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liberteの頃

2011-08-06 | essay


わたしの学生時代は詩とともにあったと言っていいかもしれません。
日本の社会へ出ていくレールにわたしはどうしても乗ることができなかった。
いろいろなことが気持ちの中で処理できず、死にたいといつも口ずさんでいました。
死にたい・・。自殺とかそんなおおげさなものではなくて、死というイメージがあの頃にはこの世界からの逃避。
死にありがちな悲壮感や重厚な感情はまったくなかったように思います。
そう、わたしはまだまだ未熟で幼い感情の中で必死になにかを見つけようとしていました。
無人島のような幻想を。教室の窓のむこうを見つめながら、これから楽しい幻想がそこにあらわれてくれるのではないか・・と。
そんな期待とこの世界への嫌気で毎日が過ぎていた気がします。

そんなあの頃のわたしを岡村孝子さんの歌詞や唄はなぐさめになっていてくれたのです。
授業中、歌詞を書いて、仲間たちに書いたものをこっそり渡したりしていました。こんな詩をわたしも書いていきたいと、社会からの逃げ道のようにいろいろな創作を試みていました。
あれからかなり時間が過ぎましたが、その気持ちは今でもわたしの中に確かにあります。
そして、今になってあの頃の感情をもう一度なにかのカタチにしたいと、そんな思いがさらに強くなっているのです。

今でも思うのです。あの頃、この世界はこうなんだから!とそんな縦割りな考えを押しつけられていた。
でも、そんな狭い世界だけではけっしてないと・・、力強く言いたかった。
そんな感情を持った人たちがあの頃には確かにたくさんいたのです。
恋人をつくり、結婚し、子供ができて、喧噪の中であの頃の心情を忘れかけてしまってはいるかもしれないけれど、そんな気持ちをいまだに持ち続けている人たちは確かにいるように思います。
あの頃に作りたかったもの。
教室の窓のむこうに来てほしかったピーターパンのような存在を、詩を今の時代に表現してみたいと・・。

ちょっとした出来事があり、その頃のことがとても思い出されて、今こうして書いているのです。
社会からの逃げ道でも、現実を生きるなぐさめでもない、心の楽園をどういうカタチか表現していきたいのです。