星を見ていた。

思っていることを、言葉にするのはむずかしい・・・。
良かったら読んでいってください。

いつになったら

2008-07-22 01:09:20 | つぶやき
どうして、池にいる白鳥や鴨みたいに、
涼しい顔して泳いでいられないんだろう。

私はいつも、もがいてばかりで、
そして時々、溺れそうになる。

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閲覧者数

2008-07-20 20:16:46 | つぶやき
gooのブログは解析機能がまったく悪いので、どういう方がこちらを訪れていただいているのかさっぱり分かりませんが、訪問者IPの数と閲覧者PVの数だけは分かります。

私のこのブログはいつも訪問者IPは十数件とか、記事をアップしたときでさえ数十件とか、そんな程度なんです。でも昨日訪問者IPは十数件だったのに閲覧のPVが100件だったのです。とても珍しいことです。特に記事もアップしていないのに。

たまたま訪れていただいた方が他のページも読んでいただいたのかな、と勝手な解釈をしていますが、ありがとうございました。

ほんとうに、いつもここを見ていてくださる方や、たまたま来て他も覗いていただいた方、感謝です。ありがとうございます。

アクセス件数を見て思ったことでした。
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なんだか嬉しい

2008-07-17 02:18:35 | つぶやき
昨日の朝、テレビを見ていたら井上荒野さんが映っていた。何でこの人がテレビに?と思っていたら直木賞受賞されたようだった。ノミネートされていたことすら知らなかったのでびっくりしました。
数冊しか読んでいないけれど、好きな作家さんなので何となく嬉しくなってしまった。
書かれたものとご本人て、小説を読む上では関係ないのだろうけれども、本の最後に載っている写真なんかを拝見すると、勝手なイメージで素敵に歳を取られている方なんだろうと思っている。
書くのをやめないでよかった、という言葉が印象的でした。
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雲の壁紙

2008-07-14 13:43:15 | 読みきり
 部屋の中にもう荷物は何もなかった。がらんとした、昨日まで居間として使っていた空間に立っていると、たいして愛着のなかったはずの家なのに、懐かしさのような、空しさのような、切なさのような、何とも言えない感情が押し寄せてくるのを感じた。そしてこの光景は、ずっと以前に見た覚えがあると思った。この家に引っ越してきた十数年前、初めて何もない部屋にこうして同じように立って、狭い社宅暮しから、誰にも邪魔されずに自分たちだけで住む家がやっと出来たのだと実感したときのことを思い出した。家具が置いてあったときには気付かなかった壁の染みや陽にやけた跡や、柱の傷や子供が小さな頃に書いた落書きなどが、自分がずっと長いあいだここに住んでいたということを嫌でも思い出させた。もう用がないこの家に、一分たりとも長くいたいとは思わなかったが、何となく立ち去りがたいものを感じて二階に上がった。一応最後に、この家がどんなだったかを確かめておきたかったのかもしれない。

 二階に上がるとまず自分たちの寝室だった部屋をざっと見た。ここを見ても、もう何の感傷も抱かなかった。思い出したくもなかった。部屋が北向きにあるせいか、暗くて狭くて落ち着かない場所、そういうイメージそのものだった。ベッドや箪笥や古びたカーテンなどがすべて取り去られた空っぽの部屋でさえ、そういうイメージが付きまとった。もうこの部屋に用はないのだと思うとほっとした。そのまま隣の子ども部屋を覗いた。何もないがらんとした部屋だったが、空と雲の柄のブルーの壁紙がここは子供部屋だったということを主張していた。家を建てたら子供部屋の壁紙は絶対にこの柄にするのだと、家を建てるずっと前から決めていた。以前見たアメリカ映画に出てきた子供部屋の、壁紙がこの柄だったのだ。ここに子供用のベッドと机を置くと、いかにもという感じの子供部屋になった。子供が大きくなるとこの壁紙を変えてくれと何度もせがんだが、そのうちね、と言っているうちにとうとうそのままになってしまった。結局高校生になるまでこの部屋であの子は過ごしたのだ。その昔見た映画というのは、確か離婚をテーマにした映画だったことを思い出した。そして皮肉だなと思った。

 私はこの抜け殻のような家を眺めながら、これから住むことになる2DKの市営住宅のことを思った。その今日から自分たちの住まいになるところは、私の持っている市営住宅というイメージからは少しはましなような気がした。まだ築年数がそれほど経っていないので、その辺の中古マンションとそれほど変わりがなかった。私と息子と、それぞれが部屋を使ってもやや広めのダイニングキッチンがあるのだからそれで十分だった。もう高校生の息子は学校やらアルバイトやらで多分ほとんど家にはいないだろうし、私も仕事があるので日中は家にいない。夜ご飯を食べて静かに眠れる場所があればそれで良いのだ。私にとっての安眠とは、それは主人がいない部屋に一人で眠ることであるのだから、それはもう私にとっては十分幸せな睡眠になるに違いなかった。

 私たちの仲が険悪なのは息子も大体分かっていただろう。私はあえて隠すこともしなかった。主人に文句があればいつでも憚りなく言ったし、彼も私に対して遠慮はしなかった。それでもそうなる前の、この家に引っ越してきた直後の十年ほどは、主人の母と同居していたこともあってそのような険悪な雰囲気ではなかった。その当時の私たちは、何か薄いベールに物を包んだような話し方をしていた。それはお互いに本音ではなかったのだろう。私たちはそれぞれの役目を従順に演じていただけかもしれない。よき嫁や妻や、よき夫など、そうあるべきだ、という曖昧な基準に従ってそのように振舞い、余計な波が立つのを避けていたのだ。それは無意識的にそうしていたのかもしれないし、そうすれば表面上はうまく家庭を形成できると意識的に計算づくでそうしていたのかもしれない。ただ私たちはお互いにそういう気配を感じていつつも、あえてその点に追求しなかった。そうしないほうが毎日はつつがなく送れるし、面倒なことも何一つ起きなかったからだ。

 その、一見平和で平凡な家庭が、少しづつ変わり始めたのは同居していた義母が亡くなってからだ。それまで義母の手前何となく追求しなかったそれぞれの不満な点を、お互いに容赦なく口にするようになった。私は義母が生きているときは例え思っていても口にしなかったようなこと、例えば自分がまるで主人のハウスキーパーとして結婚したんじゃなかろうかと思えることや、それまでに何となく形作られた家のルールが、まったく亡き義母のやり方であるということが、我慢できなくなってあえて口にするようになった。主人にしてみればそれまでおとなしく何の文句も言わなかった従順な妻が、急に自我を示し出したので戸惑ったかもしれない。彼は変化というものを嫌ったし、自分はいつまでも誰かが面倒を見てくれるもの、それは端から見たら子供がそのまま大きくなったようなものでしかないのだが、一家の主とはそのようにあるべきだと信じて疑わなかった。私が専業主婦だったら、それはそれでうまくいっていたのかもしれない。だが私は給料こそ主人には到底及ばないほどの額であったけれど主人と同じように朝早く家を出て、夜帰ってくる会社員としての生活をしていた。それなのに私だけが家事の負担や育児をすべて担っているということに、日々のストレスや不満が溜まっていった。

 それから些細なことでの言い争いが耐えないようになった。私が我慢をすれば済むことだとは分かっていたけれど、体力的にも精神的にも辛いと思える日々は私を辛抱強くはしてくれなかった。主人が出張でいないときなどは心底ほっとした。子供と二人で過ごすということは、私にとっては心安らぐときだった。私は多分、そもそも主人と結婚したのが間違いだったのだ、そう思うようになってきた。職場の上司が紹介してくれた人と、何の疑問もなく結婚してしまった当時の自分を、考えが甘かったのだと呪った。もしかしたら、私がどうしようもないくらいに惚れてしまった相手と結婚したのであったら、私はどんなことにも耐えられたかもしれない。この人の為なら、とあらゆることを我慢できたのかもしれないし、それだけ好きになった人の母親だったら、もっと愛情を持って接することも出来たのかもしれない。だが私は、だんだんと主人のことを所詮は他人なんだとしか思えないようになっていた。私がそれだけ愛情も何も感じなかった夫婦生活を決して離婚という方向に考えなかったのは、それは単純に息子がいたからだった。もしかしたら、これが女の子だったのなら、もう少し考えが違ってきたのかもしれない。でも私は、男の子の母親だった。私は子供が実際に生まれてくるまで、自分が男の子の母親というものをやっていけるのかどうか不安で仕方がなかった。男の子に接するのは、自分の苦手な分野だった。例えそれがわが子であっても、どんどんと成長していくに従って自分はどういう育て方をしていいのか自信がなかった。やはり父親は必要だと思っていた。

 そんな生活が続いていくうちに、やはり私は息子と二人で行きていこうという決心に変わったのは、主人が長期に単身赴任をしてからだった。息子が中学一年のとき、主人が一年間の地方への単身赴任となった。私は正直、なぜこんなときにと思った。中学一年といったらいちばん難しい年頃ではないか。小学校から中学になり、思春期という時期に入ってきた息子を、私ひとりで上手く切り抜けられるのかと不安に思った。息子は取り立てて何か問題を起こすような子供ではなかったが、それだけに中学に入って父親が不在になった途端に、何かが起きるのでは、とまだ起きもしないことに対しての不安が募っていった。けれども単身赴任の一年間、何事も起こらなかった。息子にしてみれば両親が些細なことで逐一口げんかをしている家に暮らしているよりも、静かな家に静かに暮らしているほうが伸び伸びとしているように見えた。私としても家事の負担は想像以上に少なく、あれこれと突っかかってくる人もいない中で、精神的にゆったりとした日々を過ごした。主人のいない一年間で、私は主人に頼らずに生きていけるかもしれないという、ささやかな自信を得たのかもしれない。

 一年間を終えて帰ってくると、主人は以前の主人とは違っていた。妙に私や息子に対して優しさを示すようになった。私はもう、主人の優しさは必要としていなかった。私は自分のペースで生活する術を少しづつ身に着けていた。息子が大学生くらいになって家を出てしまったら、一人きままな生活をしようと、密かに想像していた。具体的に離婚という話にはなっていなかったが、私の中では勝手にそう思っていた。そう思っていたからこそ、主人が戻ってきてからの日々の暮らしを、何とか穏便に過ごすことができたのかもしれない。だがある日、主人の優しさは主人なりの作戦だったのだと分かった。単身赴任の間に主人は土地の人と付き合っていた。主人にしてみれば、単身赴任が終わったらそれでお終いになる関係なはずだったのだろう。だがその若い女はこちらまで付いてきた。私はそのことが露見したとき、何の感情も感じなかった。ああ、そうなの、と思っただけだった。私はもう主人を必要としていなかったし、別に主人が他所の女を抱こうが構わなかった。それはまったく他人同士が誰と付き合っていようが自分に関係がないように、その時の私にとってはすでにどうでもいいことの範疇になっていた。

 だが、私のそんな反応を見て主人は怒った。私が嫉妬に狂って女をなじるとでも思っていたのだろうか。どこまでもステレオタイプ的な考えしかできない人だと思った。主人にしてみればそれは遊びだったのかもしれないが、彼女にとってみればそれは本気だったのだ。私は逆に、彼女が怒るのも無理がないと思った。どうして主人はそんな風にしか女を見ることができないのだろうと思うと、やはり言いようのない怒りが湧いてきた。他の女と寝た、という怒りではなく、女性蔑視を公然としているような態度に対しての怒りだった。その時私は、もうこの人とはやっていけないと思った。主人はどこまでも勘違いをしていた。私が怒っているのは、主人が浮気をしていることに対してだと信じて疑わなかった。浮気に嫉妬するくらいなら、私は逆に主人と別れようなどとは思わなかっただろう。だがそんな心理は到底わからないようだった。

「パパとママと、離婚したら悲しい?」
 当時まだ小学生だった息子に私はある日尋ねた。
「かなしくない。僕はママと一緒にいられたらそれでいい。」
 私が離婚をしようと本気で決めた一言だった。

私は雲の壁紙の子ども部屋を出て、階下へ降りそのまま玄関に向かった。外に出ると表札を外し、そのままゴミ袋の中に捨てた。


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私は

2008-07-13 20:40:39 | つぶやき
考える。
考えないようにする。
考えない。

どうしたらいいの?
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あさがお

2008-07-12 21:53:39 | 読みきり
 私は、小学校の体育館の裏側に、他の31人の人達と、綺麗にならんで立っている鉢植えの朝顔です。

 私達にはそれぞれ、私達をお世話してくれる決まった子供がいます。その子の名前が、鉢の正面に書かれています。私のお世話をしてくれるのは、さき子ちゃんという子です。背の低い、くるくるとした髪の毛をした、いたずらそうな顔をした女の子です。

 子供達はいつも、2時間目と3時間目の間の休み時間や、お昼休みになると、ペットボトルの空き容器を持って、私たちのところへやってきます。日照りがつづいて、喉が渇いてどうしようもないときなんかは、皆自分のお世話してくれる子供が、何時来るか何時来るかと首を長くして待っています。私たちが種として土に埋められ、ここに連れてこられた直後は、ほとんどの子が毎日のように覗きに来ました。芽が出てくるのが待ち遠しくて仕方がなかったようです。それから、毎日のように様子を見に来る子、ほとんど来ない子、昼休みだけ来る子、というようにそれぞれの子供の性格によって、私たちは運命を左右されるようになりました。

 私のお隣さんは、本当によくやって来ます。ほとんど毎日のように昼休みになるとやって来ます。雨の日も覗きに来ます。なんて親切な子供が当たったんだろうと、お隣さんは嬉しそうに話してくれます。でも雨のたっぷり降った次の日も、きちんとお水をくれるので、少し乾きたいと思うときもあるようです。その反対のお隣さんは、がき大将みたいな、乱暴な大きな声でどなってくる男の子です。彼は気紛れで、来るとたくさんのお水をくれるし、来ない時はずっとずっと来ないみたいです。そんなときは、お隣さんは雨が降るとほっとしたような顔しています。私の後ろの人は、恥ずかしがり屋の女の子で、他の子達と違っていつも一人で来ます。皆が帰ってしまった夕方頃、やってくることもあります。この子は自分の鉢に水をやると、もういちど水を汲みに行って、周りのからからになった鉢にも、水をかけてやります。あの子のおかげで、ほんのひと時でも喉を潤せる仲間がなんと多いことか。私もあの子には何回かお水をもらいました。

 さて、私のお世話をしてくれるさき子ちゃんは、最初の一ヶ月ほどは、昼休みになると2、3人のお友達と一緒に、ペットボトルを持ってやってきました。私の前にじっと座って、アーモンドのような目をじっとこちらに向けて、見詰ています。いたずらそうな顔しているので、やっと出た私の小さい芽を、摘み取られるんじゃないかと思ったこともありましたが、そんなことは勿論ありませんでした。そうして1ヶ月がたった頃、いつも来る他の女の子はやってくるのに、さき子ちゃんだけ来ない日が続きました。私は、最初のうちこそ、あの気紛れなさき子ちゃんのことだから、と気にも留めなかったのですが、あまりにも来ない日が続いたのでだんだん不安になってきました。雨の降る日はそれほどでもないのですが、晴れた暑い日が続くと、さき子ちゃんを恨んでみたくもなってきました。そんなある日、お隣さんやらほかの鉢に水をやっている子供達が、さき子ちゃんは風邪で入院しちゃったんだって、と言っているのが聞こえました。私は、あ、っと思い、私を放ってばかりのさき子ちゃんを、恨もうとしたことを少し恥ずかしく思いました。

 それから2週間程が経ちました。もうあと一週間程すると、私たちはそれぞれの子供の家にお邪魔して、そこで夏の間お世話をしてもらうことになるのです。夏のお休みが終わったら、またここに帰ってきます。ぽつり、ぽつりと子供達のお母さんやお父さんがやってきて、家に連れていきます。お母さんの腕に抱かれて行く者、自転車の後ろの座席に載せられる者、夜、背広を着たお父さんが、よいしょ、と持ち上げて、連れられる者もいました。

 とうとう残った者は5人くらいになってしまいました。さき子ちゃんのお父さんもお母さんも、来ません。さき子ちゃん自身も、退院してから休みがちなようで、2,3回しか会っていません。でも、私はさき子ちゃんのいなかったのが長かったので、もうだいぶ我慢ができるようになっていました。残った5人で、私たちいつお迎えが来るのかしらねえ、とひそひそと話していました。さき子ちゃんのお父さんもお母さんもお仕事をしているので、なかなか来れないようなのです。

 そうして、毎日暑い日が続いて、たまに雨が降ったりして、夏のお休みが始まる前の日になりました。残ったのは私だけになってしまいました。3人くらいのときはそれほど寂しくなかったけれど、さすがに一人では、夜になると寂しい思いをしました。私はひと夏をここで過ごして、下手したら死んでしまうのかしら、そんなことを思っていると、向こうから大人と子どもが手をつないでやってきました。さき子ちゃんとお母さんのようでした。

「あーあ、さき子のは最後になっちゃったんだね、ごめんね。」
 お母さんは私をふいと持ち上げて、大きなスーパーの袋に入れました。
「ママが早く行ってくれないからだよ。」
「ごめんね。帰ったら水をやってやろうね。」

 私は、勿論、その言葉が私にではなくさき子ちゃんに言っている言葉だと分かっていました。でも、なんだかほっとして、ビニールの中で揺られながらさき子ちゃんの家に向かいました。

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たなばた

2008-07-08 06:47:26 | つぶやき
おりひめとひこぼし。

昨日は会えたのかしら。

一年に一度、たった一度のその日、会うことができなかったら、

私だったら気が狂ってしまう。

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やっと終わりました

2008-07-05 17:08:08 | ごあいさつ・おしらせ
やっと最終章までたどり着くことができました。

いままで書いた数少ない何編かは、短かったので勢いで書いたという部分が大きかったのですが、今度書くものはなるべく長いものを、丁寧に書く努力をしよう、と思っていました。

最初に大体の話の流れと必ず入れるポイントだけを考えておいて、何とか進んできました。でも最後の最後だけを考えていませんでした。書き出すと思わぬ方向に進んでいくというのは予想できたので、最後は何とかなると思っていたのです。でも何とかならなくて、やはり、最後の最後で行き止まってしまいました。
やはり、というか、当然なんですが、文章を書くというのは難しいなと思います。

最後まで完成してからそれに見合ったタイトルをつける、というのが理想だと思いますが、このようなスタイルですからタイトルは先につけないといけません。それで、こんなタイトルをつけてしまったものですから最初の思い付きを最後まで書く羽目になりました。タイトルつけるのは非常に難しいです。

こんな文章なのに、最後まで読んでいてくれた方がいたら本当に感謝です。ありがとうございました。まったく季節はずれの最終章で気分が乗らなかったですが・・・よろしければご感想ご指摘などコメントしていただくと嬉しいです。

次は・・・やはり短いものを書くのがいいかなと思っています。いつになるか分かりませんが。
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天使が通り過ぎた(最終章)

2008-07-05 15:04:47 | 天使が通り過ぎた
「じゃあ、今はどうなの?」
「え?」
 健一さんが尋ねてきた。
「今も、まだ、何もかも差し置いて香織さんの意識を真っ先に占めているのかな。つまり・・・」
「振られた彼のことを、ってことですか?」
「そう。」
 私は健一さんがそんなことを聞いてくるとは思っていなかったので、こんなことを聞かれたことに少し驚いてしまった。
「いえ。」「もう、もうそんなことは無くなりました。」
 答えてから、そういえば最近はそんなことも無くなったなあと気が付いた。振られた直後の、何を見ても何を聞いても通彦との思い出につながっていったあの感じとは、今は違っていた。あの時は、時が解決してくれる、という陳腐な言葉を、信じられない自分がいたけれども、時というものは自分では気が付かないうちに、当たり前のように過ぎ去り優しく記憶を遠いものにしてくれるのだなと、そう思った。
「それはよかった。」
 
 健一さんは穏やかに微笑んだ。そしてしばらくの間こちらをずっと見ていた。見つめていた、と言ったほうがいいかもしれない。数秒たっても数十秒たっても目を逸らさないので、私のほうも目を逸らすことが出来なかった。その間、周囲のざわめきだけが聞こえていた。部屋の隅の厨房でカラトリーがぶつかる音や、人々の話し声やそんなものが、まるで遠い場所から聞こえてくるようにくぐもって耳に入ってきた。私たち二人のまわりだけが、見えないベールになっていてその中だけが静かな空間になっているようだった。
「今ね、天使が通り過ぎたんだよ。」
「え?」
 健一さんが何を言っているのかよく分からなかった。
「続いていた会話がふっと途切れて沈黙することを、天使が通り過ぎる、ってフランスでは言うらしいよ。」
「天使?」
 私は健一さんがシュトーレンと一緒に送ってくれた葉書に印刷された、赤ちゃんのような天使を想像した。
「それって、天使って、キューピッドのことなのかしら。」
 その赤ちゃんみたいな天使はキューピッドのことだと思っていた。
「うーん、どうかなあ。」
「違うの?」
「ほら天使と言ってもね、いろいろあってね、何だっけな、おじさんみたいな天使の出てくる映画もあったよね。人間に恋をする。」
 私は見たことはなかったけれどドイツの白黒の映画を思い出した。
「ああ、そっか。そんな映画ありましたね。あれも天使なのね。そういうおじさんの天使が出てくる小説があったわ、そういえば。天使なのに見世物になっていて、ひどい扱いを受けて石とか投げられて。よれよれで。」
 
 一瞬止まった空気はこんなくだらない会話ですぐに雰囲気が変わった。
「香織さんにもう一度会いたいなと思ったのは、まったく沈黙が気にならなかったからだと思う。あの時あなたは最悪の状態で、僕はコーヒーを引っ掛けるし、もしかしたら自殺してしまうんじゃないかって少しは思ったのもあるのだけれど、それよりも、そんな最悪な状態でいたのにも関わらず、なんかその中に何か惹かれるものがあったのかもしれない。それが何かはよく分からないけれど。」
 健一さんは淡々と喋った。それはせりふとしてはかなり大胆なことを言っているように思えたけれど、あまりにも健一さんが普通に淡々と話すので、私はどう答えていいのか良く分からなかった。分からなかったけれど、それは嬉しいという気持ちに近かったのだと思う。
「じゃああの時は、天使が何十人も何百人も通りすぎたかしらね。」
「そうかな。」
「私あまり話しもしなかったし。むっつりとして。だからおじさんの天使がぞろぞろと。大行列。」
「なんでおじさんの天使だけなんだい。かわいい天使はいないのか。」
 私たちは笑った。私は自分が会話をするのが不得意であるということを、こんなに肯定的に考えたことはなかった。だから私は、健一さんと話していてもあまり緊張しないのかもしれないと思った。そういう風に感じる人というのは珍しかった。
 
 「昔そういえば、クリスマスのプレゼントにろうそく立てを貰ったことがあってね。ろうそくの熱でくるくると天使が回る仕掛けになっているの。天使が4,5人、矢を拭きながらくるくると回るの。そのおもちゃを見るとね、なんだかクリスマスだなあと思ったわ。ほんわかした気持ちになれたというか。それを今思い出した。もう忘れていたけれど。」
「そう。」
「私久しぶりになんだか楽しいクリスマスを過ごせたわ。健一さんのおかげで。」
 私は本当にそう思った。気を使わずにこれだけリラックスして食事ができたのは、とても久しぶりなような気がした。
「またこうして会えるのかな。」
 健一さんは私を見てさり気なくそう言った。私もさり気なく答えた。
「もちろん。健一さんがよければ喜んで。」

 店を出ると寒さは一段と厳しくなっていたけれど、お酒も飲んでいたし食べたばかりなのでそれほど寒いとは思わなかった。なんとなく行きかう人は皆浮かれているように見えた。皆お洒落をして、パーティか何かに行ったり、人に会ったりプレゼントを交換したりしたんだろうと思うと、私は自分が少しはしゃいだ気分でいるのも不思議ではないと思った。
「今日はありがとうございました。」
「いえいえ。こちらこそ急なお誘いで申し訳なかったです。」
 駅に着き改札の前まで来ると、なんとなくお互い言いたいことがあるような素振りで、少しの間沈黙が襲った。でもそれは心地のよい沈黙だった。私たちはもう、相手のことを少しは知っている。この間のように、連絡先も分からじまいということではない。
「メールしますね。というかメールしてもいいですか?」
 私は言った。
「そうだね。」「そしてまた会おう。」
 健一さんは短く言った。そしてお互いに「じゃあ。」と言って健一さんは東京方面に、私は私鉄乗り場に向かった。健一さんが私の乗り場まで送っていくと言ったけれども、私は大丈夫だからと断った。もう夜も遅かったし、それに私は暖かい気持ちに包まれていた。
 私は振り返った。クリスマスの夜の人ごみの中に健一さんの後姿が見えた。健一さんがこちらを振り返った。お互いに微笑んだ。

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時間

2008-07-01 01:15:51 | つぶやき
一日が終わるのは早い。
一週間が過ぎるのも。
毎日追いかけられるように仕事をして、
時間は過ぎていく。
それなのに、月日の過ぎるのがまどろっこしい。

時間というのは不思議。
私は自分の中に
たくさんの時計を持っている。
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