さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

林和清『去年マリエンバードで』

2017年12月27日 | 現代短歌 文学 文化
 私は以前、作者の第二歌集『木に縁りて魚を求めよ』を一種のあこがれを持って見上げるような気持で読んでいたことがある。あれからずいぶん時間がたった。作者を取り巻く社会的な環境が大きく変わって、今度の歌集では、作中主体のイメージを、京洛の文学的な古跡をさすらう孤独な文学青年から、一か月に五〇をこえる「源氏物語」などの古典文学についての講座を担当して東奔西走する人気講師へと取り換えなくてはならない。けれども、うたげのなかの孤心を語るところでは、以前と変わりのない作者独自の現実に対する切り口のようなものがあり、それは徹底して修辞的なものであるのだ。つまり、言葉によって、とりわけ修辞のキレを通してそれは出て来るものなので、そこのところの癖のようなものを見せる時に、あまり韜晦しなくなったところが、今度の歌集では大きく変わった点かもしれない。たとえば、

 沈黙のなかに棲みつく黒い犬を見ながら話す、いや話さうとする

 これは、自分の話を聞きながらだまっている聴衆を前にしてとまどい、自分の言葉が受け入れられているのかどうかを測っている時の緊張感を言ったものだ。

 五月、自分をあなどつてはいけない五月、自分がどれほど恐ろしいかを

 真剣な口調だけれども、ここにはかすかなユーモアが滲んでいて、最後まで押していくつもりはない。自分にだけ言っているのではなくて、より強く自らに言ってはいるけれども、他人にも言っている。そのことと文体とはたぶんかかわりがあって、作者は自他ともに認める塚本邦雄の弟子だが、この歌集の軽妙洒脱なポップな文体はむしろ岡井隆を連想させる。
岡井隆の方法は、今度の「短歌往来」一月号の江田浩司の評論の言葉をかりて言うなら「他者」の視線を織り込んだ短歌の文体の創出という点に特徴がある。林和清などは、今の若手のそういう文体の走りのようなところがある。その意味で現代の若い作者たちの再読に値する作者と言えよう。

ゆるいアイスに匙挿しながらあの人も死んでよかつたなどと言ふ口唇

 ※「口唇」に「くち」と振り仮名。

歌人ていふ厭なくくりだこんなにも君と俺ではちがふぢやないか

二首ともユーモラスな歌。こういう歌が多くなったところが、現在の作者の余裕と言えば言えるし、また短歌そのものに対してそれだけ醒めた見方をしているのだとも言える。

塚本邦夫はサル年だつたといふ話題 鯉の甘煮の骨吐きながら

呼子鳥とは猿の啼く声だつたかな変はらぬ繖山の稜線

 ※「繖山」に「きぬがさやま」と振り仮名。

この歌にもユーモアが漂っている。なかなか高級な、事情を知っているほど面白みの増すとぼけた表情をみせている歌である。今日はここまで。

柴田典昭『猪鼻坂』

2017年12月23日 | 現代短歌
 黙想する歩行者のうた。やって来る真新しい出来事が良いことばかりではないなかで、日常の時間のなかに聖別されたもの、うつくしいものを見出してゆこうとする志はますます確かである。二〇一一年に始まり、二〇一六年までの作品を編年順に並べている。ということは、どうしてもあの東日本の大地震以降の時間、ということを意識せざるを得ない。作者は浜松市の人だから、直接的にかかわりのある歌は多くないが、この間に自身も知命の歳となって、よりいっそう生きる時間や死者とのかかわりというものに対する意識が鋭くなっている。「一世」ということが、振り返るものになって見えてきて、だんだん追憶の歌が多くなって来る。そこにおいて、百歳の祖母の存在はなにか心の支えのようなものとなっているのである。

 百歳の盲目となりたる祖母の日の射す方へ向きて微笑む
 
  ※「盲目」に「めしひ」、「祖母」に「おほはは」と振り仮名。

 曾祖母と握り合ふとき子らの手にしづかに水は流れてをらむ

 百歳の祖母ゆつくり素麺の光る一条ひとすじを食ぶ

  ※「祖母」に「おほはは」、「一条」に「ひとすじ」、「食」に「たう」と振り仮名。

一首目は、歌集巻頭の歌である。三首目は、別の一連から引いた。フェルメールの画面のような静かな気配を湛えた絵が、百歳の「祖母(おほはは)」を詠んだ歌には見える。それは和語の響きと旧仮名のなだらかな曲線によってもたらされる快さと溶け合いながら見えて来る絵である。「素麺の光る一条ひとすじ」は、この上なく美しい。

 工場に勤しみ詩魂を磨きゐし隆明を思はむよき歌詠まむ

  ※「勤」しみ、に「いそ」しみ、と振り仮名。

隆明は逝き除染の山残り〈まぼろし〉共に夢見む日は来ぬ

「装ひせよ、わが魂よ」といふこころざし示しし髙橋たか子も逝きぬ

コラールの厳しき響きの彼方にてバッハがたか子が見据ゑし現実

  ※「現実」に「うつつ」と平仮名。「高橋」の「高」の活字は、はしご「高」。

思想家の吉本隆明への挽歌。作者は昭和三十一(一九五六)年生れだが、大学にはまだ吉本隆明を読んで談論風発する学生たちが残っていただろう。西欧思想というものを正面から受け止めてそれと格闘しようとする姿勢が、あの頃までの若者にはあった。理念ということを若者たちが考えた。一つの世代には、ひとつの世代の課題のようなものがあるので、そこはきちんと言っておく、確かめるということでもある。髙橋たか子の名前もそれを象徴する名前のひとつである。ほかに、

冬の日の狐の嫁入り降り残し榛名貢の葬儀は果てぬ

文庫本『極光のかげに』を取り出だす師走の寒波近づくゆふべ

お人好し静岡人の澱として石原吉郎、高杉一郎

  ※「澱」に「おり」と振り仮名。

続けて、地名の出て来る作品がおもしろいので引いてみたい。

  中田島砂丘の横腹洗はれて高度成長の塵芥食み出づ

  ※「塵芥」に「あくた」と振り仮名。

 浜松の松にざざんざの伝へあり永遠なるときのざざんざざざんざ

  ※「永遠」に「とは」と振り仮名。

渦巻きて鴉の群れの舞ひ上がる源太物見の松の木のうへ

西山の夕映え湖へと移りゆき朱泥の中を龍はぬたうつ

 ※「湖」に「うみ」と振り仮名。

「蓮」終刊号

2017年12月17日 | 現代短歌 文学 文化
「蓮」という同人雑誌の終刊号が届いた。私も若い頃から同人誌を作って来たから、苦労の多い割には報われず読まれない一方で、不思議なぐらいに強い影響力を発揮したりもする同人誌というかたちの印刷物に愛着を持って来た。

先日、短歌同人誌「Cahiers カイエ」7号に前号作品評を書かせてもらって、そこでゲスト参加していた「蓮」の編集者の作品を少しだけ取り上げたのだが、見ると「蓮」掲載作品の方が断然良い。以下に「蓮」終刊号(十一号)の歌を引いて何か書いてみようと思う。

まず石川幸雄の作品。「ならず者」一連20首より。

  清水房雄死去載る短歌年表に田島邦彦死去はあらざり

  敗北感この数週間を責め立てしミンミンゼミの屍骸散らばる

 石川幸雄は、「一輪車」という田島邦彦研究・追悼のための個人誌をこのところ続けて出して先日終刊した。掲出歌の二首目は、「一輪車」の反響や、「蓮」終刊のこともあるだろうか。歌人田島邦彦の生涯の作品にはいいものがたくさんあったと思う。欠点は一冊の歌集にしても一連の歌にしても、出来不出来の差が大きかったことだろう。そのため著名人のわりには多少軽んじられると言うか、誤解されたところもあったかもしれない。若い頃に前衛短歌の大家に噛みついたけれども、後年はその技法も咀嚼して多くの野心作を発表した。ただその位置取りがわかりにくく、自ら新旧の諸勢力の谷間に入ってしまったようなところがあり、どちらかと言うと不運な作者であったと思う。それが、掲出歌の一首目のようなことになる。

 追記。私は年末に田島氏の第一歌集と第二歌集を古書店で買って来た。二冊で三千円したが、ぱっと拡げてみて思う事は、酒で気欝を紛らすしかないサラリーマンの自己否定的な感情、というようなものである。 ※ 田島氏については私も何か書いてみたいと思っているので、先日一度出したこの文章を一度引っ込めて少し訂正した。

 石川氏の歌にもどる。

  海老蔵の妻若くして死にしよりワイドショーなど数日を見ず

  何となくどういうわけかさりげなく世界戦争前夜更けゆく

 二首とも、マスコミの醸し出しているムードのようなものを批評している。第二次世界大戦は、ヒトラーという狂気の人の存在が大動乱を呼び起こした。現在は狂気の種はあるものの、圧倒的な力を持つ「市場」がそれを抑え込んでいる。とは言いながら、パキスタンのムシャラフ元大統領が、印パの紛争時に、実は核兵器使用寸前まで行っていたとインタヴューで語ったように、「世界戦争」は常にすぐそこの薄氷を踏むように「さりげなく」われわれの前途に横たわっているのかもしれない。ふたたび狂気の指導者が登場して誤って核のボタンを押せば、直ちに世界の秩序は崩れてしまう。それは考えるだに恐ろしいことだ。

  わが無頼のゆく手を阻む雲の裏に青空はあり暗闇はある

  バラ線の茨ララバイ薔薇さらばバイバイただに手を挙げるのみ

  ならず者を気取るも成るになりきれず「Desperado」の身に沁む夜を

 この作者の「わが無頼」には年季が入っているのだろうが、普通に暮らしていれば誰しも「ならず者を気取るも成るになりきれず」ということになるわけであろうし、気持の底にわだかまる「Desperado」の気分は、フラメンコ・ギターか何かを掻き鳴らしてもらって晴らすほかはないのかもしれない。 ※ここは誤読していたので書き直した。
 
 巻頭評論「短歌の燭台」は、大きく概観しようとしたところは良かったが、「歌壇外の者が短歌に触れる入口としての総合誌の機能が停止している」とは、私は思わないし、もう少し個々の評論なり作品なりに即して論じた方がよかったのではないかと思う。田島邦彦については、作品を中心に論じて鑑賞本を出すという仕事が石川氏には残っているだろう。まだバイバイされては困る。私は、歌集『記憶と現在』の田島邦彦が忘れがたい。

つぎに森水晶の作品について。「夏の終わり」一連20首より。これは、「蓮」の終刊号のために作られた一連だろうか。

  破れ蓮の沼のほとりに一台の車が停まる停めてはならぬ車

  「ほんとうは私…」と言いしその後は言葉に詰まる真実の沼

  悪い恋の病に落ちしは何もかも捨てる他なし夏の終わりに

 こういうストレートな歌をおもしろがって読む読者と、そうでない読者とがある。作者はふだん短歌など読まない人たちにも読んでほしいのだろう。けれども、現実に歌をやり取りする相手は歌人ばかりだから、作者の狙いは中途半端となるのかもしれない。私は次のような歌がいいと思う。

  楽になるのかもしれない 陽炎にこの手を伸ばし歩いてゆけば

  金縛りのように足が動かない百日紅の花散らばる道に

  選ぶとは捨てることだと言い残し細き手首の詩人は逝きぬ

 掲出の三首のように、歌と歌の隙間を広げて読んでみると、この作者の場合は地味な歌がけっこうな秀歌であったりする。問題は、単純平易な歌の一般的なラインとそうでないラインを見分けることだが、これがなかなかむずかしい。

   
 ※一月三日に一部書き直した。四月二十日にまた書き直した。

萩岡良博『周老王』

2017年12月09日 | 現代短歌 文学 文化
私は前の職場にいた地域の人たちを対象にした短歌の勉強会をずっと続けている。そこでは月々の詠草の批評と、新歌集の紹介を行っている。その際に、この頃は全員で声を合わせて五、六ページ、コピーしたものを読むことにしている。読んでいるうちに、笑い声があがったり、ほぅ、とか、はぁ、という感嘆の声が聞こえたり、「どういう意味かしら」というようなざわめきが起きたりして、時々私はそれに合の手を入れる。時間がない時は、よむだけでもよい。みな共感的な読者だから、作品もちゃんと成仏するのである。
 
 今日は萩岡良博氏の『周老王』の冒頭の何ページかを読んだ。読み終わってから、わかりやすいし、いいねぇ、というような声が聞こえた。

  蕗の薹天麩羅にして食べをり身過ぎのにがさも春の香に立つ
  
    ※「食」べ、に「たう」べ、と振り仮名。「ふきのとう てんぷらにして
とうべおり」と読む。

  支払ひに札ばかり出しし母の財布あまたの小銭にふくらみてをり

  粗相して神妙に侘びしことも母は忘れてしまふ一時間のち
 
  大坂で空襲に遭ひ「こはかつた」と真夜中に泣く二十歳の母は
  
  母ほうけ少年は老ゆたまかぎる昭和の家族はろかなりけり

途中で、「かなしいわね」と小さな声が聞こえる。一人で読んでいると、かなしくても「かなしいわね」という反応や反響を自分のなかにとどめないで、そのまま読んでいってしまうということがある。ここで読んでいる十数人は、みなそれなりに人生の年輪を重ねてきて、自分の近親や知人の老いる姿に接しながら、こうした生活の諸相を見聞きして、よく知っている方々である。思い当たる、のみならず、わが事のように感じて読んでいる。

  雪の森に雪けむり立つきらきらと時間はときに見ゆることあり

  雪折れの葉につきをりし山繭は地に積もりたる雪にともれり

  雪山の樹樹しづかなり聞こゆるはおのれの息の音ばかりなる

  淡雪の降りてはや消ぬ鉄檻の罠にかかりしゐのししのゐて

音と意味とが清冽な響きとなって円熟した歌境を伝えている。山の歌を引いてみたい。どれを引いてもいいように思う。
  
  朝なさなうちあふぐなり劫初の火しづめてあをき貝ヶ平山
  
  双つ峰は夜空にあをく息づけり銀河の愛撫しづかに受けて
 
  ※「峰」に「ね」と振り仮名。
 
  あきらめし夢めぶく日よなだらかな山のなだりを目でなぞりつつ
 
作者には『前登志夫論』というすぐれた論考がある。どうしても師の歌業を継承するものと人は見がちであるが、言うならば師の言葉は身の内に入ってしまっているものなので、ここには前登志夫が作者とともに生きているのだ。そうして、どの歌も独自のやさしい、やわらかな響きを持っており、それは師の鋭角のまっしぐらに孤絶の峰を渡ってゆく感性とはまたちがった、包容力の大きさのようなものを保持している。それが、母との日々によってもたらされていることもよくわかり、「たまかぎる昭和の家族はろかなりけり」という感慨を共有する人は多いだろうと思う。

恩田英明『葭莩歌集』(かふかしゅう)

2017年12月01日 | 現代短歌
 この歌集には、モノとコトに対して独特の間合いをとった歌が並ぶ。作者は玉城徹の弟子を自他ともに自任している人で、「短歌往来」10月号の対談や、その前に出た「現代短歌」の対談でも大きな役割を果たしていた。玉城徹の薫陶を受けたということは、幸福でもあり、一作家にとっては逆の面も持っている。師の個性が強烈なうえに、どうしても比べて見られるからだ。私はかつて「うた」という雑誌を手にした時、全体が寺院の声明のような響きに充たされていることに衝撃を受けた覚えがある。もっとも作者の場合は、特に師の没後に、自分は自分でやっていけばいいのだという悟り方をしたのだろうと思う。と同時に、美的なものに対するこだわりとか、言葉をもて扱うときの凝り性の職人のような態度とか、そういう師の癖のような部分は、むしろ意識的かつ積極的に引き継いでいこうとしているように見える。同じ一連から引く。

 川の面ゆ浮かぶと見るに黒き影翼顕れはたたきはじむ

  ※「顕」に「あらは」と振り仮名。

雪囲ひ終へたる街はこの家も七竈ふさとあかき実を垂る

立ち腐れやがて深雪に屈しゆく無人の家の暮るれば暗し

  ※「深雪」に「みゆき」、「無人」に「むにん」と振り仮名。

作者はそこに住んでいるわけではないが、故郷の新潟県の風物を詠んだ歌に味わいの感じられるものが多い。一首目の川は信濃川である。

佐渡汽船埠頭をかすめ緑桜の川水の帯海につづけり

 ※「緑桜」に「りよくあう」と振り仮名。

八一むろん白秋もまたあゆみしと径ゆきゆけば空には松風

 二十年も前に海辺の会津八一記念館と新潟大学のあたりを歩いた記憶が私にもあるが、作者の歌を読んでいると、新潟の空がたちどころに想起される。

次にセミパラチンスク核実験場の隅にあった軍事秘密都市クルチャトフに、日本の医療支援のための疫学調査に訪れた際の歌を引く。

忽然と地平に小さきマッシュルーム光の輝き出現せしと

閃光を遠く見てのち降る雪の赤くありしと陳ぶるをメモす

赤き雪降るをよろこび外に出でてこもごも食ひきと遊牧の人

  ※「外」に「と」と振り仮名。

入りきたる研究室になんとせう薄暮の棚に無脳症児ゐる

嘘だらういいや本当水素爆弾爆裂口湖水泳倶楽部

乾燥草原を虹立てながら移りゆく白雨の下へ自動車近づく

  ※「乾燥草原」に「ステップ」、「自動車」に「くるま」と振り仮名。

ぽつかりと乾燥平原に口を開く原子湖鳥も通はず
 
  ※ 「開」く、に「あ」く、「原子湖」に「アトミック・レイク」と振り仮名。

作品の順序は変えて引いた。カザフスタンのこういう廃墟の姿を詠んだ歌は、とてもめずらしいうえに貴重だ。現地の人からの聞き取りをもとにして詠んだ歌もみごとにその時を追体験させるものになっていて、一首の歌が映像のドキュメントに匹敵する。

大空をソラソラミソラと渡りゆくものあれを見よそれはおまへだ

故郷を出て以来ずっと旅をつづけているという感覚が抜けないというようなことを作者はどこかで書いていたかと思うが、一集の底を流れる漂泊感のようなもの、人生という時間を旅しているという感覚が濃厚に出ている歌集である。だからこそ、ここには引かなかったが、酒や食べ物に一時の歓を尽くす経験が、滋味深いものとなるのだろう。