時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(三百三十一)

2008-12-27 10:58:24 | 蒲殿春秋
平家一門に混じって摂政基通が西国を目指して出発した。
ところが、その基通の車が途中で消えた。
平家一門が気が付いたときには基通は行方をくらませた後だった。

平家が奉じる安徳天皇は幼帝である。
この幼帝を支えるのは治天の君である後白河法皇と摂政基通である。
治天の君が不在となった今、安徳天皇の正統性を主張するには摂政の存在が必要不可欠である。
成人の天皇でさえ関白が存在するのである。
ましてや幼帝ならば摂政なくば立ち行かない。
この時代誰でも摂政になれるわけではない。
摂関家に生まれしかるべき官位を経験した成人男子しか摂政になれない。
このとき平家は現摂政基通しか摂関家の男を同行させていなかった。
今までのいきさつと一門の婿であるという事で平家は基通は自分たちに同行するものと信じて疑っていなかったのである。

摂政不在の幼帝。安徳天皇の正統性はますます弱まることになる。

基通は故清盛の娘婿であり、妻の姉である義母盛子に養母として支えてもらっていた。
叔父基房を退けて摂政の座を射止めたのも清盛の力があってのことだった。
いわば基通は平家の身内ともいってもよい存在である。
その身内に平家は離反されたのである。

身内の離反は基通に留まらない。
清盛の異母弟頼盛は甥である平家総帥宗盛の要請を受けて山科に出陣していた。
出陣中の頼盛への西下出発の知らせが届くのに時間がかかった。その知らせが届く頃には頼盛は後白河法皇逐電の噂を耳にしていた。
頼盛は都落ちする平家一門とは同行せず、武装を解除した上で都に戻り自身が長年仕えている八条院の御所へと参上した。
『自分は一門には同行しない。自分はあくまでも院に忠誠を誓いたい』そのような旨を院ー後白河法皇に取り次いで頂きたいと頼盛は八条院の女房である妻を通じて八条院へ申し上げた。
頼盛の妻は八条院の乳母子である。
八条院は以仁王が討ち取られた際その遺児の皇子を平家に引き渡すよう要請した頼盛に未だ不信感を抱かれていた。
けれども長年忠実に仕え続けている乳母子を通した頼みゆえに八条院は後白河法皇への取次ぎを渋々了承された。

伊勢平氏略系図


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