時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(五百四十七)

2011-02-02 05:50:59 | 蒲殿春秋
後白河法皇はご自分の意のままに動く武力を欲しておられた。

かつて白河院が源義家、平正盛を
鳥羽院が平忠盛、源光保などの武士達を思うがままに従えていたように。

治天の君たるこの二代の上皇は強大な権威をそして徐々に増やしていった膨大な経済力
そして意のままになる武力を用いて朝廷に君臨し、年貢の徴収、治安維持そして
そのころ急速に力を伸ばし始めた寺社勢力への牽制を行なっていた。

だがその二代の上皇に比して後白河法皇の治天の君としての立場は極めて弱いものである。

そもそも即位自体が二条天皇即位の為の中継ぎとしての即位であった。それゆえに院としての権威が弱い。
その上、莫大な皇室領の殆どを異母妹宮の八条院が相続してしまった。後白河法皇を支える経済基盤は弱い。
さらに天皇として即位されてから保元の乱、平治の乱、平家との対立、寺社の強訴、そしてこの治承寿永の乱と動乱続きであり、さらに都の治安は悪化の一途を辿っていた。

ゆえに法皇は武力を求められる。それも自らに忠実な武力を。

だが、法皇に求められた武力の持ち主は法皇に対して忠実ではなかった。

当初法皇がご期待されていた源義朝は結局後白河法皇のもとを離れ藤原信頼に従い平治の乱で敗れ去った。
平清盛はその力が強大だったがゆえに法皇とは別個の政治勢力の中心となってしまった。
清盛亡き後の平家を追い払った木曽義仲は最初からその方向性は法皇の別のものであった。

そして現在最も法皇にとって望ましい態度を示す有力武士は鎌倉の源頼朝をおいて他には無い。

だが、その頼りにしたい源頼朝は鎌倉に籠もったきり上洛しない。
そして一度も上洛しないままに「知行国主」になることを欲している。
本来知行国主は都にあって朝廷に奉仕するべきものである。
それがその身を東国においたままで東国三ヶ国の知行国主であることを頼朝は望む。

法皇は頼朝のみが自らたのむべき武力であることをご存知でありながら、
その頼朝が上洛しないことを不満に思われている。

上洛せぬかぎり知行国主にはしたくない。だが、頼朝のその願いを完全に無視するわけにもいかない。
法皇は困惑されている。

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