックデザインは平野甲賀で、表紙の平野の文字は、衣装を身に付けた役者のような姿をしている。なかなか威勢のいい書字である。
 年譜をみると、1939年台湾生まれ。1971年『翼を燃やす天使たちの舞踏』第一回黒テント公演出演後、フリーとなる、とある。残されていたというメモの言葉を引こう。

・ナチュラリズムからは飛躍が可能である。
・心情はナチュラル、表現はシュール。跳ぶから面白い。   草野大悟

 岡井隆の短歌など、さしずめこういうところだろう。いつもこんなことを感じながら読んでいる。

・観念におけるリアリズム、観念におけるナチュラリズム。これが日本の演劇を駄目にした。
・生活時間をきっちりと生活時間として演じられれば、ここを切り、こことここをつなげて、肉体のシュールが可能になる。   草野大悟

 この言葉からは、草野がどういう演技・演劇をめざしていたかがイメージできる。現代の文芸の世界においても、ここが勘所なのではないだろうかと私は思う。いまさらリアリズムでもナチュラリズムでもない、という言葉は、「生活時間をきっちりと生活時間として演じ」たうえで言えることなのであり、それから「観念におけるリアリズム」と「観念におけるナチュラリズム」への批判が可能になるのだ。つまり、跳べる!のである。これは、実践家の言葉として、尊い。

・登場から引込みまでを「時間」と考える。
通常の時間でなら一秒のところを十秒にも拡大しなければならないところと、日常なら三十秒もかかるところを三分の一ほどにギューとつめるところと。
板の上で流れる音楽は伸縮性のあるゴム紐のようじゃなきゃいかん。
しかし、どこをどうちぢめたり伸ばしたりすれば、いい関係、いいテンポ、いいリズムになるのかは、手前で探すしかないんだ。    草野大悟

 これは誰にもわかりやすい言葉で言っているが、文芸にひきつけて言うと、言葉(声)が支配しているのは意味だけではなくて、時間なのだということを、読む方も書く方もしばしば忘れてしまっていることがある。それは言葉に慣れすぎてしまうからで、演劇の方で言うと、それは役にセリフ(声)があることに慣れすぎてしまうということになるだろう。時間の伸縮を支配しているのは、セリフがあってもなくても、板の上にいる俳優の演技そのものなのだ。


 

自著についてのおことわり

2016年05月07日 | 古典
 昨年私は、『香川景樹と近代歌人』という本を私家版で出して知人にくばった。それから知人の御好意で、電子本としても出すことができた。

 その本の中に、「一首のなかに描写的な視点の誘導があり」という言葉がある。もう七年近く前に万来舎のホームページに出した近世歌人についての連載では、「能動的な描写句」という言葉を使って書いたのだった。私なりに工夫した表現である。

 それが、ある場所にそのまま使って書かれてあった。私より先に活字になっているので、何もコメントしないでいると、私が真似したことになってしまう。弱った。

 これは、私の名誉のために書いておくのであるが、参照したなら参照したときちんと書いておいてほしかったと思う。ただ、多少同情して書いておくのであるが、無我夢中でものを書いていると、読んだものがそのまま自分の考えになってしまっているということは、ある。知らないうちに影響されているのである。この手の話題は、ある種の人々が好む性格のものであるが、私はそういうことがきらいなので、あとで指摘されたら、このページをみてくださいと言うために、ここに書いておくのである。

※一度消したが、西部氏の新著(遺著)をみて復活させることにした。なかなか、世間に生きるのはむずかしいことである。ネットの環境は、それをさらにむずかしくしている。

南輝子の父への挽歌  『モンキートレインに乗って72 昭和十九年の会アンソロジー』より

2016年05月05日 | 現代短歌 文学 文化

  はちぐわつの帽子かぶればいつせいに遠き呻きが駆けよつてくる

  あの時もきつと青空はちぐわつのジャワ・ジャカルタの父の青空

 今村均の本について書いたあと、手に取ったら目に飛び込んできた「葉月はちぐわつ」の一連から引いた。

「シユツサンイカガイカニナヅケシヤ」。

これは作者が生まれて20日めに父から届いた電報である。遺品として70年間母が保存していた昭和19年12月2日付の電報送達紙。ジャカルタ発グンヨウ。

「一九四五年八月一五日、旧王子製紙ジャワ(現インドネシア)ジャカルタ工場の責任者であった父と部下53名の無防備な民間人が、大日本帝國敗戦をきつかけに蜂起した地元住民によつて、侵略への報復として、全員虐殺された。この事件は日本インドネシア両国間の戦争借款として処理され、国の極秘事項として抹殺された。35年後の一九八〇年、アメリカ公文書公開で明らかになり、当時の目撃者の証言を得て、父達は発掘された。」
           『モンキートレインに乗って72 昭和十九年の会アンソロジー』(2016年4月刊)より


  かなしみをかなしみつづける父がゐる南十字星の心臓のあたり

  口にして胎内燃ゆる文字にしてたましひ歪む言葉ぎやくさつ (※ 元の本では、「ぎやくさつ」、傍点あり。)

  悲しさの総量として青があるわが身体も青に青燃ゆ


どうしても言っておきたいこと、それがこれらの歌なのだと思う。