星を見ていた。

思っていることを、言葉にするのはむずかしい・・・。
良かったら読んでいってください。

なんとも言えない気持ち。

2022-10-07 07:56:26 | つぶやき

母が亡くなった。9年前に脳梗塞になり、その後遺症か認知症のようになってしまい老人施設に入っていた。私はシングルで当時上の子は高校生、下の子は中学生で家で面倒を見る人がいない。もともと視覚障害のあった母を家に一人で居させるわけにはいかず選択の余地はなかった。

 

コロナななってから面会も出来ず、最後に会ったのはコロナ直前だった。施設に入ってから耳の聞こえも悪くなり最後に会った時は見えず聞こえずに認知もあり、意志の疎通が出来ずもう私を認識できなかった。

 

いつどうなってもおかしくはないと思いながら9年近く経っていた。亡くなった日の朝に市役所に行き介護料の減額申請をしたばかりだった。心臓の方も薬のためか安定し、意外に長生きをするのではないかと思っていた。申請が通ればこれで長生きしてもとりあえずお金は何とかなりそうと思っていたその日、出掛けた先に施設から連絡げあった。

 

正直驚きはしなかった。もう年も米寿であるし、持病もあるし施設では寝てしまう時間も多い。最初に入った有料の老人ホームの施設長が寿命が近づくと寝る時間が多くなると言っていた。脈がいったん止まって意識がないと連絡があったことも数度ある。

 

だから割と落ち着いて、とりあえず言われた病院に急いだ。電話の様子だともう亡くなっている可能性が高い。

 

やはりもう既に亡くなっていた。ついに来たんだ、としか思わなかった。頭の中で冷静にこの後の段取りなどを漠然と考えていた。去年の年末に実の父が亡くなったので具体的にイメージが出来ていた。

 

母とは(正確に言うと養母だが)一言では言い表せられないくらい様々な感情がある。多分本を一冊書けてしまうのではないかというくらい思うことは沢山あった。なのに最後の最後はこれ程淡々と、もはや無感情みたいになってしまうのが何だか自分がものすごく冷たい人間のような気がした。

 

施設の職員が気づいた時に既息が無かったということで病院には警察官が数名来ていた。最初は検死扱いになると説明された。もう亡くなった母と対面した。間違いなく母で死んだように見えなかった。母の手を触った時に、母の薄くなった皮膚の感触を思い出し、そして腕をさすったら、施設に面会に行った時、会話もまともに成立しない母を、とにかく手の甲や腕や背中をさすったことを思い出した。そうしてあげると安心したのだった。その事を思い出したら涙が出てきた。このコロナ禍の間一度も会いに行けなかったのは仕方がないとしても可哀そうだったと思った。

 

納骨は雨じゃなさそうで良かった。

 

 

コメント
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