星を見ていた。

思っていることを、言葉にするのはむずかしい・・・。
良かったら読んでいってください。

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天使が通り過ぎた(23)

2008-02-23 04:58:47 | 天使が通り過ぎた
いったん流れ出した涙は、止まることを知らなかった。自分を憐れむのは格好悪いことだと分かっていながらも、感情をうまく統制することが出来なかった。しゃくりあげている訳ではなかったので、ただ音もなく、涙が薄い水のように目から流れてくる。心の中で、通彦が荷物を取りに来いと言ってくれるのを少し期待していた。あと一回だけ、それでもう本当にさよならをするから会いたいと、そう思った。だが通彦は見事に私の期待を裏切った。
「じゃあ荷物はこっちで勝手に処分するから。いいかな。」
事務的な言い方だった。
「いいわ。」

これで用事は終わったのだろう。暫く受話器の向こうからは物音ひとつしなかったが、やがて溜め息のような息を吐く音がかすかに聞こえ、「じゃあ。」と通彦は言った。
「じゃあ。」「さよなら。」
さよなら、という言葉は、付き合っているときには絶対に使わない言葉だった。またね、とか今度ね、とか次に繋がる言葉を使った。さよなら、と言うと、それは永遠に合えない者同士が使う言葉に思えたからだった。でも今は、さよなら、がいちばん適している言葉に思えた。
暫くすると電話は切れてツー、ツーという音が流れた。電話を持っていた左手は強ばって痺れていた。左耳は携帯のボディを強く当てすぎて痛かった。私はものすごい力で携帯を握り締め、それを耳に押し当てていたのだった。

掌にある携帯のディスプレイを、数秒呆然と見つめた。やや暫くすると画面は暗くなり、それから蓋を閉じた。パチン、という音と共に顔を上げると、軒下でこちらを見ていたケンイチさんと目が合った。恥ずかしいという感覚すら起こらないくらい、私の頭の中は通彦のことでいっぱいだった。もう、何も可能性はないのだと、何もかも終わったんだと思った。ケンイチさんは少し困ったような顔つきをしながら、こちらに近寄るべきかもっとそっとしておくべきか迷っているようだった。私は、涙の訳のための嘘を、うまく思いつくことができないなと頭の中で思った。

「大丈夫ですか?」
ケンイチさんは静かに店の中に入ってくると、その風貌と動作に似つかわしいように静かにそう言った。
「ごめんなさい。」涙の跡を指で押さえながらそう答えた。「色々あって・・・。」
ケンイチさんはまたこちらをただ黙って数秒見つめていた。そこには特に、憐れみの表情とか困惑とかそういったあからさまな表情は読み取れなかったが、やや固い、真剣な顔をしていた。電話の会話は聞き取れていなかったと思うが、何か事情があるのだろうと彼なりに察し、だが勝手に踏み込むのも悪いと思っているのだろうと感じられた。

「別にどうってことないんです。」私はもうどうでもいいやと半ばなげやりにこう切り出した。ここまで醜態をさらしておきながら、何でもないですと言うのも失礼なのではと思うと同時に、ケンイチさんという人がどういう人物かほとんど分かっておらず、それは勘のようなものでしかないのだけれど、さらっと話しても特に危険はないように思った。

「先週付き合っていた人に振られてしまって、それで一人でここに来たんです。」
 ケンイチさんはただ黙って私の言葉を聞いていた。驚いた様子は特になく、そのまま黙って私が何か言うのを待っていた。
「もう終わっていることなんです。だから大丈夫です。取り乱してすみませんでした。」
「そうですか。」
 私自身どうしていいのか分からない空気が流れていたので、私が発生させたこのペースの乱れは、私から解消しなくてはと思った。
「行きましょうか。」「ケンイチさん、お帰りになるの遅くなってしまいますね。」
 私がそう言うと、穏やかな表情でケンイチさんは答えた。
「私は別に急がないのでいいんですが。でも、そろそろ行きましょうか。」

 私たちはまたメタリックブルーのこじんまりとした車に乗った。雨はほとんど上がっていて、厚い雲の間にところどころ切れ目ができて、そこから少しだけ青い空が見えた。

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