時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(五百五十二)

2011-02-15 05:55:24 | 蒲殿春秋
範頼は思う。
戦しなければならない世の中とは言え自分達はあまりにも多くのものを殺してきたと。
そして殺すことを命じ続ける立場であったことを。
その殺戮の激しさは保元平治とは比べ物にならぬほどとなっている。

少しばかりの供養をしたところで殺された者達の怨念を抑えきれるものでは無いであろう。
いや、自分達の罪は殺すということにとどまらない。
軍を動かすために略奪もした、家々を焼き払うこともした。
名も無き人々を苦しめてきたのである。たとえそれにどんな大義があろうとも。

恐らく姉もそのことは察しているだろう。
けれども姉は供養を続ける。

徒労に終わるかも知れない供養だが、姉は必死に供養を続ける。
少しでも弟達を守りたいが故に・・・・

範頼はじっと姉を見つめていた。
供養に明け暮れる姉は幼い頃自分の面倒を見てくれた姉と何一つ変わっていないことがわかる。

姉は弟達を世話するのが好きだった。母を同じくする弟もそうでない弟に対しても姉は常に優しさで包み込んでくれた。

そしてそんな姉を範頼は心の底から敬愛していた。
今も・・・・

現在の範頼の立場は複雑なものである。
だが、このことだけは強く思った。
何があっても自分はこの女人(ひと)の弟であり続けたいと。

姉に供養される人物は西国の者達に留まらない。
一条忠頼らの甲斐源氏の面々も供養されている。
姉のもとにも東国における甲斐侵攻の話が伝わっていた。

この供養に関しては範頼は複雑なものを感じている。

甲斐源氏と範頼の縁は決して浅いものではない。
兄頼朝が挙兵した際、範頼は着のみ着のままで甲斐国に逃げ込んだ。
そして甲斐源氏の保護を受けた。
その後安田義定と提携して遠江国、そして三河国へと進出した。

今回の木曽攻めや平家攻めも甲斐源氏の人々と共に出陣した・・・・

そのような範頼の元に甲斐攻めの詳しい話が逐次伝わってい来る。
甲斐源氏でも頼朝に最後まで抵抗したのは武田信義で、甲斐源氏の中でも加賀美長清や石和信光はむしろ積極的に甲斐陥落に手をかしたらしい。
甲斐源氏の分裂は深刻なものになっていたのである。

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