おはようございます。
久々に「たわごと」書きです。
さて、こちらのブログでは治承寿永の乱(源平合戦)の頃を書いていますが、
もう一つのブログでは(当初はそんなつもりでは無かったのですが)
保元平治の頃を中心に書いています。
この両方の時期を平行して書いていると自分の中で混乱がおきます。
治承寿永の頃と保元平治の頃では世の中の仕組みや社会情勢や、人々の意識が違いますし、戦乱の規模も全く違います。
近いけど違う時代を書いている気分になります。
ですから、近い日付で両方のブログを書いているときは頭の切り替えが必要になってきます。
また、治承寿永の頃と保元平治の頃に共通して出てくる人物がいます。
源頼朝です。
治承寿永の頃は、「鎌倉殿」として、御家人達の上に立つ存在であり、
夫であり、父であり、弟達の兄であり、政治的重要人物でもあります。
しかし、保元平治の頃は元服したての坊やで、父親にくっついている息子で、兄達もいて、政治的にもそんなに意味のある立場にはいません。
一人人物を書くとしても登場する時代によって書き方が違ってくるものだと現在実感しております。
余談ですが、
もしこの先承久の頃を書く機会があったとしたら、
源頼朝は半ば神格化された人物として書かれるでしょうし、
このブログで登場する他の人物でも
青年江間(北条)義時は老獪な政治家、少年小山(結城)朝光は治承寿永期を生き抜いた長老扱い
土肥実平、梶原景時は故人として書かれることになるでしょう。
一人の人物をどの時代の目線で見ると描き方にどのような変化がおきるのかというのも
、一種の興味がわいています。書いている本人がいうのもなんですが。
さて、
来年の大河「平清盛」は清盛に若い時代を中心として描くらしい
ということで私は非常に興味をもっております。
小説やドラマに登場する清盛は
中年以降が描かれている場合が多いので
「貫禄ある大物」というイメージが張り付いていて
「若い清盛」というイメージはわきにくいものが世の中にはあると思います。
来年「若い清盛」はどのように描かれるでしょうか?
久々に「たわごと」書きです。
さて、こちらのブログでは治承寿永の乱(源平合戦)の頃を書いていますが、
もう一つのブログでは(当初はそんなつもりでは無かったのですが)
保元平治の頃を中心に書いています。
この両方の時期を平行して書いていると自分の中で混乱がおきます。
治承寿永の頃と保元平治の頃では世の中の仕組みや社会情勢や、人々の意識が違いますし、戦乱の規模も全く違います。
近いけど違う時代を書いている気分になります。
ですから、近い日付で両方のブログを書いているときは頭の切り替えが必要になってきます。
また、治承寿永の頃と保元平治の頃に共通して出てくる人物がいます。
源頼朝です。
治承寿永の頃は、「鎌倉殿」として、御家人達の上に立つ存在であり、
夫であり、父であり、弟達の兄であり、政治的重要人物でもあります。
しかし、保元平治の頃は元服したての坊やで、父親にくっついている息子で、兄達もいて、政治的にもそんなに意味のある立場にはいません。
一人人物を書くとしても登場する時代によって書き方が違ってくるものだと現在実感しております。
余談ですが、
もしこの先承久の頃を書く機会があったとしたら、
源頼朝は半ば神格化された人物として書かれるでしょうし、
このブログで登場する他の人物でも
青年江間(北条)義時は老獪な政治家、少年小山(結城)朝光は治承寿永期を生き抜いた長老扱い
土肥実平、梶原景時は故人として書かれることになるでしょう。
一人の人物をどの時代の目線で見ると描き方にどのような変化がおきるのかというのも
、一種の興味がわいています。書いている本人がいうのもなんですが。
さて、
来年の大河「平清盛」は清盛に若い時代を中心として描くらしい
ということで私は非常に興味をもっております。
小説やドラマに登場する清盛は
中年以降が描かれている場合が多いので
「貫禄ある大物」というイメージが張り付いていて
「若い清盛」というイメージはわきにくいものが世の中にはあると思います。
来年「若い清盛」はどのように描かれるでしょうか?
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