星を見ていた。

思っていることを、言葉にするのはむずかしい・・・。
良かったら読んでいってください。

家ごはん

2024-04-06 18:29:50 | つぶやき

 高校生時代の友人が市内に住んでいて、子供の年が近かったのでたまたま子供の保育園が同じだった。その頃は保育園の行事などでたまに見かけたがその後お互い仕事はあるし子供の学校は違うしで滅多に会うことはなかった。

 3年前位に一度一緒に食事に行き、去年は何十年ぶりに他の友人達も含め会うことができたので、また会おうねとなった。そうはいってもその子はもう息子さんは結婚されお孫さんも出来たし、私より忙しいだろうなあと思ってなかなか誘えない。私は子供達は家を出て一人なので仕事以外の時間に余裕があるが、近所に息子さん夫婦が住んでいる友人はお孫さんを見ることもあり忙しいだろうと思うのだ。

 でもちょっと勇気を出して誘ってみた。すぐいつにするとなって、私は家に誰もいないから良ければ家でご飯しようと提案したら、じゃあ行くね、となり家に来ることとなった。

 私は基本的には家に他人を入れるのが凄く嫌なのだけれど、彼女は高校生の頃からの友人であるし家にも数回来ているしうちの事情とかもみんな知っているし抵抗はなかった。ただ誰かを家に呼ぶのがとても久しぶりだったので、何を作ろうかと悩んでしまった。

 今年のお正月にも、娘の友達が元旦から家に来て、その子たちも娘が小学生の頃からの友達だしそのうちのひとりは小学校の頃からうちにも数回来ているしその子のお母様も学校行事の時に顔を見ていてなんとなく知っているし、あまり抵抗はなかった。元旦に娘が友達と近所の神社へお参りに行き、帰りに外で何時間も喋っているというので、じゃあ寒いからうちで話せばと家に入れた。夜になったのでご飯食べてく?と言ったら食べてくと言うので、たまたま娘の誕生日が近く材料があったのでタコスと他にサラダとか簡単なものを作って出した。子供達(子供といっても23歳だけど)はおいしいおいしいと言って食べてくれたし、私が台所で用をしていても平気で恋バナとか彼氏の話とかをしているので、却って私のほうでも気を使わなくて済んだ。それまで(まあ普段仕事で家に居ないし家が散らかっているというのもあるが)子供が友達を呼ぶのを頑なに拒否していたけれど、意外と今どきの子も可愛いものだなと思ったりした。

 まあ今年の初めにそんなことがあったから割と抵抗も緊張もなく(家に人をあまり呼ばない人間は人を招くのって緊張するのです)、当日何を作ったら彼女は喜ぶかしら、とあれこれ考えた。彼女は食べることが私と一緒で好きだし、お菓子作りの趣味も一緒だったし美味しいものを食べることに余念がない。お酒も飲むのでおつまみ系のものがいいかもしれない。でも私も前日仕事の帰りも遅いしあまり手の込んだものはできない。で結局、ホタテとサーモンと海老と新玉ねぎを入れたシーフードサラダ、いぶりがっこを入れたポテトサラダ、レンコンを揚げたもの、アボカドとタコのマリネを作った。

 最近めっきり一人になってからちゃんとしたおかずを作らなくなったので結構頭の中でシミュレーションして献立を考えたのだが、料理をしなくなった割には頻繁に料理とかおつまみとかのYouTubeを見ていて、これらのメニューは自分で作ってみたいと常々思っていたもので、でも一人で食べるのにシーフードサラダとか結構贅沢だし、この間他所で飲んだ時に食べたいぶりがっこのポテトサラダも一人だとそれだけのために結構高いいぶりがっこ買うのもなあと躊躇していて、けれど人が来るなら大っぴらに?作れる、と思った。

 それに足りなかったら生ハムとチーズとフランスパンもあるし、冷凍フライドポテトも冷凍餃子もあるし、つまみはこれで足りるだろう、と当日わくわくしながら上記の品々を作った。

 と言っても火を通した作るものはほとんど無く(鶏手羽先の焼いたのを作ろうと思ったが手羽先が売り切れていた)、レンコンを揚げるときに片栗粉が切れていて代わりに小麦粉を使ったくらいでほぼうまく出来た。

 当日は彼女も数品おかずを作ってきてくれたりデザートを買ってきてくれたりして、楽しい時間を過ごした。

 やっぱり、おいしいもの自分でちゃんと作ったら美味しいんだよな、と思ったが、いかんせん日々の生活では自分だけだと何でもいいと思うし時間がもったいないし、と簡単なもので済ませてしまう。でも久々に食べたいものを作って食べるって幸せだなと感じた日だった。

 たまには人が来るのもいいのかもしれない。

 

 

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早過ぎる

2024-03-15 14:42:41 | クリーム色の家

 職場の50代の男性が亡くなった。トイレで倒れたのを家族が発見して救急搬送されたらしい。この間お通夜に行ってきた。

 その方とは違う部署だったので一緒に仕事をしていた訳ではないのだが、たまに仕事で接触することがありその時は同じくらいの年齢で子供の年も近いこともありちょっとした話をすることはあった。倒れたと聞いた数日前も普通に働いている姿を見かけたので倒れたと聞いたときは信じられなかった。

 人って簡単に亡くなってしまうんだ、と昨日まで一見健康に普通に働いていた人が倒れたきりもう意識が戻らなくなることなんてあるんだ、と思った。

 私はその方よりちょっと年上であるし、私にもそういうことが起こってもおかしくないのだろうと他人事とは思えない感じがしてくる。ご家族も、まだお子様も成人していない子供もいるようだし奥様も大変だろうなと思う。

 一昨年は同期が亡くなって、その子は同期の中で仲良くしてもらったので本当にショックで、亡くなるにはあまりの早さに信じられない気持ちだった。

 やはり同年代の人が亡くなるのは色々と考えさせられる。

 でもそういう年齢になってきているのだなあという実感もする。

 私も家の断捨離とか、いざ何かあってもいいように子供達に分かるようにしておかないといけないのだろうな。

 

 

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春は嫌いだけれど

2024-03-12 20:18:10 | つぶやき

この間ちょっと旅行に行ってきた。旅行と言っても近場の温泉に一泊しただけだけれど。箱根の上のほうだったのでその日は雪が降った。でも薄っすら積もっただけだった。雪が降った割にはそれほど寒く無く、やっぱり3月なんだなと思った。

今日も雨が降って、雨が多くなると冬が終わったのだと思う。これから雨ばかりの季節になるのだと思うとうんざりするし、私は花粉症ではないのだけれど春は風が強いのも嫌だし、なんというか年度替わりだし、とにかく落ち着かなく好きじゃない。梅雨と夏はもっと嫌いだけれど。

でも唯一春の中で好きなのは春になると菜の花が出て新玉ねぎが出て、そういった季節の食べ物を感じるのは好きである。もうここ1か月くらい買い物に行くたびに菜の花を買っていて、すぐに出回らなくなるから買える間は買わなくっちゃと思って買っている。サラダにしたり炒めたりパスタにしたり何しろ美味しい。春は嫌いだけれど「春を感じる」のは好きである。新玉ねぎも甘くて美味しいし春キャベツも好きである。

夏も秋の冬も、それぞれ季節の食材というのはあるんだけれど、春だけ心が躍るのはなんでなんだろう。春は嫌いなのに。

まあ食べ物ひとつで幸せを感じらることが幸せかなのもしれない。

 

 

 

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10年前なんてついこの間のよう

2024-03-10 14:44:54 | つぶやき

 年を取ると月日の経つのは早く感じるのだろうけれど、自分が年を取ってくると本当にそう思う。

 東北の地震から13年も経っていて、あの頃がそんな昔とも思えなくて今年能登の地震の話を職場でしていた時も「東日本の地震の時はね、、、」って言うと若い子たちはぴんと来てなくて、まだ子供だったんで、と言う。そうだよね、うちの子供たち小学生とか中学生だったのだから、うちの子達と同じくらいの年頃の子が多数いるうちの職場なんてそうだよなあと思う。

 自分が子供の時、小学生や中学校の時も、自分が生まれたときってすごく昔と思っていた。でも今は子供たちが生まれた20数年前なんてほんのちょっと前、という感覚しかない。20数年前と同じ仕事しているし、特に仕事上昇格して偉くなったという訳でもないし、ずっと同じような生活をして20数年が経っている。でも確実に年は取ってあと数年で還暦になるし、と思うと、なんか人生ってなんなんだろう、とちょっと思う。

 最近、子供達が働くようになって家から出ていって一人になると、時間が余っている感じが凄くする。子供達が小さいときは余裕な時間なんて何にもなくて平日は仕事で終わるしその平日にも家事しないといけないし、休日は土日出来ない買い物や掃除やらで終わるし、なんの余裕もなかった。でも今は家事は自分のことだけでいいからすぐ終わるし、買い出しも行かなくていいし何をするにも自分のことだけだからすぐ終わる。以前職場に今の私ぐらいの年齢の独身の先輩がいたが、何にもする暇がないから洗濯を週一でまとめてしていると言っていた。その頃は、ああそうなんだ、としか思わなかったが、今思うと、え、こんなに一人って楽なのに、と思う。

 土日の休みが本当に、休んだ、と最近感じる。土日全部自分のために使っているからだろう。私は基本出不精なのでどこにも行かないし、家が好きだから、家で過ごす時間が多いと疲れが取れる。

 そして最近思うのは、仕事を定年で辞めるとこの毎日余裕の生活がずっと続いて、私ぼけちゃうんじゃないかな、と。毎日仕事をしているからこの週末の休みがありがたく時間がゆったり流れると思ってありがたいけれど、これがずっと続くと結構暇なのかも、と。

 働くのは嫌じゃないから定年になってもちょっとした仕事はしたいと思う。生活費のこともあるし。でも最近つくづく老後の生活を想像したり自覚したりしている。

 

 

 

 

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雨の休日

2024-02-25 19:27:54 | つぶやき

3連休。前半2日特に予定もなく、家の片付けをしようと思っていたけど結局やらず何もせず2日間が終わってしまった。まあ映画を診たり(アマプラだけど)、特に暴飲暴食せずゆっくり休んだので、それはそれで良いとしよう。

最近休みの最後の最後で掃除をしているような気がする。子供たちが家にいるときは、とにかく平日家が散らかっているで仕事から帰ると散らかった部屋の惨状にうんざりしたが、平日は掃除をする時間も気力もないので汚れて散らかっていても仕方がないと思っていた。土曜日の午前中に掃除をして、家が綺麗になってやっとああゆっくり休める、という流れだった。

しかし今は子供たちがいないので一週間平日まったく家が散らからないし汚れないのである。仕事から帰るとご飯はLDkで食べるがご飯とお風呂が終わるとすぐ自分の部屋にいって寝てしまうので居間は全く使わない。まあ一週間掃除しないのだからホコリは溜まっていると思うけど散らかりはしないのである。

以前はまず一週間分の汚れを掃除しないと寛げなかったのだが、今は一見汚れていないので何というか掃除をする切迫感がないのである。それでまあいっかとずるずると休日を満喫してしまって土曜日の夕方からとか、さらにやる気がないと日曜の夕方から仕方なく掃除をする。

結局掃除って自分のためなんだよなあ。子供たちが赤ちゃんの時は子供がどこを触っても大丈夫なように毎日あちこち念入りに掃除をしていたけれど、今はいかに自分が心地よく過ごせるかと思って掃除しているからなあ。

私はやる気が出るまではちんたらしているが、やると決めたら結構はりきってやる。日曜日人が来ることになったので久々にやる気スイッチ?が入り掃除した。いや毎週掃除はしているけどいつもよりは念入りに掃除した。

でもなあ。冬の間は寒いからという理由で断捨離を中断していたけど、そろそろまた家の片付けをしないとなあ。先週なんて4月の暖かさで、ああ、もう暑い時期になるのかと思うとうんざりする。一年中冬ならいいのに。

でも掃除されて整った部屋は気持ちがいい。春は嫌だけど。

 

 

 

 

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もやもや

2024-02-17 12:20:45 | つぶやき

2月の14日が近くなって、職場でバレンタインをどうするかという話になった。私が今の部署に来て3年になるのだがずっと長くいる同僚がいて係の慣習?はだいたいその子の言う通りにしているのだが、去年は女子みんなで男性社員にチョコを配った。しかしうちの職場は女子が15人ほどで男性が3人である。ホワイトデーになると明らかに男性の方の負担が大きいのでいつも却って悪いなあと思っていた。

で、今年はその最古の同僚がたまたま話の時にいなかったのもあり、他の子もホワイトデーに悪いと思っていたようで今年は止めようということになった。まああげたい人は個人間でどうぞ、と。

職場にはお菓子を置いておく場所があって、これは特にお金を出し合って買っているわけではないのだが、過去にいた上司がちょうどその頃コロナ禍で残業続きの日々があったため、係員を労わる気持ちで買って置いてくれるようになったのだが、その上司は居なくなり何となく年齢が上の者が適当におせんべいやらチョコやらを買って置いておく習慣になった。誰が買っているのかは定かではないが、私は係のなかで年齢が上なので、自分の娘と同年代の子が多い係の子たちにと思ってお菓子を置いている。

なのでじゃあバレンタインの時はいつものとこにチョコレート適当に買って置いとくからいいよ、とカルディで買った個包装されたチョコとそれとは別にもうちょっとだけ良いチョコを人数分買っていつものところに置いておいた。余り高級なチョコを置いとくと若い子が私もお金出しますよと言い出すだろうし、かといって私からですと言って配るとあれやらないって言ったのに、となるし、でもあんまり普段と変わらないお菓子だとテンション下がるだろうし、と色々考えて買ったつもりなのであるが、結構もやもやとしてしまった。私は男の人にというよりもいつも頑張っている女子達にあげたかったので、どうせならもうちょっと女子受けするようなもの厳選して買ってあげれば良かったなどなど思ってしまった。

私はいつも人に物を上げるときに、あげた後にその人がお礼になにかしたりと気を使わないように敢えてあまり値段の張るものは買わないのだが、でもいつももうちょっと良いものにすれば良かったかなとか、私ってケチなのかなと思ったりともやもやする。

昨日は転勤していった先輩と元上司と食事の機会があったのだが、2日遅れだけれどバレンタインの時期だしと思って男性二人分にチョコレートを買った。職場では止めようと言ったが個人的に渡すのはいいかなあと思った。でもやはり高価なチョコをあげると気を使ってお返しとか面倒くさいだろうからと手頃な値段の物を買って行った。そうしたら何と先輩もまったく同じことを考えていたらしく私が持ってきた紙袋を見て「あれ何か嫌な予感する」とつぶやいた。私と先輩は全く同じメーカーの同じチョコを買ってきていた。私たちは「本当に偶然なんですよー」と言いながら同じものを2人に渡したのだけれど、先輩と私は多分同じ感覚で同じ程度の物を買ったのだと思うと、なんとなく私のもやもやは解消された。

バレンタイン、私が入社した頃は先輩と一緒に同じ課の男性分のチョコを買いに行って渡したなあ。そしてお返しは勿論上げたものよりも良いものを頂いて個別にくれるから結構な量だった。でも今の若い子ってそういうのを強制されるの嫌だろうからと思うし私自身も面倒くさいと思うから廃止でいいんじゃないかな。私は息子の分(社会人だけど多分誰からも貰わないだろうから)と、いつも一緒に飲みに行ってくれる先輩に先週渡したけど、なんかどちらかというと女性にあげたくなっちゃうな、バレンタインて。

 

 

 

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目と口の間

2024-02-09 10:52:20 | つぶやき

昔はぜんぜん気にならなかったのだけれど、最近人と話すときにどうしてもその人の鼻に意識が向いてしまう。若いときは人の印象を特徴付けるものって目だなって思っていたけれど、最近では鼻じゃないかと思う。

子供の頃は自分の一重で細い目がとても嫌でなんで二重に生まれなかったのであろうと思っていた。ぱっちり二重の人が羨ましいなと思っていた。まあ今でもそう思わないでもないけれど一重でも綺麗な目の人はいるし大人は化粧ができるのでその辺はだいぶ誤魔化すことができるようになった。鼻だって私の鼻はいわゆる団子鼻っていう部類に入るものだと思うのだけれど、小さいときは親戚のおじさんに鼻ぺちゃなんで「ぺちゃ子」と呼ばれていた。(今これを書いて思い出した。鼻ぺちゃって死語かな。昔キャンディキャンディっていう漫画の主題歌にあったんだよな)それでも鼻が低いことはまったく気にしたことが無くやはり目の方ばかりがコンプレックスだった。(まあ他にも分厚い唇とか他にもコンプレックスは色々あったが)

でも目って化粧でいくらでも加工?誤魔化しができるけれど鼻ってできないんだよなと思う。まあ化粧でシャドウをするとかテクニックがあるのかもしれないけれど根本的に形は変えられないしそれに鼻って何故か年を取ると余計にデフォルメされるというか目立ってくる気がする。

昔人と話をするときは、相手の目を真っすぐ見過ぎると緊張するというか視線が外せなくなってしまうので目と口の間くらいを見るといいという話を聞いたことがあって、私はそうしているのだけれど、それって鼻の位置だよね。だから鼻に視線が集中してしまうのだろうか。

ここ数年コロナ禍でマスク必須だったので、ちょうどコロナが始まった頃に今の職場に転勤してきた私は同僚のマスク以外の顔を見たことが無かった。それでたまにマスクを外した素顔?を見ると、あれ、マスクしてるのと印象がちょっと違う、と思う人が数人いた。それは鼻のせいなんだろうなと思う。

この、鼻に意識がいってしまうというのはもう癖みたいになってしまって、極端な話、あ、私この鼻の人と結婚とか無理だわ、等と思ってしまう。まあこの年でそれはないし、人のこと言えるのかっていうお話なんですが。

変な癖だな。人には言えない癖。

 

 

 

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すべて更年期のせい

2024-02-02 12:00:46 | つぶやき

仕事に行っているときはてきばき(多分)できるのに土日や休みになるとやる気がない。平日は(当たり前だけど)ちゃんと朝も寝坊せず起きるしお弁当も作るし(前に書いたが超手抜き)、仕事から帰ったら即洗濯お風呂食事ってできるし(ご飯は超簡単なものばかり、ひとりだから)、ちゃんとすぐ寝れる(翌朝寝坊するのが怖いから)。

 

それなのに休みになるとなんで何もする気が起きなくなってしまうのだろう。

しかし考えてみるとこの問題は随分前からあって、10年前も同じことを思っていた気がする。ただ10年前はまだ子供たちが自立していなかったのでお弁当やらそこそこ学校のことやら母も居たので今より家事負担や土日にやることは多かった。週末に家じゅうの掃除をし、洗濯だって今は一人分だけど子供がいたときはもっと多いし、母の施設にもいかないと行けないし買い物も週末まとめ買いをしていたので必ず買い出しに行かないといけなかった。

今は日用品など重いものは定期便で頼んでいるし、買い物はひとりだから仕事終わりにちょっと買えば済むし、洗濯は一人分だからすぐ終わるし、食事もひとりだから適当なものでいいし、前を思えばほとんど家事がない。それなのにその少量の家事でさえやるのが億劫になっている。

以前は自分がストレスになって病んで仕事ができなくなると子供たちを養えなくなるから、そうなるくらいなら家事が少々適当でもストレスを溜めないほうがいい、と勝手に自己解釈して家が多少散らかって汚れていても良しとしていたが(まあうちは配偶者も親もいないので私に怒る人はいない)、今はほぼストレスもないのにこのやる気のなさは何なのだろう。

ふと、私と同じような人はいるのかと検索してみると結構この年代の女性はみんな疲れていた。まあすべてじゃないかもしれないが更年期の世代ということも関係しているようだ。私は特に目立った更年期の症状は無いが(メニエールは更年期関係あるのかな)でも世間の50代くらいの女性は皆疲れているようである。若いときのように疲れが一晩寝たら治るとかそういう感じではないみたいなのである。

それで私も、もうこのやる気のなさは更年期のせいだということにしておいた。まあ確かに土日は必要最低限の家事しかしていないけれど、もう子供はいないし誰にも迷惑掛けていないし仕事はちゃんと行っているしいっか、と。

更年期が終わって60代くらいになると急に体が楽になるという記事もあったけど本当なのかな。

 

 

 

 

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風邪をひいた

2024-02-01 12:17:25 | つぶやき

久々に風邪をひいた。職場で年初めから風邪をひいている子いて、その風邪をうつされた上司が私の隣の席にいて多分移ったのだろう。このコロナ禍の間一度もコロナに掛からずちょっとした風邪は引くが熱なんか出たことない。覚えている限り社会人になって30年熱で休んだのは3回くらいしかない。あまりにも風邪を引かないので、いわゆる掛かりつけ医、がないので(歯医者や耳鼻科はあるが)いざ熱が出て病院に行くときはどこへ行こう、となる。

それくらい熱を出さないのに何で今頃?コロナが5類になって以降世の中の人はマスクを外しているが私は仕事中も外出中もマスクをしているし、年末年始疲れていたから免疫力が落ちていたのか。

週末の休みの終わりこりろ、なんか調子が悪いなあと思いつつ普通に週明け仕事に出かけ、だんだん寒気がしてきてそのうち節々が痛い。ずっと腰痛ではあるけれどその痛みと違う。これって熱じゃん、と思い昼に帰らせてもらおうと思っていたら、ちょっと前に交通事故にあった同僚が調子悪いんで帰りますと早退し、もうひとりの子も病院行くので早退し、と2人帰ってしまった。ただでさえ人手不足なのでもうこれで帰れないの決定。その日は残業せず帰宅し熱を測ったら38.5度。速攻でバファリンを飲んで寝た。

夜中にもう一度バファリンを飲み朝起きたら微熱。この日はどうしても他の人に代われない仕事があったのでまあ薬飲んでればなんとかなるだろうと仕事に行った。鼻水と咳が止まらないものの熱は出てなさそうな感じで仕事は出来た。

しかし私は普段から体壊さないし傍から見たら多分体調悪く見えないのであろう。熱で速攻帰ったときも体調悪く帰ったとは思われてなく、なんか予定あったのかと思った、と上司にも言われた。若い子が調子悪いと帰ったほうがいいよ、とえらい気を使ってあげるんだけど、今の子って弱いのかな、多分1か月の間で私の30年間よりももっと体調不良で休んだり早退する子はたくさんいる。そういえば私くらいの人間(50代前後)って滅多に風邪引かないな。昭和の人間て強いのかな。

もう2週間くらい経つのにまだ咳が出るし痰が絡む。しつこい風邪だな。

 

 

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2024

2024-01-08 12:08:31 | つぶやき

年が明けました。

今年は仕事の関係で純粋なお正月休みは31と元旦、2日しか無く、子供たちは31に帰ってきて元旦に上の子は帰ると言うので31に元旦に食べようと思っていたご飯を食べ、1日は下の子は近所の神社に幼馴染と行くと言って出かけて行った。

何もしないでぼーっとテレビをつけていたら緊急地震速報。慌てて画面に近づくと自分の住んでいるほうでは無く少し安堵したものの、北陸でとんでもない地震が起きていた。しかも津波警報が出されている。

大変なことが起きてしまった、とそれからNHKの画面から目が離せなかった。日本中の誰もが、あの東日本の津波のこと思ったであろう。私もテレビを見ながら、逃げて逃げて、とそれだけ思っていた。

元旦からこんな災害に見舞われた方々は本当にお気の毒だと思う。自分がこんな地震にあったらと思うと日本にいる限りどこにいてもあり得ることだしいつ同じようなことが起きてもおかしくないのだから、他人事とは思えない。

そして次の日にニュースを見ていてら今度は飛行機が燃えている。最初は機内の人が脱出できたかどうか不明だったため、あの炎を見てもうただ茫然としてしまった。その後乗客は無事と報道があり、あの中で脱失できただなんて奇跡だなあと思った。海上保安庁の方はお気の毒でしかない。まして被災地に物資を届けるところだったのに。

立て続けにこんなニュースを見て、今年はいったいどんな年になってしまうのだろうと不安な気持ちになる。

 

私事では、年明けに職場の業務が変更になるというので御用始めは緊張の初日だった。初日は夜まで業務が伸びていつ帰れるのだろうとまで思っていたが何とか無事に業務は終わり、皆疲れ切っていたが何とか乗り切ることはできたのでそれは救いだった。

 

下の子も先日自分の家に帰り、私の普通の日が戻ってきた。昨日仕事から帰り、娘が散らかしていった部屋を掃除しお風呂に入り一人で夜ご飯を食べていると、ちょっと寂しくもあったがなぜかほっとした。いつもの日常が戻ったという実感がして落ち着けたのだろう。

 

本当に、何もない地味な日常なんだけれど、これがいちばん幸せなのだというのを実感した年明けでした。

今年もよろしくお願い致します。

 

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大掃除

2023-12-29 20:46:20 | つぶやき

今年は仕事が忙しく11月くらいから毎日残業が続いてしまって土日休みは何もする気が起こらなかった。まあ残業続きでなかった時も土日は何もする気が起こっていなかったのであまり関係ないかな。

 

毎年毎年、大掃除は11月くらいまでに終わらせておこうとは思っていて、10月くらいからそわそわはするのだが、結局12月くらいまで持ちこむのが毎年の常である。お正月休み、うちの会社はカレンダーどおりなので年内の休みは掃除とかお正月の買い出しとかで終わってしまい、年明けは3日しか休みがないから何となく正味3日しか休みがないという感じがする。年末にバタバタしなければ長く休んだという感じがするのでやっぱり年末ぎりぎりに大掃除はしたくないのだが予定どおりにはいかないものである。

 

カーテンはもう洗ったり新しく付け替えたりしたし、その時窓や網戸の掃除もしたし、玄関の戸棚も片付けたし後は換気扇の掃除が残っているのが気になっていた。他にも床磨きとか、冷蔵庫とかタンスをどかして掃除したりもしたいのだがとりあえず換気扇の掃除が気になって気になって仕方ないので先々週の休みに行った。その時も次の休みにやろうかとか危うく先延ばししそうになったが、やはりこれを終わらないと真の大掃除とは言えない気がして重い腰をあげしぶしぶ取り掛かった。

 

やはり、というか想定どおりだったのだが、換気扇掃除という大事業を終えるともう他はどうでも良くなってしまいこうして年末を迎えてしまった。やっぱり換気扇掃除って他のどの掃除よりも面倒臭くて手間が掛かって嫌だな。だから達成感があるのかもしれないが。

 

今年は仕事の関係上、正月休みの間にもちょこちょこ出勤があるし、子供たちも家を出ていってしまったからいつもよりさらにお正月が来るという感じがしない。何もお正月のことを用意してないし、まあ毎年さして何もしていないが今年はさらにしていない。

 

一人暮らしをしだした子供たちはお正月はどうするのだろうと尋ねるといちおう帰ってくるらしい。それほど遠くにいる訳ではないので帰ってくるのが待ち遠しい、という感覚でもないのだが、でも帰ってこないと言われるとまあ寂しいのかもしれない。そんなに家が嫌なのかなと思ってしまうかもしれない。職場の後輩で彼と同棲をしているという子が居るのでお正月は実家に帰るの?と聞いたら帰らないと言う。県内なのになと思ったが案外そんなものなのかなとも思った。私の気にし過ぎなのかもしれない。

 

年賀状は2年続けて喪中で出さなかったので久々に書いた。今どきの若い子は年賀状を作らないので職場の若者にはほぼ出さないので出しているのは昔からの仕事上の知り合いか学生時代の数人の友人くらいでだいぶ数が減った。毎年自分でパソコンで作って印刷していたが、印刷を年賀状くらいしかしないのでインク代がものすごくかかる。でもなぜか印刷屋に頼むという行為を頑なにしたくなく、それで年末ぎりぎりにいつもなってしまっていたのだが、今年はi忙しく余裕が無かったのでネットで頼んでしまった。そうしたら多分毎年のプリンターのインクリボン代より遥かに安くついた。それにだいぶ前に用意できた。なぜ今までこうしなかったのであろうと自分で思ってしまった。

 

昼間のニュースで今日のアメ横の映像を放送していた。すごい人だった。それを見て、コロナの時代って終わったのかなあと思った。

 

来年がいい年でありますように。

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コストパフォーマンス

2023-12-16 19:02:29 | つぶやき

私は昭和一桁生まれの親から育ったせいか、贅沢は敵だ、みたいな感覚が小さい頃から身に沁み込んでしまっている。というか、とにかく無駄遣いをしないほうだと思う。家が貧乏だったのでとにかくお金がないと困るという恐怖心が潜在的に常にあって、身の丈にあっていないものを買ったりとか身の丈にあっていない生活スタイルは転落人生の始まりだし悪と思っている。

 

私がお金の不安が無くなったのはついここ数年のことで、家庭環境もあり幼少期からお金の心配ばかりしていた。母は常にお金が無い無いと言っていたし、父が失業という時もあったし何しろ父が自営業だったので普通のサラリーマンや公務員の友達が羨ましかった。

 

基本的に物は壊れるまで使うし、サランラップとかトイレットペーパー等の消耗品は一回で捨てるものなので質が悪くても安いものを買う。当然服などブランドものは買わないしうちの家具に高級品は一切無い。

 

ということでカーテンも何十年使っていよいよ見っともないという段階で買い替えたのだが、最近家の収納とか片付けの動画をよく見る。うちも両親が亡くなり子供たちも一人暮らしをしていないので家のなかを片付けすっきりさせたいのだが、すっきりした家に住んでいる人は色々と共通点があり、物が少ないのは当然だが例えば収納は揃えた収納家具などを使ってピッタリと収納したり、家具や物の色を揃えて統一感を出している。

 

まあそんなことは家を建てた20数年前に分かっていたのだが、そういうのってお金に余裕がある人がするものと思っていた。私は独身時代から使っていた衣装ケースをまだ使っているし結婚するとき買った本棚やタンスもまだ使っている。家を建てたときは若くお金が無かったし、子供ができて教育費にお金が掛かるようになり教育費は惜しまないがそういう家のことにはお金を惜しんだ。

 

でも最近思った。結局綺麗なシンプルなすっきりした家を目指すならそういうものを使い多少はお金を使わないとだめなんだろうなと。

 

それからびっくりしたのが職場で大掃除の話題になり、30代半ばの同僚2人が換気扇の掃除は業者に頼んでやってもらう、と言っていた。時間と手間を考えたら安いものだと言っていた。いや私もそういう家事代行サービスがあるのは昔から知っているが、そういうのって庶民?が使うものではないと思っていた。お金に余裕のある家庭の人がやるものだと思って今まで頼んだことは無かった。

 

でも確かに子供が小さくて普段フルタイムで仕事をしていたら時間は無いだろうし、共稼ぎならそのくらいは頼んだほうがコストパフォーマンス的には見合っているのかもしれない。収納用品だって空き箱やら昔のものを使っているのもいいんだろうけれど統一されたものを使ったほうが使いやすいし見栄えもいいし便利なのであれば買っても安いものであろう。

 

ということで最近は自分が心地よいと思える空間を作れるようにと思って多少の出費は致し方ないと思っている。まあそれは子育てが終わり教育費やらにお金が掛からなくなったので少しお金と心の余裕が出てきたからだと思うのだが。

 

しかしやってみるとちょっとしたことで気分がいい。今まで洗濯に使う洗剤類を洗面所の窓枠に置いていたが、洗濯機に付けるマグネット棚を買って洗剤類を置いたら窓辺がすっきりとしたし、自分のリラックス時間のために間接照明を居間に2個ほど買って使っているがこれも気分がいい。自己満足の世界ではあるが。

 

まだまだ家の片付けは程遠いけれど、自分が心地よくなれば片付けのモチベーションも上がるので、こつこつとやっていこう。

 

 

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カーテンの寿命

2023-12-08 23:07:06 | つぶやき

カーテンの寿命はどのくらいなのだろう。

居間の出窓に掛かっているレースのカーテンがちょっと引っ張るとすぐ破けるようになってしまった。家を建てたときからなので20年以上経っているから劣化だろう。破けたところをちょっと縫って使っていたがさらに劣化が進みすぐ破れてしまう。この家にいつまで住むか分からないし、マンションに買い替えようかなどと考えていたこともあってカーテンを新調するのを躊躇してが、あまりにもみっともないので新しく買って付け替えた。

居間の大きな窓のレースのカーテンは2年前くらいに買っものだが、夏の終わり洗濯機で洗ったら生地が薄くなり粉のような物が出てきた。確か洗えるカーテンだったと思うのだが違ったのか、もしくは南向の窓で日当たりがいいからこれも劣化なのか。たった2年なのにと思ったが粉が体に悪そうだし仕方ないのでこれも新しく買い替えた。

カーテンを買う時は長さをきちんと計らないと合わないのは分かっていたので慎重に計った(はず)。それなのに届いて早速つけたらつんつるてんである。

確かに、本当にぴったりにするにはうちの窓は既成サイズに合わないのでおかしくない程度のサイズにしたはずなのだが、なんかイメージと違った。まあいつまでこの家に住むか分からないしとそのまま使っていたが、毎日気になって仕方ないので結局もう一度やや長めのを買った。つんつるてんの方は寝室のレースのカーテンも20年以上使っていてかなりボロボロになのでそちらに使うことにした。寝室の窓の方が小さいので、今度は逆にやや長くなる。引きずるのも嫌なので下を少し縫って丈を上げた。

すると、寝室のレースじゃないカーテンの劣化が気になり出してきた。これも20年以上使っている。お値段以上、のお店でディスプレイされているのと同じのを買って、ちなみに色は濃いピンクである。お店でディスプレイされているのは凄く素敵だったが家で窓に掛けてみると、思った以上に暗く感じ(ピンクが濃い)、また窓も3面あったのでピンクの主張が強く感じたのを覚えている。流石に20年以上も使うと日焼けにより色褪せが激しいのはもう何年も前から感じていたがカーテンより他に色々お金が掛かっていたので見て見ぬふりをしていた。自分しか寝ないし人が見る訳じゃないし。で今回レースカーテンが新しく綺麗になるとピンクのカーテンがやけにみすぼらしく見え買い替えようと言う気が起きてしまった。危うくポチする寸前までいったがぐっと我慢した。この間ホットカーペット壊れて買ったし、間接照明が欲しくなりふたつポチしたし、このところなんだかんだ散財している。

居間の遮光カーテンも、このピンクのカーテンと同じ時期にお値段以上のお店でかったものだが、こちらは毎年洗濯機で洗っているが健在である。元々の色が薄めだからか、こちらのがちょっと良い物だったからか遮光だからか分からないがまだまだいけそうである。

まあどちらにせよ20年(正確には23年)ずっと同じカーテン使ってるの私くらいかな。しかもお安いやつなのに。

でも結果的にお値段以上だったのは間違いない。

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断捨離、まではいかないけれど

2023-11-26 09:53:54 | つぶやき

ちょっと前、上の子(社会人3年目)の職場が転勤になり、それに伴って一人暮らしすると言い出した。前からゆくゆくは自立して一人暮らししてねと話していたので、どうぞどうぞということで、あっという間に自分で不動産屋など行き決めてきた。

 

もともと息子とは出勤帰宅時間も休みの日もずれているので、一緒に暮らしていると言ってもほぼ顔を合わさなかったし、食事洗濯も自分のことは自分でしていたので、私にとってはあまり変化ははない。

 

一週間くらいは自分以外の人間が家にいないのが寂しいと言えば寂しかったがすぐに慣れてしまった。私は元来ひとりが好きなのだろう。

 

息子は家にいる時は食事洗濯は自分でやってくれていたが、夜ご飯食べたまま食器を洗わずそのまま寝ていたり、居間のソファに脱いだ洋服やらカバンやらお菓子やら散らかしたままで仕事に行ったり、何しろ家が片付かなかった。まだ子供の頃は私が片付けていたが、こちらも仕事で朝早いし夜も息子の帰りは遅いしで平日は汚くても目をつぶっていた。

 

自分しか家にいないと当たり前だが散らからない。毎週土曜日の午前中に部屋の掃除をするが一週間まったく散らからない。朝起きてきて食事の後の残骸がテーブルに広がっていてシンクに鍋やらフライパンやらが積んであるともう朝からやる気を無くしたが、今はそれがない。本当にストレスがない。

 

今はもともと2世帯3階建ての6LDKに1人で住んでいるが、こじんまりした1LDKくらいのマンションにでも住みたいなあ、と漠然と思い住宅情報をネットで検索しまくっているが、1人では広すぎると言うだけでこの家が嫌いな訳じゃない。今までマンション暮らしもしたことがないし不安もある。もちろん金銭的なこともあるし。

 

でも1人の気楽さを覚えちゃうと、もう一生1人でいいやと思ってしまうなあ。

 

あれ最初に思いついた内容と変わっちゃった。タイトルおかしいな。

 

 

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入浴の効果

2023-11-23 22:49:32 | つぶやき

歳のせいかもしれないけれど、最近足が怠くて仕方がない。毎日ほぼ立ち仕事だからかもしれないが、以前は夜怠くて眠れないことはあっても朝になればそこまで怠くなかったし、足の怠いのも一時的だった。

でも最近はとにかく朝から足が怠い。立ち仕事の他に運動不足も理由になるのかもしれないけれど確かに運動はしてないが毎日仕事と通勤で1万数千歩歩いている。忙しい時は2万歩近く。だから動いていない訳じゃないと思うのだけど。

ここ3ヶ月くらい腰もずっと痛い。たまに軽いぎっくり腰になることは今までも何度もあったけど、時期が過ぎれば痛くもなんともなかったのにずっと重くて痛い。でも動いたほうがいいと調べるとあったので普通に重いものも持つし、この間も職場の不要物の廃棄作業で重いダンボールを何十個運んだ。

仕事中は気が紛れるのか忙しいからかあまり足の怠さとか腰の痛さを感じなく1日が終わるのだが、休みの日家にいると怠くて仕方ない。身体が硬直してガチガチになっている感じ。マッサージにでも行けばいいのだろうけど、赤の他人に身体を触られるのがちょっと気が引けてあまり行く気がしない。

それでもうやっぱりお風呂に入らないとダメだなと意を決して、今度の休みにはお風呂に入るぞ入るぞ、と決めていた。

え、この人毎日お風呂に入らないの?と思われたかもしれないが、うちは元々二世帯住宅なのでお風呂はひとつだが別にシャワー室がある。平日は時間が勿体無いのと子供達もシャワーしか入らなかったので毎日シャワーだけで済ましていた。慣れてしまうとお風呂を沸かして入るのが非常に面倒くさいし、何しろ時間が勿体無いのでお風呂入るなら早く寝たいと思ってしまうのだ。

でも、もう怠さが限界でとにかくお風呂に入らなければという切羽詰まった感じに自分でなっていた。今日は休みだったし家族は誰もいないので昼間からお風呂に入り、足からふくらはぎを念入りにマッサージした。

すると、あんなに怠かった足がだいぶマシになった。正直あまり効果を期待していなかったがお風呂の効果恐るべし。日頃湯船に浸からないので余計に効果があったのかもしれない。

もう歳だからな。これからはもうちょっと身体を労わろう。

 

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