「隆さんとの見合いがあったのは、それからしばらくしてからだったわ。その話がどんどん進んでいくうちに、私はそこに自分の居場所を見つけたような気がしたの。私はその頃、とても荒んでいたのだと思うわ。過去のことや母親のことがあって、もう何だか色々なことがどうでもいい気がしてた。それにそれまであまりいい感情を持っていなかった育ての親に対しても、もっと感謝の念が湧いて来たわ。子供を捨てる人もいるのに、人の子を育てるって大変なことだったんだって、本当に馬鹿みたいなんだけど、やっとその時気が付いたの。」
美沙子姉さんは一気にそこまで喋ると、先ほどの険しい顔はまたいつもの穏やかな表情に戻っていた。
「それにね、隆さんのご両親も、とても良い方たちなのよ。隆さんもご両親も、私のそれまでのことをいろいろ知っていて、知っていた上で、それでも構わないと私を受け入れてくれたの。それに今も大事にしてくれる。自分が受け入れられるっていう感覚かな、そういうのを初めて知ったのかもしれない。」
私達は多分、自分の身に起こったそれまでの人生を、自分のせいではないにしろ後ろめたく思って生きてきている。何かが欠けている自分。欠けている何かを、埋めようともがいている自分。でも所詮そんな人や場所は存在しないんだろうと諦めている自分。育ててくれた両親を感謝しなければと思おうとしている自分。でも本当は、そうじゃなく、無条件で愛したり愛されたりする相手を、切望しているのに違いないのだ。きっとそういう存在が、この世でいるのだろうと信じてみたい気もするし、またそんな人なんていないと思っている自分もいる。だから美沙子姉さんの言う、受け入れられたっていう感覚、というのは、多分美沙子姉さんにとってやっと辿り着けた感覚だったのだろうと思う。それが今の旦那さんであって旦那さんの家族だったのに違いない。
「そろそろみたいだよ。」
いつの間にか美沙子姉さんの旦那さんが近づいてきていた。叔父さんの火葬が終了したようだった。美沙子姉さんはこの時は完璧にいつもの姉さんの顔に戻っていた。その澄んだ表情を伺っていると、今この場で話していたことは、まるで誰か別の人の身に起こった出来事のように思えてくるのだった。
それからの数日間、私は美沙子姉さんの話してくれたことを何度も思い出した。私がそれまで抱いていたイメージ、自分を産んだという人と現実の世界で会う、ということが、自分の想像していたようなものではなかったからなのか、美沙子姉さんの話してくれたことが、まるで自分に起きた出来事のように何度も何度も頭の断片に浮かんでくるのだった。
私は今までのように変化のない毎日を過ごしていた。私の目下の心配事は、相変わらず信次とのことだったけれど、信次と過ごす何気ない時間の中に、美沙子姉さんの言った言葉が、ふと浮かんでくることがあった。例えばこの間、信次と日曜に出掛ける約束がまた直前にキャンセルになった。娘の面倒を見なけらばならないとのいつもの理由だった。私はいつものように静かにそれを受け入れ、いつものようぽっかりと空いた時間を過ごした。怒ってはいけないことは分かっていた。そういう人を、好きになったのだから。だがその反面、信次のすべてが自分のものであったらいいという傲慢な気持ちも湧きあがって来るを抑えられなかった。それは不可能なことであるし、相手を束縛するということは、そんなのはただの自分本位な思いだろうと思ったりした。その時に、受け入れる、という言葉が浮かんできた。美沙子姉さんの過去も何もかも、きっと隆さんは受け入れたのだろう。そう思ったとき、見た目では美沙子姉さんがしっかり者の女房で隆さんが甘えん坊の夫という風に見えていたとしても、本当の隆さんはもっと広く優しい心をもった頼りになる旦那さんなのだなあと思った。だから美沙子姉さんは穏やかな顔をして旦那さんと仲睦まじく暮らしているのかもしれない。
「そんなのって奇跡よ。」
私は美沙子姉さんが言った言葉この言葉を、その後頭の中で何度も何度も思い出した。
自分がどうしようもなく好きになった人と、めでたしめでたしって結婚してその人と一生離れないで暮らすのは奇跡だと話していた姉さんは、穏やかな表情でゆったりと話すいつもの姉さんとは少し違った感じがした。でもその言葉を言った姉さんが、その一方で「何があっても好きな人と離れちゃだめよ」と言ったのも、また姉さんのそれまでの人生を物語っている気がした。どちらも姉さんの本音であって、姉さんの複雑な思いがその言葉に凝縮されているようだと思った。私は壁の時計を見た。信次との待ち合わせの時間まであと1時間だった。昨日まで予定はなかったのに、娘の予定が変わったからと急に会うことになったのだ。たまには、こんなこともある。私は少し浮かれながら、出掛ける支度に取り掛かった。
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美沙子姉さんは一気にそこまで喋ると、先ほどの険しい顔はまたいつもの穏やかな表情に戻っていた。
「それにね、隆さんのご両親も、とても良い方たちなのよ。隆さんもご両親も、私のそれまでのことをいろいろ知っていて、知っていた上で、それでも構わないと私を受け入れてくれたの。それに今も大事にしてくれる。自分が受け入れられるっていう感覚かな、そういうのを初めて知ったのかもしれない。」
私達は多分、自分の身に起こったそれまでの人生を、自分のせいではないにしろ後ろめたく思って生きてきている。何かが欠けている自分。欠けている何かを、埋めようともがいている自分。でも所詮そんな人や場所は存在しないんだろうと諦めている自分。育ててくれた両親を感謝しなければと思おうとしている自分。でも本当は、そうじゃなく、無条件で愛したり愛されたりする相手を、切望しているのに違いないのだ。きっとそういう存在が、この世でいるのだろうと信じてみたい気もするし、またそんな人なんていないと思っている自分もいる。だから美沙子姉さんの言う、受け入れられたっていう感覚、というのは、多分美沙子姉さんにとってやっと辿り着けた感覚だったのだろうと思う。それが今の旦那さんであって旦那さんの家族だったのに違いない。
「そろそろみたいだよ。」
いつの間にか美沙子姉さんの旦那さんが近づいてきていた。叔父さんの火葬が終了したようだった。美沙子姉さんはこの時は完璧にいつもの姉さんの顔に戻っていた。その澄んだ表情を伺っていると、今この場で話していたことは、まるで誰か別の人の身に起こった出来事のように思えてくるのだった。
それからの数日間、私は美沙子姉さんの話してくれたことを何度も思い出した。私がそれまで抱いていたイメージ、自分を産んだという人と現実の世界で会う、ということが、自分の想像していたようなものではなかったからなのか、美沙子姉さんの話してくれたことが、まるで自分に起きた出来事のように何度も何度も頭の断片に浮かんでくるのだった。
私は今までのように変化のない毎日を過ごしていた。私の目下の心配事は、相変わらず信次とのことだったけれど、信次と過ごす何気ない時間の中に、美沙子姉さんの言った言葉が、ふと浮かんでくることがあった。例えばこの間、信次と日曜に出掛ける約束がまた直前にキャンセルになった。娘の面倒を見なけらばならないとのいつもの理由だった。私はいつものように静かにそれを受け入れ、いつものようぽっかりと空いた時間を過ごした。怒ってはいけないことは分かっていた。そういう人を、好きになったのだから。だがその反面、信次のすべてが自分のものであったらいいという傲慢な気持ちも湧きあがって来るを抑えられなかった。それは不可能なことであるし、相手を束縛するということは、そんなのはただの自分本位な思いだろうと思ったりした。その時に、受け入れる、という言葉が浮かんできた。美沙子姉さんの過去も何もかも、きっと隆さんは受け入れたのだろう。そう思ったとき、見た目では美沙子姉さんがしっかり者の女房で隆さんが甘えん坊の夫という風に見えていたとしても、本当の隆さんはもっと広く優しい心をもった頼りになる旦那さんなのだなあと思った。だから美沙子姉さんは穏やかな顔をして旦那さんと仲睦まじく暮らしているのかもしれない。
「そんなのって奇跡よ。」
私は美沙子姉さんが言った言葉この言葉を、その後頭の中で何度も何度も思い出した。
自分がどうしようもなく好きになった人と、めでたしめでたしって結婚してその人と一生離れないで暮らすのは奇跡だと話していた姉さんは、穏やかな表情でゆったりと話すいつもの姉さんとは少し違った感じがした。でもその言葉を言った姉さんが、その一方で「何があっても好きな人と離れちゃだめよ」と言ったのも、また姉さんのそれまでの人生を物語っている気がした。どちらも姉さんの本音であって、姉さんの複雑な思いがその言葉に凝縮されているようだと思った。私は壁の時計を見た。信次との待ち合わせの時間まであと1時間だった。昨日まで予定はなかったのに、娘の予定が変わったからと急に会うことになったのだ。たまには、こんなこともある。私は少し浮かれながら、出掛ける支度に取り掛かった。
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