星を見ていた。

思っていることを、言葉にするのはむずかしい・・・。
良かったら読んでいってください。

休日(最終章)

2007-09-29 18:00:38 | 休日
 駅構内を端から端まで歩き、私鉄の切符売り場までたどり着く。目的地までの切符を買うと、携帯が振動しているのに気がついた。カバンから取り出し、表示を見る。浩平からだった。
「今日はうちでご飯食べるから。」
たったそれだけだった。最近仕事から帰るのが遅く、それはほとんど仕事の後の付き合いだったりするのだが、食事の用意をしていても家で食べることが少なかった。それでここ数週間は支度をしていなかった。今日は早く帰ってくるのだろう。久しぶりだ。

 結婚したての頃は、私が仕事から帰ってくると夜ご飯の支度をした。私は家事の中では料理がいちばん好きだ。掃除とか洗濯は気乗りがしないけれど、ご飯の支度だけは苦にならない。仕事の帰りスーパーに寄って、その日のお買い得品を見ながら、今日は何を作ろうかと考えるのも好きだし、買い物ができない日は家にある食材で、何かおいしいものを作れないだろうかと考えるのも好きだ。

 だが、お義母さんと同居してからはすっかりそういう意欲をなくしてしまった。お義母さんと私たちはあまり食の好みが合わないし、台所が一緒だということもあって私が勝手にあれこれやるのをどうもよく思っていないらしい。台所に女は二人いらない、と言うがまったくそのとおりだと思う。お義母さんにはお義母さんのやり方があるし、私には私のやり方がある。けれども日中一日家にいるお義母さんは、ここは自分が所有する場所だと思っているようだ。私に台所を「貸している」という感覚だろう。私は別に張り合うつもりもないし、実際ご飯の支度も結構してもらっているので文句は言えない。仕事から疲れて帰ってきてご飯が待っているときは感謝をしなくてはいけないのだろう。

 でも今日は、久しぶりに自分の好きなものを作ってみようという気になった。浩平も今日は一緒にご飯を食べるのだし、浩平の好きなものでも作ってみようか。そうだそれに、デザートも作ってみよう。私はさきほど本屋で覗いたお菓子の本の、ベリーの乗ったパイを思い出した。あれでもいいかもしれない。最近お菓子つくりをしていないから材料はあるかどうかと考える。粉とバターと、卵。カスタードクリームに入れるお酒がないかもしれない。コーンスターチもない。

 私は浩平からのメールを見ただけで、少し華やいだ気分になってきた。料理やお菓子作りに乗り気になるのは久しぶりのことだった。結局、私は一人で生きていたら料理もお菓子作りにも精を出さないだろう。それは、反応してくれる相手がいて、喜んでくれる相手がいるからこそ楽しめるものだ。自分ひとりだけで暮らしていたら毎日納豆ご飯だけを食べているかもしれない。お菓子なんか作らないでコンビニでデザートを買っているかもしれない。誰かが側にいてくれるから、私はおいしいものを作る。単純なことだ。

 約1時間電車に乗り、また何もない駅に帰ってきた。電車を降りると、かすかに海の匂いがしてきて、ああ家の近くまで帰ってきたのだと思う。少し湿った風が吹いている。昼間あれほど晴れていたのに空一面が曇っていた。雨になるのかもしれない。

 駐車場に向かい自分の車に乗った。ほっとする。こうしてたまに街に出て行くけれど、人込みはあまり好きではない。私は都会に暮らすことってできないのかもしれない。毎日毎日あの人混みの中で暮らすことを考えるとうんざりする。欲しいものが何もかも手軽に買えるという便利さはあるのかもしれないけれど、私はここで十分だ。人気のない場所とあまりごみごみしていない道路があれば、そのほうがいい。シートベルトを締め、エンジンをかける。気に入った音楽が流れだす。窓を少しだけ開け、こもった空気を外に出す。

 気に入ったスーパーまでは海の道を通らないけれど、少し遠回りして海岸線を通っていこうと思った。天気が悪いけれど、海の側を通ると気分がよい。今の時間なら道は空いているだろう。駅前の道路からちょっと走ると海岸沿いの道に出た。灰色の空一面の下で、海の色も曇っていた。それでも広い景色の下に出ると落ち着く。しばらく海岸を左に見て海沿いの道を走る。

 夕ご飯のメニューは、浩平が好きな手羽チキンのオーブン焼きにしようと決めた。スパイスをたくさん利かせてパリッと焼く。それからポテトを薄くスライスして、揚げたもの。サラダを作る。野菜やゆで卵やベーコンを入れて、シーザーサラダみたいに。にんにくを入れてドレッシングを自分で作ろう。ワインビネガーがなかったかもしれない。久しぶりに白ワインを買って帰ろう。別に安いもので構わない。うんと冷やしておこう。デザートにはベリーのパイを作って、ベリーはイチゴが安くあったらそれでもいいし、缶詰のブルーベリーでも構わない、出来上がったあたたかいものにアイスクリームをかけて食べよう。アイスは、ドライアイスに入れてもらえば買って帰っても大丈夫だろう。熱いパイの上のアイスクリームがソースのように溶けて、少しすっぱいベリーのパイに絡まる。想像するだけで美味しそうだった。

 私は相当単純なのかもしれない。食べ物のことを考えていたら幸福な気分になってきた。ある時はものすごく自分を幸福な人間と思ったり、ある時はものすごく退屈な人間だと思ったり、その時の気分によってこれほど生きている実感というものが違うなんて。さっき駅の人混みを歩いているときは、自分がこの世の中で生きているその他大勢の人間の中で、一人だけぽんと外れて生きている人間のような気がしていたのに、まるで群れからはぐれて迷子になってしまった羊みたいに、どこへ行っていいのやらわからないような感覚でいたはずだったのに、この単純さは何なのだろう。

 信号が赤になった。あちらの歩道から海岸に向って、数人の人が渡ってきた。ミニチュアダックスフントを連れている若い女性。幼稚園くらいの子供を連れたお母さん。もう一人大型犬を連れた初老の男性。夕方の犬の散歩の時間なのだろう。また後ろのほうから犬連れの人がやってくる。世の中の半分くらいの人は犬を飼っているんじゃないだろうかと思うほど、犬を連れた人が増えた気がする。浩平と私も、子供をあきらめてからは犬を飼おうという話も一時出たけれど、結局飼わなかった。昼間仕事で私たちはいないので、犬がかわいそうだということになったからだ。飼い犬はかわいいのだろうけれど、私は綺麗にトリミングされ服をきさせられた犬を見ると何故か悲しくなってくるのだ。でもかわいいのだろうなあ、とも思う。犬はいつも私のそばにいてくれるだろう。寝るときも部屋でだらりとくつろいでいるときも。私は寂しくなんかならないかもしれない。よく飼っている犬をわが子のように話す人がいるけれども、私もそうなるのかもしれない。

 信号が青に変わった。静かに車を発進させる。目的のスーパーが見えてきた。次の交差点で右に曲がる。海は視界から見えなくなった。駐車場に入って屋上まで上がる。駐車場に入り車を停車させると、カバンから携帯を取り出した。お義母さんの番号へかける。2回呼び出し音がなって、お義母さんは電話に出た。
「もしもし、私ですが。」
お義母さんは案の定、まだ帰ってこないから遅いわと思ったわ、と即座に言った。構わずにつとめて明るく私は言った。
「今日は私が夕ご飯作りますから。お義母さん準備しないでください。浩平さんも早く帰ってくるようなので。」
 電話を切る。私は車を降りて、軽い足取りで店内に向った。

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休日(6)

2007-09-24 14:07:21 | 休日
 タバコを吸い終わると遠くにぼんやりとかすかに広がる海を眺めた。眼下に見える道路では行き交う人々がせかせかと歩いていた。皆忙しそうに見えた。スーツを着たビジネスマンは携帯で話しながら早歩きでどこかへ向かい、学生達は2,3人あるいは4,5人で広がって歩いていた。その合間を専業主婦なのかわからないがデパートの紙袋を提げた人がぽつぽつ歩いている。

 自分だってこうして、平日の昼間こんなところでぼけっとしているのに、紙袋をたくさん提げた人と自分はとてつもなく遠い世界に位置しているように思えた。見た目は私とさほど年も変わらないくらいの女の人が、ブランドのロゴの入った紙袋を何個も持って歩いている。私は屋上で特に何をするわけでもなく、時間潰しのためにデパートに来ているようなものなのに、ああしてたくさんの物を買っている人はどういう生活をしている人なのだろう。家に帰ったら、私と同じように食事の支度に頭を悩ませたり、洗濯を取り込んだり今日はお金をたくさん使ってしまったと嘆いたり、そういったことをしているのだろうか。私も以前、物を買いたい衝動にかられて、自分としては高価な値段の服やカバンを次々に買ってしまうことがあった。それほど意味もなくものが欲しくなって、お金を捻出する算段を考えずにとりあえず買ってしまう。買った商品を家に持って帰る間、そのことが気になって気になった早く家に帰って袋を開けたいと思うが、買ってからそれほど欲しいものでなかったことに気づく。別に今買わなくてもよかったではないかと。それからもしかしたら迷って買わなかったほうの商品を買っていれば良かったとか、これはもう少し小さかったら良かったとか商品の欠点に気がついて後悔の念が沸いてくる。私が欲しかったのは商品ではなくて、物を買うという行為だけだったのかもしれない。ある日ふと、それほどの物がなくても十分生活していけることに気づく。少しの洋服と少しの気に入ったカバンや靴で、十分おしゃれは出来る。そのことに気がついたのはつい最近かもしれない。

 私は自分と同じくらいの年齢の、隙がなくおしゃれな格好をしているその人を目で追って観察した。彼女にとって物を買うという行為は幸せなことなのか。それで何かが満たされているのか。それとも私とは違う生活レベルなのかもしれない。お金もたくさんあって、好きなものを好きなだけ買える環境にある人。私はその人が羨ましいのだろうかと考えた。そうなのだろうか。私の欲しいものはなんだろう。私は何が欲しいのだろうか。以前の物欲が盛んな頃の自分を思い出した。クレジットカードの請求を見て後悔したり、買ったままたいして使わないクロゼットの奥にしまわれたカバンなんかを見て、後ろめたい気分になったことを思い出す。物をたくさん買っても、嬉しいのはそのときだけだ。買っても買っても、次から次へともっと欲しくなる。それなのに満たされない。私が満たされたかったのは物ではなく、ではなんなのだったのだろう。あの紙袋の女性は、満たされた生活を送っているのだろうか。

 手にしていたタバコのパッケージから、もう一本取り出した。だが火のないことを思い出しまた箱にしまった。そして箱をカバンの中に入れる。浩平が見たらなんと言うだろう。浩平はタバコを吸わないからにおいで気がつくだろうか。もしお義母さんが見かけたら?だが考えたらそんなことどうでもいい気がした。私は大人で、もう妊婦になる予定もない。

 結局皆それほど変わりなく生きているのかもしれない。みんながみんな自分の人生の計画通りに生きているわけではないし、輝かしい充実した生活を送っているわけでもないのかもしれない。同じように仕事したりご飯の支度をしたりどこかへ出掛けたり買い物したり、そしてストレスが溜まったりそれを何かで発散したりしているのだろう。大多数の大人は、そうして同じように繰り返される毎日を、何だかつまらないと気づいていながらも仕方がないと思いながら、そして時にはそのうんざりするような気持ちを持て余しながら、それでもやりこなしているのだ。

 時計を見るとまだそれほど急ぐ時間ではなかったが、他にすることも思い浮かばなかった。贈答品が入った紙袋と自分のカバンを持って、エレベーターに向かう。乗るときは誰もいなかったエレベーターは、各階で止まるうちに人でいっぱいになった。電車との連絡階に着くとはじき出されるように通路に出た。駅への連絡通路はさらに多くの人が流れるように歩いていた。人の多さだけで歩く気力をなくしてしまいそうになる。対向してくる人とぶつからないようにしながら、混んだ通路を進んだ。これだけたくさんの人がどこから出てくるのだろうと思う。歩いている人の、どの人の顔を見ても何か括弧たる目的があって歩いているような気がしてきた。こうしてぼんやりと取り留めのないことを考えながら歩いているのは自分だけではないのかと思えてくる。他のみんなはきちんとした足取りであるいているのに、自分だけがふらふらとしているような気がした。

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休日(5)

2007-08-08 13:50:05 | 休日
 綺麗にラッピングされ、小さなマスコットがリボン代わりについた包装を受け取り、子供服売り場から離れるとそのまま地下の食品売り場に向かった。昼を過ぎていた食品売り場は結構な人で混雑していた。主婦に混じって近辺で働いていると思われるOLさんたちが昼食を買っていたりしていた。私はケーキ売り場の一角にあるベーグル屋さんで足を止める。ここのベーグルがとても美味しいのだ。もちっとした生地でまわりは硬く、中に入っている具も種類が豊富だった。アボガドと海老の入ったベーグルを一つ買う。食べるかわからないが義母に買っていってあげようと一瞬思ったがやはりやめた。義母は多分こういったものは口にしない。数軒先にあるコーヒーショップでカフェオレを持ち帰り用にしてもらい、エレベーターに乗った。

 私の他にもかなりの人達が乗ってきた。Rのボタンを押す。1階で半数ぐらいが降り、同じくらいの人が乗ってきた。2階の連絡通路のある階に着くとまた大勢が降りていった。それからほとんど各階で止まっていき、最後のRのところでは私一人しかいなかった。

 エレベーターを降りると外の光がまぶしく感じらる。風がやや強いようだった。屋上はちょっとした公園のようになっていて所々に木々が植わってその下にベンチが配してある。柵のほうに向かって設置してあるベンチもある。柵の下はビルが立ち並ぶごちゃごちゃとした街の様子が見下ろせて、ずっと遠くには海が見えた。天気がいいので今日の景色はまあまあだろう。夜のほうがネオンや光に紛れごみごみとしたものが見えないだろうから、もう少し綺麗に見えるに違いない。以前は屋上にペットショップがあって子供達が遊ぶ遊具が置いてあったと記憶しているが、今は以前水槽だったと思われる囲いしかなくて、ちょっとしたガチャポンのような機械しか置いなく、寂れた印象がある。
 
 奥に進んでいってあいているベンチを探す。この空間は、デパートの中で買い物をしている人とは違う種類の人たちがいるような気がする。参考書を広げている学生や、ぼーっと外を見ている一人でいるおじさんや、数人でおしゃべりしている中年の女の人達。奥さんが買い物をしている間子供を遊ばせているのではないかと思う若いお父さんやデパートの社員と思われる制服を着たOLさん。吸殻入れの近くでタバコを吸っているビジネスマン。皆現実の時間からちょっとだけ離れてぼーっとしているように見える。サラリーマンやOLさんたちは疲れたように見えるし、一人でいるおじさんはどうしてここにいるのだろうと思える。奥さんが買い物をしている間の、暇つぶしなのだろうか。

 私は木の陰になっているあいているベンチを見つけて腰掛けた。先ほど買ったベーグルとコーヒーを紙袋から取り出す。ぼーっと外を見つめた。一人で喫茶店に入るのは苦にはならないけれど、騒がしいのが嫌だった。隣に女ばかりのグループなどが座ったりしようものなら、読書に集中できないしなんとなくせかされるような感じがした。きちんとした食事はしなくていいのだが、ちょっとお腹を満たせれば、それでいいのだ。ある日、ペットショップを探してここにやって来たら意外と一人でいるにはいい空間だと発見した。肝心のペットショップはもうなくなっていたのだが、それ以来どこにも行くあてがないが時間を潰したいときにはよくここに来る。なんとなくではあるが、私みたいなふらふらとしている人たちがここに集まっているような気がする。時には怪しい人もいるのでそういうときには退散するのだが。

 何も考えずにベーグルを食べる。アボガドのねっとりとさっぱりした感じが美味しいと思った。アイスカフェオレを飲む。これからどんどん暑くなるのだろう。真夏にはここはこれないな、と思う。それに夏休みのデパートは嫌だ。子供達がうようよしている。正確には、子供を連れたお母さん達。子育てしているけど、自分も磨いているのよとアピールしているような綺麗なお母さん達。私は、どりらも頑張っていないなあ、と思う。別に女を磨いて小奇麗にいたいなんて思わない。そうする必要がないように思う。何にがんばるのだろう。子供もいない。仕事だって、誰にでもできるような単純なことの繰り返しだ。でもこれといってやりたいことなんてない。一生懸命家事をこなす?完璧な主婦として?でもそんなことどうってことないことだ。子供のいない家の家事なんてさほど大変でもないのだ。それに家にはお義母さんがいる。お義母さんが食事だってちょっと油断していると作ってくれるし、私より先回りしていろいろとやってくれる。別にやってくれと頼んでいるわけではないけれど、あなたは働いているのだからいいのよ、とそう返される。働いているっていったって、キャリアウーマンのようにばりばりと働いているわけではないのだから、そんな気遣いをしてくれなくたっていいのに、と思うが、それほど向きになることでもないようにも思う。私はあまり深く考えないことにしているのだ。そうしてくれるのならそうしてもらう。私は別に逆らわないし、主張もしない。ただ、毎日が平和に過ぎたら、それでいいと思っている。

 結婚をしたとき、なんとなく自分の人生の道筋が、まるで周囲が何もない平原に一本道が通っているような感じに、ずっと先まで見えてしまったような気がした。これからお金を貯めて家を買って子供ができて、子供が大きくなるまで子供中心の生活を送って、そうして気がついたらいわゆる老後、っていう年代になっているのだろうと。結婚という人生の一大事を決めてしまったら、あとは自動的にそれに伴って人生ってある程度は決まってしまうのだろうと、そう思っていた。別にそれに嫌悪感を抱いていたわけでもなく、ただ、客観的に、そうなるのだろうと、そう思っていた。旦那がいて、子供がいて、家族、というものを形成していく、そういったことに何の疑問も抱かなくて、それが当たり前だと思っていた。自分がそういう生活環境で育ったようにそういう家族、というものを自分も作り生活していく、そう当然のように思っていた。自分が何のために生きるとか、自分はどう生きたいとか、そういったことなんて考えたこともなかった。結婚したら自動的に、そういう生き方をするものだと思っていた。

 世の中のほとんどの人が当たり前のようにやっていることが、自分も安易にできることとは限らない、そう思う日がくるなんて考えてもみなかった。結婚した当初は子供ができるとかできないとか、そういったことを真剣に考えてもみなかった。真剣に考えなくても当然できるものだと思っていた。体のトラブルなんて抱えたことはなかったし、生理は順調に来ていた。自分の体に不具合があるなんて思ってもいなかった。いや、正確には不具合なんてないんだ。私の体に不具合はなかった。だから普通に、妊娠してもいいはずの体なんだ。それなのに、何故か子供はいつになってもできなかった。できないとなると欲しいと、強烈に思ってしまった。今考えたら、別にできなくてもいいのかもしれない。結婚する前はそれほど執着していたことではなかったではないか。将来子供は何人欲しい?なんてふざけて友達と話したりするときは、まあ普通に2人くらいかなあ、とか、そんな感じに答えていたのではなかったか。私ぜったい最低3人は欲しいわ、とか、ぜったい女の子が欲しいわ、なんて、そう答えるタイプではなかっただろう。ただ、そう考えるまでもなく、結婚したら子供ができて家庭を作る、それが自然だし自動的にそうなるものだと思っていたのだ。

 あの日見えた道筋は、今はどう見えているんだろう。今は、霧の中の視界が悪い道路を、ナビもなく迷っているようなものだ、そう思った。どちらに進んでいいのか分からない。どこにいるのかも分からない。

 向こうの喫煙場所でタバコをすっているスーツを着た女性が見えた。暑いので上着は脱いでいる。細い目をして煙を吹き出していた。ここの来るとたばこを吸っている人が無性にうらやましくなる。とても美味しそうに見える。なぜだか分からないけれどとても気持ちがよさそうなのだ。私は歩いてエレベーターの乗り口の、自動販売機のある場所まで向かった。予想したとおりタバコの自動販売機があった。よく分からないけれど軽そうなメンソール系のタバコのボタンを押した。白地にピンクのパッケージの、いかにも女性向けの箱がぱたん、と落ちてきた。先ほどの喫煙場所を振り返ると、もうスーツの女性はいなくなっていた。少しほっとしてそちらに向かう。ビニールの包みをはずして、一本取り出す。ライターがないことに気がついた。ぎこちなく指にはさんだ細いタバコを見つめた。私は何をしているんだろう。
 
 一人のサラリーマンが近づいてきて喫煙場所で立ち止まった。この人もタバコを吸うのに違いなかった。思っていたとおりライターとタバコをポケットから出し、火を点ける。私はその一部始終の動作を見つめていた。タバコを指に挟んだまま、じっとその人を見つめていた。
「あ、火貸しましょうか?」
 不意にその人が話しかけてきた。愛煙家なら、そういった気遣いがすぐできるものなのだろうか、と思いつつ、どう答えていいのか分からず、考え込んでいると、考え込んでいる間もないほどすばやく、ライターをカチッと押してこちらに向けた。
「どうぞ。」
 ここまでされているのに、引っ込みがつかなくなった。だいたい、今までの人生の中でタバコなんて吸ったこともないのに、どうしたらいいのだろう。だが、タバコをはさんだ指は勝手に相手の差し出した火のほうに向けられ、なんとなくの真似ではあるがそれらしい手つきで火は点いた。
「ありがとうございます。」
「いえ。」
 会話はそれだけだった。サラリーマンは30代半ばくらいに見えた。ビジネスカバンを提げ、それとは別に分厚いファイルを抱えていた。最近は公共の場所でタバコがすえるところも限られているから、営業の途中こういったところで吸っているのかもしれなかった。
 私は初めてのタバコを吸うという行為を、どうしたらよいかと思ってしまった。見よう見まねでつまんだタバコを口に持っていった。おそるおそる吸ってみた。最初は軽く。そしてすぐ息を出した。これといって何ともなかった。苦いとか、苦しいとか、咳き込むとか、そういったことはまったくなかった。次にもう少し大きく吸ってみた。そして大きく息を吐いた。ため息を大きくつくように。けれど何も身体的変化は見られなかった。そのことに少し自信がついたかのように、もう今までずっとタバコを吸ってきたのよとでもいうように、普通に吸っては吐いてみた。どうってことなかった。サラリーマンは一本だけ慌しくj吸い終わると、ちょっとこちらに会釈して立ち去っていった。

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休日(4)

2007-07-31 21:38:55 | 休日
 時計を見るともう2時近かったが、まだあまりお腹も空いていなかった。エスカレーターを降りながら、さてあとはどこに寄ろうかと考える。家具の階と家庭用品の階を通り過ぎると、子供服の階に差しかかった。エスカレータの降り口の、目立つ場所に子供のマネキンがあり、夏の可愛いワンピース着ていた。もう入学のシーズンは終わったのだろう。それを見ていたらあっと思い出した。従姉妹に赤ちゃんが生まれたのだった。もう数ヶ月経つだろう。まだお祝いをあげていなかった。来月に親戚で集まる席があるので、その時に会うことができるだろう。生まれた直後、病院にお見舞いに行ったときのことを思い出す。学生の頃から自由奔放に生きてきた従姉妹が、結婚し赤ちゃんが生まれるなんて想像もできなかった。家にはほとんど寄りつかず、いつも違う男の子を連れて歩いていたあの子が、ママになっている。数年前まで過食症で嘔吐を繰り返し、がりがりの体をしていた。その病気のために生理も来たり来なかったりだと聞いたことがあった。でも彼女の体に赤ちゃんは宿ったのだ。病院のベッドで、いつもの完璧な化粧ではないすっぴんの素顔で赤ちゃんを抱いている姿を見ると、他の妊産婦さんとまったく変わりがなく、素直に微笑ましい姿だと思った。あれほど子供に縁のないように思われた彼女も、赤ちゃんと彼女の一組の姿を見ていると、まったく自然のように思えた。私は、なぜかそこで神様が彼女をきちんと見ていたんだと、そんなことを思ってしまった。

「何かお探しですか?」
 何となく女児の服を手にとって眺めていた私に、店員が声を掛ける。
「ええ。」「女の子で。」
 どうして彼女の子供は女の子なのだろう。
「月齢はどのくらいですか?」
 新生児の服売り場だった。小さくて、まるでお人形が着るようなフリルのあるワンピースや、柔らかい素材のつなぎ服が並べられていた。その横に小さな、こんな小さい足なんてあるんだろうかというくらいの小さい靴がディスプレイされていた。
「1月に産まれたので、もう4ヶ月くらいですかね。その子に服をプレゼントしようかと思って。」
 私が眺めていたのは、股のあるワンピースで、薄い綿の生地のフリルがお尻のところに段々についていた。薄いピンクの縦のストライプ模様が入っていて、可愛いけれど涼しげな印象だった。赤ちゃんのお尻はおむつで大きいので、フリルがあると一層お尻が可愛いのではいかと思った。
「そちらなんか素敵だと思いますよ。」
 店員は私の手元を見ながら言った。
「下に長袖のシャツを着せれば真夏だけでなくても着せられますし。」
 赤ちゃんにどういう服を着せるのかなんて全く検討もつかない私はただ、そうですか、とだけ答えた。
「おそろいで帽子もありますけれど。」
 言いながら店員は別の棚にあった同じ生地でできている帽子を持ってきて、ワンピースに当てた。ちらっと値札が見えたが、驚くような値段だったので、止めておこうと思った。
「じゃあ、こちらのワンピースの方だけで。」
「かしこまりました。」
 店員はサイズを聞くと一旦奥のほうへひっこんで行った。その間に他の洋服を手にとって眺めた。
 どうして彼女の子供は女の子なんだろう。
 結婚もしていなかった彼女が、過食症でがりがりに痩せていて将来子供なんて産めるのだろうかと思われていた彼女が、どうしてあんなに簡単に妊娠し子供を産むことができたのだろうか。そして女の子を産んだのだろうか。
 どうして。
 手に取っていた赤い色の柔らかい肌着が、滲んでただの赤い布きれに見えた。けれども胸にわき上がってきた感情は一瞬にして高まりそして引いていき、涙はほんの一粒こぼれそうになっただけだった。すぐにまたいつもの、静かな自分に戻ることができた。


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休日(3)

2007-06-24 23:50:13 | 休日
 エスカレーターを1階から昇っていくと、溢れるように置かれている商品に目が行って、何か買いたいという衝動に駆られてしまう。でもそれほどのお金の余裕もないし、それに私にはお洒落をして出掛けるようなところもないのだ、と思い直す。勤務先の歯科に行く時はほとんどジーパンだし、車で出掛けることが多いから、スカートなんて滅多に履かない。こうして月に1,2度大きな駅にあるデパートやショッピングセンターに行く位だ。高価な洋服やカバンなんて、私には不必要だし分不相応だと思ってしまう。そのままずっと上の階まで上がった。レストラン街のひとつ下の階に大手の本屋が入っている。そこは他の本屋よりも私のお気に入りの本屋だ。店内の至る所に椅子が配置されていて、そこで売り物の本を読むことが許される。じっくり本を選ぶことができるし、ちょっとした時間を潰すこともできる。店内には小さい音量でクラシックが流れていて、とても落ち着く。

 料理本が置いてあるコーナーに向った。もう夏向けの本が多い。お菓子を作るのが趣味といえば趣味だけれど、最近はあまり作っていない。最近というか、お義母さんと同居しだしてからは、あまり作っていない。お義母さんは甘いものは好きみたいだけれど、お饅頭とか羊羹みたいなものが好きなようで、私が作るものはほとんど食べない。それで浩平も食べて私も食べると、あとの残りは職場に持っていって食べてもらう。いつもいつも上手にできるわけではないけれど、皆喜んで食べてくれる。作った者にとっては、そうやって美味しいと言って食べてくれることがいちばんの喜びだ。でもいつか、私が余ったケーキをタッパーにつめていると、お義母さんが、また持っていくのね、と言って嫌な顔をしたことがあった。それ以来なんだか持って行きづらくなった。お義母さんとは食事も家計も一緒なので、そういうどうでもいい一言が妙に気になってしまう。新しいケーキの本が平積みされているのが目に付く。ぱらぱらと美しい写真のケーキの本をめくっていると、それだけで幸せな気分に満たされる。今が旬のいちごのケーキやフルーツのパイが瑞々しく光った色をしていて、それだけで作ってみたいという気分をそそられる。今日は帰ったら久し振りに何か作ってみようかと思う。帰りに材料を買っていこう。
 
雑誌のコーナーの前を通り過ぎる。棚に立てかけられた様々な雑誌の、表紙をちらっと見つめる。妊婦向け雑誌が目につく。一瞬だけ目にとめて、そして目を逸らす。私にはもう、必要がない。
 急に、読んだら泣けてくるような小説が読みたくなった。今ここで、わんわんと泣くわけにもいかないだろう。ドアに鍵をかけて、ひっそりと泣きたくなる。何がどう悲しいとか、そういう具体的理由は何もないけれど、涙をざあざあ流して泣きたく思う。そうしたら、すっきりするような気がする。ああ、映画でもいいんだ。泣ける映画を見たい。そう思うとひとりで映画でも見に行けばよかったんだ、と思う。これから行くのもいいかもしれないが、ちょっと時間が足りない。夕方5時くらいまでには帰らなくてはいけない。それに、今やっている映画でこれといって特に見たいものも思いつかなかった。文庫本が置いてあるコーナーに行く。気に入った作家の新刊をぱらぱらとめくるが、やはり買うのを諦める。そのうち単行本になるだろうし、急がなければ図書館で借りることができるかもしれない。そう思うと、ここで丹念に選んでも無駄なような気がした。
 
写真の棚に行く。海の、波だけを写した写真集を手にとる。見開き一面が波である。波を、まるで水中眼鏡をかけて半分潜って覗いた感じで撮っている。波の目線、といったら変だけれども波がすぐそばに迫っている感じの写真。めくっても、めくっても、波ばかり。でも波の色や泡の細かさや、激しさは、どれも違う。荒々しさ、優しさ、激しさ、穏やかさ、冷たさ、温かさ、そんなものが伝わってくるような感じがする。その横に、今度は空の、雲ばかりを写した写真集を発見した。同じ作者なのかと思ったら、全然違うひとだった。さきほどの波の写真集と同じように、見開き一面雲である。今度は、めくってもめくっても、雲。そして当たり前だけれども、どのページにも同じ雲はない。色も、雲のもくもくとした感じも、それを見て受ける印象も、どれも違った。雲を見ていると、懐かしいような、そして悲しいような気分になることがある。そしてそれとは正反対に、大袈裟に言えば生きていてよかったとか、この空を見れて幸せだとか、そんな気分になることもある。そして刻々と変化する空の、この綺麗な一瞬を見れたことに感謝をしたい気分になることもある。さきほどの波と共通することだけれど、海も、空も、見ていて飽きない。時間とともにどんどんどんどん変わっていく様子を見ているだけで、いつまでも、きっと眺めていたくなる。そしてこころが空になる。この写真集を作った人も、きっと雲や波を見て飽きない人なんだろう、と思った。こんな写真集を作るくらいだから、私が想像するより遥かにたくさんの時間をかけて撮影したのだろう。何時間も何日ももしかしたら何ヶ月も、毎日毎日空や海を見てはシャッターを押す。この本に使われている写真の何倍とか何十倍の量のシャッターを押しているのだろう。そして選ばれた写真達。
 
じっくりと椅子に腰掛けて写真を眺めていたら、意外と時間が経っていた。写真集をまた平積みの一番上に戻して、結局何も買わないで本屋を出た

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休日(2)

2007-06-09 22:51:33 | 休日
まだ目的地の到着もしていないのに、お義母さんに買っていくお土産を何にしようかと考えた。面倒くさいしちょっとそこまで出かけるだけだからと思いつつ、それが慣習になってしまっているので、今日も何か買っていかなければならないだろう。またいつものお店で買ったらよいだろうか。こんなとき実家の母のことを思い出す。実家の母だったら何を買っていっても、それがおいしいものであれば美味しい美味しいと言って喜んで食べるのだが、お義母さんは違う。彼女の中でこれはあの店で買う、という基準があるらしく、何か買っていっても必ずどこどこのお店のがおいしいのよねえ、と言ったりする。またずっと前にバナナクリームパイを手作りしてお茶の時間に出したら、胸焼けがするからと食べてもらえなかった。実家の母ならたとえ苦手なものでも、じゃあ折角だから、と言って一口食べるだろう。お義母さんはむづかしい。それでいつも同じ物にしてしまう。それからお義父さんの仏壇にも何か買っていかなくては、と思う。こうして電車に乗ってしまえば4、50分足らずで到着するような場所なのに、お義母さんにとっては、折角あそこまで行ったのだったらあれもこれも買ってくればよかったのに、と思うらしい。それなのに出不精だから自分では決して出掛けることは無い。同居し始めたころはその都度お義母さんを誘っていたけれど、最近はもう当然のようにひとりで出掛けて行く。私にはそのほうが都合がいいけれど。

結局、もって来た本はほとんど読むことができなさそうだった。今日は集中力に欠けている。先週はバイトの子が来なかったのでいつもより勤務が長引いたせいか、余計に疲れてしまった。午後の診察までの休憩時間に、ぐっすりと眠り込んでしまったせいか、少々風邪気味だ。喉が痛い。足もすごくだるい。予約をしてないけれど、フットマッサージをしてもらおうかなと思う。平日ならそれほど待たなくてすむだろう。

駅を降りるとまずマッサージの店に向った。駅ビルの中にある。ここは大きなチェーンではないけれどスタッフの人の態度がすごく好ましい。それから店全体の照明が暗めなので落ち着くのが気に入っている。待合室のロビーもリラックスできるソファが置いてあって、気分が安らぐアロマの匂いが漂っている。
「今日はどうなさいますか。」
私と同じくらいの年齢と思われる女性スタッフが聞いてくる。髪の毛を一つにまとめていて、清潔感のある印象だ。
「足を、40分のコースでお願いできますか?」
彼女はにっこりと微笑んで「分かりました。あと30分くらいで空きますけれど、どうされます?もっと後の時間で入れておきますか?」と言った。彼女の顔を見ていると皺が多いことに気付くが、その皺がとても魅力的な年の取り方をしているように私には見えた。 
「じゃあ待ってます。」ここの落ち着く部屋が好きな私はそう答えた。本でも読んでいたらすぐ30分くらい経ってしまう。
「ではかけてお待ちになっていてください。」彼女はカルテのような書類に何か書き込んだ。それほど長くない爪にすっきりとマニキュアされた指先と、そこに光るシンプルな指輪と、華奢な腕をカチャリと落ちていくブレスレットを眺めた。この人は自分を磨くということを怠らない人なんだと思った。職業柄もあるのかもしれないが。それから私はまるで外国のホテルのロビーのような待合室に通された。

 「・・・さん、お待たせ致しました。」
 誰かが自分を呼ぶ声ではっと目を覚ました。私はいつの間にかロビーで本を読みながら眠ってしまっていた。ほんの10分程度のことだと思うが、深い眠りだった。疲れているのかもしれない。立ち上がると一瞬ふらっとしそうになったが、それは居眠りしたせいだと思った。ベッドのある部屋に移動する。ここも照明はすべて間接照明で暗めになっていて、ホテルのように厚めの絨毯が敷かれ重厚なインテリアでまとめられている。とても落ち着く空間だ。他の客が視界にはいらないように配慮されているため、リラックスできる。いたる所に観葉植物が置かれ、アロマの匂いはここでも漂っている。
「よろしくお願いします。」
「ではうつ伏せになってください。」
 今日の担当は若い華奢な感じの男の子だった。いちばん最初にここに来た時この子に当たったのでよく憶えている。見かけによらずとても低い声で話す。彼の話し方は今時の若い子とはかけ離れているように思う。ゆっくりと、落ち着いた、低いそれほど大きくない声で話す。語尾がはっきりとしているので知的な感じがする。その話し方は私を落ち着いた気分にさせてくれる。
 マッサージが始まると、最初はくすぐったく、そしてとても恥ずかしい気分になる。人からこうしたことをされるのは、それがお金を払ってしてもらっていることでも、慣れない。そのうちに痛いような感じになってきて、それからは快感になる。
「眠ってしまうかもしれないわ。ごめんなさいね。」
タオルに顔を横向きにして置きながら、そう言った。本当に気持がよく眠ってしまうのだ。
「構わないです。」短く彼はそう答えた。
 ずっと以前から職場の同僚が、マッサージいいわよと教えてくれていたけれど、最近まで試したことがなかった。こういうものは年取った疲れた人がしてもらうものだと思っていた。それほど安くないお金を払って人に奉仕をしてもらうのは、贅沢なことだとも思っていた。けれど私は、毎日何のために働いているのだろう、そうも思った。職場の同僚とそんな話をしていて私が、マッサージ高いじゃない、と言うと、あらでも子供がいないのだから、それくらいいいじゃない、どこにお金を使うのよ、働いているんだから、というようなことを十中八九返される。その言葉を聞くたびに、好きで子供が居ないわけじゃないのに、とも思う。共働きをしていて、子供が居ない、それだけで私たちは随分と余裕のある暮らしをしているように思われているが、実際はそれほどでもない。私のお給料なんて、バイトの人とさほど変わらないくらいだ。もう10年ほど働いているけれど、ちっともお給料は上がらない。けれど職場の人間関係がいいのと家に近いことが最大の魅力でずっとそこにいる。特に経験も資格もない私が、転職できるところなんて早々ないはずなのも、そこに留まっている理由かもしれない。
 
どこに行ったの、と聞かれても、お義母さんにはマッサージに行ったことは言わない。息子である旦那が土日もなく働いているのに、嫁がそんなことをするなんて贅沢だ、と思われるのが目に見えている。そうはっきりと言わないが、そうだろうと思う。私が働いたお金で何をしようと私の勝手だろうけれどと思うが、それなら黙っていることのほうが賢い。
ちらりと時計を見る。もう半分ほどの時間が過ぎている。このままずっと心地よさに身を任せていたいと思う。一定のリズムでふくらはぎを行ったり来たりする手が、暖かく気持が良い。でも本当に、贅沢なことだ。お金で快楽を得ているのだから。
「随分と疲れてらっしゃいますね。この間のときよりも、固いですね。」
眠りに落ちなかった私に、彼が声を掛ける。
「そうね。」「最近足が妙にだるくて。」
ややしばらく間があり、「足の裏を失礼します。」と断ってから、土踏まずのマッサージになった。最初は痛いけれど、とても気持がいい。
この後やはり少し眠ってしまった。細切れの睡眠だけれど、至福の時間だと思ってしまう。

足マッサージの店を出ると、駅ビルとつながっているデパートに入り、洋服売り場を通り過ぎて本屋の入っている階まで上った。歩きながら、やはり足が軽くなったような気がした。

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休日

2007-06-02 23:32:36 | 休日
化粧を終えて階下に降りると、階段の足音で気がついたのか義母が廊下に出てきて「あら史帆さん、お出かけなの?」と聞いてきた。
「ちょっと買い物に出かけてきます。」「夕方までには帰りますから。」
 下駄箱から外出用のパンプスを出しながら、答えた。靴を履き終えると、玄関にある大きな鏡を見て全身をチェックする。まだ肌寒い気もするけれど、外にはほとんど出ないのだからこの服装で大丈夫だろう。
「そう。休みの日くらい家でのんびりすればいいのに。」「気をつけてね。」
 義母はそう言って、玄関を降りたところにある駐車場で、私が車に乗り込むまで見送ってくれた。義母の視線を感じながらエンジンを掛ける。クラクションを一回鳴らして、向かいの道路に滑り出た。
 畑ばかりの中を通っている道を走らせながら、何となく開放感を感じてしまう。私だって休みの日は家でのんびりしたいと思う。でも、あの家の空気は息苦しい。
 10分ほどで駅の駐車場に着いてしまう。駅舎とホームと線路と、駅前の小さなみやげ物店と一軒のコンビニ以外、見渡す限り目立った建物がない場所にある、だだっ広い駐車場に車を停める。あと5分ほどで電車が出発するはずだ。改札を抜けると、まだがらんとしている停車中の車内に入り、適当に空いた席に座った。始発の駅だが、平日のこの時間に席が埋まってしまうほどの利用者はいない。ボックス席の、進行方向を向く窓際に座った。
 勤めている小さな歯科医院の、休みである木曜日には大抵こうして出掛ける。特に買い物が無くても、用事が無くても出掛ける。大抵は一人だ。たまに実家の母と出掛けることもあるが、母もなかなか忙しいようである。兄一家と同居している母は、孫の面倒やら婦人会の会合やらなにやらで結構多忙な日々を過ごしている。休みが合えば以前は学生時代の友人や職場の友人などと出掛けることもあったが、次第に周囲の同世代の人は、結婚したり出産したり仕事が忙しかったりでなかなか会うこともなくなった。結婚しても子供が生まれるまでは一緒に旅行に行ったり飲みに出かけたりする友人も多少はいたが、気がつくと皆子育てに夢中で誘える状態ではなくなっていた。何時の間にか、私はひとりで行動することが当たり前のようになっていた。
 一息つくと持ってきていた文庫本を取り出した。図書館で借りた、3冊のうちの一冊だ。これを読み終わったら3冊とも読み終わるので、帰りによって返してこよう、と思う。図書館の、静まり返った空間を想像すると少し嬉しくなる。絨毯に足音が吸い込まれ、ひっそりとした空気の流れる図書館は落ち着く。このあいだ借りたいと思った本はすべて貸し出し中だったが、今日はあるのだろうか。本を開く前に窓の外をぼんやりと見る。緑が日に日に濃くなっていて、鬱陶しいくらいの濃さになっている。天気がいいので、空と雲のコントラストがはっきりしている。もう、夏の空になってきている、と思った。これからの季節は海岸の近いこの路線は、休日にもなると海水浴客達でごった返す。といっても逆方向に乗る私にはあまり関係ないが。賑わっている夏よりも、寂れた冬のほうが私は好きだ。ビーチサンダルを履いてノースリーブ姿の小さな子供達を見るのが、私は嫌なのだ。家族連れも嫌。夏休みも、嫌いだ。

 急行に乗ったけれど、目的の駅まではかなり遠い。それでも私は、その時間が苦にならない。もっと遠くへ行ってもよいとさえ思う。あの家にいるくらいなら、私は電車に乗っているほうがいい。時間が経過するのが早く感じるような、おおっぴらに何を考えていてもいいような、そんな時間だと思う。勿論、頭の中で何を考えるのも、それはどこにいたって自由なことに違いないのだが、ここのほうが余程落ち着く。私は私で、誰かの嫁とか、誰かの義理の娘とか、そんなことを考えなくてもいいような気がする。私だけの私でいられる。
 なんとなく、本を読む気になれなくて、ずっとそのまま外の風景を眺めていた。目的の駅に近づいてくるにつれて、駅前にマンションが多くなった。規則的にならんだベランダには、布団が干してあったり洗濯が揺れていたり、プランターから花が溢れるように咲いていたりと様々だった。電車に乗っているこちらから見ると、まるで文房具を入れるための、引き出しのたくさんついたキャビネットのようだと思った。こじんまりと区切られて、いろいろなものが入っている引き出し。コンパクトに物が納まる。私もあんな家に住みたかったのにと思った。
 浩平と一緒にマンションをよく見に行ったことを、まるで遠い昔のように思い出す。結婚して暫くたって、それほど安くないアパート代を払うのはもったいないと、なんとなく二人で思い始めてマンションを見に行くようになった。私はモデルルームを見に行くのが大好きだった。新聞の折込広告にチラシが入ると、日曜の夕方買い物に行きがてらモデルルームの見学に行ったりした。販売員が寄って来てあれこれ説明してくるのが嫌だったが、まだ資金面が不足だった私たちは、近い将来のためにということで気楽に見て廻った。私は、窓から海が見えれば、部屋は小さくてもよかった。でも浩平は、将来子供ができたら、子供部屋も必要になるだろうからと、最低でも3LDKはないとだめだよなと、当然のように言った。その頃まだ、子供のことなんて考えてなかった私も、そう言われるとそれも当たり前のことだと素直に思い、それからは3LDKを念頭にマンションを見るようになった。モデルルームの家具はたいていシックで落ち着いていてお洒落な雰囲気を醸し出していたけれど、私は浩平と、将来できるかもしれない私達の子供と、そして私の生活を、そこでぼんやりと想像したりしていた。
 ある日いつもどおり公告を見てからなんとなく訪れたマンションが、二人ともえらく気に入ってしまった。最寄り駅からも10分かからず、5階建ての、さほど大規模でないマンションだった。居間からは遠くに海が見えて、私はそれだけでもう満足だったけれど、まわりの環境も悪くなく、値段もそれほど馬鹿高くもなく、無理をすればなんとか頭金も捻出できるかもしれない、という状況だった。私の実家からも電車で数駅で来ることができた。
 今思えばあそこを勢いで買ってしまえば良かったんだ。何度もそう思った。なぜ躊躇してしまったのだろう。子供ができてからでも遅くないと、そう判断したのもあるし、それにお金のことで無理をするのは怖いからと、諦めたのかもしれない。大きな買い物を衝動的にしてはいけないと思っていたから、それで結局やめてしまった。その後すぐ、お義母さんが健康診断に引っ掛かって検査入院をする、という事態が起きて、そこから急に、お義母さんとの同居の話が進んでしまったのだ。

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