時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(三百三十三)

2008-12-29 05:47:35 | 蒲殿春秋
小松一門たる平維盛が妻子とのつらい別れを行なった前日、
つまり一門が都落ちをする当日門脇殿と呼ばれる平教盛邸宅においても悲しい別れが行なわれていた。
藤原成経の妻などの娘やその婿そして孫たちとの別れであった。
中でも遅くにできた末娘教子との別れは悲痛を極めた。
遅くに出来た子ゆえ父にとりわけ可愛がられて育った教子にとって父との別れはひとしお辛いものに感じられた。
教子はまだ歩き始めてばかりの二歳の娘を抱えて父との別れの挨拶をした。
その教子の肩を優しく抱きかかえているのがその夫の藤原範季。

「義父上、よろしければ都に留まりませぬか。」
そう声を掛けたのが、娘婿のうちの一人の藤原成経。
教盛が都落ちをするその頃には都中に後白河法皇逐電の噂が知れ渡っていた。
院近臣である成経は後白河法皇と舅教盛との間を取り持とうというのである。
成経は都落ちする平家の行く末に暗いものを感じていた。
都落ちするよりも今までの縁を頼って教盛が後白河法皇に従い都に留まるほうが良いと思われた。
教盛自身も院に近く仕えたこともあり、法皇の同母の姉宮上西門院に今も仕えている。
後白河法皇もしくは上西門院に頼み込めば、教盛は都に留まることができるかも知れないと成経は考えていた。
かつて鹿ケ谷と呼ばれる事件で流罪となった成経の生活の糧を送り続け
その赦免にも力を尽くした舅に深い恩義を感じている。
その舅ががこの先もなんとか立ち行くようにしたいと成経は思っていた。
成経は自分が後白河法皇や上西門院と教盛との間に立つ覚悟はできていた。

だが教盛の答えは否であった。
「倅達を見捨てるわけにはいかんのでな。」
という。
教盛の子通盛と教経は再三北陸に攻め込んでいた。
よって今回都に攻め寄せる義仲に味方した北陸の豪族達からは深い恨みを買っている。
反乱勢力が通盛と教経を許すとは思えない。都に入るやいなや法皇の制止が掛かる前に通盛と教経は彼等に殺されるであろう。

教盛はふと遠くを見つめた。
「此度の寄せ手が鎌倉勢であったら事情が違ったかもしれないが・・・」
視線をふと範季に向けた。
婿高倉範季が鎌倉殿源頼朝の弟源範頼を密かに養っていたことを教盛は知っていた。
そして、教盛自身平治の乱以前に上西門院に仕えていた頼朝と顔見知りであったし
乱以降も頼朝の外戚熱田大宮司家との付き合いもあった。
木曽義仲が何者かを知らぬ人々が多い中で、教盛は鎌倉勢と今回都に迫った勢力は別物であることは承知していた。婿の範季が時折伝えてくる知らせによって。

教盛は愛しい娘や孫たちを見つめた。そして語りかける。
「この先何があるか分からぬが息災でいなさい。何があっても生き延びるのだよ。」
そして婿たちにいう。
「娘を頼みます。」
それだけ言うと馬上の人となり息子達や郎党らを引き連れ西へと去っていった。

伊勢平氏略系図


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