星を見ていた。

思っていることを、言葉にするのはむずかしい・・・。
良かったら読んでいってください。

卵のふわふわ

2011-01-15 19:31:17 | 
宇江佐真理さんと言う人の小説を初めて読んだ。時代小説をまったく読まないので宇江佐さんという作家を知らなくて、たまたま本屋で宇江佐さんのエッセイを買って(知りもしない作家のエッセイを買うなんておかしいけど)、今度は小説も読んでみたいと思った。

各章には料理の名前のタイトルがついていて、その料理が話の中に小道具として出てくる。話そのものは、奉行所の役人の妻が子宝に恵まれず、また夫ともそっけない関係が続いていて自分は夫にふさわしくないと思い始める。やがて実家に帰ってしまい離縁まで考える。が最後には家に戻ってきて元の鞘に収まり子宝にも恵まれる、という話である。夫の父である舅が食い道楽な人であり、それで食べ物の話がよく出てくる。

舅、姑はとても人が良く嫁を大事にしていて戻ってきてくれ、と言うくらいなのだが、主人公は夫婦間の問題は夫婦でしか解決できないとかたくなに離縁しようと思っている。夫が自分に冷たいのは、夫が自分と結婚する前に結婚が反故になった女の人を忘れられないからではないかと思ったり、子供ができないことで自分が役に立たないからだと思う。

男はきっと、特に昔の男はそう簡単に優しくなんか振舞わないのだろうと思うし、優しい気持ちは持っていても、そういう素振りは見せないのだろう。子宝に恵まれないというのも、現代と共通の悩みかもしれないが、昔はもっともっと嫁を切羽詰まらせる悩みだったのだろうと思う。

だが主人公が悩むのは、どうしてこんなに心が繋がらないのだろう、ということなのだ。自分に結婚話が来た時、密かに好きだったその人の妻になれると即座に返事をしたくらい、ずっと憧れていた人だったのに、好きで好きで仕方がないのに、心が通い合わないのはどうしてだろう、と。

別居をした後で夫と会った時に、主人公がそれまでの気持ちを吐露してしまう場面がある。ふたりでいるときも、ひとりでいるときよりずっと寂しかった、と言うのだ。

この部分を読んで、何だか気まぐれに取った読んだこともない作家の本が、自分の心の中とこんなにシンクロするるのはどうしてなんだろうと不思議に思った。本を読んでいると、そういう気分になることがよくある。

小説の主人公はハッピーエンドだったけれど、現実の私はどうだろう。







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