以下は、二〇一〇年一月九日刊の小冊子 『一九九八年の「未来」ニューアトランティス欄と九九年の「未来」月集欄(七・八・九)を読む』 の前半の1月から6月の部分である。これはいまから七年前に、その十二年前を回顧した冊子だから、ざっと二十年近くまえの短歌についての文章ということになる。
この中には、すでに故人となられた方の名前もある。いささかの追悼の気持をこめて、ここに再掲する。若い人達、それから未知の読者との出会いを祈念して。後半から先に三回に分けて掲載している。
はじめに
この冬に以前の文章を編集し始めたら、とても一冊ではおさまりきらないということがわかった。それで少しずつこうした小冊子にしてゆくというアイデアがうまれて来た。ここには「未来」誌の「ニューアトランティス欄を読む」の一年分と、「月集欄」批評の三カ月分をまとめてある。これによって、ちょうど十年前の「未来」の作品をコンパクトにまとめたかたちで縦覧することができるのではないかと思う。この頃の私は散文を「鈴木篤」という名前で書いていた。今見ると、何だか歴史を感じてしまう。それほどに世の移り行きは激しい。読み返してみると、いろいろな事が思い出されるし、結構楽しい。以下の文章にとりあげている作者の中には、東直子さんや高島裕さんのように、すでに「未来」を離れた方もいる。また、亡くなられた方もある。こうしてみると、後で歌集に収められた諸氏の作品に初出の段階で言及することができたのは、実に幸せなことだった。でも、取り上げられた方は、勝手なことを書かれてさぞ迷惑だったのではないかとも思う。慚愧に耐えないが、私もまだ若かったのだ。こういう文章の性格上あまり直してはいけないと思ったが、文意の変わらない程度に細部を見直しして、無駄を削った。ただし選んだ作品で削ったものはない。豊かな歌の世界が、ここにはある。
◇一九九八年「未来」ニューアトランティス欄を読む◇
○ 一月号
さて、今月からこの十ページほどがわが草刈り場となる。踏み入ってみると、「刺客うようよ」というほどでもないが、やはり緊張する。小林秀雄に「真贋」というエッセイがあった。あの文章では、本物の赤絵の皿を素人目に偽物と決めてしまって、「見るのもいやだ」と手放してしまい、後からやはり本物だったということが判明するのだが、自分もそんなことをやらかすかもしれない。もちろん歌の批評は骨董の鑑定ではない。でも、ひらめきに頼る点があるのは似ているような気がする。読みながら、言葉を濾過した「現在」への感度のようなものを、同時に計量しているのである。
その「現在」への感度という点で、ひところの紀野恵の技法の「超時代性」が、すでに批評的にはたらかなくなりつつあるのではないかということを言いたい。角川「短歌」の十二月号に、
コンピュータ音声応答システムが干からびてゆくゆめのなか 遇ふ 紀野 恵
という作品があって瞠目させられたのであるが、この歌は索漠とした時代の気分を、無機的なコンピューターの声に象徴させるように取り込んでいるところに見所がある。ここには作者の新たな可能性がひらけていると思う。残念ながら、本誌一月号の一連には、そういう鮮度がやや乏しいのである。たとえば四首めの下句に〈未だわたつみ越えぬイゾルデ〉という句があるのだが、この「イゾルデ」という固有名詞に、なぜか私は、たちどころに疲労感を覚えてしまう。それに比べて「コンピュータ音声応答システム」は響きがいい。呼び込まれている語彙の選択の問題が一番大きいような気がするが、それだけが原因で、この目覚ましい印象の違いが生じているとは思われないのだ。…というような事を悩みつつ書いていると、手元の「短歌研究」二月号の一ノ関忠人の放言が目に留まってしまって、聞き捨てならない。一ノ関は、「現代が、あたかも修辞の時代であるかのように錯覚させる歌壇の先端部」は「くだらぬ意匠の先進を争」っているのにすぎず、彼らは「みずからの狭隘ななれあい世界を清算するほうが先決ではないか」と言うのである。実に、見当ちがいもはなはだしい怒りの爆発ではないか。修辞の中にしか、現在は現れない。そのことを痛切に感ずるところにしか、短歌が詩として生きて行く道はありはしない。話をかえよう。
父逝きてほうやれほうの我ながらなみだ流れて荒川に来つ 池田はるみ
やうやくに寝入りたる子の頬のあたりばう、とふくらぐやうに思ひぬ 大辻隆弘
二首とも、言葉の質感を確かめるようにしてうたわれている。「ほうやれほう」や「ばう、とふくらぐ」といった、平仮名書きの表記と語音との微妙によじれ合った擬古的な言葉遣いが巧みである。池田作品は、境涯詠の荘重さへと短歌的叙情を収斂させることなく、ふっ切れた哀れなおかしみを醸し出していて、先の歌集『大阪』の後半部への批評として、歌集を読む会の中で出されていた問題に、この一連で早くも応えることができたのではないだろうか。問題は挽歌の領域における、近代短歌の超克である。(付記。この一文、気負いすぎですね。)
大辻作品の方は、新歌集『抱擁韻』の帯に「短歌的文体に殉ず。」とある。この「ばう、とふくらぐ」は「短歌的文体」なのかもしれないが、「ばう、とふくらぐ」と子供の頬が見えたこと、そのような錯覚をおぼえたこと自体は、やはり現実・リアルというものが先立って突出しているのであり、そのことに読み手のぼくは動かされたのである。それはもしかしたら「写実」ということの要諦なのかもしれないが、同じ一連の〈木々の影ページのうへを走りゆく朝の車窓に寄りつつ読めば〉の好ましさに比べて、導入の歌とは言え〈色づける柿のはだへにうつすらと白き粉見ゆ秋のはじめは〉の平淡さが、危険な気がするのだ。むしろ『抱擁韻』の問題作は、「短歌的文体」の準備がととのいようもないところまで現実が迫り出しているような局面で、なおも腰の重い「短歌的文体」を誇りやかにこなしてみせる超絶技巧的アクロバットを示した作品の中にあるのであって、帯文の揚言は、どんな現実をも「短歌的文体」の中に繰り込むべく闘うのだともとれるし、逆にその可能性を信じられるだけの大きな自負の現れというようにもとれるのだが、ぼくとしては大辻さんにそんな単純な信仰告白をしてもらっては困るのだ。短歌はただ音が心地よく流れているだけのものではないし、既知の言葉の構成をなぞりつつ生まれて来るイメージの楽しさにおぼれるためのものでもない。われわれが当面している諸々の物・事の現在性として、歌が(言葉によって、修辞によって)えぐり出し、突き付けて来るものを、貪欲にもとめて行きたいのだ。
ほどほどにエスプレッソの苦さあれ契約は吾をやわらかく締む 日下 淳
パパのかたいおなかがとてもこわい 巨大な抽象画を前にして 東 直子
買い手市場の労働現場に働く女性のくっきりと醒めている意識が伝わる一首め。「男性性」としてとらえたものに、やんわりと抗している二首め。はや字数も尽きた。
《九八年四月号》
○ 二月号
マルクスと喧嘩したいだなんて(ふふ)ライチの皮を剥きながらきみ 田中 槐
「マルクスと喧嘩したい」なんていう類の気恥ずかしい台詞を、酒の席で口走ってしまう奴って、いたよなあ…。少しブルジョア感覚のライチを食べながら、というのも皮肉でおかしい。知的でちょっと男を小ばかにしていて、でも厭味がない。何度読んでも吹き出してしまう。
したり顔する 価値を裏返すことなど簡単さねえ桜井君 中沢圭佐
一連は、例によって欧文哲学書直訳体的な文体なのだが、それをベースにしながら、不思議な歪みを持ち込もうとしている。これでユーモアが出せるようになったら、このひと本物だ。当月はしかし玉石混淆の一連、どれがよくてどれが悪いかは「〈神〉のみぞ知る」だ。まとめて読んだら飽きが来るという危惧は、むろんある。でも、みるみるうちにこの作者、「事実」の断片の取り入れ方が、さまになってきた。今は突っ走るしかないだろう。若さというのは、こわい。
夕焼けのきはまる後の音を聞くこの男には妻も子もある 江田浩司
島木赤彦の有名な一首を下敷きにしている。アララギ的な「正調近代短歌」の遺産を利用しつつ、そういう荘重な短歌的文体を、それ自身の中で異化するように使用すること。調べは近代短歌に拠りながら、盛られているものは仮構された意識と言葉のよじれあった一つの現代的な詩の位相であるような世界を作り出すこと。先の歌集『メランコリック・エンブリオ』の問題作と比べると、ずっと読みやすくなっているが、江田さんのこの行き方、悪くない。別に、これは撤退ではないのだ。
トンネルに入りて「ひかり」の身ぶるひがわが背後へと伝ふときのま 大辻隆弘
また大辻さんを引き合いに出してすまないが、こちらは『帰潮』の〈移動するこごしき音は飛行機のやや後方の空よりつたふ〉の音の向きを反対にしている感じだ。作者の佐太郎摂取は堂に入ったものだから、この調子で作っていれば、むろんそれなりの成果は得られるだろう。でも、惜しむらくは、うますぎる。だから、どうしても後向きに見える。
褐色の男の子を産みし聖処女に石投げているわたしじゃないか 寒野紗也
社会主義の禍福知らざる十万人を故郷にあらぬ地に還らしめ 李 正子
追われたる祖国とふいに言い換えて電話を切りぬ田中ロベルト 但馬哲哉
この日本という、どこを切ってもぶよぶよの平板さがあふれた全体主義的な社会に住んでいると、つい自分の頭の上の蝿を追うだけになってしまって、いろいろなことに鈍感になりやすい。掲出歌は、この国の外へと弾き飛ばされてしまった人々の複雑な状況にかかわろうとしている。寒野作品は、適当に乱暴なところと、野性的なヒューマニズムの発露がうまく釣り合って作者の持ち味が出た。李作品は、個人崇拝が体制の根幹に据えられている厳寒の共和国に、かつて鳴り物入りで、愛する同胞を向かわせたことについて、その責任はいったい誰が負うのか、と問いを投げかけている。但馬作品は、異国にあって、ナショナルな情念を捨て切れないでいる人物の複雑な心境を詠んでいる。
マーライオン背にして笑うこの夏の家族写真を火にくべがたし 大谷真紀子
寝る前に「ちゃがちゃがうまこ」を唱えいる子供の声に浸りて吾は 中川佐和子
「失楽園」と言へばミルトンと反応する親族ばかりの法事二次会
宮原望子
人間というものは、親兄弟や家族、肉親のしがらみの中で苦しみつつ生きていく存在なのだという、このごく平凡な事実の重さを認識することが、文学の根幹にはあらねばならないと、かつて文芸評論家の江藤淳がのべていた。短歌も同様だ。若いうちにはわからなかったことである。
大谷作品には、おのずから生のおののきが一首の歌となったというような、切ない響きがある。中川作品のような慰めも、時にはあっていいだろう。宮原作品の、何という明るいユーモアだろうか。これは、大島史洋氏も取り上げて書いている歌だが。
母の手は寂しうからの皿ごとに卵料理をすべりこませて 加藤治郎
短歌が「うから」という語を日本語の中で存続させていることの意味は重い。これは加藤さんの自然体ということになる。
礼ふかき黒衣の妻のおもざしのわたくしに似て きみは逝きたり 釜田初音
いつの間にこんな作者に脱皮していたのかという驚きをもって読んだ一連。何年もいっしょに短歌をやっていて、ふと気付いたら、となりのあの人が、何者かに化けている…。「作者」と呼べるような確固とした存在に成長している。そういう経験を、この頃ずいぶんするようになった。集団の文学運動というのは、そういう良さがある。これは別に「未来」だけ持ち上げて言っているわけではない。掲出歌、逝きたる「きみ」は「わたくし」の昔の思い人の男性と解釈した。
《九八年五月号》
○ 三月号
家中の刃物をあつめ研ぎ出だす雪つむ夜つうの鶴にあらなく 飯沼鮎子
風使いの眼をしていた グライダーを片手にたかく掲げた少年
ものを書き始める前には、家中の刃物を取り出して来て研いだという中野重治のエピソードを一瞬想起した。この作者の中にも、そういう剛直なものがあるだろう。二首めには、対象への恐れに似た敬意が感じられる。いつでもかまえることなく、正面から子供たちに真向かっているのだ。そういう健康な、この作者独特の凛然とした勁さのようなものが、うまく修辞的な着地点を見出すと、いい歌になるように思う。良識によりかかった地点からではなく、自己の感性のまっしぐらな直接性に照らしてものを見ようとした時に、反射的に立ち上がってくるモラルとでも言ってみたい。最新刊の第二歌集『サンセットレッスン』の安定した歌境の良さのようなものは、そこにある。知らないうちに、作者は、平凡な比喩の非凡な使い手としてさらに成長していた。心地よい驚きだった。
ふるさとに弛緩靴下見るときのさむざむとしてかなしと思ふ 高島 裕
母上は萎みたまひぬ厨着の白おほらかに遠き日はあり
あっと言う間にこういう歌が作れるところまで来れるのだから、驚く。「さむざむとしてかなしと思ふ」という、強固に近代短歌の様式に支えられている感情の叙べ方がある。そこに、ルーズソックスみたいな俗な素材が放りこまれて一首ができあがる。全部高島さんのいつもの実験的調子だと、短歌として認知されにくいということがある。こういうものもある程度作っておかないといけないだろう。しかし、決まり文句には決まり文句の陥穽がある。あまりにも心地よいために、自分でその表現に何かをつけ加えることができないのである。だから様式的な叙法に対しては、用心するに越したことはない。保守的文芸型式である短歌のつらいところだと思う。ここのところで短歌を信じられる人やグループが歌壇にはたくさんいて、自分の間尺に合わぬものをすべて切って捨てようとしているのである。かと言って、そういう保守的なものがすべて消えたなら、短歌は滅びるのではないかという気がぼくはしている。好悪の感情で問われたら、ぼくだって断然「さむざむとしてかなしと思ふ」が好きである。高島さんは若いから、こんな大きな疑問を出してみるのだが。
林檎二個 一個はおのがために剥く喜びはかく淡くたしかに 加藤聡明
いつも通りの禁欲的な作者だから、一連から事実的な背景は極力消されている。読者としては、あと少しだけ、私事を教えてほしいと思うことがある。見せ消ちに描かれている断片だって相当に厳しそうなのに、作者は黙して語らない。聡明さんは羞じらう人だ。林檎をむいている孤独な男の後姿に、誠実な魂の受苦のありようが形象化されている。究極的には空に向かって書いているのだから、ぼくたちはみんな自由だと、この作者なら言えそうな気がする。聡明さんの作品に励まされる読者は、ぼく以外にもきっといるはずだと思う。
他人事と思えぬされど打電する銀行コード0012 日下 淳
コール市場呼べど応えぬ金曜の午前十時を魔の刻とせり
北海道拓殖銀行が破綻してから、三月に入って北海道では大型倒産が相次いでいるという新聞記事を読んだ。札幌で金融関係の仕事に従事しているらしい作者ならではの、ひりひりするような臨場感が一連には漂う。一首めの「されど」というのは、自分の事でもあるのだが、今は勤務中の身で、必死の形相をしてせっついて来る誰かに依頼されて、代理で打電しているのだろうととったが、この一首だけだとその情景は見えて来ない。もう一首、序にあたる歌が要るのかもしれないが、日下さんも私事をあまり歌の中に出して来ない作者ではある。一連は、特別に意識しているわけでもないようなのだが、どこかで男どもが作り上げた経済システムの総体に物申しているようなところがあって、空気のように感性そのものに内在化されたフェミニズムとでも言ったらいいか、ほろ苦い戦後システムへの訣別の言葉が、経済を詠みつつも、まるで相聞歌みたいに立ち上がっている様子がおもしろい。「写実」の再興ということが言われるとしたら、こういうところから微かな地殻変動は起き始めているのである。若い日下さんたちの「アルトの会」のようなマイナーな研究会には、今後につながる種子が隠されているかもしれないと思う。自他の作品がどこへ向かってゆくのかということへの真摯な問いを持ち続けながら、同年代の女性のある層の肉声を、自らの経験を媒介にしてつかみ出してくることが必要なのだ。
カレーニン旅行会社は救ひあるさまに飛行機切符手渡す 紀野 恵
先々月に書いたことなどどうでも良くなってしまうのは、この人の歌の後頭部に届くような柔らかい言葉の刺激の故である。 《九八年六月号》
○ 四月号
さりげなく株価終値浚いおりヒエログリフを読み解くように 日下 淳
振り出しという語の軽さいつの日か廬生の夢はさめねばならぬ
また北海道の日下さんの作品を取り上げる。二首めは直接日本経済とは関係がないのだろう。しかし、微妙に重ねて読みたい。こんなことを思っている経済人が、日本に今どれだけいるのか。倒産すれすれのところであえいでいる小さな建設関係の会社の人の話などが耳に入ると、何もしなくても赤字は累積して行き、それはもう、暗渠にお金を放り込んでいるようなものだという。経済の痛みは人の痛みだということが、日下さんの歌の中にはある。私的な契機と、職場環境での写生とがだぶっている。それは偶然のものでもあり、必然のものでもある。そのタイミングが重なっている今この時を、歌はつかまえる。「振り出しという語の軽さ…」。損失だって、たいてい男の方が立ち直れないのだ。宇野千代の自伝を読んでいたら、「それにしても私の立ち直りの素早さは目にも止まらぬほどのものであった」と書いてある。あれは、元気が出る本だ。
えいえんに腐らぬあけびあるようなさみしさきょうもあなたを愛す 大滝和子
一読して咄嗟に思い浮かべたのが、雨宮雅子の〈いつぽんの木のかなしみにゆきつけば烏瓜垂るる宙の昏しも〉であるが、とりあえずこの連想には何の意味もない。あけびは口を開けているのか、閉ざしているのか。たぶん青い匂いを発しながらかたく口を閉ざしているのだろう。処女性のようなものへ向けて禁圧を強めて行く、作者ならではの不思議な感覚だ。題「秘恋」というところだが、「けふも君おもふ」ではなくて、「きょうもあなたを愛す」とはっきり言うところが現代。
テノールが「またも孤り」と歌うとき庭に日の差す喜びはあり 佐伯裕子
告げられし一つ言葉のひびかいに伽藍となりてわれは暮れたり 秋山律子
壁際のグランド・オダリスクの背の見ゆれ昨夜見しままに歪みしままに 松浦郁代
どこまでも従き来る少女手をのばすもしや前の世われの生みし子 さいとうなおこ
一首目は調べが通った歌で、子供が自立して行ったあとの母親の感情を底に沈めたものとして読めると思うが、その分やや既視感があるのは、うまくそろった材料のせいもあるかもしれない。二首めもよくわかるし、一連は夫が定年、自分もある年齢にさしかかった女性の感慨が伝わって来るのだが、どこかで事実の取り入れが不足している。岡井さんのように、白鳥を見に行きますか。三首めは結句の「歪みしままに」に作者の感情が出ている。それでいいのであって、その前の歌のように「なお昏き身ぬちに」とか「身奥寂しき」とか自分で言ってしまうと、かえって逆効果になって批判されることになるのである。思いを外部にある事物に託してしまえばいいのだ。やはりここでは素材が問題となるのであって、要は身のめぐりを見るということなのだが、ここでぼくは「写生」説の説教をするつもりなど毛頭ない。
人間には各々の経験の核になっている原風景のようなものがあるような気がする。それは、心象というようなもののもう一歩先にあるものなのだ。それを、目の前のたまたまそこに在るものを媒介にして出してみせるということが、すぐれた歌人は得意なのではないかと思う。そこのところで、ある風景と言うか情景のようなものに突き当たるような、突き当たろうとするような、そういう作り方、創作・創造の態度というのはあるような気がしている。さいとうなおこさんのインドの歌、一連の一首めの〈屍のにおい街の臭いを吸い込みてガンジス永遠に鈍色の帯〉が、ぼくは不満である。さいとうさんは好きなインドだったらガンジスだけで何十首作ってみてはどうか。掲出歌は、まだ夢のようなものがあふれ出して来ない感じで、これだと文明一党の旅行詠の範疇に入ってしまう。今西久穂さんが亡くなる前に、旅行の歌は昔のなつかしい手法でも結構楽しみながら歌っていけるようだと書いていたけれども、今西さんはそれでよかった。でも、さいとうさんには、体験を無意識の中に浮かべなおすとでも言うか、そういう作業をやってほしい。ぼくは『シドニーの雨』の良さが忘れられない。
学校を丸焼きにせしいがぐりの同級生をこの頃思ふ 池田はるみ
「十三歳」と題した一連から。いがくり頭の同級生の思い出が、〈切らぬからどうでもよいから育てよと栗には思ふ栗はよきかな〉という発想に行く平俗な味がおもしろく感じられる。何十年も前の子供の「悪さ」というものも、思えばなつかしい話だ。末尾の大国主命に助けられる白兎も、考えてみれば悪童的要素が強かった。秀逸な思いつきだ。さらなる磨きをかけてほしい一首ではある。
《九八年七月号》
○ 五月号
星と星擦れ違ふごとき酷薄の偶然はかく吾をさびします 奥村和美
群衆する心はいかに手拍子にラデツキー行進曲はづれて聞こゆ
一首めの三・四句めからは、啄木の〈かの時に言ひそびれたる大切の言葉は今も胸にのこれど〉が思い出される。相聞歌なのだろうか。二首め、にぎやかな音曲と調子外れの拍手の響きは、私の孤独をかえって際立たせる。一連の整った調べとよく選ばれた語彙には、戦後短歌のなつかしい残響が聞き取れる。それは若い人の乱暴な歌とは比ぶべくもない修練の産物なのだが、比較して申し訳ないけれど、ちらっと連想したので名前を出してみると、初期の安永蕗子のような独自の心的世界を構築するには、風景を自分の側に引き寄せながら、もっと多彩に、もっと具象的にうたってゆく必要があるのではないか。その時に、おのずから歌語のうちに入ってくる語彙というものがあるはずで、そこに、歌を一個人の孤独な営みから時代の普遍的なものへと解き放つ契機が生じて来るのだと思う。むろん、声低く歌い続ける作者であってもいいのだが。
影、ふかく鋭く襲ひ来よ告げなづむ「民族」といふ一語のために 高島 裕
スリットゆこぼるる肌に灼かれつつナイフのごときものを思へり
苦しき論理つむぎてあれどどつちみち馬の蹄の中なる世界 山田富士郎
つけもの石みたいにすみに転がつて相克を見むやみと闇との
思想というのは、きちんと手続きをとって葬っておかないと亡霊が出ると、政治学者の橋川文三が、数十年前に水戸学を扱いながら言ったことがある。高島さんには亡霊が見えるだけではなくて、街頭で新右翼がアジったりしている都内に住んでいると、日々それが肌身で感じられるのだろう。しかし、戦後半世紀を経て「郷土」も「家」も「家族」もすっかり解体しつつあるのが、われわれの現状だ。今後の日本社会では、子供集団も含めた地域や職場の小さな社会単位を再生し活性化してゆくことが課題なのだとは思うが、そこに大文字の「民族」が介入する余地はほとんどないように思える。「影、ふかく鋭く襲ひ来よ」とは危ういことを言ったもので、むろん反語なのだろうが、一連には反語になりきらぬ失敗作が目立つ。もっとグローバルな視野のようなものを持たないといけないのではないか。対照的に山田作品の方は、思想に関する「手続き」について潔癖な作者だけに、わかりきったことは言わないで、思考の上澄みの部分をすくって出してきている。ただ、その分少しわかりにくいかもしれない。
唐突のようだが、市村弘正と吉増剛造の対談集『この時代の縁で』が今手元にあって、そこにこんな言葉がある。「隠喩が死んじゃったら、じゃあ、われわれはどうやって生きていくんだろう。」…ぼくには現代短歌はたとえて言えばマニエリスムで、一回隠喩が死んでしまっているのにそれを見ないようにして、意識の隅に入れないで儀式を続けているだけのものだという気がしてならないのだが、だからと言って書き続けることは大切だし、その欲求は非常に強いものなのだから、ここでつべこべ言っても始まらないのだが、そこで開き直るのか、それとも、何か理由や根拠のようなものを必死に捜し始めるかでは、大きく態度が異なって来るのではないかと思うのだ。ついでに言うと、肩の力を抜くということは、「自己」であることとか、「独創的」なものへのあくなき意欲を持つということではなくて、事物とことばの「他者性」の前にさらされ続けるということなのだ。それを近代短歌はたまたま「写生」と言ってみた、というのに過ぎないのだと思う。
ばら色のながき放尿なりしかな凍てる地上に放つものあり 佐伯裕子
物がみな象をうしなう源氏河原うすずみ色に少女はかがむ 飯沼鮎子
わが祖母は「独りを慎み、たのしみて」世を過ぎにけり苦のまされども 中川佐和子
さまざまの声に呼ばれし日の終り無口に寒の夕水にほふ 宮崎茂美
ことばよりまなざしをこそ棕櫚の葉にこごれる雪の透きとおるまで 釜田初音
この爪も覚えておかむホルマリン浸けのごとかる君が左手の 星河安友子
われわれは光と影の交錯する世界に生きている。それをとらえる短歌のことばの豊富さには、いつものことながら感動する。事物がことばによって提示されると同時に、まるで魔法のように情緒のかたまりが手渡される。
からからの白い林のなかで知る風のやみかた樹のこわれかた 小林久美子
見つけるわきっとあなたを見つけるわ母をかきわけ姉をすりぬけ 東 直子
この二人が姉妹なのだということはさして重要な情報ではない。同じ口語でも、二人の目指すものはちがっている。東さんが呪師なのだとしたら、小林さんはそれを描く絵師である。しかし、十数軒しかない村で、池田はるみさんの先祖と二人の先祖が姻戚関係にあったというのは、恐るべき偶然である。 《九八年八月号》
この中には、すでに故人となられた方の名前もある。いささかの追悼の気持をこめて、ここに再掲する。若い人達、それから未知の読者との出会いを祈念して。後半から先に三回に分けて掲載している。
はじめに
この冬に以前の文章を編集し始めたら、とても一冊ではおさまりきらないということがわかった。それで少しずつこうした小冊子にしてゆくというアイデアがうまれて来た。ここには「未来」誌の「ニューアトランティス欄を読む」の一年分と、「月集欄」批評の三カ月分をまとめてある。これによって、ちょうど十年前の「未来」の作品をコンパクトにまとめたかたちで縦覧することができるのではないかと思う。この頃の私は散文を「鈴木篤」という名前で書いていた。今見ると、何だか歴史を感じてしまう。それほどに世の移り行きは激しい。読み返してみると、いろいろな事が思い出されるし、結構楽しい。以下の文章にとりあげている作者の中には、東直子さんや高島裕さんのように、すでに「未来」を離れた方もいる。また、亡くなられた方もある。こうしてみると、後で歌集に収められた諸氏の作品に初出の段階で言及することができたのは、実に幸せなことだった。でも、取り上げられた方は、勝手なことを書かれてさぞ迷惑だったのではないかとも思う。慚愧に耐えないが、私もまだ若かったのだ。こういう文章の性格上あまり直してはいけないと思ったが、文意の変わらない程度に細部を見直しして、無駄を削った。ただし選んだ作品で削ったものはない。豊かな歌の世界が、ここにはある。
◇一九九八年「未来」ニューアトランティス欄を読む◇
○ 一月号
さて、今月からこの十ページほどがわが草刈り場となる。踏み入ってみると、「刺客うようよ」というほどでもないが、やはり緊張する。小林秀雄に「真贋」というエッセイがあった。あの文章では、本物の赤絵の皿を素人目に偽物と決めてしまって、「見るのもいやだ」と手放してしまい、後からやはり本物だったということが判明するのだが、自分もそんなことをやらかすかもしれない。もちろん歌の批評は骨董の鑑定ではない。でも、ひらめきに頼る点があるのは似ているような気がする。読みながら、言葉を濾過した「現在」への感度のようなものを、同時に計量しているのである。
その「現在」への感度という点で、ひところの紀野恵の技法の「超時代性」が、すでに批評的にはたらかなくなりつつあるのではないかということを言いたい。角川「短歌」の十二月号に、
コンピュータ音声応答システムが干からびてゆくゆめのなか 遇ふ 紀野 恵
という作品があって瞠目させられたのであるが、この歌は索漠とした時代の気分を、無機的なコンピューターの声に象徴させるように取り込んでいるところに見所がある。ここには作者の新たな可能性がひらけていると思う。残念ながら、本誌一月号の一連には、そういう鮮度がやや乏しいのである。たとえば四首めの下句に〈未だわたつみ越えぬイゾルデ〉という句があるのだが、この「イゾルデ」という固有名詞に、なぜか私は、たちどころに疲労感を覚えてしまう。それに比べて「コンピュータ音声応答システム」は響きがいい。呼び込まれている語彙の選択の問題が一番大きいような気がするが、それだけが原因で、この目覚ましい印象の違いが生じているとは思われないのだ。…というような事を悩みつつ書いていると、手元の「短歌研究」二月号の一ノ関忠人の放言が目に留まってしまって、聞き捨てならない。一ノ関は、「現代が、あたかも修辞の時代であるかのように錯覚させる歌壇の先端部」は「くだらぬ意匠の先進を争」っているのにすぎず、彼らは「みずからの狭隘ななれあい世界を清算するほうが先決ではないか」と言うのである。実に、見当ちがいもはなはだしい怒りの爆発ではないか。修辞の中にしか、現在は現れない。そのことを痛切に感ずるところにしか、短歌が詩として生きて行く道はありはしない。話をかえよう。
父逝きてほうやれほうの我ながらなみだ流れて荒川に来つ 池田はるみ
やうやくに寝入りたる子の頬のあたりばう、とふくらぐやうに思ひぬ 大辻隆弘
二首とも、言葉の質感を確かめるようにしてうたわれている。「ほうやれほう」や「ばう、とふくらぐ」といった、平仮名書きの表記と語音との微妙によじれ合った擬古的な言葉遣いが巧みである。池田作品は、境涯詠の荘重さへと短歌的叙情を収斂させることなく、ふっ切れた哀れなおかしみを醸し出していて、先の歌集『大阪』の後半部への批評として、歌集を読む会の中で出されていた問題に、この一連で早くも応えることができたのではないだろうか。問題は挽歌の領域における、近代短歌の超克である。(付記。この一文、気負いすぎですね。)
大辻作品の方は、新歌集『抱擁韻』の帯に「短歌的文体に殉ず。」とある。この「ばう、とふくらぐ」は「短歌的文体」なのかもしれないが、「ばう、とふくらぐ」と子供の頬が見えたこと、そのような錯覚をおぼえたこと自体は、やはり現実・リアルというものが先立って突出しているのであり、そのことに読み手のぼくは動かされたのである。それはもしかしたら「写実」ということの要諦なのかもしれないが、同じ一連の〈木々の影ページのうへを走りゆく朝の車窓に寄りつつ読めば〉の好ましさに比べて、導入の歌とは言え〈色づける柿のはだへにうつすらと白き粉見ゆ秋のはじめは〉の平淡さが、危険な気がするのだ。むしろ『抱擁韻』の問題作は、「短歌的文体」の準備がととのいようもないところまで現実が迫り出しているような局面で、なおも腰の重い「短歌的文体」を誇りやかにこなしてみせる超絶技巧的アクロバットを示した作品の中にあるのであって、帯文の揚言は、どんな現実をも「短歌的文体」の中に繰り込むべく闘うのだともとれるし、逆にその可能性を信じられるだけの大きな自負の現れというようにもとれるのだが、ぼくとしては大辻さんにそんな単純な信仰告白をしてもらっては困るのだ。短歌はただ音が心地よく流れているだけのものではないし、既知の言葉の構成をなぞりつつ生まれて来るイメージの楽しさにおぼれるためのものでもない。われわれが当面している諸々の物・事の現在性として、歌が(言葉によって、修辞によって)えぐり出し、突き付けて来るものを、貪欲にもとめて行きたいのだ。
ほどほどにエスプレッソの苦さあれ契約は吾をやわらかく締む 日下 淳
パパのかたいおなかがとてもこわい 巨大な抽象画を前にして 東 直子
買い手市場の労働現場に働く女性のくっきりと醒めている意識が伝わる一首め。「男性性」としてとらえたものに、やんわりと抗している二首め。はや字数も尽きた。
《九八年四月号》
○ 二月号
マルクスと喧嘩したいだなんて(ふふ)ライチの皮を剥きながらきみ 田中 槐
「マルクスと喧嘩したい」なんていう類の気恥ずかしい台詞を、酒の席で口走ってしまう奴って、いたよなあ…。少しブルジョア感覚のライチを食べながら、というのも皮肉でおかしい。知的でちょっと男を小ばかにしていて、でも厭味がない。何度読んでも吹き出してしまう。
したり顔する 価値を裏返すことなど簡単さねえ桜井君 中沢圭佐
一連は、例によって欧文哲学書直訳体的な文体なのだが、それをベースにしながら、不思議な歪みを持ち込もうとしている。これでユーモアが出せるようになったら、このひと本物だ。当月はしかし玉石混淆の一連、どれがよくてどれが悪いかは「〈神〉のみぞ知る」だ。まとめて読んだら飽きが来るという危惧は、むろんある。でも、みるみるうちにこの作者、「事実」の断片の取り入れ方が、さまになってきた。今は突っ走るしかないだろう。若さというのは、こわい。
夕焼けのきはまる後の音を聞くこの男には妻も子もある 江田浩司
島木赤彦の有名な一首を下敷きにしている。アララギ的な「正調近代短歌」の遺産を利用しつつ、そういう荘重な短歌的文体を、それ自身の中で異化するように使用すること。調べは近代短歌に拠りながら、盛られているものは仮構された意識と言葉のよじれあった一つの現代的な詩の位相であるような世界を作り出すこと。先の歌集『メランコリック・エンブリオ』の問題作と比べると、ずっと読みやすくなっているが、江田さんのこの行き方、悪くない。別に、これは撤退ではないのだ。
トンネルに入りて「ひかり」の身ぶるひがわが背後へと伝ふときのま 大辻隆弘
また大辻さんを引き合いに出してすまないが、こちらは『帰潮』の〈移動するこごしき音は飛行機のやや後方の空よりつたふ〉の音の向きを反対にしている感じだ。作者の佐太郎摂取は堂に入ったものだから、この調子で作っていれば、むろんそれなりの成果は得られるだろう。でも、惜しむらくは、うますぎる。だから、どうしても後向きに見える。
褐色の男の子を産みし聖処女に石投げているわたしじゃないか 寒野紗也
社会主義の禍福知らざる十万人を故郷にあらぬ地に還らしめ 李 正子
追われたる祖国とふいに言い換えて電話を切りぬ田中ロベルト 但馬哲哉
この日本という、どこを切ってもぶよぶよの平板さがあふれた全体主義的な社会に住んでいると、つい自分の頭の上の蝿を追うだけになってしまって、いろいろなことに鈍感になりやすい。掲出歌は、この国の外へと弾き飛ばされてしまった人々の複雑な状況にかかわろうとしている。寒野作品は、適当に乱暴なところと、野性的なヒューマニズムの発露がうまく釣り合って作者の持ち味が出た。李作品は、個人崇拝が体制の根幹に据えられている厳寒の共和国に、かつて鳴り物入りで、愛する同胞を向かわせたことについて、その責任はいったい誰が負うのか、と問いを投げかけている。但馬作品は、異国にあって、ナショナルな情念を捨て切れないでいる人物の複雑な心境を詠んでいる。
マーライオン背にして笑うこの夏の家族写真を火にくべがたし 大谷真紀子
寝る前に「ちゃがちゃがうまこ」を唱えいる子供の声に浸りて吾は 中川佐和子
「失楽園」と言へばミルトンと反応する親族ばかりの法事二次会
宮原望子
人間というものは、親兄弟や家族、肉親のしがらみの中で苦しみつつ生きていく存在なのだという、このごく平凡な事実の重さを認識することが、文学の根幹にはあらねばならないと、かつて文芸評論家の江藤淳がのべていた。短歌も同様だ。若いうちにはわからなかったことである。
大谷作品には、おのずから生のおののきが一首の歌となったというような、切ない響きがある。中川作品のような慰めも、時にはあっていいだろう。宮原作品の、何という明るいユーモアだろうか。これは、大島史洋氏も取り上げて書いている歌だが。
母の手は寂しうからの皿ごとに卵料理をすべりこませて 加藤治郎
短歌が「うから」という語を日本語の中で存続させていることの意味は重い。これは加藤さんの自然体ということになる。
礼ふかき黒衣の妻のおもざしのわたくしに似て きみは逝きたり 釜田初音
いつの間にこんな作者に脱皮していたのかという驚きをもって読んだ一連。何年もいっしょに短歌をやっていて、ふと気付いたら、となりのあの人が、何者かに化けている…。「作者」と呼べるような確固とした存在に成長している。そういう経験を、この頃ずいぶんするようになった。集団の文学運動というのは、そういう良さがある。これは別に「未来」だけ持ち上げて言っているわけではない。掲出歌、逝きたる「きみ」は「わたくし」の昔の思い人の男性と解釈した。
《九八年五月号》
○ 三月号
家中の刃物をあつめ研ぎ出だす雪つむ夜つうの鶴にあらなく 飯沼鮎子
風使いの眼をしていた グライダーを片手にたかく掲げた少年
ものを書き始める前には、家中の刃物を取り出して来て研いだという中野重治のエピソードを一瞬想起した。この作者の中にも、そういう剛直なものがあるだろう。二首めには、対象への恐れに似た敬意が感じられる。いつでもかまえることなく、正面から子供たちに真向かっているのだ。そういう健康な、この作者独特の凛然とした勁さのようなものが、うまく修辞的な着地点を見出すと、いい歌になるように思う。良識によりかかった地点からではなく、自己の感性のまっしぐらな直接性に照らしてものを見ようとした時に、反射的に立ち上がってくるモラルとでも言ってみたい。最新刊の第二歌集『サンセットレッスン』の安定した歌境の良さのようなものは、そこにある。知らないうちに、作者は、平凡な比喩の非凡な使い手としてさらに成長していた。心地よい驚きだった。
ふるさとに弛緩靴下見るときのさむざむとしてかなしと思ふ 高島 裕
母上は萎みたまひぬ厨着の白おほらかに遠き日はあり
あっと言う間にこういう歌が作れるところまで来れるのだから、驚く。「さむざむとしてかなしと思ふ」という、強固に近代短歌の様式に支えられている感情の叙べ方がある。そこに、ルーズソックスみたいな俗な素材が放りこまれて一首ができあがる。全部高島さんのいつもの実験的調子だと、短歌として認知されにくいということがある。こういうものもある程度作っておかないといけないだろう。しかし、決まり文句には決まり文句の陥穽がある。あまりにも心地よいために、自分でその表現に何かをつけ加えることができないのである。だから様式的な叙法に対しては、用心するに越したことはない。保守的文芸型式である短歌のつらいところだと思う。ここのところで短歌を信じられる人やグループが歌壇にはたくさんいて、自分の間尺に合わぬものをすべて切って捨てようとしているのである。かと言って、そういう保守的なものがすべて消えたなら、短歌は滅びるのではないかという気がぼくはしている。好悪の感情で問われたら、ぼくだって断然「さむざむとしてかなしと思ふ」が好きである。高島さんは若いから、こんな大きな疑問を出してみるのだが。
林檎二個 一個はおのがために剥く喜びはかく淡くたしかに 加藤聡明
いつも通りの禁欲的な作者だから、一連から事実的な背景は極力消されている。読者としては、あと少しだけ、私事を教えてほしいと思うことがある。見せ消ちに描かれている断片だって相当に厳しそうなのに、作者は黙して語らない。聡明さんは羞じらう人だ。林檎をむいている孤独な男の後姿に、誠実な魂の受苦のありようが形象化されている。究極的には空に向かって書いているのだから、ぼくたちはみんな自由だと、この作者なら言えそうな気がする。聡明さんの作品に励まされる読者は、ぼく以外にもきっといるはずだと思う。
他人事と思えぬされど打電する銀行コード0012 日下 淳
コール市場呼べど応えぬ金曜の午前十時を魔の刻とせり
北海道拓殖銀行が破綻してから、三月に入って北海道では大型倒産が相次いでいるという新聞記事を読んだ。札幌で金融関係の仕事に従事しているらしい作者ならではの、ひりひりするような臨場感が一連には漂う。一首めの「されど」というのは、自分の事でもあるのだが、今は勤務中の身で、必死の形相をしてせっついて来る誰かに依頼されて、代理で打電しているのだろうととったが、この一首だけだとその情景は見えて来ない。もう一首、序にあたる歌が要るのかもしれないが、日下さんも私事をあまり歌の中に出して来ない作者ではある。一連は、特別に意識しているわけでもないようなのだが、どこかで男どもが作り上げた経済システムの総体に物申しているようなところがあって、空気のように感性そのものに内在化されたフェミニズムとでも言ったらいいか、ほろ苦い戦後システムへの訣別の言葉が、経済を詠みつつも、まるで相聞歌みたいに立ち上がっている様子がおもしろい。「写実」の再興ということが言われるとしたら、こういうところから微かな地殻変動は起き始めているのである。若い日下さんたちの「アルトの会」のようなマイナーな研究会には、今後につながる種子が隠されているかもしれないと思う。自他の作品がどこへ向かってゆくのかということへの真摯な問いを持ち続けながら、同年代の女性のある層の肉声を、自らの経験を媒介にしてつかみ出してくることが必要なのだ。
カレーニン旅行会社は救ひあるさまに飛行機切符手渡す 紀野 恵
先々月に書いたことなどどうでも良くなってしまうのは、この人の歌の後頭部に届くような柔らかい言葉の刺激の故である。 《九八年六月号》
○ 四月号
さりげなく株価終値浚いおりヒエログリフを読み解くように 日下 淳
振り出しという語の軽さいつの日か廬生の夢はさめねばならぬ
また北海道の日下さんの作品を取り上げる。二首めは直接日本経済とは関係がないのだろう。しかし、微妙に重ねて読みたい。こんなことを思っている経済人が、日本に今どれだけいるのか。倒産すれすれのところであえいでいる小さな建設関係の会社の人の話などが耳に入ると、何もしなくても赤字は累積して行き、それはもう、暗渠にお金を放り込んでいるようなものだという。経済の痛みは人の痛みだということが、日下さんの歌の中にはある。私的な契機と、職場環境での写生とがだぶっている。それは偶然のものでもあり、必然のものでもある。そのタイミングが重なっている今この時を、歌はつかまえる。「振り出しという語の軽さ…」。損失だって、たいてい男の方が立ち直れないのだ。宇野千代の自伝を読んでいたら、「それにしても私の立ち直りの素早さは目にも止まらぬほどのものであった」と書いてある。あれは、元気が出る本だ。
えいえんに腐らぬあけびあるようなさみしさきょうもあなたを愛す 大滝和子
一読して咄嗟に思い浮かべたのが、雨宮雅子の〈いつぽんの木のかなしみにゆきつけば烏瓜垂るる宙の昏しも〉であるが、とりあえずこの連想には何の意味もない。あけびは口を開けているのか、閉ざしているのか。たぶん青い匂いを発しながらかたく口を閉ざしているのだろう。処女性のようなものへ向けて禁圧を強めて行く、作者ならではの不思議な感覚だ。題「秘恋」というところだが、「けふも君おもふ」ではなくて、「きょうもあなたを愛す」とはっきり言うところが現代。
テノールが「またも孤り」と歌うとき庭に日の差す喜びはあり 佐伯裕子
告げられし一つ言葉のひびかいに伽藍となりてわれは暮れたり 秋山律子
壁際のグランド・オダリスクの背の見ゆれ昨夜見しままに歪みしままに 松浦郁代
どこまでも従き来る少女手をのばすもしや前の世われの生みし子 さいとうなおこ
一首目は調べが通った歌で、子供が自立して行ったあとの母親の感情を底に沈めたものとして読めると思うが、その分やや既視感があるのは、うまくそろった材料のせいもあるかもしれない。二首めもよくわかるし、一連は夫が定年、自分もある年齢にさしかかった女性の感慨が伝わって来るのだが、どこかで事実の取り入れが不足している。岡井さんのように、白鳥を見に行きますか。三首めは結句の「歪みしままに」に作者の感情が出ている。それでいいのであって、その前の歌のように「なお昏き身ぬちに」とか「身奥寂しき」とか自分で言ってしまうと、かえって逆効果になって批判されることになるのである。思いを外部にある事物に託してしまえばいいのだ。やはりここでは素材が問題となるのであって、要は身のめぐりを見るということなのだが、ここでぼくは「写生」説の説教をするつもりなど毛頭ない。
人間には各々の経験の核になっている原風景のようなものがあるような気がする。それは、心象というようなもののもう一歩先にあるものなのだ。それを、目の前のたまたまそこに在るものを媒介にして出してみせるということが、すぐれた歌人は得意なのではないかと思う。そこのところで、ある風景と言うか情景のようなものに突き当たるような、突き当たろうとするような、そういう作り方、創作・創造の態度というのはあるような気がしている。さいとうなおこさんのインドの歌、一連の一首めの〈屍のにおい街の臭いを吸い込みてガンジス永遠に鈍色の帯〉が、ぼくは不満である。さいとうさんは好きなインドだったらガンジスだけで何十首作ってみてはどうか。掲出歌は、まだ夢のようなものがあふれ出して来ない感じで、これだと文明一党の旅行詠の範疇に入ってしまう。今西久穂さんが亡くなる前に、旅行の歌は昔のなつかしい手法でも結構楽しみながら歌っていけるようだと書いていたけれども、今西さんはそれでよかった。でも、さいとうさんには、体験を無意識の中に浮かべなおすとでも言うか、そういう作業をやってほしい。ぼくは『シドニーの雨』の良さが忘れられない。
学校を丸焼きにせしいがぐりの同級生をこの頃思ふ 池田はるみ
「十三歳」と題した一連から。いがくり頭の同級生の思い出が、〈切らぬからどうでもよいから育てよと栗には思ふ栗はよきかな〉という発想に行く平俗な味がおもしろく感じられる。何十年も前の子供の「悪さ」というものも、思えばなつかしい話だ。末尾の大国主命に助けられる白兎も、考えてみれば悪童的要素が強かった。秀逸な思いつきだ。さらなる磨きをかけてほしい一首ではある。
《九八年七月号》
○ 五月号
星と星擦れ違ふごとき酷薄の偶然はかく吾をさびします 奥村和美
群衆する心はいかに手拍子にラデツキー行進曲はづれて聞こゆ
一首めの三・四句めからは、啄木の〈かの時に言ひそびれたる大切の言葉は今も胸にのこれど〉が思い出される。相聞歌なのだろうか。二首め、にぎやかな音曲と調子外れの拍手の響きは、私の孤独をかえって際立たせる。一連の整った調べとよく選ばれた語彙には、戦後短歌のなつかしい残響が聞き取れる。それは若い人の乱暴な歌とは比ぶべくもない修練の産物なのだが、比較して申し訳ないけれど、ちらっと連想したので名前を出してみると、初期の安永蕗子のような独自の心的世界を構築するには、風景を自分の側に引き寄せながら、もっと多彩に、もっと具象的にうたってゆく必要があるのではないか。その時に、おのずから歌語のうちに入ってくる語彙というものがあるはずで、そこに、歌を一個人の孤独な営みから時代の普遍的なものへと解き放つ契機が生じて来るのだと思う。むろん、声低く歌い続ける作者であってもいいのだが。
影、ふかく鋭く襲ひ来よ告げなづむ「民族」といふ一語のために 高島 裕
スリットゆこぼるる肌に灼かれつつナイフのごときものを思へり
苦しき論理つむぎてあれどどつちみち馬の蹄の中なる世界 山田富士郎
つけもの石みたいにすみに転がつて相克を見むやみと闇との
思想というのは、きちんと手続きをとって葬っておかないと亡霊が出ると、政治学者の橋川文三が、数十年前に水戸学を扱いながら言ったことがある。高島さんには亡霊が見えるだけではなくて、街頭で新右翼がアジったりしている都内に住んでいると、日々それが肌身で感じられるのだろう。しかし、戦後半世紀を経て「郷土」も「家」も「家族」もすっかり解体しつつあるのが、われわれの現状だ。今後の日本社会では、子供集団も含めた地域や職場の小さな社会単位を再生し活性化してゆくことが課題なのだとは思うが、そこに大文字の「民族」が介入する余地はほとんどないように思える。「影、ふかく鋭く襲ひ来よ」とは危ういことを言ったもので、むろん反語なのだろうが、一連には反語になりきらぬ失敗作が目立つ。もっとグローバルな視野のようなものを持たないといけないのではないか。対照的に山田作品の方は、思想に関する「手続き」について潔癖な作者だけに、わかりきったことは言わないで、思考の上澄みの部分をすくって出してきている。ただ、その分少しわかりにくいかもしれない。
唐突のようだが、市村弘正と吉増剛造の対談集『この時代の縁で』が今手元にあって、そこにこんな言葉がある。「隠喩が死んじゃったら、じゃあ、われわれはどうやって生きていくんだろう。」…ぼくには現代短歌はたとえて言えばマニエリスムで、一回隠喩が死んでしまっているのにそれを見ないようにして、意識の隅に入れないで儀式を続けているだけのものだという気がしてならないのだが、だからと言って書き続けることは大切だし、その欲求は非常に強いものなのだから、ここでつべこべ言っても始まらないのだが、そこで開き直るのか、それとも、何か理由や根拠のようなものを必死に捜し始めるかでは、大きく態度が異なって来るのではないかと思うのだ。ついでに言うと、肩の力を抜くということは、「自己」であることとか、「独創的」なものへのあくなき意欲を持つということではなくて、事物とことばの「他者性」の前にさらされ続けるということなのだ。それを近代短歌はたまたま「写生」と言ってみた、というのに過ぎないのだと思う。
ばら色のながき放尿なりしかな凍てる地上に放つものあり 佐伯裕子
物がみな象をうしなう源氏河原うすずみ色に少女はかがむ 飯沼鮎子
わが祖母は「独りを慎み、たのしみて」世を過ぎにけり苦のまされども 中川佐和子
さまざまの声に呼ばれし日の終り無口に寒の夕水にほふ 宮崎茂美
ことばよりまなざしをこそ棕櫚の葉にこごれる雪の透きとおるまで 釜田初音
この爪も覚えておかむホルマリン浸けのごとかる君が左手の 星河安友子
われわれは光と影の交錯する世界に生きている。それをとらえる短歌のことばの豊富さには、いつものことながら感動する。事物がことばによって提示されると同時に、まるで魔法のように情緒のかたまりが手渡される。
からからの白い林のなかで知る風のやみかた樹のこわれかた 小林久美子
見つけるわきっとあなたを見つけるわ母をかきわけ姉をすりぬけ 東 直子
この二人が姉妹なのだということはさして重要な情報ではない。同じ口語でも、二人の目指すものはちがっている。東さんが呪師なのだとしたら、小林さんはそれを描く絵師である。しかし、十数軒しかない村で、池田はるみさんの先祖と二人の先祖が姻戚関係にあったというのは、恐るべき偶然である。 《九八年八月号》