星を見ていた。

思っていることを、言葉にするのはむずかしい・・・。
良かったら読んでいってください。

つまらない女

2020-09-21 09:15:45 | つぶやき

このところ毎日のように、お付き合いさせていただいている人(世間で言うお付き合いしている人とはちょっと違う関係性かもしれないが)から、つまらない奴、と言われている。こんなにつまらない女は見たことない、と。

 

そのように言われるのはその人からだけである。自分で言うのもあれだけれど、同性からは割と受けが良い。まあ私と普段関わりのある人間は職場の人がほとんどで、職場の人間が面と向かって、あなたつまらない人ですね、とは言わないだろうから、もしかしたらそう思っている人も多々いるかもしれないが。

 

面白くない女だと言われ落ちこむたびに、この感じはどっかで同じような思いをしたことがある、とずっと思っていたが、幼少の頃母親によく、お前は愛想が無い子だね、と言われていたのを思い出した。その他にも、例えば若い頃合コンなどに行ったとき(合コンが嫌いなのでそれも1,2回であるが)、私があまりにも何を話していいか分からなく喋らないので、隣に座った男性が、この女つまんねえな、と言わんばかりに沈黙してしまったりすることがあったのを思い出す。

 

私は境遇とか色々あって物凄く暗い子供だった。物心着いた後に養父母に育てられたので常に遠慮していたのもあるし、養母が恩着せがましい人だったのでなるべく両親から恩を受けたくなかったというのもある。それで何かをしてもらってもありがたい、という気持ちには素直になれなかった。感情の起伏も少なく嬉しいときは嬉しい顔をするとか怒るときは怒るとか、そういった子供特有の表情をしていなかった。物事を常に斜めから批判的に見ていたのでおそらく顔は常に反抗的だったのであろう。つまりまったく本当に可愛げの無い子供だったのだ。

 

年頃になってからも、どうせ私は不細工で一重だから化粧しても無駄であろう、と化粧も最低限しかしなかったし、男に媚を売るようで嫌だったのでいわゆるモテる努力、というのを一切してこなかった。本当に地味で色気もなくつまらない女だったのだ。今うちの娘がしきりに化粧を気にしたり服を気にしたり下着を気にしたりしているが、私が同年代の頃はまったく、男にモテるにはどうしたら、というのを考えていなかったので、今思うとやはり変わった子だったのだろう。普通に考えたら健全な女子は健全にモテることを考えるだろう。

 

そんな私に転機が訪れたのは、結婚もして子供ができた後だ。随分と遅い。まあそんな女子としての努力を何もしなかった私が結婚できたのも不思議であるが。

 

妊娠したとき切迫早産になり1か月近く入院した。人生において入院したのが初めてだったのだが、その時初めて、どんなに着飾った気取った女でも素になったら一緒、というのを知った。私は運動部などの経験がないため女子の集団生活をしたことが無かった。綺麗な輝いた女子と自分は天と地ほどの格差があるものと思っていた。しかし中身はさほど変わりがないということに気付いた。まあ皆が子供を産むという同じ共通項があるからかもしれないが、女子の中身というのを覗き見た気がしたのだ。

 

そしてもう一つの転機が、これはどこかほかのページにも過去に書いた気がするが、子供が生まれ育休を取っていたある日、洗面所の鏡を覗いたら、育児にやつれ髪振り乱した女、というイメージそのものの人間が映っていた。ショックだった。私は29で一人目を産んだのだがもう中年女にしか見えなかった。

 

それからこれは何とかしなければ、と思い化粧をするようになった。もう結婚し子供もいたのでモテるためではない。子供が生まれてからのほうが綺麗なママでいたい、と思うようになり結果的におしゃれに気を使うようになった。出産後ぐっと体重も落ちたので体はスリムになりどんな服を着てもまあまあ着れるようになった。それまではまあ太っても痩せてもいない中肉中背くらいだったが幼児体形なのもあり何を着ても垢抜けなかった。垢抜けないのでデパートの格好いい売り場で洋服を買ったことも無かった。しかし本当に痩せるって大事だと思う。痩せるとたいていの着たい服は着れるようになる。着れるようになるとあれこれチャレンジ精神で自分の本当に着たい服も着れるようになる。そうするとおしゃれ、と言われるようになるのだ。

 

職場に復帰すると目に見えて人からの対応が違った。私は生まれてから自分のことをずっと不細工と思って生きてきたし今もそう思っているが、女って化粧と洋服と体形でかなり化けられるんだ、というのを実感した。子供の頃から可愛い、とか綺麗、とかそういう言葉とは無縁で過ごしてきたのだが、この頃から綺麗、とかおしゃれ、とかスタイルいい、とか言われるようになった。もちろんお世辞なのは分かっている。でもそれまではお世辞ですらそんなこと言われたことが無かった。多分お世辞で言うのも論外だったのだ、それまでの私は。この頃職場で数年振りに会った人に、まあ相変わらずお綺麗で、と言われた時には誰のことかと思った。え、誰のこと?私?と信じられない気持ちだった。もちろん社交辞令なのは分かっているけど、社交辞令でされ言われたことが無かったのだ。その後数人の人から同じように久しぶりに会うと言われたことがある。化粧と体形って大事だな、と本当に思った。

 

二人目を出産した後、この時は母乳育児だったのでさらに痩せた。どんなに食べても太らないしお腹が食べても出ない、ということを初めて体験した。幼児体形で胃下垂なのでそれまでは食べるとすぐにお腹がぷっくっとなったのだ。母乳が終わるとその頃からお酒を飲むようになった。

 

そう二つ目のキーワードはお酒。お酒を飲むようになるとなぜか交友の機会が増えた。私は人見知りで大勢の集まりが嫌なのでそれまでは飲み会などは極力行かず行っても楽しくなかった。しかしお酒が好きになるとお酒が好きと言うだけでそこまで仲良くない人とも何となく会話が続くことが分かった。相変わらず飲み会は嫌いなのでなるべく行かないが、隣の席の人と気まずい沈黙というのはだいぶ減った。お酒が入ると私は多少気が緩み喋るようになるので、暗い女、では少なくともない。多分お酒は私のとって緊張緩和剤のような役目を果たしているのだろうと思う。

 

という訳で私はだいぶ、つまらない女、暗い女、からは脱却しているものと思っていた。

しかしきっと根は変わっていないのだ。

わたしのことをつまらない女という人はお酒を飲まない。なので私は張緩和剤なしの素の状態で勝負しなければならない。

私の若い頃を知っている。化粧のない顔も知っている。

多分つまらない女の原因は自信の無さなのだと思う。

分かっているのだけれど。

どうしたらいいんだろう。

 

 

 

 

 

 

コメント
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