どん底からはい上がり、大輪の花を咲かせた。競泳女子400メートル個人メドレーを日本勢で初めて制した大橋悠依選手(25)=イトマン東進、滋賀県彦根市出身。家族の支えを受けながら力を蓄え、世界の頂点に駆け上がった。 (磯部旭弘)
東洋大一年の終わりごろから約半年間、大橋選手は不振に陥っていた。
「正直あきらめていた。やめようと思っていた」。スタートした直後なのに、すぐ体が重くなった。息切れもして、疲れも抜けない。
「顔色が真っ白。おかしいな」。二〇一五年の日本選手権。応援に来た家族には異変と思われた。200メートル個人メドレーの予選は四十人の中で最下位。別の試合では棄権も経験した。「『なんで一生懸命やらないんだ』というようなことも言われた。けっこうきつかった」と大橋選手。その秋に病院に行き、血液検査で判明したのは極度の貧血だった。
服薬に加え、ひじきやアサリなど鉄分の多い食材を意識的に食べることで改善を図った。母の加奈枝さん(56)が手作りした料理を冷凍して送ってくれたり、東京まで来て作り置きしてくれたりすることもあった。「泳げることはめっちゃ楽しい」。回復に合わせて練習も熱を帯び、タイムは伸びた。
「やっと自分の力を発揮して戦える」と努力と才能が花開いたのが大学四年生になった一七年。日本選手権では400メートル個人メドレーで当時の日本記録を一気に3秒以上も縮め、世界選手権では200メートル個人メドレーで銀メダル。確かな自信をつかんだ。
大学を卒業後も家族が食事をサポートしてくれるときがあった。周囲の支えを血肉に変え、二十五歳で初めてたどり着いた五輪。「年齢的にも自分の思いを懸ける場所としては一番強い」。そんな思いを抱えて泳ぎ、最高の結果を残した。
父「ここまでになるとは」
五輪初挑戦で金メダルに輝いた大橋選手。娘の泳ぎを東京都内でテレビで応援した父忍さん(62)は「楽しそうな顔をして臨んでいた。ここまでの選手になるとは思わなかった。調子の悪い時を知っているからこそうれしい」と喜び、画面の中で輝く娘に声を掛けた。
大学時代、貧血に苦しむ娘を母加奈枝さんが食事面でサポート。忍さんも好物の八つ橋を差し入れ、「そんなに焦らなくて大丈夫だ」と励ましたことも。
幼い頃も体が弱く、卵やエビのアレルギーなどに悩まされ、小学校の給食は別メニュー。そもそも幼稚園で水泳を始めたのも、健康のためだった。
「よく頑張ったな。みんなでゆっくりご飯にでも行こう」。忍さんはうれし涙が止まらなかった。(柳昂介)
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