時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(三百三十二)

2008-12-28 06:25:09 | 蒲殿春秋
清盛のかつての後継者であった清盛長男の故重盛の子やその郎党たちも一門から離反寸前であった。
重盛の次男資盛も郎党平貞能と共に都に程近い山崎に出陣していた。
その資盛の元に兄維盛や弟清経などの兄弟が集まってくる。
兄弟たちから一門都落ちの報を聞く。
時をほぼ同じくして後白河法皇が身を隠したことも聞く。
資盛らは都に戻った。頼盛同様院に付いて都に留まることをを図った。
資盛らは院近臣である縁戚らに法皇への取次ぎを願った。
けれどもだれも取り次ぐものはいない。
一晩都で伝を辿り続けたけれども、法皇に取り次いでくれるものを探すことはできなかった。

仕方なしに小松一門と呼ばれる重盛の子等は先に西国へ向かった宗盛らを追って都を落ちた。
資盛はかつて男色関係にあった後白河法皇を恋い慕いながら都を後にし、その兄維盛は院近臣であった藤原成親の娘である妻やその妻との間にできた子と痛切な別れをした。

一方、郎党平貞能は今は燃え落ちた六波羅屋敷に戻りかつての主君平重盛の墓を掘った。
敵に主の墓を暴かれ遺骨が辱めにあってはならぬと思い、重盛の遺骨を全て拾い集めて首に掲げた。
そして主君の遺骨を捧げもって宗盛らが待つ福原を目指した。
福原へ行く際、今まで平家と共に戦ってきた東国武士達に故郷に帰るように勧めた。
畠山重能、小山田有重、宇都宮朝綱などがその勧めに応じて東国へと下る。
中でも今まで懇意にしていた宇都宮朝綱には格別の配慮をした。
この彼等の帰郷が坂東に新たな火種を持ち込むことになるのであるがそれは後の話。

福原に赴かなかった平家の郎党達は少なくない。
上総介藤原忠清など数名のものは都にとどまり、平田家継は所領のある伊賀へと下った。

伊勢平氏略系図


前回へ 目次へ 次回へ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ


最新の画像もっと見る

コメントを投稿