星を見ていた。

思っていることを、言葉にするのはむずかしい・・・。
良かったら読んでいってください。

みっともない

2017-05-30 18:15:46 | 日替わり
子供達を躾るときにご飯の食べ方を特にうるさくしたつもりなんだけれど、毎日毎日怒っているのに毎日ちゃんとしない。まだ子供がいないとき、知らない子供が公共の場所で騒いだり行儀が悪かったりすると、なんて親の躾が悪いんだ、と思ったものだが、子供を持って分かるのだが毎日叱ってもどんなに躾をしても言うことを聞かない時もある。親が一所懸命に躾をしても言うことを聞かない子もいる。そんなに親の思う通りになったら皆苦労はしないのだ。


よくうちの母は、みっともない、という理由で色々叱った。玄関が散らかっていたらみっともないから靴は揃えろ。肘をついてご飯を食べるとみっともない。スカートに皺が付くとみっともないからハンガーに直ぐかけなさい。子供の頃はいちいち面倒臭い母親だなあと思っていたけれど、大人になればなるほど、この、みっともない、という感覚が良く分かるのである。


どんなに化粧を綺麗にして素敵な洋服を着ても、背筋が曲がってずるずる歩いたらみっともない。良い服を着て品の良いように、見えても言葉遣いが汚いとみっともない。スカートの裾をずるずる引きずるくらい長い丈はみっともない。高価な革靴を履いていても磨いてないとみっともない。恥ずかしいという概念が歳とった人と若い人ではずれがあるのかもしれないけれど、みっともない、という感覚がきちんと分かる人は多分電車の中で化粧はしないであろうと思う。

私も母のように娘にみっともないから止めなさいと叱る時は多々ある。若い時は多少恥ずかしいことがあっても若気の至りということで大目に見てもらえる場合もあるかもしれないけれど、大人になるとただみっともないだけになってしまう。

なんかこの語感、何かに似ていると思ったが、もったいない、に似てる。そういえば、もったいない、も母が良く言ってた言葉だな。

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まさか

2017-05-29 07:04:03 | 日替わり
人生ってどうなるかわからないことの連続だ。小さい時から人と違うなあという家庭環境で生きてきて、自分はまともな結婚なんかできないだろうと思っていて、でもどういう訳か結婚する運びとなり、子供なんて絶対欲しくないしと思っていたら子供は二人も出来るし、子供もいるし家を建ててローンはあるし離婚なんて絶対出来ないだろうと思ったら離婚してしまった。自分は離婚するようなタイプの人間ではないと思っていた。子供がいないならともかく子供二人の人間形成と人生の責任を、一人で背負っていく勇気なんかないと思っていたのだ。まさか、というやつである。


でもすべてのこれまでの決断に全く後悔はない。離婚しなきゃ良かったと思ったことは一ミリもない。子供がもしかしたら内心はなんでママは離婚なんかしたんだよ、と思ってるかもしれない。子供達が結婚する時に片親だと引け目を感じることがあるのかもしれない、等と考えると、それだけが引っ掛かるところだけれど。


数日前以前の職場で一緒だった人達と飲む機会があり、そのうちのは一人は奥さんが浮気をして家を出てしまい離婚した方であるが、久々に話を聞いたら息子さんも離婚されたと言う。私の元同僚は、一緒に働いている人が子供がまだ1.2歳なのに離婚したと話していた。うちの職場でも育児休暇の間に離婚していた人もいる。日本の離婚率は3組に1組くらいらしいが(この数字はちょっと予想より多くてびっくりだけれど)、結構珍しくないことなのかもしれない。


結婚をして子供が出来たときは、見晴らしの良い場所に、真っ直ぐに向かっている道路の真ん中に自分が立っていて、人生の終わりまでが全て見通しがついたような気でいた。後は自動的に子供の成長と共に年を取り、仕事をやめない限り同じ生活が続いて気づいたら老人になっているのかしら、と思った。まあ離婚してもしなくてもその通りなんだろうけれど、単調な人生でないことは確かだなあと思う。


さすがにもうこれから先はまさか、ってあまりない気がするけれど、どうなるのだろう。



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ホリデイ

2017-05-28 21:20:39 | 日替わり
日曜の朝がいちばん週の中で嬉しい。土曜日の朝も嬉しいのだけれど、平日は仕事で掃除が疎かになっているので土曜日の午前中に掃除をする。つまり土曜日の朝は部屋はもっとも汚れていてやる事は山のようにあるし、爽やかではないのだ。日曜日の朝は家の中は綺麗だし、家事は土曜日ほど溜まっていないし気分が良い。


以前は日曜日には寝坊出来るのが幸せだったけれど、最近は歳をとったせいかそれほど寝坊したいと思わなくなった。7時台には起きる。起きてまず洗濯を回し、それから朝の情報番組をつける。コーヒーを沸かしてトーストを焼き新聞を取りに行く。新聞も平日はほとんど読めない。土曜日と日曜日は朝食を食べながらゆっくり読む。日曜日は特に書評があるから好きなのだ。


子供達は休みは寝坊なのでひとりでゆっくり優雅な朝だと思う。天気が良いと尚更気持ちが良いが雨なら雨でも日曜日ならまあいいかと思う。雨が降って、家の中がしん、としているのって意外に子供の頃から好きだったかもしれない。土曜日に雨だと洗濯がはかどらないし掃除もしにくいのでちょっと気分が下がる。


土曜日に買い物に行けなかった時は日曜日に行く。母のホームも土曜日に行けなかったら日曜日に会いに行く。それから夕方になりちょっと遠くまで出掛ける。毎週行きたいがいけない時もある。通勤にも使わない電車だけれど乗り慣れた電車。景色がどんどん海に近づいて行くと嬉しくなる。


そしてまた来週。
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平常心

2017-05-26 06:41:16 | 日替わり
以前の職場で上司が女性だったことがあり、彼女の机に「平常心」と小さく書いた紙が貼ってあったのを覚えている。自分よりかなり年上の男性部下や何を考えているか分からない若い男性部下、それに気の強い年上の女性の部下など扱いにくい係員を引っ張っていくのは大変だったのだろう。よく年配の男性部下とバトルをしていた。私は彼女より年下で立場も下だったのでおそらく気が楽だったのだろう、更衣室でたまたま一緒になったりすると愚痴のようなものをぽろりとこぼすことがあった。彼女のことは特に好きでも嫌いでもなかったし有能な上司とも思わなかったが、なんだか気の毒になり女性が上に立つのはやはり色々と気苦労があるのだろうと思った。


女性ではなくても感情を表に出す上司というのはやはり信用できないし器量が足りないのではと思ってしまう。どんなハプニングが起きても慌てず騒がず、どっしりと構えている上司のほうが安心できる。職場で感情的になる人というのは良くない。まわりの雰囲気が悪くなるしそういう人は傍で見ていてあまりいい気分じゃない。


職場ではクールな人に憧れる。どんなに大変でも慌てていても涼しい顔をして黙々と仕事をする、そういう風にありたいと思っている。接客なので色々な人が毎日訪れ時々嫌なことを言われたりしてむっとすることもあるが、でもそこを淡々と静かに受け流さないといけないと、怒りでイライラするときはわざと相手よりもトーンダウンして低い声にしていく。それこそ平常心平常心、と心の中で呟いている。相手の人が声を荒げたりすると上司がどうしたのかと様子を見に来ることがあるが、後で、まったく動じてなかったよね、と言ってくれたりする。内心ではアワアワしているのだが。


仕事では結構そうやって平静を装っていられるのだが子供を怒るときは感情的になってしまう。特に思春期の頃の生意気な時はそうだった。なぜだろう。多分思い入れが大きい相手に対してはより感情的になってしまうのだ。大事なことを叱りたいから感情的になる。でも今はもう子供たちは思春期の盛りも過ぎたのでまた淡々と怒って(小言を言って?)いるが・・・。




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不眠

2017-05-25 06:57:34 | 日替わり
母は自称不眠症で、夜中にトイレに必ず2、3度起きるしちょっとした物音ですぐ目が覚めるのでぐっすり眠れないとよく言っていた。神経質なのでいちいち周りのことが気になるのだろう。父も母もきっかり10時には就寝し朝は6時頃起きていたから睡眠時間はたっぷりある。眠れないなら無理に寝なきゃいいんじゃない?と言うと10時近くになると眠くて眠くてどうしようもなくなり布団に入るが、布団に入ったとたん眠れなくなるのだという。


布団に入ったら10秒で眠りの底に落ちてしまう私には眠れない、というのは考えられない。だいたい12時頃には寝て朝4時半に目覚ましを掛けるが、寝付いてすぐの眠りが深いのだろう、すごく深いところに落ちて眠った、という感覚がある。歳をとるごとに夜が弱くなってきて最近は10時過ぎに落ちてしまうこともしょっちゅうある。所謂枕が変わると眠れない、ということも全くない。というか枕を使わない。たまにクッションを枕の代わりにして寝てしまうと次の日何となく首が痛い。


しかし数日前、何時ものように12時過ぎくらいにベッドに入ったが眠れない。脚がだるいのだ。接客業なので立ちっぱなしが多く、夕方には脚がだるくなるのは日常茶飯事なのだが眠れないくらいというのは滅多にない。足を高くしたりクッションを挟んだり色々したが眠れない。そうこうしているうちに2時くらいになり朝は4時半に起きないといけないのに、と焦ってくる。でもそのうちに寝てしまった。


不眠症の人ってああいうのが毎日続くのかもと思うとやはり気の毒だと思った。
夜もう少し起きていられるといいんだけど、毎日眠気と戦い。


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人見知り

2017-05-24 06:46:17 | 日替わり
今は歳をとりだいぶ気にしなくなったが、もともとひどい人見知りだ。家は自営業で父の仕事関係の人が出入りしていたが、何故か男の人が大の苦手であり話しかけられると怖くなりべそをかいていた。向こうにしては小さい子供におべっかで声を掛けてくれるのであろうが、愛想も無い子供である。


恐らく私は対人関係を築くという能力が著しく欠損しているに違いない。コミニュケーション能力の欠如、というやつである。それなりに歳を取ってなんとか職場や地域で普通に生きているが、積極的に人と関わるタイプではないし、あまり喋り好きではないので誰かと会話するときはもっぱら聞き役である。人見知りにも何タイプかあるそうなのだが、私は自分に自信がなく消極的なタイプだ。知識の量が多い人はそれだけ話題の幅が広いのであらゆる会話を難なくこなせるのであろう。人見知りを直すには他人との会話を恐れないこと、会話を好きになるには知識情報を増やすこと、それだけなんだろうけれど。


まだ子供が小さい頃、いわゆるママ友、というもので悩んでいた時に当時の職場の先輩が、別にきちんと顔を見たら挨拶して役員とか最低限の役目はやっていれば無理に嫌なもの付き合わなくていいんじゃない?と言ってくれたのには救われた。確かに職場でも御近所でも、挨拶をし、役目や仕事をきちんとしていればそれなりに人間関係は問題なくやっていける。そして不思議なもので自分が近づきたいと思う人には割と積極的になれたりもする。歳のせいなのだろうか。


すぐ誰とでも打ち解けられる人に憧れるが、案外そう見える人と話をすると、私人見知りで〜などと言ったりする。謙遜なのかだからこそ積極的になろうと振る舞っているのか分からないが意外に自称人見知りは多い気がする。


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歯医者通い

2017-05-23 06:57:42 | 日替わり
子供の頃から歯が悪い。母は躾に厳しかったのでご飯の後にはすぐに歯を磨いていたし、おやつも時間を決めて少量しかくれなかった。キャラメルや飴、チョコなど歯に悪いものは買ってくれない。それ程歯に悪い環境に居なかったと思うのだが何故か小学校の歯科検診では必ず虫歯が見つかって夏休みは毎年のように歯医者に行っていた気がする。そんな訳で奥歯はほとんど詰めものか被せてある。


幼少期から長年同じ歯科に通っていたが、そこの医師が高齢で閉院してしまった。新しい歯科に通いだしたが前の歯科は昔のタイプの歯科だったが今度のところは予防に力を入れているし最新式である(ようだ)。それで以前に詰めた詰めものがだめになっているのが何箇所か発覚し治療を始めた。


歯の神経の治療で数ヶ月通っているが、ある日うちではちょっと無理なのでと大学病院に紹介状を書いてくれた。たまたまゴールデンウィークや子供の学校に行かなければならない土曜が重なったので、仮詰めの歯なので心配になり仕方なく夕方から有給をとり初診で行った。その日はただ担当を決めるだけで終わり、次の予約は1ヶ月後しか空いていないと言う。平日なら空いているがといわれたが、3時間の有給をもらうだけで、ん?歯医者?俺も歯医者行かないと行けないんだよね〜と嫌味を言われまた平日休むのはちょっとなあと、仕方なく1ヶ月以上も先に予約した。私だって普段はわざわざ夜遅くまでやってる歯医者行ってんだよ、と思うが切羽詰まった病気ならともかく歯医者で有休は取りづらい。しかし放置するわけにもいかないし、、、困ってしまう。


うちの子供達は二人とも虫歯が一本もない。下の子は矯正にえらいお金が掛かったがもう終わってる。私達の世代と違って今の子は予防に力を入れているから虫歯にならないのだろう。まあ私の歯医者通いも自分が悪いといえば悪いのだが。


歯は大切に。
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のんびりせっかち

2017-05-22 06:57:45 | 日替わり
のんびりした性格だとよく言われる。自分ではそうは思ってなかったが、職場で色々な人と一緒に仕事をしたり、また接客でお客さんを見ていると、やはりのんびりしているほうなのかなと思う。


貧乏ゆすりしている人がせっかちとは限らないけれど貧乏ゆすりをする人って落ち着かない。渋滞を避けて狭い生活道路を飛ばして運転する人や高速道路でせかせかと車線変更する人もあまり好きじゃない。でもその人の運転技術が良かったら気にならないのかもしれない。


母はすごくせっかちな人だった。子供の頃どこかへ出掛けた帰り電車に乗るため駅に向かって歩いていてちょうど電車が入ってくるところで、母に急かされ走った。でも間に合わなかった。そのことで非常に文句を言われた。私は別に次の電車に乗ればいいだけじゃん、と心の中で思った。通勤時間には競歩のように歩き、電車やバスに乗り遅れるとちぇっと今の私なら思うので、もしかしたらあの時母は急いで家に帰るのっぴきならない理由があったのかもしれないが、母の場合一事が万事その調子だった。スーパーでレジが混んでいるとあんた並んでてと並ばされ、自分の番になっても母が戻ってこないと非常に気まずい思いをした。母は概ねきっちりした人なのだが、若干そういう非常識な部分もあって、私は子供心に品のない行動は恥ずかしい、と母を見て学んだのかもしれない。


私が人からのんびりしている、おっとりしている、と言われるのは喋り方がゆっくりなのもある。早口で喋れない。早口な人は頭の回転も早いらしいので恐らく回転がおそいのであろう。早口の人と喋っていると何を言っているか分からない時がある。何回も聞き返すのは失礼なので適当に笑みを浮かべ誤魔化してしまう時もある。以前上司で非常に早口の人がいて困った。耳が悪いのかもと思ったが健康診断の聴力検査は正常である。


まあ毎日かっかかっかしながら生きて行きたくはないので、このくらいがいいのかもしれない。

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ねこ②

2017-05-20 08:11:56 | 日替わり
今ねこブームのようで犬よりねこのほうが飼育数が上回ったとか、ねこグッズが売れているとかとにかくねこの話題が多い。私はねこを飼っていないがついついねこの動画など見てしまったかわいいと思っている。


以前犬を飼っていたので自分は絶対に犬派だと思っていたが、犬は犬の良さがあるがねこも多分好きになるだろうと思う。自分の性格からいくとむしろねこが合っている気もする。


実は数年前からねこを飼いたいなと思うようになってきて、捨て猫のおすそ分け会のHPなどを見ると非常に心惹かれる。周りにはねこを飼っている人や以前買っていたという人は結構いるので色々話を聞いてみたりするのだが、やはり飼うのはむづかしそうな気がする。飼うならば責任もって買わなければいけないし、飼ってはじめて色々と困ることもあるだろう。


私が躊躇するのは、ねこは高いところや洗面台とか台所の流しとかあらゆるところに上ってしまうという点である。ねこを飼っている人のブログ等を見ると台所のシンクの上で料理しているのを見ていたり、とか冷蔵庫の上で寝ていたり、などの写真をよく見かけるが、あれが多分無理な気がする。ねこはしつけができないのだろうか、良く分からないが台所に動物がいるのって私はだめだなと思う。それから匂いもどうなんだろう。犬はお風呂に入れることができたので定期的にシャンプーしてやったがねこってシャンプーできるのだろうか。


しかしねこの仕草ってかわいらしい。普段はしれっとした態度なのに甘えるときはあのかわいらしさ、ねこ独特のあの感じが多分実際に飼ったらメロメロになるであろう。うちの子供たちも多分ねこ好きだと思う。特に上の息子はねこ飼ったら可愛がりそうだ。でも飼えないなあ。


この間テレビでねこの繁殖力の高さを放送していたが、1年くらいでもともと2匹しか飼っていなかった家が30匹くらいに増えてしまって荒れ果てた家を映していたが、この情報化社会でどうして手術させるってことが分かっていなかったのか不思議だ。30匹のねこの食費やら世話も大変なのもあるがねこも可哀そうだし近所も迷惑だろう。しかし猫の繁殖能力がそんなにすごいのなら家の近所に野良猫が数匹いるがもっと増えていてもおかしくないはずなのに2匹くらいしかいない。もともと家ねこだったのが野良になり手術済なのかそれとも私が気づかないだけでもっと野良猫は存在しているのか。不思議である。


仕事をやめて暇になったら飼ってみようかな、とも思うが自分よりねこが長生きしたらそれも可哀そうだしなあ、とも思ったり、犬を飼ったほうが散歩にも行けるしなあ、とも思う。
とりあえず今は飼えないので動画など見て、かわいい~とほっこりしているくらいがいいのかもしれない。




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ぬか漬け

2017-05-18 18:27:09 | 日替わり
母はずいぶんと昔からぬか漬けをつけていた。冬の間は表面にからしをたっぷりといれて蓋をして涼しいところにしまう。それ以外の時期は毎日必ずかき回して腐らないように管理していた。子供心に相当に気を使い腐らせないようにしているのが見ていて分かった。多分ずっと使い続けてきたぬか床を自慢にもしていただろう。旅行に行く時などはどうしていたのだろうと思うが、一度か二度くらい駄目にしてしまって、あ〜と言っていたのを覚えている。


母のぬか漬けは浅漬けが好みの私にはちょうど良い塩梅で、たまに他所のおたくのぬか漬けをおすそ分けしてもらって食べると、古漬けっぽかったりしょっぱかったりして、やはりうちのがいちばん美味しいとなる。おそらくぬか床の味や発酵具合もあるだろうが漬けてから取り出す時間が絶妙だったのだと思う。夏になるときゅうりやナスのぬか漬けが夕ご飯に必ず出て、表面がツヤツヤと綺麗な色だったのを思い出す。


母はぬか床を封印している冬の間は白菜の漬物をつけていた。ゴミ箱くらいな大きなバケツに白菜を重ねて塩を降り鷹の爪や柚子の皮など入れて重石をする。これも漬かり過ぎない加減のちょっと浅漬けっぽいのが好きで、やはりこれも引き上げるタイミングが絶妙だったのだろう。母が高齢になり、不正脈などになって来たころ、こういう日常の何気ないことを聞いておかないと、急に倒れたりして二度と聞けないかもしれない、とある日詳しく聞いたのだ。母は脳梗塞になり、もう家事さえできない今となっては聞いておいて良かったかもしれない。といってその後一度もつけた事はないし、いくらでも調べれば漬け物のつけ方なんて分かるのだろうが、でも聞いておいてよかったと思う。

私はまめな性格ではないので、ぬか漬けも白菜漬けもやろうとは思わない。でも市販のものは添加物など気になるし高いので冷蔵庫でタッパーに入れて作るぬか漬けでも試してみようかなと思ったりする。

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ニース風サラダ

2017-05-18 06:57:08 | 日替わり

仕事帰りの電車やバスの中でその日の夕食を考えることが多い。買い物する時にこれを作ろう、と思って食材を買うこともあるが、だいたい定番の野菜や肉を一週間分買って冷蔵庫と冷凍庫に保存する。日曜日にバラ肉を巻いてお弁当のおかずにストックしようと思ってアスパラガスを買った。肉売り場に行ったらアスパラガスの存在を忘れ肉は冷凍にまだ沢山あるからと買わなかった。まあお弁当の彩りに入れようと思っていたら娘が明日からテストだからお弁当要らないと言う。アスパラガス大好きなんだけど高いので滅多に買わないのだかお弁当ようにと珍しく少量買ったのだ。絶対に無駄にせず美味しく食べたい。パスタにしようかとも考えたが一昨日明太子スパゲティを作ったばかり。アスパラガスに想いを馳せていたら急にニース風サラダを作ろうと思い立った。


新じゃがある、アスパラガスある、卵ある、ツナある、でドレッシングの作り方検索する。私はおっちょこちょいなのでここぞというときに何か在庫が足りないことは良くあることだ。アンチョビがいる。アンチョビってあまり買ったことがないのだけれど確か家に頂きものがひと缶あったはず。大丈夫だろう。でもおかずメイン何にしよう。何故だか急にフランスパンが食べたくなり買う。バスに乗ってからああワインも買えば良かったと思うが遅い。

で家に帰って早速作った。あれ、アンチョビだと思ったらオイルサーディンだった。これって同じもの?いや違うけどこれでもいいかなあ?まあ入れなくてもいいかちょっとこくが無くなりそうだけど。検索してわかったけどニース風サラダってアスパラガスじゃなくいんげんなんだ。まあいいか。


で出来上がった。ツナ入れなかったし少しドレッシング塩気が多かったがまあまあだった。
でも意外に時間掛かったなあ。

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悩み

2017-05-17 06:49:40 | 日替わり
前にも書いたけれど人から悩みが無さそうだねと良く言われる。私だってこう見えても色々あるし、むしろ平和なご家庭の人より悩みが多くてもおかしくない環境だと思うんだけど。


若いときは常に悩みがあった。自分の容姿のことやら出自のことやら家が貧乏だったのでお金のことやら将来のことやらとにかく悩みだらけだった。まあ10代なんてみんなそんなものかもしれない。心配性でもあったので自分の将来になんの希望も見出せない子供だった。


自分でも不思議なのだけれどいつからこんなに楽天的になったのだろう。確かに今切羽詰まった悩みはない。色々懸念事項はあるが生きるか死ぬかの悩みなんてない。


考えてみるとやはり離婚してから考えたが変わったというか、楽天的になったというか前向きになった気がする。悩み事っていうのは必ず解決法があるわけで、解決するには自分でその方法を考え実行すればいいだけのことなのだ。解決しようのないような悩みは、いかにその問題を気にしない方向へ持っていくかを考えるべきなのだろう。それから例えば、子供が勉強しない、などの類の悩みは、これは自分の悩みと言うより子供の問題であるから本人がやらなければ仕方ない。でも悩むのは良く分かる。


結局私は共同で家庭を運営する人が誰もいないので(子供はちょっと違う)、家族間の人間関係や意見の相違とかもないし、だからイライラもしないので結果悩みがないのかもしれない。何か懸念事項があっても自分で解決しないと誰もやってくれないし、何かあったときも人のせいにできない。


人から悩みなんてなさそうと言われると以前はちょっとむっとしたが、今は開き直って、そうなのよ何もないの、あはは〜、と言ってやる。でも本当にないのかもしれない。




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歳の取り方

2017-05-16 06:57:40 | 日替わり
母が老人ホームに入っているので毎週末訪ねに行く。毎週行けない時は隔週ごとに行く。母は脳梗塞になった後は認知の症状があり、また視力がほとんどないため私が行っても最初誰だか分からない。声をかけて私だと分かるが、母の一番下の妹と私の雰囲気がとても似ているので、いつもその叔母と間違える。話している最中に何度も訂正するが数秒後また戻っている。

脳梗塞直後は自分が誰で名前さえ認識できない状態だったが、今は名前生年月日や親族のことはちゃんと分かるし比較的昔のことはよく覚えている。うちの子供達のことは生まれてからあんなに面倒見てきただろうによく分かっていないときがある。うちの子供達の名前が私と兄の名前に似ていることもあるが、混乱してしまうらしい。

私は母と話していて思うのだか、私は母の実の子供ではなく養子であるので、実は私は記憶にないんじゃないんだろうか、子供を産んだことがないのだから自分には養子でも子供はいない、という認識になっているのではないかと思う。けれど脳梗塞直後の、まるで母がまったく違う人間になってしまったかのような、外見は同じなのに中身がまったく入れ替わってしまったかのような、あのなんとも言えない違和感は今はない。少なくとも同一人物であるけど所々記憶が抜けているという程度だ。


ホームは10人くらいが1ユニットになっているが色々な人がいて、83歳の母は比較的若い方だろう。母以外の人はほとんど車椅子で寝たきりの人も一人いる。毎日やることがないのだからお互い話でもすればいいと思うのだか皆静かである。女は元気な時は年に関係なく子供も中年も四六時中喋っている生き物なのにあそこでは誰も喋っていない。不思議である。年をとると喋る元気もなくなるのだろうか。


母がホームに入るまでは自分の老後なんでまだまだ先と思っていたが、いつかは自分も辿る道なのだ、と思いながらホームのおばあちゃん達をいつも観察している。
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ていねいな暮らし

2017-05-14 21:27:49 | 日替わり
子供が生まれて小学校に入るまでは今に比べると随分と家事に時間を掛けていたように思う。子供が産まれるとほぼ同時に家を建てたので家が新築だったのもあるが、掃除も週末だけでなくもっとこまめにやっていたし、年末は徹底的に大掃除をして隅々まで綺麗にした。食事も子供ができると体になるべく良いものを食べさせたいと思ってパンなどは毎日ホームベーカリーで焼いていたしお菓子作りもよくやっていた。毎年ひな祭りや節句の時にはかぼちゃを煮たり菖蒲湯を入れたり、ちゃんとお雛さんや兜なども出していた。子供の保育園の上履き入れや昼寝布団カバーなども自分で縫った。裁縫やミシンかけは元々好きだったのでさほど苦では無かったし、ホームベーカリーも炊飯器と同じ感覚だとその時は思っていた。


その頃は家に余分な物が本当に少なかった。母が目が悪く床に物を置くと転ぶ可能性があるので一切床に物を置かなかったのもある。子供がおもちゃを自分達で片付けた後も私がやり直してきっちりしまったし、部屋はいつまて整然としていた。


子供が小学校に上がると自分のことは自分でさせようと、子供の学校の支度も全部自分でやらせたし片付けも手を出さなかった。するとやはり部屋は片付けても片付けても乱雑になってきた。


母がいた頃は家事をだいぶ手伝ってもらっていたので母がいなくなってからは夕食もかなり簡単なものが多くなった。母の作るご飯は言ってみれば昭和の粗食みたいなもので決して品数が多い豪華なご飯では無かったので大差ないのかもしれない。


時短料理も慣れてくるといかに少ない時間でまともなものを作るかと考え、手抜きではあるがそれなりに栄養バランスであったり味だったりがまともになってくる。効率の良さが勝負なので時間が掛かると、あーあこんなに遅くなったと自己嫌悪する。


最近は開き直りというか、家事っていうのはやればやるほどキリがないしかといって手抜きすればいくらでも手抜きできる。時間が余ってる人はとことんやればいいし無いなら合理的に最低限すればいいのでは、と思う。手抜きではない、合理化。


ていねいな暮らし、ってなんなんだろう。そしたらうちは丁寧じゃないのかもしれないけれどまあいいかと思ってる。

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つらいときは…

2017-05-14 17:10:32 | 日替わり
人からよく能天気だと言われる。いや能天気とは直接言われないが長生きしそうだ、とか悩みがなさそうだ、とか遠回しにお前は能天気だというようなことを言われる。こう言ってはあれだけれども、結構辛い人生を送ってきた。勿論もっと大変な思いをして生きている人はたくさんいるだろうし、人なんて楽に生きているように見えて苦労を微塵も見せずに生きている人だっているだろう。


離婚しているので旦那は居ないし、母は認知で老人ホームに入ってしまったので辛いことがあった時に愚痴ったり感情を吐き出せる人がいない。まあ本当に辛いことは例え身内でも人には言えない類のことだろうから、家族に言えるのは愚痴程度のことなのかもしれない。もちろん子供には会社でのちょっとした人間関係程度の愚痴は喋ることはあるけれど、それも滅多に言わない。職場で色々あって憤懣やるかたない時も家に帰ると喋る気が失せてしまう。やはり私は能天気なのかもしれない。


それでも、どうしようもなく、本当にもうどうしようもない位に辛い時もある。正直子供みたいに「そうかそうか」と頭をなでて私の話をただただ聞いて肯定してくれる誰かがほしいと思う時もある。当たり前だけれどそんな人はいない。それでどうしても辛いときは布団を頭から被り涙を流してしくしく泣く。というか辛すぎる時って何故だか泣けてくるのである。でも人に(勿論子供にも)そんなところは見せられないので電気を消した布団の中で泣く。


これはなかなか効果がある。次の日の朝には、なんとかなるだろう、という気分になる。もしかしたら泣いたせいでなく元来の呑気な性格だからかもしれない。

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