星を見ていた。

思っていることを、言葉にするのはむずかしい・・・。
良かったら読んでいってください。

天使が通り過ぎた(最終章)

2008-07-05 15:04:47 | 天使が通り過ぎた
「じゃあ、今はどうなの?」
「え?」
 健一さんが尋ねてきた。
「今も、まだ、何もかも差し置いて香織さんの意識を真っ先に占めているのかな。つまり・・・」
「振られた彼のことを、ってことですか?」
「そう。」
 私は健一さんがそんなことを聞いてくるとは思っていなかったので、こんなことを聞かれたことに少し驚いてしまった。
「いえ。」「もう、もうそんなことは無くなりました。」
 答えてから、そういえば最近はそんなことも無くなったなあと気が付いた。振られた直後の、何を見ても何を聞いても通彦との思い出につながっていったあの感じとは、今は違っていた。あの時は、時が解決してくれる、という陳腐な言葉を、信じられない自分がいたけれども、時というものは自分では気が付かないうちに、当たり前のように過ぎ去り優しく記憶を遠いものにしてくれるのだなと、そう思った。
「それはよかった。」
 
 健一さんは穏やかに微笑んだ。そしてしばらくの間こちらをずっと見ていた。見つめていた、と言ったほうがいいかもしれない。数秒たっても数十秒たっても目を逸らさないので、私のほうも目を逸らすことが出来なかった。その間、周囲のざわめきだけが聞こえていた。部屋の隅の厨房でカラトリーがぶつかる音や、人々の話し声やそんなものが、まるで遠い場所から聞こえてくるようにくぐもって耳に入ってきた。私たち二人のまわりだけが、見えないベールになっていてその中だけが静かな空間になっているようだった。
「今ね、天使が通り過ぎたんだよ。」
「え?」
 健一さんが何を言っているのかよく分からなかった。
「続いていた会話がふっと途切れて沈黙することを、天使が通り過ぎる、ってフランスでは言うらしいよ。」
「天使?」
 私は健一さんがシュトーレンと一緒に送ってくれた葉書に印刷された、赤ちゃんのような天使を想像した。
「それって、天使って、キューピッドのことなのかしら。」
 その赤ちゃんみたいな天使はキューピッドのことだと思っていた。
「うーん、どうかなあ。」
「違うの?」
「ほら天使と言ってもね、いろいろあってね、何だっけな、おじさんみたいな天使の出てくる映画もあったよね。人間に恋をする。」
 私は見たことはなかったけれどドイツの白黒の映画を思い出した。
「ああ、そっか。そんな映画ありましたね。あれも天使なのね。そういうおじさんの天使が出てくる小説があったわ、そういえば。天使なのに見世物になっていて、ひどい扱いを受けて石とか投げられて。よれよれで。」
 
 一瞬止まった空気はこんなくだらない会話ですぐに雰囲気が変わった。
「香織さんにもう一度会いたいなと思ったのは、まったく沈黙が気にならなかったからだと思う。あの時あなたは最悪の状態で、僕はコーヒーを引っ掛けるし、もしかしたら自殺してしまうんじゃないかって少しは思ったのもあるのだけれど、それよりも、そんな最悪な状態でいたのにも関わらず、なんかその中に何か惹かれるものがあったのかもしれない。それが何かはよく分からないけれど。」
 健一さんは淡々と喋った。それはせりふとしてはかなり大胆なことを言っているように思えたけれど、あまりにも健一さんが普通に淡々と話すので、私はどう答えていいのか良く分からなかった。分からなかったけれど、それは嬉しいという気持ちに近かったのだと思う。
「じゃああの時は、天使が何十人も何百人も通りすぎたかしらね。」
「そうかな。」
「私あまり話しもしなかったし。むっつりとして。だからおじさんの天使がぞろぞろと。大行列。」
「なんでおじさんの天使だけなんだい。かわいい天使はいないのか。」
 私たちは笑った。私は自分が会話をするのが不得意であるということを、こんなに肯定的に考えたことはなかった。だから私は、健一さんと話していてもあまり緊張しないのかもしれないと思った。そういう風に感じる人というのは珍しかった。
 
 「昔そういえば、クリスマスのプレゼントにろうそく立てを貰ったことがあってね。ろうそくの熱でくるくると天使が回る仕掛けになっているの。天使が4,5人、矢を拭きながらくるくると回るの。そのおもちゃを見るとね、なんだかクリスマスだなあと思ったわ。ほんわかした気持ちになれたというか。それを今思い出した。もう忘れていたけれど。」
「そう。」
「私久しぶりになんだか楽しいクリスマスを過ごせたわ。健一さんのおかげで。」
 私は本当にそう思った。気を使わずにこれだけリラックスして食事ができたのは、とても久しぶりなような気がした。
「またこうして会えるのかな。」
 健一さんは私を見てさり気なくそう言った。私もさり気なく答えた。
「もちろん。健一さんがよければ喜んで。」

 店を出ると寒さは一段と厳しくなっていたけれど、お酒も飲んでいたし食べたばかりなのでそれほど寒いとは思わなかった。なんとなく行きかう人は皆浮かれているように見えた。皆お洒落をして、パーティか何かに行ったり、人に会ったりプレゼントを交換したりしたんだろうと思うと、私は自分が少しはしゃいだ気分でいるのも不思議ではないと思った。
「今日はありがとうございました。」
「いえいえ。こちらこそ急なお誘いで申し訳なかったです。」
 駅に着き改札の前まで来ると、なんとなくお互い言いたいことがあるような素振りで、少しの間沈黙が襲った。でもそれは心地のよい沈黙だった。私たちはもう、相手のことを少しは知っている。この間のように、連絡先も分からじまいということではない。
「メールしますね。というかメールしてもいいですか?」
 私は言った。
「そうだね。」「そしてまた会おう。」
 健一さんは短く言った。そしてお互いに「じゃあ。」と言って健一さんは東京方面に、私は私鉄乗り場に向かった。健一さんが私の乗り場まで送っていくと言ったけれども、私は大丈夫だからと断った。もう夜も遅かったし、それに私は暖かい気持ちに包まれていた。
 私は振り返った。クリスマスの夜の人ごみの中に健一さんの後姿が見えた。健一さんがこちらを振り返った。お互いに微笑んだ。

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天使が通り過ぎた(31)

2008-05-27 20:26:45 | 天使が通り過ぎた
 私がカクテルを何杯かと、健一さんがビールを何本か飲んだ頃、私は随分と久しぶりに自分がくつろいで陽気な気分でいることに気がついた。たったこれくらい飲んだくらいで、酔っ払うほどでもないのに。
 「私、本当を言うと、あの時、健一さんに駅まで送って頂いて車を降りたとき、 どうしてアドレスを聞いておかなかったんだろうって、すごく後悔したんです。」
言いながら、それほど自分では酔っていないと思っていたけれど、口は軽くなっているなあと感じた。
 「僕もそう思った。」
 健一さんは穏やかな顔でそう言った。私は少し、意地悪な質問をしたくなってしまった。
 「もしかしたら、わざわざこの日を狙ったのですか?クリスマスイブなら、誘いに乗るかなあと。」
 「いや。特にそんなつもりはなかったのだけれど。香織さんから電話が架かってくるなんて、正直思わなかったから。それにもっと早く何か送ろうと思っていたけれど、ちょっと忙しかったので、クリスマスの物なのに、ぎりぎりになってしまって。」
 私はそんなことはどうでもいいのかもしれないと思った。どんな経過であれ、今日こうして楽しい時間を持てたのは私にとってはよいことだったのだから。
 「女の人って、どうなのかな。仕事で忙しいとか、そういうことって理由にならないんだよね。」
 「え?」

 それから健一さんは、長い話を始めた。もっと若いときに付き合っていた人が、自分が長期に海外出張して放ったらかしにしていたら、ノイローゼのようになってしまって自殺未遂をしたこと。私と仕事のどっちが大事なの、とヒステリックに詰め寄られたこと。
 「僕は、女の人の心理っていまいちよく分からないのだけれど、彼女は僕が彼女か仕事のどちらかを取るのってことは、他に選択肢がないことのように思っていたみたいなんだ。僕は今より若くて、正直その頃は仕事のほうが大事だと思っていた。彼女のことは好きだったし、それなりに大事にしていたつもりだったけれど、仕事は仕事、恋愛は恋愛で、どちらかを選択する、なんて意識はまったくなかった。どちらも別のこととして存在しているものと思っていた。でも、彼女は、多分恋愛がすべてだったんではないかなあと思うんだ。」
 話を聞きながら、それはまるで少し前の自分に言われているように思えた。
 「ああ。でも彼女の気持ちは、分かるかもしれないです。」
 私のからっぽのグラスを見て、「おかわりは?」と健一さんは尋ねた。
 「私も健一さんと同じやつ飲んでみたいな。」
 先ほどから健一さんの飲んでいる、テキーラのグラスを店員さんがボン、と叩く飲み物がとても気になっていた。
 「大丈夫なのかな?」
 「大丈夫。」
 万が一泥酔したら、タクシーでここから帰ろう、と頭の隅で思った。
 「恋愛に対する依存度が、女のほうが高いのかもしれませんね。」
 お酒を飲んでいるせいか、私はいつもよりずっと饒舌だった。
 「そうみたいだね。」
 「頭では分かっているの。仕事で忙しいんだろうなあ、とか。仕事と私どちらが大事なんて、そんなことは馬鹿げていると。それに仕事に燃えている男の人って、素敵だと思うわ。多分恋愛にうつつを抜かしている腑抜けた男よりも、仕事に一生懸命な男の人のほうが格好いいと思う。でも、そう分かっているんだけれども、恋愛をしているときの精神構造って、そうじゃないのよね。何を差し置いても、その人と会うことしか考えていないっていうか。まず第一番に、何よりも先にその人のことを考えている。常に。毎日普通に生活しているし、仕事もちゃんとしているし、家族ともコミュニケーションきちんととっているし、友達とも付き合うし、でも、それでも意識のいちばん最初には、好きな男の人のこと、考えている。」
 私は話しながら、なんで健一さんにこんなことべらべら喋っているのだろうと、半ば客観的にそう思った。健一さんはそんな私を見て、やはりニコニコと微笑んでいた。

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天使が通り過ぎた(30)

2008-05-17 10:29:57 | 天使が通り過ぎた
 予想していた通り、クリスマスイブのこの日、ちょっと雰囲気の良い店はどこも予約客や順番待ちの列でいっぱいだった。何軒かの店を諦めたあと、以前何度か来た店を思い出し行ってみるとちょうどそれほど込んでいなかった。メキシコ料理の店だった。
「健一さん、タコスとか好きですか?」
 賑やかな店内をちらと覗きながら、私は聞いてみた。
「テキーラ?大丈夫ですよ。」
 私たちは運良く、たまたま席が空いた窓際の席に通された。20階建ての最上階にあるこの店からは、街を彩る煌びやかな夜景が見渡せた。
「きれいね。」
 ありきたりな言葉を呟いた。だがこの店は何度か来たことがあったけれども、広い窓からの景色は、何度見ても夜は特になかなか見ごたえがあった。

 店内は若い人のグループや陽気に騒ぐ外国人達や家族連れやもちろんカップルもいた。クリスマスのしっとりしたムードではなく、南米料理屋らしく明るく賑やかな雰囲気だった。タコスやトルティーヤやアボガドのサラダなどを一通り頼むと、とりあえず乾杯をした。
「じゃあ、また会えたことに。そして香織さんが元気だったことに。」
 健一さんはそう言うと、瓶のまま来たビールを少し持ち上げて私のカクテルのグラスにカチンとぶつけた。
「乾杯。」
 今日急に会うという展開になって、少し不安や戸惑いがあったものの、こうして向かいあって座っていると、まるで今までずっと友人かなにかの知り合いでいたような感じがしてきた。もう緊張感はなく、私はすっかり健一さんといるペースに馴染んでいった。
 「香織さんは、あの時の香織さんとは別人のようですね。」
 トルティーヤのチップスをつまみながら、健一さんはまじまじと私を見て言った。
 「そうですか?」
 私は不意に、あのとき健一さんが、あなたが自殺をしなくてよかったと呟いたのを思い出した。
 「そういえば、私が自殺するんじゃないかと思った、って言ってましたよね。そんなに私は死にそうな顔をしていたんでしょうか?」
 健一さんはしばらく考え込んでいるかのように間を置いて、それから言った。
 「そうですね。なんというか、魂が抜けてたっていうか。」
 私は笑いそうになった。確かにあの時の私は、心ここにあらずで、通彦を未練がましく思うことでいっぱいいっぱいだったのだ。
 「でも今日の香織さんは、かなり吹っ切れたような感じがに見えますが。」
 健一さんがこちらを向いた。店内の薄暗い照明のせいか、陰影のついた顔つきは先ほどの印象とは少し違って見えた。もしかしたらこの人は、優しそうという第一印象に隠れてしまっているけれど、かなり整った顔をしているのかもしれないと思った。
 「そうですね。もう、あの時のように、自分が不幸のどん底にいるとは思っていないから。」
 確かに、あれからずっと引き篭もりがちで、お世辞にも社交的とはいえない自分をもて余し気味だったけれど、あの時の気分に比べたら、もう私は吹っ切れていると言ってもよかった。
 「なんだかこうして、楽しいと思って出掛けるのが、すごく久しぶりで。」
 私は感じていることをそのまま言った。
 「楽しいと思ってくれているのですね。それはよかった。」
 健一さんがその部分を繰り返したので、そういえば人見知りな自分が、こうして初対面も同然の人と打ち解けているというのが珍しいことだと改めて思った。
 「健一さん、ほんとうに今日は予定がなかったのですか?正直びっくりしました。もう二度と会うことはない方だと思っていたから。」
 私は正直に言った。あの日駅で降ろしてもらったとき、もう二度と、会うことはないと思ったのだ。
 「僕もそう思っていました。」「でも何でしょうね、僕はとても、話下手なんですよ。でも、香織さんと一緒だったあの僅かな時間は、僕にとって珍しく居心地の悪いものではなかったんですよ。」
 
 私たちは話をしながらもどんどん食べた。暖房がかなり効いていたのもあって、冷たい飲み物は進んだし、お上品に食べなくてもよい料理は私たちを余計にリラックスさせたのかもしれない。私は健一さんが、以前付き合っていた女のひとに、あなたはつまらないと言われた、と言ったことを思い出した。なぜそんなことを憶えていたのかといえば、自分とまったく同じだと思ったからだった。そして今健一さんが言ったことは、またしても自分がぼんやりと感じていたことと同じことだと思った。

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天使が通り過ぎた(29)

2008-05-11 14:54:16 | 天使が通り過ぎた
 健一さんとの待ち合わせの駅に電車が到着すると、駅前の木樹に施されたイルミネーションが白く輝いているのが見えた。職場から数駅の場所なのだが、家と職場をただ往復するだけの毎日を送っていた最近の私は、この場所のイルミネーションが今年はこれ程華やかになっているとは知らなかった。年々豪華になっている気がする。

 改札前は待ち合わせをする人でごった返していた。こんなに大勢の人の中から、たった一度会ったきりの健一さんを見つけることができるのだろうかと、少々不安になってきた。ざっと見回してもそれらしい人は居なかった。まだ待ち合わせには10分ほどある。人を掻き分けて改札前の端から端までを一回りした。柱の周りで待ち人を探している人達は携帯でメールをチェックしたりきょろきょろとしたりしていた。あちらの柱からこちらの柱に戻ってくると、ひょろりとした背格好の白髪まじりの人を見つけた。健一さんに違いなかった。

 私が近づいていくとあと5メートルほどのところで健一さんは私に気が付いた。相変わらず穏やかな顔をしていた。スーツの上にダッフルコートを着ているせいか、この間の時よりもいくらか若く見えた。健一さんと目が合うと何故か照れくさくなって、曖昧な顔をしながらそばに寄っていった。

 「こんばんは。」
 「こんばんは。」
 私たちは同時に挨拶をした。多分、端から見たら私たちは普通のカップルに違いなかった。
 「お久しぶりです。シュトーレン、ご馳走様でした。わざわざ送って頂いてありがとうございました。」
 健一さんはニコニコとしていた。その顔を見ていると私がここに来るまでに少しだけ抱いていた緊張感は解消していった。
 「お元気そうですね。だいぶお詫びが遅くなってしまって、申し訳ありませんでした。」
 ゆっくりと健一さんは言った。 
「そんなお詫びなんて。あの時雨の中を送って頂いたし、それにお茶もご馳走になってしまったじゃないですか。」
 私は慌てて返した。あの旅行のことが随分と昔のことのように思われ、またほんのこの間のことのようにも思われた。旅行先でいっとき会ったきり、二度と会うこともないと思っていた人を、こうして前にしているのが非現実的な感じがした。
 「行きましょうか。」
 何となく歩き始めたけれども、こんな日はどこもいっぱいであるに違いなかった。

 駅から10分程あるくと外資系のホテルやショッピングモールが並ぶ一角に出るので、そこに向かう大勢の人の流れに混じって歩いた。途中すぐ先に小さな遊園地があり、観覧車がきらきらと光の色を変え点滅させながらゆっくりと回転していた。その横で回転ブランコがイルミネーションの残像を残して流れるように回っている。こんな日は多分若いカップルがたくさんいてはしゃいでいるのだろう。職場から近いこの辺りはよく仕事の帰りに通彦と来たことがあった。観覧車や乗り物は最初の1,2回はどきどきしながら乗ったけれども、それからはあまり乗り物には乗らず、もっぱら夜景を楽しんだり空いているベンチに腰掛けて海を眺めたりして時間を過ごした。夏の花火大会のときに来たこともある。あの時ももの凄い人でごった返していた。人込みの中を、浴衣を着た私と通彦は手を繋いで歩いた。うだるような暑さと、慣れない下駄のせいで足が痛くなったのもあり、ロマンティックとは程遠かった。けれども、あの時はそれでもとても幸福だと思っていた。あの頃の通彦は最後の通彦とは違って、もっと柔らかで楽しくてそして優しかった。でもそれは、通彦と別れた秋から、さほど前のことではなかったのだと、考えながら思った。そんな通彦との思い出ばかりがある場所を、健一さんと歩いている、そう考えると何か不思議な心持がした。

「すごい人だ。やっぱり今日はね、仕方がないね。」
 健一さんはそう呟いて遠くを見た。でも口調とは裏腹になかなか楽しそうな顔付をしていた。
「そうね。クリスマスだから。こういうところ来たくなるんでしょうね。」
 今年はこんな場所には縁がないと思っていた。こんな日に、例え女同士でこの辺りを歩いても、それは何だか場違いな感じがしないでもなかった。それに女友達は皆、今日は彼と会っているはずなのだ。
 「あの、変なことを聞いてもいいでしょうか?」
 「いいですよ。」 
私は軽い気持ちで、思いついたことを特に下心もなく聞いてしまった。
 「あの、健一さんは付き合っている方はいないの?つまり・・」
 「つまり、こんな日に暇にしているからですか?」
 ずばりと健一さんは言った。
 「そう、ですね。世間の人はきっと今日はデートで忙しいでしょうから。」
 私は言ってから、馬鹿げた質問をしたと思った。
 「まあ、別に今日がクリスマスイブだからと、さして関係もないのですが。今日が「恋人と会う日」て制定されている訳でもないですしね。」
 健一さんはこちらを見ていたずらそうに笑っていた。
 「いえ、そういう方がいらっしゃるなら、こんな日に私と会っている場合ではないんではないかと、そう思って。」
 「僕はひとりですよ。」「もう随分とね。」
 その言葉を聞いてなぜかほっとしてしまった。でもこの時は、ほっとした自分の気持ちに気づいていなかった。


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天使が通り過ぎた(28)

2008-05-09 02:07:46 | 天使が通り過ぎた
 呼出し音は4回鳴った。もしかしたら登録されていない電話番号には出ないのかも、と思い始めた頃「もしもし」という声がした。久しぶりに聞く落ち着いた低いその声は、間違いなく健一さんの声だった。
「もしもし。桜井です。桜井、香織です。」
 私は健一さんが自分を認識できないかもしれない、と思いフルネームで名前を言った。自分をフルネームで名乗ることなど日常ほとんどないので、それは少し滑稽に響いたように思えた。それにもしかしたらフルネームを言ったところでぴんと来ないかもしれない、とも思った。
「ああ。香織さんですね。」
 そんな私の考えは関係なかったかのように、健一さんはまるで普段からよく私と電話をしているみたいに自然な反応で応対した。
「お久しぶりです。今お仕事大丈夫ですか?」
 私は久々の、しかもたった一度会っただけの人に電話を掛けているという緊張感で、どうして私はこの人に電話を掛けてしまったのだろうと思った。
 「大丈夫ですよ。お元気でしたか?」
「私は元気です。あの、メール読みました。それで健一さん、今どちらにいらっしゃるんですか?」
 私はあの一人旅行をしたときの、健一さんの車に乗った遠い場所を思い出していた。だが今この電話をしている健一さんは、ほんの数駅先の場所にいるようだった。健一さんの話を聞いていると、あの静かな落ち着いた顔が頭に浮かんだ。
「そうですか。」
私はいったい何を確認しようとしているのだろう、と自分で思った。私が言い淀んでいると健一さんが続けて言った。
「香織さん、今日はこんな日でお忙しくないのですか?近くに来たので、もしお暇ならと思って、あんなお誘いをしてしまいましたが。」
 私はこの声を聞いて、たった一度しか会ったことのない、しかもほぼ知らないも同然の人であるのに、こんなに懐かしさを感じるのは何故だろうと思った。緊張は健一さんの短い言葉で溶けてしまって、私はまるで旧知の友人に電話をしているような気分になった。
「いえ私も、こんな日なのに暇なのです。お恥ずかしいですが。」
「お恥ずかしい、ですか。」
 言いながら健一さんは笑った。
「では、こんな夜に暇な者同士、久しぶりにお会いしましょうか。7時半にどうでしょうか?」
 続けて健一さんは待ち合わせの詳しい場所を言った。
「分かりました。お誘いありがとうございました。」 
「こちらこそ。ご丁寧に電話をいただいて。ありがとう。」
少しの間沈黙が漂った。
「じゃあまた、あとで。」
「あとでまた。」
また同時に言った。私の口からは、何となく笑みがこぼれた。

先ほどまでの気分とは裏腹に、こんな日に急に出掛けることが決まった私は、まるでデートに出掛ける前みたいに、浮き立った気分で外出の支度を始めた。すっぴんに近かった化粧をし直し、きちんとマスカラをしてシャドウを塗った。着ていくワンピースにアイロンを掛け皺を伸ばした。何も塗っていない爪をコーティングし、久しぶりに気に入ったピアスを着けた。今日という日が、数ある他の日のうちの一日であったなら、さほど気にせずに家を出たのだろう。だが今日はクリスマスイブだった。それでここ数ヶ月引き篭もり同然でいた自分が、久しぶりに外出の楽しみを思い出したようだった。こんなに出掛ける準備を入念にするのは暫くなかったことだった。

「香織、出掛けるの?」
部屋と洗面所を行ったり来たりしている私に、母が声を掛けた。
「そう。友達が急に出てこないかって誘ってきて。」
それだけしか言わなかった。健一さんが友達かどうかはこの際関係なかった。母は下駄箱からロングブーツを出している私を横目で見ながら「そうなの。」と一言だけ言った。姿見で全身をチェックしている私を、母は何も言わず穏やかな顔で眺めていた。何か言いたげだったのだろうが、引き篭もっているよりこんな日に出掛ける娘を健全だと思ったのだろう。玄関を出るとすでに外は暗くなっていて、空気は昼間より一層冷たくなっていた。だが、私は何となく暖かい気分で満たされていた。

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天使が通り過ぎた(27)

2008-04-12 18:10:49 | 天使が通り過ぎた
 私は一瞬この人は誰と思ったがすぐにあのケンイチさんだと思い出した。私は勝手に、ケンイチさんの苗字は港という字を書くのだと思い込んでいたのでピンとこなかったのだ。名前を見て、ああ、こういう字を書くのだなあ、とまず思った。住所は東京だったけれども私にはそれが東京のどの辺なのか少しも検討が付かなかった。恐らく埼玉に近いほうの東京と思われた。シンプルな茶色の紙に麻紐のリボンが掛けられた、ややどっしりした包みをそっと開けると、そこにはシュトーレンが入っていた。私はあの日、健一さんが連れて行ってくれたパン工房を思い出した。包みと一緒に白い封筒が入っていて、開けてみるとクリスマスカードだった。白黒の天使の写真だった。カードをめくるとやや斜めに倒れた、まるで英文の筆記体のような癖のある字でメッセージが書かれていた。あの時のことをお詫びしますと言うことと、つい先日たまたまあちらに出掛けたので、何のお詫びもしていなかったのでこれを代わりに送ったと簡潔に書かれていた。メッセージのいちばん下に、名前とメールアドレスと電話番号が書いてあった。

 私が一通り包みを開け、メッセージを読み終わると一緒にいた母が珍しそうにシュトーレンを眺めた。
「珍しいパンね。旅館にベーカリーがあるの?」
 母には健一さんのことは話していなかった。話すほどのことでもないと思っていたし、あの旅行から帰ったとき、私はまだあまり家族とも口をききたくないという心境で、ざっと旅行の行程と何を食べたかくらいしか話をしていなかった。私は今さら事の顛末を話すのが億劫になり、母が旅館から何か送ってきたと勘違いしているのをいいことに何の説明もしなかった。
「クリスマスのパンよ。」
 カードだけをさっと抜くと自分の部屋に戻った。私は自分で、何かが静かに動いているのを感じた。あの雨の日と、狭い車からの視界と、静まり返った空間を思い出した。

 正直に言えば、あの日メールアドレスも電話番号も聞かずにさらっと別れてきてしまったことを、帰ってきてから少し後悔したのだった。でもそれは、旅で起きた特別な、非日常的なこととして、その後何のしこりもなく忘れ去られてしまうようなものだと思っていた。しかし、あそこまで壊滅的に打ちのめされていた自分が、旅行から帰って来たとき少し立ち直れたように思えたのは、健一さんと過ごしたほんの僅かな時間も関係しているのではないかと思ってもいた。そのことに対してお礼が言いたかったのだが、私は健一さんに関する情報を何も持っていなかった。確かに、旅館のおかみの知り合いなのだから、その方面から連絡先を知ることもできたのかもしれない。しかし、心のどこかで、あれは旅行中の一過性のハプニングであってその場で終わっておしまいなのだと思っていた。

 メールでお礼を入れようとすぐに思い立った。クリスマスイブの日だというのに、私は何の出掛ける用事も無かった。健一さんは、もしかしたら彼女とデート中かもしれない。こんな日だもの、と思いながらメール文を作成しだした。私は携帯メールを打つのが苦手で、ほんの短い文章を打つのにもひどく時間がかかる。パソコンのメールだったらいいのにと恨めしく思いながら、つかえながら指を動かした。簡潔に、シュトーレンのお礼とあの時はお世話になった旨を打って送信した。もし彼女とデートしている最中でも、メールだったら無視できるだろうと思いながらボタンを押す。

 メールを送ると予想に反してすぐに返信が来た。そんなことはないだろうと思っていた私は送信が終わると携帯をカバンの中に放っておいたままにしていた。カバンの中で携帯は鈍い音を立てて振動していた。もしかしたら健一さんではなく他の友達からのメールかもしれない、と思いながら開いて見ると、やはり健一さんからのメールだった。

 メール本文を読んでいくうちに、様々な疑問が頭の中に浮上してきた。最初に私のメールに対するお礼と、お詫びが遅くなったことが書かれていた。次に久しぶりだがあれから元気になったかどうかということが書かれてあった。そしてその次に今日自分はクリスマスイブだというのに仕事で横浜の近くまで来ているのだが、もし香織さんがお暇ならこれから会えないだろうか、ということが書いてあった。

 今日、これから会う??
 いきなりの提案にまずは驚いてしまった。
 どうして?
 次にそう思った。
 世界中の恋人たちがこの日に会わなければ罰が下されるとでもいうように、この日は会わなければならない日になっているけれども、クリスマスなんて本来日本人には特別でも宗教的でもないし、それによく考えたら恋人もいない者にとっては余計に普通の日と同じではなかろうか。だが、健一さんは今日たまたま仕事で、そしてやはり、世間のこの浮かれ騒ぎの中、一人でいるというのが何となく寂しくなってしまったのだろうか、と思った。
 健一さんがどこに住んでいるのかは住所を見て明らかだったが、考えてみたら健一さんはどんな仕事をしていてどこで働いているのかさえ知らなかった。それはそうだ。本名をどう書くかだって今日の今知ったのだから。

 私は健一さんが、社交辞令でお会いしようと言っているのか、それとももっと軽い気持ちで言っているのか、それとも意図があって言っているのか、判断ができなかった。だが、そういう気が無かったらわざわざメールの返事に今日お会いしましょう、とは書かないだろう、とも思うし、本当にたまたま近くまで来たから懐かしく(懐かしいというほどの時間一緒にいたわけではないが)思ったのかもしれない。

 私は随分と考えてから、メールではなく携帯の電話番号ボタンを押していた。またちまちました字を打つのが嫌だったのと、声を聞いたら真意が分かるかもしれない、と思いついたからだった。だがいちばんの理由は、あの時の声が懐かしくなってしまったからなのだと、自分では認めたくなかったがそう思った。

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天使が通り過ぎた(26)

2008-04-10 18:16:50 | 天使が通り過ぎた
「じゃあ僕も、」
 ケンイチさんはすこしおどけた風に言った。
「僕もあなたにコーヒーを引っかけてよかったのかな。」
 私はすこしどきどきした。それはどういうことだろう。
「どうしてですか?じゃあ私の気を引くために、わざと引っかけたのかしら?」
 私はすこし大胆なことを言った。もしかしたら、あなたと会えてよかった、とかそんなことを社交辞令として言うのだろうと思った。
「あなたが自殺せずにすんだから。」
 やはりおどけていた。私は慌てて言った。
「だから私、振られたことは間違いないんですけど、自殺なんかするつもりじゃなかったですってば。」
 ケンイチさんはニコニコとして運転をしていた。もしかしたら通彦からの電話のせいで、湿っぽくなった私を見てわざとおどけて明るい気分にしてくれているのかもしれないと思った。
「気をつけて帰ってくださいね。」
 ケンイチさんのその言葉で、私ははっとあたりを見回した。周辺の街の様子から、もう駅はすぐ近くの様だった。私は急に、なぜか寂しい気分になった。
「本当にありがとうございました。知り合いでもなんでもないのに、こうしてここまで送って頂いて。」
 ケンイチさんの車は人の多い駅近くの道路をしばらく走った後、駅前で停まった。交通量が結構あるのでのんびりとしている時間はなさそうだった。
「本当に気をつけて。」
「ありがとうございました。」
 同時に二人で挨拶をしながら、荷物と上着を持って車から降りた。私の中で、何か物足りないものを感じたが、だが私たちは特にアドレスの交換や電話番号のやりとりなどはしなかった。これで、もう二度と会わないのだろう。旅先で会った親切な男性は、穏やかな顔で私を見て、そして私がドアを閉めるとしばらくして発車させた。私はケンイチさんのメタリックブルーの車が、ロータリーを出て見えなくなるまで、ずっと見ていた。

 旅行から帰って数週間、私はだいぶ立ち直ることができた。毎日の生活のリズムが戻ってくると、また以前と同じように規則的に生活をした。朝起きて小さな会社に出勤して、こじんまりした事務所で仕事をし、夜になると家に帰る。夜になると寂しさが、波のように襲ってくるときもあった。寄りかかることのできる人がいないような、何か心に穴が開いたような、そんな感覚はまだまだあった。季節はどんどん寒くなって、私はますます家に閉じこもることが多くなった。そんな私を見て、友人は遊びに誘ってくれたり、大企業に勤める友達は乗り気でない私を合コンに無理やり引っ張っていった。有難いと思う反面、私はそんな気はさらさらなかった。通彦に言われた言葉は、あのショックの後もっと自分を磨こうという気分にさせたけれども、実際そういう場になると怖気づいている自分もいた。そういう席で交わされている会話は、ちっとも私には楽しめるようなものでは無かった。その場の一時的な馬鹿騒ぎとしか思えなかった。私が求めているのはそういうのではなかった。それでいつも、いっそう疲れて家に帰ってきた。

 年末になると周囲はクリスマスだとか何とかで華やかな雰囲気に包まれていた。私は相変わらず規則的な毎日と友人に誘われた場合意外は特に活動を活発にするわけでもなく、静かに生活していた。心の中はだいぶ平静を取り戻していた。通彦のことは、例えば何かの拍子にふと記憶が上のほうに昇ってくることはあっても、日がな一日通彦のことを未練たらしく考えているという状態からは脱していた。ただクリスマスの当日だけはさすがに堪えた。当然友人たちは彼とどこかへ行っているし、私はと言えば家にひっそりといた。あんなことがなければ私も通彦と幸せなひとときを過ごしているかもしれない、そう思った。街中の華やかやイルミネーションは私をげんなりとした気分にさせた。テレビをつけても気が滅入るばかりだった。
 
 母と二人、買って来たケーキを食べていると、家のインターフォンが鳴った。
「香織、何かあなたに荷物が届いているよ。どこ、これ?」
 母が玄関から居間に入ってくると、手に宅配便から届けられた荷物を持っていた。私はまったく覚えがなかった。最近通信販売をした記憶もないし、私宛にまさかお歳暮も届くはずは無かった。私は宛名に書いてある送り先住所と氏名を確認した。それはあの、通彦に振られた直後に泊まった旅館だった。
「へえ、たった一度宿泊しただけでお歳暮が届くの?たいした旅館だねえ。」
 母はもうお歳暮と決めてかかっていたらしく、そんなことを呟いた。私は「まさかそんな。VIP待遇じゃあるまいし。」と言いながら、何が届いたのか見当も付かなかないでいた。しかもあそこに泊まってから随分と日にちが経っているではないか。
「とりあえず開けて見たら。」
 母に言われ包みを解いてみると包みの中にもう一重包みがされていた。そこには旅館とは違う住所と、名前が書いてあった。名前は、湊 健一と書いてあった。

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天使が通り過ぎた(25)

2008-03-20 18:02:19 | 天使が通り過ぎた
 私が何と答えようかと思案しているうちに、ケンイチさんはぽつぽつと話始めた。
「僕はあまり、何と言うか、あまり口に出して物事を言わないんです。口下手なのかもしれない。それでいつもいつも、女の子と付き合うようになっても、つまらないわねと言われる。あなたは何を考えているか分からないとか、私のこと好きじゃないのでしょうとか。女っていうのは、いちいち言葉に出して言わないと分かってくれないのでしょうね。」
 私はそれについて、何と答えてよいのか分からなかった。それで黙っていた。しばらくの間車は静かに走り続けた。
「私にはケンイチさんは口下手のようには見えませんが。」
 ケンイチさんがかなり長い間次の言葉を言わないので、私は思っていることをそのまま口に出した。
「今まで付き合った数人にそう言われたので、そうなんだろうと思う。」「あなたはあまり話をしないから疲れると。そんなにどうでもいいこと喋ることって重要なのかな。」
 私はケンイチさんの言っていることは、分かるような気がした。私自身、同じようなことを通彦から言われたのだから。
「人によるのではないですか。ずっと喋らなくても苦にならないタイプの人と、そうでない人がいて。私は黙っていることが苦にならないのですが、私を振った人は、お前はつまらないと、もっと色々なことを話たかったんだって、そう言っていました。」
ケンイチさんは相変わらずまっすぐと前を見ていた。運転している最中は絶対横見をしないらしかった。ずっとずっとハンドルの向こう側をじっと見ていた。
「僕は冷たいって言われるんですよ。色々なことを延々と話されて、一体この子は何を言いたかったのかなって思う。で、僕は特にどうともないことを返す。女の子の興味のあることが、僕にとって興味のあることでないのかもしれない。かといって色々な女の子と付き合ったことがないので、そうとも言い切れないのかもしれないけれど。」
 ケンイチさんはどういう女の人とお付き合いをしていたのだろうかとふと思った。
「私、この間振られたことで、自分のどこがいけなかったのかを考えてみたりしたんですが」
 私は自分で、何でほとんど見ず知らずも同然のケンイチさんにこんなことを話し始めているんだろうと、心の中で思いながら言った。
「結局、自分に自信がないことがいちばんの原因なんではなかったかって。こんなことを話して何て思われるんだろう、とか、こんなことを言ったってつまらないと思われるんだろう、とかって、そういうことを無意識的に思いながら相手の反応に過剰すぎるほど敏感になりすぎて、それで身動きが取れなくなってしまったような気がして。」
 そうなんだろうか。自分で話していながらもよく分からなかった。
「だから、あまりよく知らない僕には、こんな風に喋れるのかな。」
 ケンイチさんの発言にどきっとした。的を得ているのかもしれなかった。
「んー。もしかしたらその通りかもしれません。」
 信号付近で少し車が多くなってきた。車が止まってケンイチさんはこちらを見た。
「正直言って、あなたを見たときに、この人は自殺するんじゃないかって思ったんですよ。」
「自殺?」
 私は訳が分からなかった。
「僕がチェックインしているときに、実は僕もあなたをちらりと見たのです。どこかから帰ってきたみたいだった。そしたら、すごい形相で、なんというか、ひと目で訳ありという感じがしたのです。」
 私は昨日散歩から帰ったときの、モーニング姿のケンイチさんをぼんやりと思い出した。だが私が鮮明に思い出したのは、紙袋に入っていた一輪のカーネーションの花だけだった。
「女の人がひとりでこんな所まで旅にくるなんて、と思ったのです。あの近くの、1時間ほど山を行ったところに、有名な滝があるんですよ。自殺の名所が。」
 ケンイチさんはふざけて言っているのか本気で言っているのか分からなかった。
「私、振られたのは確かなんですが、自殺しようとまでは思わなかったです。」「そんなに悲壮な顔つきをしていたんでしょうか、私は。」
「そしたら、今朝、僕が偶然余計なことをしてしまったんで、あなたはまたひどい気分になってしまったと思う。正直、このまま帰して明日の朝新聞にでも載ったら困ると思いました。」
 信号が青になったので、ケンイチさんは顔をまた前に戻した。最後に口角がすこし上がった気がした。やはり冗談なのかもしれない。
「それで私を、こうして送ってくれているのですね。」
 それにはケンイチさんは答えなかった。冗談で言っているのかもと思うと、何だかおかしくなって何故か心がほっと緩んだ。
「じゃあ私は、ケンイチさんにコーヒーをこぼされてよかったかもしれないわ。あの雨の中をバスで帰らずに済んだし、そしておいしいコーヒーもご馳走になれたのだから。」
 そしてケンイチさんに知り合うこともできた、と言おうかと思ったが、私たちはまだ知り合い、とまで言うほどではないんだと思い、言うのをやめた。

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天使が通り過ぎた(24)

2008-02-24 03:35:43 | 天使が通り過ぎた
 雨がほとんど止んだ周辺の景色は、すべてが水に洗われ清々しく感じられた。遠くの山は雲と霧にかすんで、来たときほどはっきりとは見えなかった。
「コーヒーがおいしかったです。」「素敵なお店に連れて行っていただいて、ありがとうございました。」
 無言でいると何とも言えない重い空気が漂っているような気がして、私は先ほどのお店の感想を言った。
「そうですか。でもあれだけでお腹いっぱいになりましたか?」
 ケンイチさんはわざとどうでも良いことを言って、この場の雰囲気を明るいもの変えようとしているのだろうと、私には感じられた。
「はい。私そんなに大食いに見えますか?」
 私も努めて明るく言った。
「いやいや。そういう意味ではないんですよ。」

 まだ昼前の道路はそれほど渋滞しておらず、順調にいったらあと1時間ほどで新幹線に乗る駅に着くのだろうと思った。それからしばらくの間、車内は静かだった。ケンイチさんは運転に集中していたし、私は先ほどの通彦の電話の動揺から完全に抜け切れていなかった。ケンイチさんが特に話しかけてこないことが、今の私には有難く感じられた。
 
 ケンイチさんの横顔を何気なく眺めながら、通彦の運転する車に乗っているとき、彼の横顔を眺めているのが好きだったことを思い出していた。私は飽きることがなかった。真正面から見ると照れてしまうけれど、横顔を、しかも通彦は運転中滅多に脇見をしないので、私は無防備にいつまでも眺めていることが出来たのだった。そんなことを思いながら、同じようにケンイチさんの横顔を眺めていた。意外に白髪が多いのだなあと、また思った。実際の年齢は分からないけれど、老けた感じには見えなかった。30代後半くらいなのだろうか。40代か。車の運転が好きそうだというのは通彦と共通しているところかもしれない。だが、この人のほうが通彦よりも温かみを感じるように思えた。自分が悪いのでもないのに、見ず知らずの私をこうして駅まで送り届けてくれているのだから、やはり善い人なのだろうと、そう思おうとした。

 そんなことを思っていると、一瞬だけケンイチさんがこちらを向いた。信号で車が止まった瞬間だった。不意を突かれたようで、どきりとした。慌てて視線を前に戻した。そしてばつの悪さをごまかすように、こんなことを口走ってしまった。
「私先週、付き合っていた人に振られたんです。」
 私は前を向いて、できるだけ淡々と話し始めた。同情を引くつもりもなかったし、男に振られた女だと隙につけ入れられたくもなかった。
 ケンイチさんは先ほどと同じように、私が話しの続きを言うのを、無言で待っている風だった。何も言わず沈黙していた。
「お前といてもおもしろくないと、言われてしまいました。」
 通彦に言われていちばん堪えたせりふを口に出したことで、収まっていた何かがまた突き上がって来そうになった。私は黙り込んでしまった。数秒経っても数十秒経っても私がその続きを話さないので、ケンイチさんはこれでいったん話は区切られたのだと判断したのか、やや暫くたって「そうだったんですか。」と小さく言った。

 ケンイチさんは、私がこんなことを言ったところで、何と返事をして良いか困ってしまうだろう。見ず知らずも同然の女に、私振られて彼におもしろくないと言われました、と告白されても、何と反応していいやらと思うだけだろう。数時間後には別れ、二度と会わなくてよいと思って気軽にこんなことを話してしまったことを、少し後悔した。だが私がそう思っていると健一さんは意外な言葉を発した。
「僕も実は、同じようなことを言われました。」

 私はケンイチさんの横顔をまた一瞬だけ見た。だがあまりお顔をまじまじ見てはいけないような気がして、また前を向いた。そして次々に開ける視界と走り去る風景を、まっすぐと凝視していた。
 「僕は、もう別れて2年ほど経つんですが、やっぱり、あなたは無口だから楽しくない、と言われたんですよ。」
 私も同じように、ケンイチさんが話しの続きを言うのを待っていた。確かに、この人は饒舌なほうではないのだろうなあというのは、たった数時間一緒にいても察しはついた。私が無言でいるので、やはり車の中は、外の車自身が道路を走る音に囲まれ、静まり返っていた。

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天使が通り過ぎた(23)

2008-02-23 04:58:47 | 天使が通り過ぎた
いったん流れ出した涙は、止まることを知らなかった。自分を憐れむのは格好悪いことだと分かっていながらも、感情をうまく統制することが出来なかった。しゃくりあげている訳ではなかったので、ただ音もなく、涙が薄い水のように目から流れてくる。心の中で、通彦が荷物を取りに来いと言ってくれるのを少し期待していた。あと一回だけ、それでもう本当にさよならをするから会いたいと、そう思った。だが通彦は見事に私の期待を裏切った。
「じゃあ荷物はこっちで勝手に処分するから。いいかな。」
事務的な言い方だった。
「いいわ。」

これで用事は終わったのだろう。暫く受話器の向こうからは物音ひとつしなかったが、やがて溜め息のような息を吐く音がかすかに聞こえ、「じゃあ。」と通彦は言った。
「じゃあ。」「さよなら。」
さよなら、という言葉は、付き合っているときには絶対に使わない言葉だった。またね、とか今度ね、とか次に繋がる言葉を使った。さよなら、と言うと、それは永遠に合えない者同士が使う言葉に思えたからだった。でも今は、さよなら、がいちばん適している言葉に思えた。
暫くすると電話は切れてツー、ツーという音が流れた。電話を持っていた左手は強ばって痺れていた。左耳は携帯のボディを強く当てすぎて痛かった。私はものすごい力で携帯を握り締め、それを耳に押し当てていたのだった。

掌にある携帯のディスプレイを、数秒呆然と見つめた。やや暫くすると画面は暗くなり、それから蓋を閉じた。パチン、という音と共に顔を上げると、軒下でこちらを見ていたケンイチさんと目が合った。恥ずかしいという感覚すら起こらないくらい、私の頭の中は通彦のことでいっぱいだった。もう、何も可能性はないのだと、何もかも終わったんだと思った。ケンイチさんは少し困ったような顔つきをしながら、こちらに近寄るべきかもっとそっとしておくべきか迷っているようだった。私は、涙の訳のための嘘を、うまく思いつくことができないなと頭の中で思った。

「大丈夫ですか?」
ケンイチさんは静かに店の中に入ってくると、その風貌と動作に似つかわしいように静かにそう言った。
「ごめんなさい。」涙の跡を指で押さえながらそう答えた。「色々あって・・・。」
ケンイチさんはまたこちらをただ黙って数秒見つめていた。そこには特に、憐れみの表情とか困惑とかそういったあからさまな表情は読み取れなかったが、やや固い、真剣な顔をしていた。電話の会話は聞き取れていなかったと思うが、何か事情があるのだろうと彼なりに察し、だが勝手に踏み込むのも悪いと思っているのだろうと感じられた。

「別にどうってことないんです。」私はもうどうでもいいやと半ばなげやりにこう切り出した。ここまで醜態をさらしておきながら、何でもないですと言うのも失礼なのではと思うと同時に、ケンイチさんという人がどういう人物かほとんど分かっておらず、それは勘のようなものでしかないのだけれど、さらっと話しても特に危険はないように思った。

「先週付き合っていた人に振られてしまって、それで一人でここに来たんです。」
 ケンイチさんはただ黙って私の言葉を聞いていた。驚いた様子は特になく、そのまま黙って私が何か言うのを待っていた。
「もう終わっていることなんです。だから大丈夫です。取り乱してすみませんでした。」
「そうですか。」
 私自身どうしていいのか分からない空気が流れていたので、私が発生させたこのペースの乱れは、私から解消しなくてはと思った。
「行きましょうか。」「ケンイチさん、お帰りになるの遅くなってしまいますね。」
 私がそう言うと、穏やかな表情でケンイチさんは答えた。
「私は別に急がないのでいいんですが。でも、そろそろ行きましょうか。」

 私たちはまたメタリックブルーのこじんまりとした車に乗った。雨はほとんど上がっていて、厚い雲の間にところどころ切れ目ができて、そこから少しだけ青い空が見えた。

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天使が通り過ぎた(22)

2008-02-21 02:16:57 | 天使が通り過ぎた
 コーヒーはしっかりとした濃い目の、だが後味は舌に残らない爽やかな味だった。ブラックでとてもおいしく飲むことができた。朝起きてコーヒーが飲めないと少しイライラとしてしまうのだったが、香ばしい香りのコーヒーが飲めたことで幾分落ち着き、満足した気分になった。ケンイチさんと私は、無言でゆっくりとそれぞれコーヒーを味わっていた。

「ちょっと失礼していいですか?」
 ケンイチさんはポケットからタバコとライターと簡易灰皿を取り出すと、ドアを開け店の軒下でタバコを吸い出した。何となく、この人がタバコを吸うというイメージがなかったので、少々意外に思いながらその様子をぼんやりと眺めていた。ケンイチさんはとてもおいしそうにタバコを吸った。私は男性と話をしなくてはならないとき、いつも大抵は何を話そう何を話そうと焦りのようなものを感じてしまうのが常なのだが、この人の場合は、どうせこの一時が終わればもう会うこともない人だと分かっているせいか、実にゆったりと構えていることができると思った。こういうことは珍しいことだった。

 ケンイチさんが席を外し一人になってしまうと、ほんの少しの間忘れていた通彦の存在をまた思い出してしまっていた。通彦とここに来ていても、このお店には気づかなかっただろう。通り沿いにあるのなら分かったかもしれないけれど。二人でもしここに来ていたら、こうしてのんびりと構えていることは出来たのだろうか。私はまた、あの最悪の金曜日のことを思い出した。あの雰囲気のままだったら、私はもっともっと自分で深い穴を掘り、その中に自分自身を埋めてしまいたいと思ったことだろう。自己嫌悪、焦り、やるせなさ、無力感、そういったものが次から次へと湧いてきて、ますますどうしていいか分からなくなってきたことだろう。それなのにどうして通彦を嫌いになれないのだろう。好きという感情は厄介なものだと思う。嫌いになればいいと、頭では分かっていながらも、だからと言って嫌いになれる訳ではない。嫌いになったほうが自分が楽になれると歴然と分かっているのに、感情というものは自分自身でコントロールができないのだ。理由も無く、いや理由はきっと存在するのかもしれないけれど、その理由を整然と並べることはできないのだけれど、私は通彦のことが好きで仕方がない。もう二度と会えないということが、さすがにこの一週間会っていないのだから、現実のこととして認識しているつもりだけれど、まだまだ実感が湧かないというのが正直なところだった。もしかすると、普通に連絡したら普通に会えて、そしてこの間の話は無かったかのように普通に振舞えるのかもしれない、と希望的な想像までしてしまうのだった。

 カップに残った最後の一口を啜ると、カバンの中で携帯が振動しているのが分かった。ケンイチさんはまだ外でタバコを吸っているのでマナー違反にはならないだろう。ずっと振動しているので電話だと思いながら、一体誰からだろうと考えた。しかし思い当たるのは家にいる母くらいなものだった。携帯のディスプレイを見て私は息が止まりそうになった。通彦だった。

外でタバコを吸っているケンイチさんを眺めながら、この場で電話に出るべきかどうか数秒迷った。外にはケンイチさんがいるから出られないし、かといってこの店内には隠れる場所もない。でも、今この電話を逃すと、私は一生通彦と接触するチャンスはないように思われた。後で掛け直したとしても私と分かって出てくれないかもしれない。

 実際に電話に出るまでの時間は数秒か数十秒だったと思われるが、頭の中を様々な思惑が飛び交い、随分と長い時間のように感じた。有り得ないかもしれないけれど、通彦がこの間の発言を撤回するために電話をしてきたのかもしれないとも思った。付き合っている間も、メールのやりとりは頻繁にしていたが電話を直接掛けてくるということは滅多になかった。私のほうから、どうしても声が聞きたいと甘いことを言って夜中に電話をすることはたまにあったかもしれないが、昼間のこんな時間に通彦のほうから電話を掛けてくるということはほとんどないことだった。青いランプが規則的に点灯しているのを眺めながら、意を決して電話を耳に当てた。

「もしもし。」
 声が擦れてうまく出せなかった。通彦はぶっきらぼうな声で「寝てたのか?」とひとこと言った。
「ううん、違う。」「今旅行先なの。」
 私の頭の中は、うまく思考が出来なくなっていた。何をどう話したらいいのかまったく分からなくなっていた。それでやっと、この一言が口から出てきた。
「・・・・・・・どうしたの?」
 私は努めて明るい、穏やかな声を出すように心掛けた。通彦の声を聞くと、もうケンイチさんの存在は忘れていた。通彦は「お前、一人で旅行行ったのか?」と少しびっくりした口調で言ってから「それとも誰か一緒なのか。」と平べったいトーンで付け加えた。
「ひとりよ。」
 私はうまく話すことが出来なかった。話すことが出来ない代わりに、目に涙が浮かんできた。あんなにも単刀直入に別れを切り出されたというのに、悔しいけれど通彦が恋しくて仕方が無い自分を認めないわけにはいかなかった。この通彦の声も大好きだったのだ。
「そうなのか。」
 短くそう言うと、余計な話より用件だと言わんばかりに、通彦は私の私物が通彦のアパートにあるのだが、どうしたらいいのかと淡々と尋ねてきた。私は通彦の電話の意図が、十分予想できていたことではあるはずなのに、前回の発言を撤回するものではなかったことに落胆を覚えた。
「そちらで勝手に処分して。面倒だったら私が取りにいくわ。どっちがいい?」
 取りに行けば、少なくとももう一度だけ通彦の顔が見られると咄嗟に思いながら、でも通彦は二度と私とは会いたくないのかもしれないとも思った。勝手に捨ててくれと言っても、もしかしたら新しい彼女がいたりしたら厄介なのかもしれない、と心の隅で思う。とにかく通彦は、私の存在を彼の領域から抹消したいのだろう、と思うと、堪えていた涙がまたはらはらと落ちてきた。

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天使が通り過ぎた(21)

2008-02-20 06:33:24 | 天使が通り過ぎた
しばらく車を走らせて、昨日バスで通った道の、どこか途中を曲がった。少し行くと一軒家の、古い民家を改造したパン工房があった。目立たない看板が立っていたが、建物の雰囲気で何となくそういう店と分かる。隣の空き地が駐車場らしく車を止めた。
「どうします?車で待っていますか?そしたら僕はすぐ買って戻りますけれど。」
 ケンイチさんはそう言いながらシートベルトを外した。外は少し小雨になっていて、店までなら傘はいらなさそうだった。
「いえ、私も見たいです。降ります。」
 言いながら私もシートベルトを外し外に出た。

 木製の枠で出来たガラス張りのドアを、ギイと言わせながら開けると、色あせた板張りの床にこじんまりと木製テーブルと椅子が数組置いてあり、隅の棚にパンが陳列してあった。棚の横にレジがある。
「こんにちは。いらっしゃいませ。」
 化粧っ気のない、穏やかな顔をした4,50代と思われる女性が奥から出てきた。
「コーヒーが欲しいのですが、大丈夫ですか?」
 メニューらしきものはどこにも見当たらないのだが、レジから見える奥の作業場にはコーヒーのサイフォンが置いてあるのが見えた。ここに来たことがある人は分かっているのかもしれない。
「はい。ええと、お二つ?」
 ケンイチさんは「コーヒーでいいのかな?」と私のほうに向かって聞いたので、即座に頷いた。
「はい。パンはあっちから選ぼう。お腹が空いているでしょう。」
 棚に並んだパンはすべて天然酵母で作っているようで素朴なものが多かった。ケンイチさんはかごに二つほど選んで入れた。私にどれがいいかと促すのでナッツの入ったものを一つ選んだ。
「それだけでいいのですか?足ります?」
 さきほどキューとお腹が鳴ったので相当空腹と思われているのかもしれない。ケンイチさんの顔をこうしてまじまじと見ると、一見すると白髪があるので相当年上と思っていたのだが、顔の色艶とか表情を見ていると私とさほど変わらない年なのではないかとも思えた。笑うと目じりに皺が寄るのが、優しい表情を余計に醸し出していた。ケンイチさんは適当にあと二つほどかごにポンと入れた。

 レジでお金を払い、小さなテーブル席についた。外にはのんびりとした田舎の風景が広がっていた。遠くに緑が見えて、まばらにある民家は都会に建っている家のように奇抜なデザインではなく、この景色にしっかりと馴染んでいる色合いの昔風の造りの家が多かった。道路には車が時々通るくらいで音もなく静かな空間だった。

 コーヒーを待っている間、私は今日何度目かの、私はどうしてこの人とここにいるのだろう、という思いに囚われた。でもそれは、朝方感じた面倒臭さや後悔のような意味合いの感情ではなく、ただ単に、こういう展開になってしまったなあと、客観的に自分を傍観しているような感覚だった。外の雨は小雨だったが、寒そうに見えるのには違いなかった。

「結婚式かなにかに、出席されたのですか?」
 なんとなく話をしなくてはならないだろうと、気が気ではなくなったのでそう切り出した。
「ええ。なんでそれを?」
 ケンイチさんは意外な表情をして聞き返した。
「昨日、ロビーで黒い礼服を着ているのを見かけたものですから。お祝い事かなと。」
「ああ、そうですか。」
 ケンイチさんは職場の同僚が実家のあるこちら方面で結婚式を挙げたことを簡潔に話した。「それでどうせこの近くまで来たならと、以前よく来たあの旅館に、友人の実家なんですけれど、泊まったんですよ。」
「素敵な旅館でした。またあそこに泊まりたいなと思いました。」
 ケンイチさんは私に何か言いたそうな表情をしていたけれど、特に何も言わず、黙って落ち着いた表情をしていた。
 特に話す続きが見つからなかったので、私たちはまた沈黙してしまった。ちょうど奥から先ほどの女性がコーヒーを運んできたので、沈黙はそれ以上は特に気にならず、私たちはコーヒーを味わうこととパンを食べることに専念した。

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天使が通り過ぎた(20)

2008-02-16 18:17:34 | 天使が通り過ぎた
 ケンちゃんと呼ばれた人の車は、私が当初想像していたのとは違いコンパクトな女性が乗るような感じの車だった。メタリックブルーの車体はよく磨かれていて、車内は余分なものが一切無く綺麗に掃除がされていた。彼は私の小ぶりの旅行カバンを後ろの座席に乗せると助手席のドアを自分で開け、どうぞ、と言った。
「失礼します。」
通彦は私にそんなことをしたことは無かったので、随分と丁寧な扱いだなあと感じながら車に乗り込んだ。
 
それぞれシートベルトを締めると、雨の中を静かに車は滑り出した。私はワイパーが規則的に左右に動いているのを眺めながら、どうしてこんな展開になってしまったのだろうと、また思った。
「申し訳ありませんね、そちらが悪い訳でもないのにこうして送って頂いたりして。」
 本当に申し訳ない気持ちでいた私は思ったままを言うと、「いえ、とんでもない。」と彼は答えた。
「どうせ僕も帰るのですから。いいんです。気にしないで下さい。」

 そういえば私はこの人がケンちゃんと呼ばれていてホテルのおかみの知り合いであるということ以外、何も知らないのだと改めて思った。
「どちらへ帰られるんです?」
「どちらに住んでいらっしゃるんですか?」
彼と私はほぼ同時に同じようなことを相手に質問していた。
「失礼。」
「あら、ごめんなさい。」
 また同時だった。
 私が少し黙って相手に先にしゃべってもらおうと思っていると、あちらも同じように思ったのかしばらく沈黙していた。
「はは。」「僕たちはタイミングが悪い。」
 それは少し愉快な感じに聞こえたので、私もこの同じようなテンポにおかしくなってしまった。

「すみません。私、男の人と喋るのが苦手なんです。」
 実際私はそうだった。正確に言うと、職場にいるようなおじさんは平気なのだが、若い男の人は苦手なのだった。
「そうなんですか。実は僕も無口な方なんです。」
 彼の言い分を聞きながら、本当に無口な人が僕は無口ですと言うのだろうか、などと少し訝しく思いながらも、この人との会話はあまり緊張を感じないなあと思った。
「それで、どちらへお帰りになるのですか?」
彼は前方からしっかりと視線を外さずに、聞いた。
「神奈川県です。でも、新幹線は東京まで乗っていきます。えーと、ケン・・・さんはどこまでお帰りになるのですか?」
 私はうっかりケンちゃん、と言ってしまいそうになった。
「東京です。あと、僕の名前はケンイチです。ミナト ケンイチ。そう言えば、お互い名前を知らなかったですね。あなたは?」
 私は頭の中で、ミナト ケンイチ、と数回言ってみながら、どんな字を書くのだろうと想像した。
「私は、桜井と言います。桜井、香織です。」
 
お互い本名を言い合うと、少し照れが生じたためかまた暫くの間沈黙が続いた。狭い車内の中は、雨が車の屋根にぶつかる音と道路の水しぶきの音のせいで、さほど気まずい沈黙には感じられなかった。とても低い音量でトランペットの曲が流れていた。私にはよく分からないけれどジャズのような感じの曲だった。私は外の景色を見ながら、よく知らない人の車に乗り、ぎこちない時間を過ごさなければいけない、というプレッシャーをほとんど感じていない自分に気づいた。どのみち駅に着いたらさよならをして、そのまま二度と会うことはない人なのだから、それで却って気が楽なのかもしれないと思った。

「もしよろしかったら、神奈川まで送りましょうか?どうせ僕は、東京まで帰るのだし。」
 相変わらず視線を前方から逸らさず、さらりとケンイチさんは口にした。私はそんな申し出をされるとは予想していなかったので、それはいくらなんでも、と即座に思った。
「いえ、いくらなんでもそんなことは・・・。」
「そうですか。」
 あっさりと納得してくれたことに少しほっとした。やはり見ず知らずも同然の人と、長い道中をともにするのは気疲れするに違いないだろうと思った。

「そういえばあんなことがあったので、朝ごはんを食べないで行かれましたね。お腹がすいていないですか?」
 私は彼に、いや正確には子供が突進してきたからなのだが、コーヒーをこぼされ、朝食を食べずに部屋に引き上げたことを思い出した。するとなぜか急に空腹を覚えた。
「そうですね。でも後で食べますから大丈夫です。」
 実際はとてもお腹が空いていた。コーヒーが無性に飲みたかった。
「途中にとてもおいしい、ベーカリーがあるのですが、朝ごはんを食べに行きませんか?」
 私はこの人が先ほど、僕は無口だと言ったことが、やはり言葉の上だけのことなのではないかと思った。無口な人がこんなに気が利いたことを言うのだろうか。
「いえ、そんなに気を使っていただかなくても。大丈夫ですよ。」
 そう言った途端に、タイミング良くというか悪くというか、私のお腹がキューと鳴った。私は恥ずかしさで思わず目をまん丸にしてケンイチさんの方を見てしまった。彼は相変わらず目線はじっと前方から逸らさずに運転を続けていたので、私のこの表情は見ることもなかっただろうが、目じりを下げて笑っているのはその横顔から伺えた。
「お腹が、おなかが空いたと言っているようですね。」
 恥ずかしさでいっぱいだったはずの私だったが、彼のその言い方が私を笑っているのでもなく、何というかとても大らかな言い方だったので、その一言で私はすっかり緊張の糸が解けてしまった。

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天使が通り過ぎた(19)

2008-02-03 21:47:30 | 天使が通り過ぎた
 部屋に帰った私は、先ほどの染み抜きをして重くなったズボンにアイロンを掛けながら、何だか変な展開になってきたなと頭の隅で思った。あの人はきっと何かお詫びの行動をしないと気が済まないのだろう。そんなこといいのに、と思う反面、やはり気になるということも分からないでもなかった。アイロンを掛けると染みはほとんど分からないほどになっていた。乾いているのを確認するときちんとたたんでカバンにしまった。

 窓の外を見ると依然として雨はまだ降っていた。土砂降りというわけではないが、じっとりとすべてに染みこんでいくような雨だ。天気が気になってテレビをつける。天気予報はどの局でもやっていなかった。でもこの暗い空では雨は当分やみそうもないのだろう。チェックアウトをして本当にあの男性は、ケンちゃんと呼ばれた男性はロビーで待ち伏せしているのだろうか。見た目は悪い人でなさそうだし、というよりも逆にいい人そうだし、この旅館のご子息の知り合いだというのだから、何かあったら身元は割れているのだからなどとぼんやり考える。

 だが気分が重かった。チェックアウトぎりぎりまでここに居て、そうしたらあの人は諦めて帰るのだろうか、とも思ったが、恐らくいつまでもあそこで待っているだろう、そんな気がした。だとしたらあまり遅くチェックアウトしても悪いような心持がした。それに、やっぱりバスで帰ると言えば、あっさりとそうですかと言うかもしれない。この雨の中を駅まで送ってくれるというのは有難い申し出だとは思ったが、今日初めて会った人であるのに狭い空間の中で一定時間を過ごすことを考えると気が進まなかった。ここへ来るときに誰にも邪魔されずに自分の心を放っていたように、帰りも存分に自分はひとりなんだということを味わいながら帰ろうと思っていたのだ。

 とりあえず、と重い腰を上げて荷物をまとめて部屋のキーを掴んだ。雨が降っている。折りたたみの傘は持ってきていただろうか。カバンを開けて探して見る。いつも旅行に行くときは小さな折り畳み傘を入れているはずなのに、何度カバンの中を探しても傘は見つからなかった。私はこんな風に、用心深いようで肝心なときに忘れ物をする。まあでも、もしかしたら売店に傘くらい売っているかもしれない。

 少しひんやりとした廊下を通りロビーに出た。先ほどのおかみの姿は見られなかったのでほっとした。見つかると、またケンちゃんお願いね、等と言って断りづらくなってしまう。支払いを済ませるとフロントの男性が目配せをしてあちらのほうを見た。すると先ほどのケンちゃんと呼ばれた男性がこちらに近づいてきた。

「お荷物は?それだけですか?」
 まるでベルボーイのようだと思って、少し可笑しくなった。
「私予定通りバスで帰ります。特に急いで帰らなければならないという訳でもないので。」
 そう言うと男性はまた少し沈黙して、そしてこちらを少し眺めていた。
「バスは、多分今行ったばかりで、あと40分くらいしないと来ないと思いますよ。」
 少し笑っていた。明らかに当てずっぽうに言っているような感じだった。
「じゃあ、あと40分、待つことにします。ロビーでお茶でも飲んで。」

 すると玄関からおかみが入ってきた。車で帰ったお客を見送って外にいたようだった。
「あら、お客様チェックアウトはお済みになりましたか?ケンちゃん、ほら車をこちらに廻して差し上げて。」
 おかみはまるで、ケンちゃんという男性がここの従業員であるような口の聞き方をした。もしくはこの人が息子さんの友人、ではなく、まるで息子さんご本人のような接し方だった。
「いや、この方バスで帰ると言うものだから・・・。」
 おかみは私の方を向くとにこっとして、「あら、ケンちゃんのこと疑っていらっしゃる?大丈夫ですよ。この方、そんな方じゃないから。うちにも何度も遊びに来たことがあるから、この辺の道は大丈夫よ。慣れてらっしゃるから危なくないわ。」
 
 おかみは私が彼の運転技術を疑っていると思っているのか、その人間性を疑っていると思っているのか、そこまでは定かではなかったが、そのようなことを言った。
「いえ、そんな。疑うなんてそんなことは思ってないのですが。申し訳ないと思って。」
 まさか初対面の人の車で気を使うのが億劫で、とも言えなかったのでこのように言った。悪いと思う気持ちの反面、億劫だという気持ちもあった。
「そうしたら駅まで乗せていって貰ったらよろしいと思いますよ。雨はまだ相変わらず降ってますし。お客様傘は?」
 私はまずいことを聞かれたと思った。
「あの、売店にありますか?」
 おかみはフロントの奥にちょっと消えてまたこちらに出てきた。
「じゃあこんなのでよかったら使ってくださる?こんなビニールのでよろしかったら。」
 おかみは透明のビニール傘を差し出した。でも新品のようだった。
「済みません。ありがとうございます。」
「じゃあ行きましょうか。」
 ケンちゃんと呼ばれた男性は当然のようにそう言うと、さっと私の荷物を手にして先に進んだ。私はたった駅まで送ってくれるという行為のために何だかんだと言い訳している自分が子供染みているようにも思え、またこのようなやりとりが面倒くさくなり、もうこうなったら成り行きにまかせよう、という気になった。
「良かった。私もそのほうが安心だわ。お気をつけてお帰りになってください。」
 おかみと番頭さんに丁寧に見送られ、私はケンちゃんの車に乗った。

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天使が通り過ぎた(18)

2008-01-20 13:37:41 | 天使が通り過ぎた
 アイロンを借りるためにフロントまで出向くと、もうチェックアウトし始めた人たちが何組かいてロビーはやや混雑していた。フロントには二人の従業員がいたが両方ともチェックアウト客を相手にしていたので、切りのいい所で声を掛けようと暫くの間待っていた。
 
「先ほどは大丈夫でしたか?」
 不意に声を掛けられた。振り向くと先ほどのコーヒーの男性が立っていた。紺色のセーターにフィールドコートを着て立っている男性は、昨日のフォーマルスーツの人とは別人の人のように見えた。意外に若いのかもしれない。
「はい。大丈夫でした。」
 私はさっきと同じように大丈夫を繰り返していた。こうして正面に立って見ると、かなり大柄な人のようだった。やはり心配そうな顔をしてこちらを覗いていた。
「もうチェックアウトなさるんですか?」
 男性は私の全身をざっと見てそう質問した。
「いえ。アイロンを借りようと思って。まだ帰らないです。」
「あの本当にクリーニング代を出させてください。かなり染みがついてしまって、落ちないでしょうあれじゃあ。」
 私がアイロンと言ったので何かやはり悪いと思ったようで、また彼はそう申し出た。
「ああ、いいんです。普段着のズボンなんで。本当に別に気になさらないでください。」
 コーヒーの男性は私の姿をじっと無言で数秒見つめていた。どうしたらいいものかと思案しているようだった。
「帰りはどうやってお帰りになるんですか?バスで?」
「そうですね。バスで駅まで出て、そこから電車で。」
「失礼ですが、」
 男性は私ではなく私の後ろのほうを見ているような目で「お一人でいらしているのですか?」と聞いてきた。
 特にここで隠しても仕方がないので「ええ。」とだけ答える。
「よろしければ、駅までお送りしますよ。」
 しばらく躊躇しているようだったが意を決したように男性は言った。
 私はそんなことを言われるなんて予想もしていなかったので、「ええ、でも。」と曖昧な返事をしてしまった。この人は先ほどのコーヒーの件で、どうしても何か償いをしたいのだろうと思った。この人が悪いわけではないのだが、あの染みを見てしまったらやはり悪いという気になるのだろう。私としても、もしあの服がお気に入りの高価なものだったら、あーあ、という気にもなるのだろうが、部屋着として持ってきた安物のズボンなのだから、そこまで悪いと思われることでもなかった。

「ああ、ケンちゃんやっとその方見えたのね。」
 その時フロントの奥から、着物姿のふっくらとした品のいい女性が出てきて、その男性に声を掛けた。このホテルのおかみのようだった。
「先ほどは大丈夫でしたか。お着替えはあったのかしら?」
 おかみと思われる女性は続けて私に向かってそう言った。
「はい。あの、アイロンをお借りできますか。」
 私は当初の目的をここで思い出した。
「あらお洋服ね。クリーニングにお出ししましょうか?すぐやる様に言って1時間ほどできっと出来ますよ。」
 おかみはにこにこと私とケンちゃん、と呼ばれた男性の両方を見ながら言った。この男性はおかみと知り合いなのだろうか、と思っているとまた続けてしゃべり出した。
「この方うちの息子のお友達なんですよ。何だかすごくお客様のこと気にしていらして。ここで待っていたらチェックアウトの時お見えになるからじゃあ待っていたらと言ったんですけどね。」

 私はそんなに話が大きくなっていることに恥ずかしくなってしまって「そんな。たいした染みでもないんで、そんな気になさらなくても・・・。」と男性とおかみの両方に言った。
「あの本当にアイロンだけお借りできますか。すぐお返しするので。」
 私がそう言うとケンちゃんと呼ばれた男性は「じゃあ、駅までお送りします。それ位のことで申し訳ないんですが。せめて。」ときっぱりと言った。
 おかみはまたにこっとして「そうね、そうして差し上げたら。バスはなかなか来ないし、今日はあいにくの雨ですしねえ。この方、車の運転は上手だから大丈夫ですよ。」と言った。
 私は知らない人の車で送ってもらう、ということに何となく抵抗を感じていたものの、ホテルのおかみの知り合いだということが分かったためか、それともこの人の、なんとなく人を安心させる感じのする風貌と声の調子のためか、これは承諾してもいいんではないかという気持ちに傾いた。だがやはり知らない人ということに多少の不安もあるのだった。私がどうしようかと躊躇し無言でいると、「では、アイロンはお部屋にお持ちしますね。」と言っておかみはまたフロントの奥に消えた。
「ロビーでお待ちしていますので。」
 ケンちゃんという男性は一言言うと、ほっとした表情をして荷物の置いてある奥の長いソファに戻っていった。

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