さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

田村広志『岩田正の歌』

2017年05月31日 | 現代短歌
 田村さんに一度でも会った人は、その人柄になつかしさのようなものを覚えたのではないだろうか。その田村さんが大病にかかり、その後半は特に、みずからを鼓舞するために書き継いだ書物が出たとなれば、これはぜひ読まなくてはならない、と思うのは人情というものである。栄えぬきの結社歌人の生き方が、ここには記録されている。と同時に、自分が出会った多くの歌人たちへの、一期の残照を浴びるなかでの挨拶のような言葉が、ここには記されてもいる。敬愛し、師事した馬場あき子、岩田正夫妻の作品を中心として、自身が接した多くの歌人たちの作品を引きながら、ユーモアの感じられる田村の筆先は、短歌の結社という人の交流の場のにぎやかさと、あたたかさを描きだすのである。中には思わず吹き出すような一節もある。

 とは言いながら、結社の人であることは、衆に拠る弱さを安易に肯定するような、甘ったれたものではないのだ。それは次の歌の鑑賞文などから正しく読み取れるものである。

  橋は下覗くためにある群れぬ鴨の冬の孤独をみるためにある  岩田 正
                『視野よぎる』

 「橋の思想と言ってよい歌である。
「橋」はいうまでもなく境界なのだ。向こうの岸とこっちの人を繋ぎ、踏み込んではならない場所を隔て、彼岸と此岸との境でもある。この歌では「鴨の冬の孤独をみる」ために、覗く場所としての橋。「群れぬ」が大切な言葉だ。文字通り「群れ」ないのではなく、どんな場合でも鴨たちは孤立している。助け合うことがないのだ。鴨の親子は雛が孵化すると引き連れて餌場までは行くが、そこから先は小鴨たちは独力で水草を食べる。他の鳥、燕のように親が子に餌を運ぶことはないのだ。身の危険を察知して逃れる術も身に付ける。非情と言えばそうだが、鴨は代々そのようにして生を受け継いでゆく。人も基本的にはそのように生きてゆくべきなのだ。生き物の自立の思想と考えてよい。「鴨の冬の孤独」を覗きながら、そんな思索をしている。」               (同書 一六五ページ)

 私なりに一首を分析してみると、

  橋は下 覗くためにある。群れぬ鴨の、冬の孤独を みるためにある…

となって、一、二句が句またがりで、二句切れ。二句目字余り。三句目も字余りで小休止。下の句は七・七で定型に合わせる。この屈折した調べと歌の内容の深刻さとが、うまく響き合っているように思われる。「冬の孤独」という、平易な言葉を、このぼつぼつと切れながら粘土のように並べ置かれた言葉遣いが支えているのである。

 ここには、

  イヴ・モンタンの枯葉愛して三十年妻を愛して三十五年    岩田 正  

というような、洒脱なユーモアに包まれた歌を多くものして来た岩田正の実は心底「群れない」思いのみならず、田村自身の「群れない」信念と意地のようなものも、同時に語られていると読むべきであろう。短歌も一芸であるからには、一芸としての厳しさと覚悟が必要なのだという事を、筆者が師事した馬場あき子は自らの生き方を通して常に示して来たのだろうし、その横にいる岩田正も、むろん同じことを別の流儀で表現してきたのであると言えるだろう。

北原白秋『白南風』 近代短歌鑑賞

2017年05月27日 | 近代短歌
朴の花白くむらがる夜明がたひむがしの空に雷はとどろく
  ※「朴」に「ほほ」、「雷」に「らい」

二句目「白くむらがる」ということばで、花の盛り上がるようにかたまって咲く感じが伝わってくる。「夜明けがた」のまだ薄暗い一時、朴の木の生えているあたりだけがぼうっと白くあかるく見えている。その場の荘厳さをきわだたせるかのように雷鳴がとどろく。自然が「私」に挨拶をしているかのようである。

生けらくは生くるにしかず朴の木も木高く群れて花ひらくなり
 ※「木高く」に「こだか」

「生けらくは生くるにしかず」とは、どういうことか。生きているもの、命あるものは、生きるより以上のすばらしいことはない。こんなにも生命の輝きに満ちている存在と出会うことができるのだから。「朴の木も」の「も」という助詞は、生命は、命あるもの同士身を寄せ合って、一斉に同じよろこびの歌をうたうのだ、というような意味を持っているだろうか。「生けらくは生くるにしかず」。生き難い思いをかかえて生きているから、こう言うのである。

光発しその清しさは限りなし朴は木高く白き花群
 ※「発」は「さ」、旧字。「朴」と「木高」、「花群」に「はなむら」

みずから光を発するかのように、陽光が射して、花が光った。その瞬間を見ている。「その清しさは限りなし」。清らかな花のうつくしさである。

    木俣修選 新潮文庫『北原白秋歌集』(昭和三十五年三月刊)

『桂園一枝講義』口訳 187-200

2017年05月27日 | 桂園一枝講義口訳
187 刈萱          ※「刈」草冠
かくばかりなぞやこゝろはみだるらん野べの刈萱かりそめのよに
二四八 かくばかりなぞや心はみだる覧野辺のかるかやかりそめの世に 文化二年

□すがたさはやかなるうたなり。「かるかや」、みだるゝより、かけて云ふなり。刈萱の穂はみだれてあるなり。しどろもどろにみだるゝなり。此れ刈萱に限るなり。風にみだれ易きことにてはなきなり。穂のみだれを宗としてよめるなり。風を結ばずしてもよきなり。

○姿さわやかな歌である。「かるかや」、「乱るる」より、掛けて言うのである。刈萱の穂は、乱れてあるものだ。しどろもどろに乱れるのである。これは、刈萱に限るのだ。風に乱れ易いということではない。穂のみだれを旨として詠んだのだ。「風」を結ばなくてもよいのである。

188 刈萱乱風  ※乱は、正字。
秋風のふかぬ先だにあるものをけさ刈かやのしどろなるかな
秋かぜのふかぬさきだに有(ある)ものをけさかるかやのしどろなる哉
                 ※「秋」は「火」偏に「禾・のぎ」の字。

□此題風にみだるゝと思ふかたより出したる題なり。
景樹は風より先にみだるゝとよむなり。此れめづらしきなり。
題者は風かと思ふ意なり。歌は穂のことを知りてよめり。「しどろ」もどろ、「もどろ」はもどるの意なり。すいと向ふまで行かぬなり。「しどろ」は下垂るなり。下なりにゆくなり。

○この題は、「風にみだるる」と思う方から出した題である。
景樹は、「風より先にみだるる」とよんだのである。これは、今までにないものだ。
題は、(乱れたのが)「風(のせい)かと思う」という意味である。歌は穂のことを知って詠んでいる。「しどろもどろ」の「もどろ」は「もどる」の意である。すいと向うまで行かないのだ。「しどろ」は「下垂る」だ。下なりにゆくのである。

※音の調律にみどころのある歌。

189 庭栽野花
いろいろの花のかぎりをうつしうゑてあれぬ庭をも野とぞなしつる

190 槿 牽牛花の分也
つゆにだに打ちとけ易きあさがほの花のひもなく秋の初かぜ

191 槿花未開
葉がくれをまだあけぬ夜と思ふらん咲かんともせぬ朝貌の花

□三首よくわかりたれば註なし。
○三首よくわかるので註はない。

192 193 194 露 
此題より「深夜霰」まで、嘉之・昌言、会読なり。
○この「露」の題から「深夜霰」までは、嘉之と昌言の会読の筆記である。

※嘉之は、山本嘉之。昌言は、鎌田昌言(山本嘉将の著書による)。題についての注記は、松波資之によるものか。

192 あき風にそよぐものゆゑ小笹原ひとよもおちずつゆのおくらん
二五三 秋風にそよぐ物ゆゑ小篠原(をざゝはら)一夜もおちず露の置(おく)らむ 享和元年 二句目 サヤぐ物故

193 風のまもみだるゝあきのしらつゆをむすべるものとおもひけるかな
二五四 風のま(間)もみだるゝあきのしら露を結べるものと思ひけるかな 文化三年

194 草も木もぬるゝゆふべのつゆ見れば人はものをも思はざりけり
二五五 草も木もぬるゝ夕の露見れば人は物をも思はざりけり

※以下は、この歌と直接関係の無いメモの列記が少しあったりして、四〇八番(正宗)まで飛んでしまう。破損または脱落したのだろう。

□「鴨羽がき」、実は嘴を木にてこするなり。古人、羽としたるより皆羽にするなり。穂屋、すゝ屋と同様さゝ(ゞ)れにうつる。大人初めて云りと、自ら申されたり。父君の△日十首よまれて十首ともによき歌となり。あまり皆出しては父にへつらへるやうに世人の思はくもある故に残念ながらやめたり云々。
「ひたりて」は、ひたしてなり。
「寒夜千鳥」、外山殿、此の歌には叶はぬと仰せられたりとなり。
「しのゝあらがき」、大人はじめてよめり。

〇鴨羽がきは、実は嘴を木でこするのだ。古人が、羽としたことによって皆羽のことにするのである。穂屋、すゝ屋と同様さざれにうつる。大人が初めて言ったと、みずから申された。父君の△日十首詠まれて、十首ともよい歌だということだ。あまり皆出しては父にへつらっているように(とる)世間の人の思わくもあるので残念ながらやめた等々。
「ひたりて」は、「ひたして」の意である。
「寒夜千鳥」の題の歌について、外山殿はこの歌にはとてもかなわないと仰せになったということである。
「しののあらがき」は、大人(うし)がはじめてこう詠んだ。

※「ひたりて」は、三八〇(正宗)についてか。「寒夜千鳥」は、三九二(正宗)の題。△は虫食い等による欠字を示すもの。

195 雪 
さをしかのなきてかれにし朝よりゆきのみつもるしがらきの里
四〇八 さをしかの啼(なき)てかれにし朝(あした)より雪のみつもるしがらきの里 享和元年

□なきてどこへやらゆきて、かれがれになりてしまひたるなり。常にかれるといふは、わかれることなれども、こゝは直にさやうには言はれぬなり。
此うた気色をいふなり。しがらきの里、奥山なり。勢田まで八里あり。勢田よりは人家なくして山路にかゝる所なり。さをじかのなきやむや否や、もはや雪もふる程の所なり。門人曰く此歌妙々。

○「なきて」どこへやら行って、別れ別れになってしまったのである。常に「離(か)れる」と言うのは、別れることだけれども、ここはただちにそのように(決めて)は言うことができないのである。
この歌は景色を言っているのである。「しがらきの里」は、奥山である。勢田まで八里ある。勢田よりは人家がなくて山路にかかる所だ。さを鹿が鳴きやむや否や、もはや雪も降る程の所である。門人らは言った、この歌は妙趣があると。

※「門人曰く此歌妙々」というのは、こういう歌に人気があったことの証言。

196 
跡もなき山路はたれかふみわけんおもひたえよとつもるゆきかな
四〇九 あともなき山路(やまぢ)はたれかふみわけむ思ひたえよとつもる雪哉 文化十一年

□たれあともつけやうもなきほどふりたるは、人がこんか知らぬ、などゝの心は「思ひたえよ」とつもる雪かな、といへり。

○誰も跡がつけようもないほど(雪が)降ったのは、人がやって来るかもしれない、などというような(甘い期待を抱く)心は「思いきれ」と積もる雪だなあ、と言っている。

197
蝶のとび花のちるにもまがひけり雪の心は春にやあるらん
四一〇 蝶のとび花のちるにもまがひけり雪の心は春にや有らん 文化十二年 三句目 まがフカナを訂す。

□雪は思ひの外陽気にして花やかなる気色ある物なり。
○雪は、思いのほかに陽気で、花やかな気色のあるものだ。

198 待雪
あさなあさな起き出でゝ見れど葛城のみねにもいまだふらぬ雪哉
四一一 朝なあさな起きいでゝ見れどかつらぎの峯にもいまだふらぬ雪かな 享和三年 二句目 タチいでて

□少し古体なり。まづ目に付くは葛城なり。
○少し古体である。まず(この歌で)目に付くのは葛城だ。

199 初雪
巻上るしののすだれのさらさらにおもひもかけぬけさの初雪
四一二 巻上(まきあぐ)るしのの簾のさらさらにおもひもかけぬけさのはつゆき 文化十ん年

□「新古今」調なり。まきあぐる時はまだ雪に目はつかぬなり。
〇「新古今」調である。巻き上げている時は、まだ雪に目は付かないのである。

200
草も木もあやめわかれぬ黒玉の夜しもあたらはつゆきぞふる
四一三 草も木もあやめわかれぬ黒玉(ぬばたま)のよるしもあたら初雪ぞふる

□あたら、惜しきことなり。俗にあつたらなり。今「新」の字をあたらしきと云ふは、あらたしきなり。音便にてあたらしと転ずるなり。「あらたしき」でなければならぬなれども、「しき」で受けたる時分ばかりは「あたらしき」といふなり。其余は皆「あらたなり」。これを久老は「あらたしき」をいひそこなひなりといふなり。いひそこなひではなきなり。穏便でしたるなり。山茶花、そばきりの類なり。入ちがひになること音便にあるなり。
あやめ、先「あや」といふことは嘆息の声なり。あゝあつし、あゝつめたきを古人は「あや」といふたかも知れぬなり。何分嘆息の語なり。あゝうつくしなど目のとまるもの即ちあゝよいといふなり。此れあやなり。さて、「め」といふことがつくと、「め」はよくわかる明白の事なり。みゆることなり。かつきりとするなり。きり「め」(傍線)といふ。又「をり「め」(傍線)など、きはだちたる、ありありとすることにいふなり。俗にも、あほう「め」(傍線)といふは、其事に「め」(傍線)と、しかときはめて行く語なり。
「よるしも」、よるしあたら、といふことなり。「も」(傍線)のこゑ、別に心はなきなり。又「し」(傍線)の字がなきと「も」が眼字(※中心の字の意か)なり。
「初雪」の気色は、草木にふりかゝりたるが見所なるに、草木わからぬ夜降るとは「あたら」なり。

○「あたら」は、惜しきことである。俗に言う「あッたら」である。今「新」の字を「あたらしき」と言うのは、「あらたしき」だ。音便で「あたらし」と転じたのである。「あらたしき」でなければならないのだけれども、「しき」で受けた時だけは「あたらしき」と言うのである。そのほかは皆「あらたなり」。これを(荒木田)久老は、「あらたしき」を言いそこないだと言うのである。(だが、)言いそこないではないのである。音便でしたのだ。山茶花、そばきりの類である。入れちがいになることが音便にあるのである。
「あやめ」、まず「あや」という語は嘆息の声である。「あああつい、ああつめたい」を古人は「あや」と言ったのかもしれない。何ぶん嘆息の語である。「ああうつくしい」などと目のとまるもの、すなわち「ああよい」と言うのである。これは「あや」である。さて、「め」といふ語がつくと、「め」はよくわかる明白の事をいう。見えることである。かっきりとするのだ。切り「め」(傍線)といふ。また折り「め」(傍線)などと、際立った、ありありとすることに言うのである。俗にも、「あほう-め」(め傍線)と言うのは、その事に「め」(傍線)と、はっきりと極めつけて行く語である。
「よるしも」、「夜しあたら」ということである。「も」(傍線)の声音(を入れたことについて)は、特別に意味はない。又「し」(傍線)の字がなくても、「も」の字が眼目の字である。
「初雪」の気色は、草木に降りかかった所が見所であるのに、草木の見分けられない夜に降るとは「あたら(惜しいこと)」である。


山下一路『スーパーアメフラシ』

2017年05月26日 | 現代短歌 文学 文化
この歌集は、何となくめくって見ているうちに、ほとんど目を通してしまった。

つぎつぎと夜のプールの水面を飛びだしてくる椅子や挫折が

歌のなかに「挫折」なんていう言葉はなかなか使えるものではない。この叙法は本物だと直感する。

ワタシ活用されてマス 新宿の朴さんに李さんに雨の群肝

この作品は、たぶん中野重治の「雨の降る品川駅」を下敷きにしている。「活用」ということばが示唆する内容は、労働疎外や搾取である。

それで解説をみると、かつて「氷原」で石本隆一の指導を受けたとあるから、歌歴は相当古いだろうし、短歌についても一家言ある人にちがいない。あとがきによれば、四十年ぶりの第二歌集だという。自ら語る履歴の概要の部分を引くと、

「学生運動引退後に企業戦士とか呼ばれる社会人となり、歌の世界から20年以上離れていたことや、10年前に歌人集団「かばん」に入会し、3.11以降には口語文体に変わったことも含め、自分にとっては第一歌集のように思えます。」とある。

暗闇に折りたたまれていた鶴をほどくと鉛 三月の空

※「鉛」に「なまり」と振り仮名。

これは少し前に流行した藤原伊織の小説を思い出させる歌で、結句の「三月」にはさまざまな思いがこめられているだろう。こういう作品で押していくこともできるのに、作者があえて選び取ったのは、ユーモアを重んずる「ポップ」な言葉遣いである。しかし、「特養にて」という一連などは、おもしろいけれどなかなかまじめな気持でつくられていて、技術的にも完璧である。

父母への挽歌なども、ユーモアを交えている分、むしろ非情な視線を保っており、その抑制ぶりと感傷拒否の姿勢はあきらかである。ただ、それがいいのかどうかは、わからない。

電力のムダです父さん夜明けまで点けっぱなしでスターチャンネル

南天をついばむ鳥を追うような残尿感で父は逝きたり

  なかなかこうは言えないし、悲しみの吐露を抑制したぶん、後になって次の歌のように滲み出てくるものがある。

 死者との交信はすすんでますか 百円で買った富士山の水
 
 パーマネント・プレスされた父さんの背広を窓にぶら下げてみる

  死者との交信は、何となく埴谷雄高の小説の一節を踏まえているかとも思う。この歌の「父さん」には、「父さん」と呼ばれている自分も入っているかもしれない。

逃げ道が樹海のようにひろがった早朝会議のフローチャート図

  樹海も富士山と関係があるから、作者の想像力が働く時の表現の無意識のようなものと富士山は縁がある。こういういくつかの線をさぐって、この歌集を読んでみる楽しみは、まだまだあるだろう。

さいごになかなか深刻でわさびの効いたアイロニーの感じられる連作三首を引いて拙文の結びとする。

出入り口のおなじ改札がふさがれて乗越え方をだれもしらない

なによりも自分自身は自分で守る憲法違反のようなマニュアル

特快はもうありません酸素ボンベわすれた人は帰ってください

三首めは、近年の介護の等級見直し等に関する国の施策を扱ったものだろう。二首目も渦中の話題である。今は諸大国も含めて一国の首相がブラフを投げる時代だ。このぐらいな辛口の返しがあってもいいのである。  (27日改稿)

短歌入門 改稿

2017年05月21日 | 古典文法
※ 十年ほど前に雑誌のホームページに出した文章を、手直しして以下に掲載する。

短歌入門 

1 句切れ

私は以前『生まれては死んでゆけ 新世紀短歌入門』という本を出したことがあるが、入門書という体裁をとりながら、実際は評論集に近いものだったので、ふだん短歌を読み慣れていない者にはむずかしいと、友人から言われてしまった。今回はその反省を生かして、なるたけ平易に書いてみたい。短歌を作ったり、読んだりするうえでヒントになりそうなことを順に展開していってみようと思う。

  小学校の頃、学校で「百人一首」を習ったという人は多いだろう。大多数の日本人にとって、「百人一首」は、短歌の五七五七七の音数律(正確には語音数律)になじむ最初のきっかけを与えられるものだ。でも、困ったことがひとつある。それは、「百人一首」のカルタが、五七五の上句と、七七の下句で一首の歌を無理に切るために、短歌のリズムはすべて「五七五/七七」だという刷り込みが、多くの人の頭のなかにできあがってしまうことである。「百人一首」に入っている歌は、別に三句切れのものばかりではないのだが、外見の与えるイメージの方が圧倒的だからどうしようもない。

自作の短歌を地域の印刷物や職場で披露したことがある人なら身に覚えがあることだろうが、黙っていると、しばしば上句と下句が二行に分かれて印刷されて来る。あまり短歌に詳しくない学校の先生が、生徒に創作をさせてプリントを作ったりすると、たいていそうなっている。だから、生徒も自然にそういうものだと思い込んでしまう。

 本当に一から短歌をはじめたかったら、短歌は三句切れだという先入観をまず払拭して、体にしみついた三句切れの感覚を拭い去る必要がある。これが意外に難しい。気に入った歌集を何度も何度も繰り返し読んだり、場合によっては一冊まるごと筆写したりすることによってそれは克服できるのかもしれないが、どうなのか。人は急には変われないものだから、初心のうちは相当意識的に自分の作品をチェックしてみるといいのではないかと思う。次に三句切れでない歌を何首かあげて読んでみたい。

沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ 斎藤茂吉

 「沈黙のわれに見よとぞ」で、二句切れの歌である。薄暗い葡萄棚にびっしりと下がっている黒い葡萄は、生命の充溢と、自然の実りの豊饒さを感じさせる。一首は、荘重で沈痛な響きを持っており、結句の「そそぐ」という語の響きには、雨の質感も織り込まれているようなところがある。

敵ひとり殺むるまでは婚姻をゆるされざりきスキタイおとめ
大滝和子『人類のヴァィオリン』

「~ゆるされざりき」で四句切れの歌である。婚姻ということをめぐって、作者主体は、これ以上ないぐらい徹底的に屈折しているのだが、表にあらわれているのは強烈なロマンチシズムである。野性的で尚武の気風を持った古代の遊牧民の習俗から、劇的な興奮を汲み上げている歌だ。

夏はおもふ若かりし母の鏡台にふくらかに毳だちてゐし牡丹刷毛を
  河野愛子『黒羅』

 「夏はおもふ」で初句切れ。初句、一字字余り。作者は一九二二(大正十一)年生まれだから、母も本人も和服で生活するのが普通の世代。牡丹刷毛は、お白粉の水分を取るために使用する丸いかたちの刷毛である。子供の頃、母親の見ていない時に、鏡台の上に置いてあるものをそっと手に取ってみたりした記憶は、私にもある。
 下句が大幅に字余りだが、これは「ふくらかにけば/だちていしぼたんばけを」と、四句と五句の句またがりをバネのように利用して、「だちていし」の五音以下を加速して一気に読み下す。

2 記述か説明(感慨)か

 文章には、主に二つのタイプの文章がある。一つは、事実を認識して、それを記述しようとする文章。もう一つは、その事実についての自分の考えや意見をのべる文章である。散文を書く時には、この二つのタイプを意識して、ごちゃまぜにしないことが大事である。

 先に引いた茂吉の歌を例として言うと、「沈黙のわれに見よとぞ」というのは、主に自分の思いをのべている句である。それに対して、「百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ」というのは、眼前のでき事の描写である。でも、これは散文ではなくて歌だから、どちらの句にも作者の情念は投影していると見てよい。三、四、五句は、ただの自然描写ではなくて、生命というものの豊かさや崇高さを象徴する表現にまで達している。名歌たるゆえんである。次に現代の作品を引く。

ブックオフの百円コーナーだけだろう逸見政孝を忘れないのは
                              松木秀『RERA』
ニッポンは平和だ「希望は戦争」と書く人も安心して生きられる

 松木秀の作品は、弱い者どうしが、むごい言葉を投げつけあっている光景を目にしているような感じのする、痛々しい歌だ。二首とも、自分の認識した事物を読者に向かって突き出してみせている。一首め。闘病記を書いて逝ったアナウンサーの逸見政孝の本を忘れないのは、ブックオフの百円コーナーだけであるのだという。
 二首めは、ロス・ジェネの怒りを代弁すると自称して、「丸山真男をひっぱたきたい」という衝撃的なタイトルで登場した評論家の赤木智弘のことを言っているのだが、どちらも「事実について自分の考えや意見をのべる」タイプの作品である。そうして松木秀には、この型の作品が多い。けれども、中には次のようなものもある。

四半世紀前に売られし「ニューメディア対応テレビ」がある処分場
 
こちらは、一首全体が記述の句で占められている。でも、ここで「ニューメディア対応テレビ」を「処分場」に見いだしたのは、作者である。四半世紀は最新だったものが、今は無残な時の流れにさらされているという皮肉な着目を示してみせたのだ。

 続けてもう少しおだやかな、年長の世代の歌をとりあげてみる。

  持ち直したりしか父の胸処より紫苑の花の萌ゆる心地す 桜井登世子『雁渡る』

(もちなおし たりしか。ちちの むなどより しおんのはなの もゆるここちす)

十方に枝さしのべて咲く桜一樹の下に車椅子止む

(じゅっぽうに えださしのべて さくさくら いちじゅのしたに くるまいすとどむ)

 どれも花が出て来る歌で、きりっとした印象が際立ってみえる。自身が高齢者に近づきながら身動きのならない父母を介護しているなかで、花への心やりは作者を支えるものであっただろう。

一首めの感慨句の「紫苑の花の萌ゆる心地す」というのは、なかなか老人をこうは歌えない。それはみっしりとした濃密な愛情がなければ、こういう修辞は出てこない。

二首めの桜の描写の背景には、背後に近代短歌の歴史が感じられる。「十方に枝さしのべて」というような大きくつかむ語の斡旋の仕方は、伊藤左千夫が「万葉集」を読んでうみだした文体を、「アララギ」の系統で継承して来なかったら出て来ない言い方なのである。

 読み方を解説すると、一首めの「持ち直し/たりしか。父の」という描写句の、一二句にまたがる句割れは、「もちなおしィ たりしか。ちちの」という表記のように少し引っ張って感情を込めるといい。「たりしか。ちちの」は、意味上の切れ目を無視して切らずに読む。

 二首めは、少しいかめしく「じっぽう」と振り仮名がふってあるイメージで読みたい。分かち書きしてみると、三句めが上下から引き裂かれるように置かれていて、「さしのべてさく」と、「さくらいちじゅ」の両方にかかっているために、独特のスピード感が下句にもたらされることになる。

こんなふうに、どうしておもしろいのだろう、とか、どこがおもしろさの原因なのだろう、ということを考えながら作品を分析して読んでみると、その作者のものの感じ方の癖がわかって来る。一冊の歌集ならサンプルは十首程度、自分がいいと思った作品を抜き書きしてやるといい。できればノートに手書きするのがいい。これを時々自分の作品を相手にやってみると、作歌力は格段に向上するのではないかと思う。

3 二段活用の動詞は好きですか

 私は仕事で高校生達に古典を教えている。古典は試験の前日に覚えて翌日に忘れるもの、というのが、彼らのスタイルだ。よけいなことは頭に入れない。だから、三年生でも四月に入って一からすべて復習し直さなくてはならないことがある。まずは動詞。二段活用を教えたら、「何これ、キモい。」と教室の窓際にすわっている女子生徒が大きな声を出した。キモい、というのは、若者言葉で「違和感がすごい」というような意味である。思わず笑ってしまったが、同時に、これは大変だと思った。三年生にもなって、はじめて二段活用の動詞を知ったようなことを言っているのだから、この生徒の古典文法嫌いは、相当に重症だ。うんうん、と言って笑っている生徒もいる。これを大学受験のレベルまで持っていかなくてはならないのだが、さて。

肺尖にひとつ昼顔の花燃ゆと告げんとしつつたわむ言葉は   岡井 隆『朝狩』

(はいせんに 「ひとつひるがおの はなもゆ」と、つげんとしつつ たわむことばは)

 医師である作者は、患者の肺のレントゲン写真を見ている。レントゲン写真のネガとポジは反転するから、結核の病巣のあるところに丸い形をしたかげりが浮かび上がる。それを「昼顔の花」が燃えている、という比喩で印象的に表現している。

そうして、その診断結果を告知することをためらう医師としての心のゆらぎを、「告げん」(告げよう)としながら「たわむ」(曲がる、弱くなる)言葉は。と、余情を感じさせる倒置表現で言い表している。

「ひとつひるがおの」という二句めは、リズミカルな「ひ」音の繰り返しの作用で、多少早口になる。そうして、この二、三句めの「ひとつひるがおの/はなもゆと」という、句またがり気味の言葉の続きが、まるで歌の内容そのもののような〈たわみ〉を持った響きを一首にもたらしている。

この三句目の「燃ゆ」が、二段活用の動詞である。「花燃ゆ」、「告げんと(す)」、というのは、改めて検討してみると、実に漢詩的な表現だ。「燃ゆ」だけでなく、「告ぐ」も二段活用の動詞である。これらの二段活用の動詞は、現代の口語に出て来ない。そのために必要以上に文語を難しく感じさせる原因の一つとなっている。

  詩人、詩の涸れたるひと日みづからにゆるされてすさまじき睡眠  
塚本邦雄『日本人霊歌』

(しじん、しの かれたるひとひ みずからに ゆるされてすさ まじきすいみん)

 一、二句めの句またがりと、四、五句めの二回の句またがりが、独特の調べを生んでいる。しじん、でいったん立ち止まったあと、その後はハイスピードで一気に駆け下りるように読むのだろう。詩作に倦んだ詩人が、口をあんぐりと開けて眠りこけている姿。その精神の怠惰を痛烈に皮肉っている。

 この歌の二句めの「涸れたる」は、「涸れた」とも、「涸れる」ともちがう。「涸れたる」には、「涸れた」だけでなく、「涸れてしまった」というニュアンスも含まれている。「涸る」という二段活用の動詞に助動詞がくっついているのだ。これをどうやって見分けるのか。                            

 以下で簡単に辞書で確かめられるようになる方法を示す。

 まず、先に「変格活用の動詞」と、「一段活用の動詞」を除外することをお断りしておく。そのうえで、多数派の「四段活用の動詞」と、現代人から見ると変わり者の「二段活用の動詞」の区別の仕方を説明する。

 動詞は、「あり」、「をり」などの例外をのぞいて、基本的に語尾に「ウ」段の音が来る。そこで終止形(文を言い切るかたち)をもとめるために、次のような操作を行う。

 まず、「行き・ます」、「行き・て」のように、「~ます」、「~て」などの言葉をつけて連用形をもとめる。ローマ字で表記すると、「yuki-masu」となる。この「yuki」が、連用形だ。岩波の「古語辞典」なら、ここで辞書が引けるのだが、普通の辞書は終止形でないと引けないから、ここでもう一度手を加える必要がある。

 連用形の「yu-ki」の活用語尾「ki」の部分を、ウ段に変えると、「yuku」となって、終止形がもとめられる。これで辞書が引ける。この時に終止形が、現代の口語と同じものは、ほぼ四段活用である。それ以外の終止形にした時に違和感のあるものが、二段の活用である。この方法は、実際にやってみると便利で、「目からウロコ」と言うぐらい「古語辞典」を引くのが楽になる。これなら変格活用の「来(く)」、「す」も、正しく終止形にたどりつける。

念のため、このやり方では、一段活用の動詞「着る」、「見る」、「蹴る」などと、変格活用の動詞は除く。「見-ます」とやって、「見」をウ段にしたら「む」?となって、なんじゃこりゃ、ということになってしまう。

だから、一段活用については、例語を別に覚えてしまえばいいのである。

ちなみに「死ぬ」はナ変動詞だから気をつける。この方法のいいところは、「得る」や、「寝る」などの現代語にひきずられやすい、下二段活用の終止形「得(う)」、「寝(ぬ)」の終止形が正しくもとめられることだ。三省堂教材システムの絶版になってしまったテキストの教え方だが、これ以上すぐれた教え方はないと私は考えている。

 二首めの歌の例だと、「涸れたる」は、まず「涸れ-ます」とやって、連用形にする。そうすると、「涸れ」と「たる」の切れ目・つなぎ目がわかる。それから「涸れ」の活用語尾を「ウ」段に変える。すると、「涸る」となる。これで辞書が引ける。次の機会には、ただ読むだけでなく、この動詞を使って自分の作品が作れるかもしれない。辞書は用例を読むことが大事である。素敵な歌がたくさん引かれている。はじめは、訳の付いた小学館「全訳古語辞典」の類がいい。相当に習熟したら、岩波の古語辞典。これは、自動詞と他動詞が別立てになっているところが、すごい。

 ちなみに現在高校で使われている古典文法の教科書の最大の欠点は、自動詞と他動詞の説明に割くページが少なすぎる事である。
  
  おのづから過ぎむとしつつ花びらの落ちたるものは土にうつくし
                           佐藤佐太郎『しろたへ』

解説の要らない平易な歌だ。「過ぎむ」を区切ってみよう。まず、「過ぎ-ます」で連用形が明らかになる。次に、「過ぎ」の活用語尾の部分をウ段に変える。そうすると「過ぐ」がもとめられる。現代の口語は「過ぎる」だから、この時点でこれは二段の活用だということがわかる。連用形が「過ぎ」のように「イ段」になったら「上二段活用」。「告げ」、「涸れ」のように「エ段」になったら「下二段活用」と、従来の教え方も参照して覚えておくとよい。

 ここまでわかったら、次に連体形に挑戦してみよう。二段活用の終止形に「る」をつければ連体形である。「告ぐる時」、「過ぐる列車」、「涸るる水」というように。

已然形はどうするか。已然形は、二段活用の終止形に「れ」をつければ已然形である。「る」や「れ」を接辞という。「過ぐれど」、「告ぐれど」、「春こそ過ぐれ」などというように特定の構文にかかわりが深いので、短歌に頻出するそういう言い方になじむとよいだろう。


白井健康『オワーズから始まった。』

2017年05月21日 | 現代短歌
 あの宮崎県の口蹄疫のニュースが流れたときに、現場に居る人々の悲痛の思いはいかばかりかと思われた。この歌集の第Ⅰ部の歌は、その時の当事者の一人であった獣医師によって詠まれたものである。自分が普段やっていることと全く逆の事を行わなければならないということの圧倒的な不条理感は、ほとんど戦争体験に等しいようなものだったのだということが、作品を読むとよくわかる。それだけでも、この歌集が出た意味はあるだろう。

歌集第Ⅰ部の深刻さと、作品の出来のすばらしさ、それからあとがきの持っている生生しい息遣いは、短歌の持っている当事者性と機会詩性の長所が遺憾なく発揮された結果だと言うことが出来る。

石灰を塗りたくられてがらんどう検案書には熱れが残る  ※「熱」に「いき」と振り仮名。

夏の日が忘れ去られてゆくように日照雨のひかりを餌槽に食べる

2%セラクタールを投与後に母子の果実を落としてしまう

第Ⅰ部の歌だけを読んでいれば、これはいい歌集だということになるのだが、第Ⅱ部以降をみると、やや歌集を出し急いだかな、とも思われないではない。しかし、習作も含めて若いうちの相聞歌を出しておくのは今しかないというつもりで本集が編まれたのだろうことは想像に難くない。

Ⅱ部以降の作品から引く。

乳房よりうえ半分の朝明けをプラトニックだと呟いている

ふたりしてコートを脱ぎ捨て沈むときうっかり鱗を落としてしまう

iPhonを愛撫している親指とあなたの舌がいつも似ている
 
集中には性的なものを暗示する相聞歌が多いのだが、これは中でもいい方の歌かと私なりに思う。

どんな季語も持ちあわせていない雨の日はボタンホールをもてあそんでいる

かたつむり(コトン)と夏至の庭先にあのひとの水溶性の声

スリープモードに戻るま昼間会わないでお祈りをするしずけさがある

 実は本日この歌集についての読書会を行ったのだが、詩的な実験が目立つ歌よりも、むしろオーソドックスな普通の叙法の歌の方にこころをひかれたというのが、参加者共通の感想だった。

「美志」一九号 発刊

2017年05月18日 | 日記
「美志」の一九号が出た。一部は「葉ね文庫」で手に入るので、ほしい方は早めに。何しろ三百部しか作っていないので外に出すのは、ほんの一部だ。「葉ね文庫」は、やっている人が楽しそうでいいと思う。「三月書房」の社長さんが亡くなってしまって、さびしいとおもっていたら、こういう人が出て来ているのだと思った。これも文化の多様性に寄与する個人の経済活動のひとつかと思う。

『桂園一枝講義』口訳 176-186

2017年05月14日 | 桂園一枝講義口訳
176 暁萩風
かぎりあれば覚なんとするあけがたのゆめの末ふく萩の上風
二三七 限りあれば覚(さめ)なんとする明(あけ)がたの夢のすゑふく萩のうはかぜ

□たとひ萩の風はふかずとも、さめなんとする也。たとへば花見に出でんとする時誘はれたるが如し。
○たとえ萩の上に風は吹かなくても、目が覚めそうになるのだ。たとえば花見に出ようとする時に誘われたようなものである。

※題の本意と日常の情緒を濃厚に重ね合わせて生きることが空想裡にできること、それが日本の歌人の生活である。

177 外に出でて住ける年の秋よめる
此の秋はふるさと人のおとづれに吹くとのみきくをぎの上かぜ
二三八 外に出てすみけるとしの秋よめる
この秋はふるさと人の音信(おとづれ)に吹(ふく)とのみきく荻のうは風

□木や町に出たることあり。岡崎の宅、ことの外荻多くあるなり。音信におとのせぬ荻をきくとなり。
○木屋町に出たことがある。岡崎の宅は、ことの外荻が多くある。音信におとのせぬ荻を吹く音を聞くというのである。

178 萩
さをじかの妻どふ野べの秋はぎは下葉のみこそいろづきにけれ
二三九 さをしかの妻どふ野辺の秋はぎは下葉より社(こそ)色付(いろづき)にけれ 文化十一年

□「古今」の序に「秋萩の下葉をながめ」とあり。下葉ははやくかれて行くなり。古人はことの外はかなきことに目をつけるなり。さをじかに照りあはすが此の歌なり。

○「古今(集)」の序にも「秋萩の下葉をながめ」とある。下葉は早く枯れて行くのである。古人は格別にはかないことに目をつけたものだ。さを鹿に照りあわせるのがこの歌である。

179
一夜にやたなばたつめのおりつらんけさしも萩の錦なるかな
二四〇 ひとよにやたなばたづ(ママ)めの織(おり)つらむけさしも萩の錦なる哉

□一朝みつけたるなり。驚きのあるもの也。花は漸を以て開くなれども、ことの外見事に思ふことあるなり。「一夜にや」棚機つめの神女の手故、一夜におるなり。「つくからに神やきりけん」の類なり。「しも(下線)」は強くなる。「けさ」、「あ」と云ふことなり。玄如法師は下巻の秀逸であらうと云ひたるなり。

○一朝(起きて)みつけたのである。驚きのあるものだ。花はだんだんに開くものであるけれども、ことの外みごとに思うことがある。「一夜にや」というのは、たなばたつめの神女の手だから、一晩で織るのである。「つくからに神やきりけん」の類だ。「しも(下線)」は強くなる。今朝、あっと思うことである。玄如法師は(この歌が「古今集」の)下巻の秀逸であろうと言ったものだ。

※「仁和のみかどのみこにおはしましける時に、御をばのやそぢの賀にしろかねをつゑにつくれりけるを見て、かの御をばにかはりてよみける 
ちはやぶる神やきりけむつくからにちとせの坂もこえぬべらなり」僧正へんぜう「古今集巻第六 賀歌」三四八。

180 高台寺の萩見にまかりて
古でらのたかき臺(うてな)のからにしきたちのこしけんあきはぎの花
二四一 ふるでらのたかきうてなの唐錦(から)にしきたちのこしけむ秋はぎの花 文政七年 初句 イニシヘの

□高台寺中々歌によまれぬ所なり。しかし、歌くさく高台らしき故ここに出せり。昔さかんなりし時のたち残りてあらんと云ふなり。
○高台寺は中々歌によまれない所である。しかし、(寺の名が)歌くさいし(漢詩にあるような)高台めいているのでここに出した。昔さかんであった時(の様子)がずっと残っているようだというのである。

※「臺」は「台」。

181 薄
紅のあさはの野辺のしのすすき穂に出でたれどいまだみだれず
二四二 紅の浅葉の野辺のしのすすきほに出でたれどいまだ乱れず 文化三年

□「紅」は「浅」の枕詞なり。「万(葉)」に「紅の戔香」とあるなり。紫はこきに云ふなり。「紫のこかたの海」とあり。此れ古人、調べのよき方に骨が折てあるなり。浅葉野、信州。
「しの」しなしなとしたることなり。風の吹くまでは乱れぬなり。
すすきのすつと出たる形なり。其の開かぬ内は紅の色のつよきものなり。たとへば紅梅の未開、紅の類なり。開かぬうちは紅深き也。古人「尾花色のめしを出しける」とあるは、小豆飯なり。

○「紅」は「浅」の枕詞である。「万葉集」に「紅の戔香」とある。紫は濃い色にいう。「紫のこかたの海」とある。これは古人が、調べのよい方に骨を折っているのである。浅葉野は、信州。
「しの」は、しなしなとしていることだ。風の吹くまでは乱れないのだ。
すすきのすっと出た形である。その開かない内は紅の色がつよいものである。たとえば紅梅の未だ開かないものが、紅である類だ。開かないうちは紅が深いのである。古人が「尾花色のめしを出しける」とあるのは、小豆飯のことである。

※「うつほ物語 菊の宴」。

182 
ふるさとの野中の道にやすらへば風にひれふるしののをすすき
二四三 故郷の野中の道にやすらへば風にひれふるしののをすすき 文化二年

□ひれ、古人女人の後にかけるものをひれと云ふなり。領巾と書くなり。男もかけたりと見ゆ。「ひれかくるともの男」とあり。礼服にかけるもの歟。さよ媛もひれを以て招くとあり。ひれふる山とあるなり。故郷にかへる人のさまなり。故郷はあれれば野となるなり。それ故野をつづけ(ママ)るなり。故郷の野辺見に行くと云ふなり。故郷は必ず野辺にあるやうになるは、此れ野となる縁あるなり。柳に燕の類なり。こちらより合せて云ふなり。

○「ひれ」、古人は女人の後にかけるものをひれと言った。「領巾」と書く。男もかけたものとみえる。「ひれかくるともの男」とある。礼服にかけるものか。さよ媛も「ひれを以て招く」とある。「ひれふる山」とある。故郷にかえる人の様子である。故郷は荒れれば野となる。それで「野」をつづけるのだ。故郷の野辺を見に行くと言う。故郷は必ず野辺にあるようになるのは、これは「野」となるゆかりがあるのである。柳に燕の類だ。こちら(故郷と言ったら野)を合わせて言うのである。

183
秋かぜにすゝきの糸をよらせつゝたがぬひいでし草のたもとぞ
二四九 秋かぜに薄(すゝき)の糸をよらせつゝたが縫出(ぬひいで)し草のたもとぞ

□よく聞えたり。
○よくわかる歌だ。

184 薄随風
一方になびきそろひて花すゝきかぜふく時ぞみだれざりける
二四五 ひとかたになびきそろひて花薄かぜふく時ぞみだれざりける 文化十五年

□風にみだるゝものを、みだれぬといふが趣向なり。
○風にみだれるものを、みだれないと言うのが趣向である。

※佳吟。

185 行路薄
たび人の袖とひとつになりにけりすゑの原野のしのゝをすゝき
二四六 旅人の袖とひとつになりにけり末の原野のしのゝをすゝき 文化十五年

□旅行人を見やりて居るのに、とうとうすゝきの袖と一緒にほのかになりたと也。「末の原」、名所なり。「万葉」に「梓弓末の原野」とあり。末が遥に、末のやうに聞ゆるなり。末の松山も遥にみゆるなり。

○旅行く人を見やりて居るのに、とうとうすすきの袖と一緒に姿がかすんで見えなくなっていったというのである。「末の原」、名所である。「万葉」に「梓弓末の原野」とある。「末」が、遥に、末のやうに聞えるのである。末の松山も遥にみえるのだ。

※「あづさゆみ-すゑのはらのに-とがりする-きみがゆづるの-たえむとおもへや」「万葉集」二六四六。「末の」のような歌語に言葉がもともと持っていたみずみずしいイメージを呼び起こそうとするここの解釈は、なかなかのもの。

186 薄似袖
おしなべて知るも知らぬもまねくこそ尾花がそでのこゝろなりけれ
二四七 おしなべて知るも知らぬも招く社(こそ)尾花が袖の心なりけれ 文化三年

□「袖ふる尾花が心なりけり」と云ふを、「尾花が袖の心」と云ふなり。松の木の間の心なりけり。皆心あるに見なすなり。尾花、「穂」花を云ふが「を」(傍線)に転じたるなりといふ説あり。「万(葉)」に「さをしかの入野のすゝき初尾花うち出て招く」。 

○「袖ふる尾花が心なりけり」と言うところを、「尾花が袖の心」と言うのである。「松の木の間の心なりけり」。皆心があるように見なすのである。「尾花」は、「穂」花を言うが「を」(傍線)に転じたものという説がある。「万葉集」に「さをしかの入野のすゝき初尾花うち出て招く」(という歌がある)。

※上三句に「うち出て招く」という四句めが続く歌はない。口をついて出たうろ覚えの歌だったので言いさしている。ここも景樹が「万葉集」を直接読む前に、先に「古今和歌六帖」の人麿などの歌を拾って覚えたのではないかという推論の根拠となるところである。

「さをしかの入ののすすき初尾花いつしか君にたまくらをせむ」「古今和歌六帖 すすき」三六九一。
「さをしかの-いりののすすき-はつをばな-いづれのときか-いもがてまかむ」「万葉集」二二八一「新編国歌大観」による。
「さをしかのいるののすすきはつをばないつしかいもがたまくらにせむ 人丸」「夫木和歌抄」四三二一。 


『桂園一枝講義』口訳 166-175

2017年05月14日 | 桂園一枝講義口訳
166 
かへるべき限りも知らずむさし野の旅ねおどろく秋の初かぜ
二二七 かへるべきかぎりも知らぬむさしのゝ旅ね驚く秋の初風 文化十五年

□江戸にてよみたるなり。日光宮より講釈を仰せ付けられたるを遁れんとて、伊勢まで用事ありといひて、「春早々江戸にかへりて」と申上げて、実ははづ(外)したりし。然るに尾張まで来て、前右府公の御病気が聞えたる故に京に皈りたり。此うた、其の秋のうたなり。秋までは、いつまでも江戸のつもりでありしなり。それ故「かへる」も「知ら」ぬなり。

○江戸で詠んだ。日光宮から講釈を仰せ付けられたのを遁れようとして、伊勢まで用事があると言って、春早々江戸にかえって(から)、と申上げて、実はさけたのだった。ところが尾張まで来て、前右府公の御病気(ということ)が聞えてきたので京に帰った。この歌は、その秋の歌である。秋までは、いつまでも江戸のつもりであったのだ。それだから、いつ帰るかも知らないのである。

※斎藤茂吉は小沢蘆庵への挽歌を例としてあげて、こういう類の景樹の歌を平凡だと評した。「旅ねおどろく」という句の背景が、この講義でわかるものの、確かに物足りないと言えば物足りない。江戸行は、景樹の直情径行ぶりと自負のほどがうかがわれておもしろいエピソードなのだが、ここでの江戸退去までの説明は、具合の悪いことは言っていないので割り引いて聞く必要がある。

七夕
167
雲がくれ逢ふとはすれど七夕のたびかさなれば名はたちぬなり
二二八 雲がくれ逢(あふ)とはすれど棚(たな)ばたのたびかさなれば名は立(たち)ぬめり

□くもにかくれて忍びに相逢形になすなり。すべて「雲がくれ」とは、空高くして見え難きことなり。「天雲がくれ田鶴なきわたる」とは、くもに隠れる事ではなきなり。雲井はるかに見えぬ所でなり。年に一夜とはいへど、度かさなる故に誰も知るやうになつた様子じや、となり。「めり」は、其様子じやといふ詞なり。

○雲に隠れて忍びに相逢う形になすのである。すべて「雲がくれ」とは、空高くして見え難いことである。「天雲がくれ田鶴なきわたる」とは、雲に隠れる事ではないのである。雲井はるかに見えない所で(という意味で)ある。年に一夜とはいうものの、度かさなるので誰もが知るようになった様子じゃ、というのである。「めり」はその様子じゃ、という意味の詞である。

※参考。「ふる郷はかへる雁とやながむらん天雲かくれいまぞなくなる」顕季「堀河百首」。
「田鶴なきわたる」は、「わかのうらに-しほみちくれば-かたをなみ-あしへをさして-たづなきわたる」山部赤人「万葉集」九二四の結句だろう。ここでの「天雲がくれ田鶴なきわたる」は、説明のため口をついて出た言い回しか。

※「七夕」にまつわる題詠を集って作ることは、歌人の年中行事だから、「桂園一枝」にも多数収録されている。現代のわれわれにはあまりおもしろくもないが、一夜の逢瀬を思い相聞歌を作って若返りの願いをこめるということもある。 

168 
七夕のくものころもはゆめもあらじふきなかへしそ秋の初風
二二九 七夕の雲の衣は夢もあらじ吹なかへしそ秋のはつかぜ

□此うた、こぎれいにいひたるなり。「雲の衣」は、かへしてねたとて、思ふ人を見るやうな衣でもなし。ゆめもありさうなこともなきなり。それ故に「ふきなかへしそ」となり。

○この歌は、こぎれいに言った。「雲の衣」は、(衣の裏表を)返して寝たとしても、思う人を見ることができるような衣でもない。決してありそうもないことである。それだから「吹き返さないでおくれ」というのである。

※ここでは自ら「こぎれい」と言う。七夕の歌は、宮廷や貴族の間では、年に一度儀礼的に制作したもので、和歌的な秩序の柱となるもの。このことは、今井優『古今風の起源と本質』などにわかりやすく説かれている。
 念のために言っておくと、二句から三句にかけての「雲の衣は-夢もあらじ」という語の斡旋を今に引き移してみるなら、これができる現代歌人はほとんどいないだろう。旧派の近世和歌からも真剣に学ぼうとしたのは、近代では窪田空穂およびその一部の弟子と玉城徹ぐらいなものである。かろうじて明治三十年代までは命脈を保っていた和歌の伝統を(学ぶことを)断ち切ったのは、子規や晶子ら新派歌人の系統の人々であるが、本人たちはそこから養分を汲み上げていた。いずれにせよ和歌と近代短歌は、基本的に別物であり、軽々に千数百年の伝統などと言わない方がいいし、子供たちにもそんな浮いたせりふを聞かせるべきではない。

169
小車のうしのあゆみの一年はめぐるおそしといかにまちけん
二三〇 小車(をぐるま)の牛のあゆみの一年(ひとゝせ)はめぐるおそしといかに待(まち)けむ

□牛の歩みのごとき一年は、となり。「小車の牛の歩みの一年」とは、「めぐる」までの序に云ふ也。
紅葉の橋、紅葉の枝を川にわたして渡るを云ふ。紅葉で大きなる橋を作りたるではなき也。
一寸したる川なり。又遠きにつき羽衣を以て飛だともあるなり。

○牛の歩みのような一年は、というのである。「小車の牛の歩みの一年」とは、「めぐる」までの序(詞)として言うのである。
「紅葉の橋」は、紅葉の枝を川にわたして渡ることを言う。紅葉で大きな橋を作ったのではない。
ちょっとした川だ。又遠いので羽衣でもって飛んだとも(別の書に)ある。

※後の二項、天の川から脱線した話題の筆記か。

170 七夕雨
晴れながらふりくる雨はたなばたの逢夜うれしきなみだなるらし
晴ながらふりくる雨はたなばたの逢夜(あふよ)うれしき涙なるらし

□実景なり。晴れながら一村雨なり。うれし泪のうたなり。
○実景である。晴れながら、さっと村雨が来ている。(やっと逢えたという)うれし泪の歌である。

171 七夕船
はるかなる年のわたりもかぎりあればこぎよせけりな天の川舟
二三二 はるかなる年のわたりも限りあれば漕(こぎ)よせけりな天の河舟

□つゑつき乃の字の話
○つゑつき乃の字の話。

※関連がわからないので、どなたか御教示を。

172 七夕後朝
一年をまたん別におとろへて花のかづらもしぼむけさ哉
二三三 一とせをまたむわかれに衰へて花のかづら(鬘)もしぼ(萎)むけさ哉

□天の五衰の一なり。かざしの花のしぼむなり。天人の花は常盤なれども、それも限あるなり。天人の眼の下より汗出づるも一つの衰なり。おとろへてくにやりしたることをいふなり。(小野)篁のうたに、ひる(※「な」の誤植)の別に衰へて、とあり。一時のおとろへをしかと知らするなり。後朝、古へ一つの語なり。後朝(ルビこうてう)の文といふこともあるなり。むすめの部屋に男が通ふなり。親もゆるすなり。男が通へるや否や、文をやるなり。是非此れ礼なり。古へのさまなり。別れてしまひたる所を後朝といふなり。さて後朝の文のこぬとあれば、女の家に大に嘆くことなり。「大和物語」に出たり。忠文の通ひたる女に故ありて後朝の文をやらざりしに尼となりたるに驚きたるふるごとなり。

○天人の五衰の一つである。かざしの花がしぼむのだ。天人の花は常盤(ときわ、永遠)であるけれども、それも限があるのだ。天人の眼の下より汗が出るのも一つの衰である。おとろえて、ぐんにゃりとなったことをいうのである。篁のうたに、「ひなの別に衰へて」、とある。一時におとろえたことをそれと知らせるのである。「後朝」は、昔の一つの語だ。後朝(ルビこうてう)の文ということもあるのだ。むすめの部屋に男が通うのだ。親もゆるすのである。男が通ったらすぐに、文をやるのである。かならず、これは礼儀である。昔の習慣である。別れてしまった所を「後朝」という。さて後朝の文が来ないとなると、女の家では大いに嘆くことである。「大和物語」に出ている。忠文が通った女に訳あって後朝の文をやらなかったところ尼となったのに驚いた昔の物語である。

※詞書「おきのくににながされて侍りける時によめる」「思ひきや-ひなのわかれに-おとろへて-あまのなはたき-いさりせむとは」たかむらの朝臣「古今集」九六一。

173 海辺七夕
たなばたのたむけ草とはからねどもみるめはあまの心ありけり
二三四 たなばたの手向草(たむけぐさ)とはからねどもみるめは海人(あま)の心あり鳧 享和三年

□長見る、又みる、ふさみるなどあり。七夕の日しもみるめを刈るなり。くさといふは元来物のまじりたる名なり。物とは見えぬ中に何ぞある時の詞なり。今草といふも色々まじりたるものをいふなり。手向草は手向物と云ふが如し。心ありけり、心ありげにみゆるを決定するなり。

○(「みる」は、)長見る、又みる、ふさみるなどの用例がある。七夕の日には特に「みるめ」を刈るのである。「くさ」というものは元来物がまじった名である。(それとはっきりした)物とは見えない中に何かある時の詞である。今「草」というのも色々とまじったものをいうのである。手向草は手向物と言うようなものだ。「心ありけり」は、心ありげにみえるのを決定(けつじょう、たしかなものと)するのである。

※「唐衣ひもゆふぐれになる時は返す返すぞ人はこひしき」読人しらず「古今集」五一五。
「みそぎする河のせ見ればから衣日もゆふぐれに浪ぞ立ちける」貫之「新古今」二八四。
「おのづからすずしくもあるか夏衣ひもゆふぐれの雨のなごりに」藤原清輔朝臣「新古今」二六四。 
    △このごろは暑いので、こういう歌もいいですね。

174 覉中七夕
ましらなく山下水にかげみればほし合のそらもそでぬらしけり
二三五 ましらなく山下水(やましたみづ)にかげみれば星合(ほしあひ)の空も袖ぬらしけり

□山下をいはんために「ましらなく」を出すなり。
都にありし時はいさましく星をまつるたらひにうつしなどしたるに、旅の様子をいふなり。「ましらなく」、悲しきもの故に山をいふに付て調度出すなり。

○「山下」を言わんがために「ましらなく」を出したのだ。
都にいた時はいさんで星をまつる盥に映しなどしていたが、(これは)旅の様子を言うのである。「ましらなく」(様子は)悲しいものだから山を言うのに付け合わせてちょうど出したのである。

175 憶牛女述懐
たなばたにこころをかして願はくはわが一年もながしと思はん
二三六 たなばたにこころをかして願はくはわが一とせも長しと思はむ

□たなばたは長く思はせらるるが、それに此方の心をかして此方も長く思ひしとなり。月日のはやくゆくをなげく男ありけりと物がたりに出たり。

○「たなばた」は長く思わせられるが、それに此方(こちら)の心をかして此方も(一年を)長いものと思いたいというのである。月日が早く過ぎ去ってしまうことを嘆く男がいた、と物語に出ている。

※「伊勢物語」九一段「むかし、月日のゆくをさへなげくおとこ」か。この一節がすっと口をついて出る景樹の古典の読み方が慕わしいと思う。それは詩美を感ずる端緒でもあろうし、また世の中のはかなさのようなものへの感度が、「伊勢」の作者ら古人と共鳴するところでもある。歌そのものはいたって平易で安らかで、現代人には物足りないかもしれないが、「たなばたにこころをかして」、という平淡な句に思いをこめるということの意味がここには説き明かされている。景樹のいう「古今」風を学ぶということの意義の一つはここにある。


木島始『本の声を聴く』と、宮本常一『民俗学の旅』

2017年05月11日 | 
 本についての本で、これに並ぶような本は、なかなかないと思う。副題が「書物逍遥百五十冊」となっている。逍遥だから、気の向くままに話題は動く。清潔で自由な言葉の集まりなのだ。

 尻に火が付く、という言葉がある。そんな感じに本を読まなければならないとしたら、それはかなり不幸な状況である。試験前の学生さん、みたいなものだ。本を読む時は、「逍遥」気分が一番だろう。

 だから、この本は幸福な本である。取り上げられている本どもも、きっと幸せなのにちがいない。本の「声」を「聴く」、ということは、要するに私が<傾聴、静聴、謹聴>のどれかに当てはまるような態度で本に接するということだ。本の言葉のうしろには、現実の著者がいる。良く「聴く」ためには、その相手に対する礼節が必要である。

 木島始の本のよろしさは、そのような根本的な礼節が、ひとつひとつの文章から感じられるということである。以下は、小野二郎の著書からの木島始の引用である。

「芸術というものは、生活の必需品であるはずだ。」

「人間にとっての『用』は、絶対に人が人を支配する要素を含んではならない。」

「『美しい』ということも、あるいは『実用性』そのものも、人間社会では、常に他を抑圧する道具になる。だから『用』にはむしろ、『遊び』が含まれていなければならない。」

「自分の発見した人と物の関係が人と人との関係を新しくし、人と人との関係が新しくされれば、物は違った相貌で立ちあらわれてくる。その新しさの感覚、驚きの感動がすなわち快感である。」 
                                     (以上、小野二郎)

 小野二郎は、思想は「趣味」のなかにしかあらわれないという信念を持ってウィリアム・モリスのことを語り続けた人である。「趣味的」という言葉を一段下に見下げるような考え方をとらなかった。だから、真剣な生活の中に「趣味」があり、「芸術」も存在するのだという事である。

 いま不意に中井正一のことを思い出した。それから戸井田道三の名前も。戦後の思想のなかで遺産となるものを考える時、この生活と芸術についての思想が大きな比重を占めるのではないだろうか。

私は平成も後半に入って、日本全体で行政の文化的な企画力と構想力が落ちていると思う。自分の事は棚に上げておいて言うと、まず圧倒的に勉強不足で無教養であり、定見がない。予算が削られてしまっているせいもあるが、その原因としては、基本教養無視の風潮が社会全体に徹底してしまったことがあげられる。インターネットは、それに拍車をかけた。「種子法」の廃止のような大失態を恥じない官僚や政治家が出て来てしまったのも、これと関連する。種子法が、ほとんど話題にならないこと自体が、実に深刻であると思う。改憲の問題よりも、こちらの方が国民の今後の生活に直結している。私は遺伝子組み換えのハイブリッド米など食いたくはない。

宮本常一の『民俗学の旅』という本を起きてから見ていた。大阪府の嘱託になって、宮本は戦中戦後のしばらくの間、府民を飢えさせないために人々の間を歩いて回った。敗戦後の日本をどうしたらいいのか。こんな言葉を残している。

「ただ戦争反対、軍備反対と叫んだだけでは戦争はなくなるものではない。一人一人がそれぞれの立場で平和のためのなさねばならぬことをなし、お互いがどこへ行ってもはっきりと自分の是とすることを主張し、話しあえるような自主性を持つことであり、周囲の国々の駆け引きに下手にまきこまれないようにすることであろう。そしてそれを農民の立場から主張してゆくには、食料の自給をはかることではないかと考えた。食料を自給し得ている国は外国の干渉を排除することができる。それは今日までの歴史を見ればおのずから肯定できる。農民としてなさねばならぬことは、より高い生産をあげ、まず国民の食料を確保するように努力すること。次には国民の一人一人が安定した生活ができるような道をつけていくことだと考えた。」

 これが戦後の初心である。食料自給を真剣に考える事が地域振興につながり、地産地消の徹底が、過疎や高齢化の問題の解決にもつながる。

再び話は三月の国会のことに及ぶが、ただでさえ生物遺伝子の蓄積で遅れをとっている日本が、「種子」の「ほ場」整備のための法律を廃棄してしまったというのは、いったい当局者の連中は何を考えているのか。これは、近世から近代、そして戦後の日本の歴史についての知識がないからだろう。また、民俗学も歴史学も詳しく学んだことがないからだろう。さらに専門分化した学問を収めながら、それを統合して自分の頭でものを考える知性を養って来なかったためだろう。

今こそ宮本常一や、木島始の推奨する本を読んでみよう、ということである。