さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

谷沢永一『標識のある迷路 〈現代日本文学史の側面〉』についてのメモ

2018年09月24日 | 和歌
 土屋文明と井上通泰について触れた文章があるので買っておいた本だが、日本近代の学問思想と文学に興味のある者には、俯瞰的な視野を提供してくれる展望台のような書物である。

文明の『万葉集私註』は、たしかに「語学上の欠点が確かに目立つ」が、「『私註』ほど萬葉集全体が読めている注釈書はなかろう」と評する。谷沢は学問の成果を「批評」してこう言っているのである。ここから文明『私註』の読み方を学べるではないか。

井上通泰についても、わずか一ページほどの文章のなかで『万葉集新考』(刊行者正宗敦夫)の著者の風貌をみごとにスケッチしている。

 しかし、「慶応二年生まれの井上通泰には、開明期啓蒙史学に連なる主観的には国士風選良意識の啓蒙啓発至上主義が底流しており、古典を我が身から突き放しつつひとつの資料と見做して冷凍し料理する態度が見られるようである。」とするが、桂園の祖述者としての井上についての言及はなく、「万葉」学についてはそうかもしれないが、このくだり、景樹関係の文献を多少かじっている目からすると、井上通泰の桂園関係の仕事も含めた全体像をとらえたものとするには、やや不足がある。

島田修三『古歌そぞろ歩き』

2017年03月04日 | 和歌
 近代以降ずっと評判がいい『万葉集』や、誰もが名前を知っている「古今」「新古今」は別として、それ以外の和歌集を読もうとすると、和歌にさほど同情のない読者は、始めのうちは類歌の洪水にとまどうのではないかと思う。どの歌も同じようにしか見えなくてつまらないと感じたり、既視感が強すぎてどう楽しんだらいいのかわからなかったりするのである。これは、私自身がそういう経験をして来たから書いている。

そのような古典和歌の広大な渚のほとりで立ちすくんでいる読者にとって、本書は格好の入門書となるのではないだろうか。また、これまで自分なりに古典和歌に親しんで来た人にも、この本は改めて平安時代だけでなく、中・近世の歌のおもしろさを感じさせてくれるものとなるだろう。とにかく文章がいいのである。

 あとがきに著者自身が振り返って述べているが、京極派の歌人への嗜好や言及がうれしく、近世の歌人を積極的に取り上げている点がなかなか目新しい。またその選歌も、おそらく無意識のうちに近現代の歌人たちの批評の波をくぐったものになっていると感じられるところが、おもしろいと思うし、信頼できる。

 装丁も手触りもうれしく、親しみやすい本で、われわれはここに最良の古典和歌鑑賞書を手に入れたのである。





草森紳一『歳三の写真』

2017年01月16日 | 和歌
以下は、「美志」の復刊一号(2011年1月)にのせたもの。

草森紳一の『随筆 本が崩れる』(文春新書)という書物は無類におもしろい。私は愛書家もしくは蔵書家の苦労話を読むのが結構好きだ。本とどう暮らしているか、ということに、その人の仕事や性格の質があらわれているからである。今の時代は、読書家のブログをチェックしたら相当におもしろい文章が見られる。

 でも、私の見るところネット上の書き手の姿勢は、概して親切すぎ、サービス精神が旺盛にすぎる。それが、私などにはかえってめんどうに感じられる。草森紳一の文章がいいのは、妙に親切そうな口ぶりをしない点だ。草森は、自分の生活のどうにもならない成り行きを、どこまでも我が儘に描きだしている。誰が何と言おうと、自分はこのやり方で貫くほかはないという意地の張り方。その滑稽さを、書き手はよくよく自覚しながら文章をつづっている。

 床に積んだ本の塔が倒れて風呂場の中に閉じ込められ、どうやったら脱出できるかをあれこれ思案して、まあいい、一風呂浴びてから考えよう、と思って取りあえず風呂につかることにする、というくだりなど本当にばかばかしいのだが、延々と私事をのべていく文章が、一種のリズムを持っていて、駄目なことが一種の芸になっている。

 続いて筆者は何となく秋田に旅行することになり、平田篤胤の墓に詣でるのであるが、その五百何十段あるという石段を上るのに、こちらも読みながらいっしょに息をきらす。本がいっぱいつまった荷物を置く場所を教えてくれる店の人の親切がうれしく、階段のぼりの途中耳に入るウグイスの声がうれしく、老躯に鞭打って上がり終えてからする仮眠が、訳もなくうれしい。要するに、スタイルがあるから読ませることができるのである。

 その草森の『歳三の写真』(昭和五三年刊・新人物往来社刊)という本を先日手に入れた。七百円也。インクの文字も薄くなっていて、あまり状態のいい本ではないが、私のように買う者がいそうなタイトルではある。巻末に「歳三の写真」ノートという文章がある。新選組の土方歳三には、『豊玉発句集』という句集があり、それについてこう書いてある。

「 春ははるきのふの雪も今日は解
               土方歳三

 ばかばかしいような句だが、ほかほかしてよい。(略)
この世の物ごとは、ありがたいことにすべて曖昧であり、その人の見たいように見えてくるところがある。死の意識といったところで、すべて人間は死ぬのであってみれば、なにも特殊なことではなく、意識などというものは、なによりも予定調和の活動でしかない。時代が時代であって見れば、死を意識することなどは、なんの不思議もでもない。清川八郎の率いる浪士隊にくわわって京に向かうということは、当然、死の覚悟でのひとつ位はあるのだから、句の中にその意識が見え隠れていても、驚くにたらない。

  手のひらを硯にやせん春の山

 見ようによっては、どのようにも見えてくる句である。これも、ほかほかした句である。心に余裕のない時には、生れない情動であるが、歳三の句は、総じて素朴なまでにこの余裕がある。」

 土方の句について、「ほかほかしてよい」という言葉が出る。とても敵わないなと思えるようなこういう文章を見つけるのが、私は好きである。


子母澤寛の『新撰組始末記』の伊東甲子太郎の歌

2017年01月16日 | 和歌
 坂本龍馬の書簡が発見されたというニュースがあって、自分の書いたものの中に多少幕末の関係の事を書いたものがあるのを思い出した。もとは「美志」復刊二号(2011年9月)。

 伊東甲子太郎の歌について

 古書店の百円棚は楽しい。最近の収穫は、子母澤寛の『新撰組始末記』で、これはよくある文庫本ではなく、元治元年の京都の古地図を表紙に用いた昭和四十二年中央公論社刊本である。その巻末に半井梧菴(なからいごあん)選の伊東甲子太郎歌集『残し置く言の葉草』の二百首が収載されている。文庫本にこの歌集があったかどうか記憶は定かでないが、たいてい文庫などの普及版では、和歌は省略されてしまう。だから、古書になっている最初の単行本はばかにならない。この本は、中学校の頃に文庫で買ったけれども読めなかった覚えがある。伊東甲子太郎は、京の木津屋橋で三十二歳で暗殺された。その人の歌。

  行末はかくこそならめわれもまた湊川原のこけの石ふみ   湊川楠公之碑前にて

 いたってわかりやすい、いつ死んでもいいという気構えにあふれた幕末の志士の歌だが、前回話題にした土方歳三同様、詠み口に気持ちの余裕が感じられる。しかし、新撰組内の紛々たる派閥抗争には、相当に疲れたのではないだろうか。伊東の和歌の大半は、右のような素朴なものだが、それにまじって、紛乱に伴う鬱屈を述べたものが散見する。

  うきことのかぎりを積みて渡るかな思は深き淀の川舟 (濁点引用者)

 詞書によると、これは気持を同じくする知人らと会合してから別れる際に作ったものである。密談だったに違いない。一首は、舟の出るのを待つ間に低声に吟じたものではないかと思う。目の前には川が流れ、友と別れるのに際して古代中国の故事が頭をよぎったかもしれない。先に引いた歌同様に平易な歌だが、「うきことのかぎり」には、実感に根差した重たいものがあり、調べも緊張したものが感じ取れる。
 本来「うきこと」は、恋の思いにまつわるものだった。この歌も状況とただならぬ詞書を外してしまえば、そう読むことは不可能ではない。恋の歌のかたちが、そのままで政治的な憂憤を漏らすためのてだてとなって転用されるような時代を、伊東甲子太郎らは生きていた。この時、和歌の内実は、実用のレベルで変質していたのである。