No tengo dinero ni tiempo.

昔習ったスペイン語で今でも覚えている数少ない文章の1つ。

チャペルコンサート

2024-06-02 23:00:00 | キリスト教
日本基督教団京都教会
第36回チャペルコンサート
2024年 6月 2日(日)14:00

近所の教会でチャペルコンサートがあり聴いてきた。昨年も聴きに行ったが、今年も素晴らしかった。一番すごいと思わされたのは、ソリストをできる教会員が何人もおられること。プロフィールを読むと音楽の高等教育を受け演奏家として活躍されている人であった。1つの教会でこんなたくさん演奏家さんが集結しているとは珍しいのか、普通のことなのか・・・。

演奏は
聖歌隊の合唱、
パイプオルガン、
ソプラノ独唱、
こどもさんびかをギターとカホンにあわせて子供達が熱唱、
パイプオルガン、
ギターとカホンでワーシップ音楽、
と盛りだくさんであった。
 





2部の前に、牧師の入治彦先生が
同志社との関係が深く、同志社の創立者新島襄の遺髪も納められている
といったお話しをされたのだが、そのせいか、いかにも同志社の学生さんといった会話が方々で聞こえてきた。終演後には近くに座っていた若者が教会の人に「神学生なんですけど・・・」と声をかける様子も見た。

ほぼ満席だったが運良く演奏者がよく見える場所に着席して聴くことができた。子供の熱唱はもちろん、演奏家さんの表情や背中(パイプオルガンの演奏者)から、聴衆に伝えたい、という思いが強く伝わってきた。ギターを演奏しながらノリノリで歌う関谷先生は神学部教授で、終演後、学生さんと思われる人がたくさん挨拶に行っていた。帰りの時間帯はまさかの大雨であったが、「あー楽しかったわー。来てよかったわー。」と話しながら帰って行かれた私よりだいぶ年上の方がおられて、その声を入先生や演奏家さんに聞いてほしいと思った次第である。
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何かの力が働いたとしか思えない件

2024-04-14 22:00:00 | キリスト教
担当してもらっている美容師さんの飼い猫が亡くなった。そろそろ危ないかもとお聞きしてから約1年ちょっと持ちこたえていたが、人間の年齢にしたら100歳は超えていたとのことであった。

猫を飼っている人にとっては猫は家族である。美容師さんも介護に備えて必要なものや心の準備していた。そして予約を入れる際には、万一の時には予約を変えてもらうかもしれないと聞かされていた。私の予約はいつでも構わないが、よりによって卒業式、入学式のシーズンにあたり、随分前から予約で埋まっていたそうだ。早く帰れる日を作るなど思いつく勤務調整に手を尽くし、前日までに予約が入らなければ休む算段をしていたらしい。しかし美容師になって以来、コロナ禍も含めて一度も、1人も予約が入らない日はなかったらしく、ある程度は覚悟していたところ、猫が亡くなる数日前から、ぱたりと、誰からも予約が入らなくなったのだそうだ。次の日も、その次の日も・・・。そして、猫はとうとう亡くなった。亡くなって数日経ち、猫のことが落ち着いてきた頃、突然、予約が山のように入りはじめて、これまでと同じくらいの忙しさに戻ったのだそうだ。
「これ、何か、力が働いていますよね。」と口にしながら、キリスト教の聖霊のことを思い出していた。美容師さんの信仰はしらないが、猫の最期を看取ることができるようにという思い(祈り)が伝わったのではないか、などと勝手に想像した次第である。
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年賀状じまいからの「再会」

2024-03-10 22:00:00 | キリスト教
時流に乗り、今年の年賀状では年賀状じまいを伝えた。葉書からLINEやメールでのやり取りに変更する旨を伝え、自分のLINEのQRコードを印刷してお送りした。LINEをしてなさそうな相手にはメールアドレスを添えた。年賀状のやり取りは20年以上になる人もあった。そんな中には大学の恩師とのやり取りもあった。先生だけは年賀はがきのやり取りを残すかと悩んだが、逆に忘れそうとも思えてメールアドレスを添えて年賀はがきを送ったところ、先生からの返信にはメールアドレスと「メール歓迎」というメッセージが手書きで添えられていた。印刷部分には、季節を詠んだ句と、「発明したレシピ」が書かれていた。意外に美味しいと評されたその料理は、インスタントのクリームスープに解凍した冷凍うどんを入れるというシンプルなものだが、年始から妙に気になっていたので遂に作ってみた。



なるほど、意外に美味しかった。スープパスタのパスタの部分がうどんになったと思えば美味しいのも納得であった。麺類みな兄弟である。

せっかく試したので先生に報告してみようと思い立ち、年賀状に書き添えられたメールアドレスに料理の感想を送ったところ、その日のうちに返事が来た。メールには近況として、政治思想読書会300回記念講演の準備をしていると書かれていて、80歳を超えてもなおご活躍されていて嬉しかった。

ところで政治思想読書会とは何かとネット検索したところ、旧Twitterの投稿がひっかかったのだが、投稿したアカウントは友人のだった。「え?」。多少動揺しつつ投稿を読むと、過去に政治思想読書会に参加した記録のようだ。友人は西洋政治思想史を専門とする大学教授ではあるが、なんと世間は狭いことか。

当の友人は第300回読書会は別の学会と重なったために欠席とのことで恩師との遭遇とはならなかったが、恩師をネット検索してくれたようで、8年前の講演の動画のリンクが送られてきた。長い講演で冒頭しか見ていないが、先生と再会できたようで嬉しかった。せっかくだし少しずつでも講演を聞いてみようかな、と思い、ブックマークがわりに貼っておく次第である。

公開シンポジウム「新島襄と良心──その歴史的背景」
日時: 2016年12月3日(土)13:00 - 15:00
場所:同志社大学 今出川キャンパス 神学館3階 礼拝堂
講演:伊藤 彌彦(同志社大学 名誉教授)
司会:小原克博(同志社大学 神学部 教授、良心学研究センター長)
コメンテーター:出原政雄(法学部 教授)、中村信博(同志社女子大学 学芸学部 教授)
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日本キリスト教団京都教区京都南部地区2024年新年合同讃美礼拝

2024-01-07 17:00:00 | キリスト教
クリスチャンの友人に誘われて行ってみた。元旦は暇だったし、礼拝の行われる場所は同志社女子のキャンパス内にある栄光館で、高校生の頃部活などで入ったことがあるので懐かしさもあり、誘いに応じることにした。

合同礼拝とのことで、いろんな教会から来られるのであれば、すぐ満席になるのでは?そんな中に教会に属していない者が座るところがあるのか、と緊張していたが、行ってみたら人は少なく、熱心な信徒の方だけが来られているようだった。

説教タイトルは「それでも、日を生きる」。
説教は京都市左京区の京北(きょうほく)教会の今井牧夫先生。
1月1日の14時から始まった礼拝だったが、その説教は何かを予言したような話だった。
〜〜〜
先生は、東日本大震災の時、テレビの映像を見て、阪神淡路大震災のことを思い出した。
阪神淡路の起こる1年前まで神戸で過ごし、震災時は愛媛にいたが、震災後間も無くボランティアとして神戸へ行った。あまりにもの惨状を目の当たりにして心が空っぽになった。
一方で、同時期に、ご友人の息子さんが大学第一希望に合格され、心から喜んだ。
同じ日を生きているのに、一方では心が空っぽになり一方では喜びに満ちている。
それでも同じ1日である。
東日本大震災の時は、健康上の理由で現地へは行けなかったが、教区で祈りの場を持つことを提案した。2人1組で東北を思って祈るのだが、あまりにも辛くて言葉が出てこない人は、東北の方が夢が見れますように、と祈ってみてください、と提案した。
聖書では(コヘレトの何とかに書いてある、二度ある事は三度あるみたいなので始まるところの引用)と書かれている・・・
〜〜〜

そんな話を聞いた帰り道に北陸で大地震が発生した。
さっきまで阪神淡路大震災や東日本大震災の話を聞いていて、二度ある事は三度あると言っていたので、繋がっているように感じた。
説教の内容の「夢が見れますように、と祈ってみてください」とはどういうことかと、考えた。夢が見れるとは即ち、平穏であることかと。
毎日、亡くなられた方や行方不明の方の数が更新され、胸が塞ぐ思いである。ニュース映像すら直視するのも辛いのに、被災者の方を思うと言葉がない。できることは被災しておられる方を思って、1日も早い平穏が来ることを祈るしかないのかと思う。

ところで、コヘレトの何とか・・・は、ネット検索して、多分ここかというところを見つけた。

旧約聖書 コヘレトの言葉
01:09かつてあったことは、これからもあり
かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない。
01:10見よ、これこそ新しい、と言ってみても
それもまた、永遠の昔からあり
この時代の前にもあった。
01:11昔のことに心を留めるものはない。これから先にあることも
その後の世にはだれも心に留めはしまい。

高校の時に買わされた聖書(旧約は1955年改訳)で探したところ、コヘレトは「伝道の書」に書かれていた。なんでコヘレト=伝道の書なん?聖書って難しい、などと思った次第である。
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星の意味

2023-12-17 23:30:00 | キリスト教
クリスチャンの友人からクッキーをもらった。教会でもらった手作りクッキーのようだ。大きなクッキーの表面にはサンタクロースを思わせる絵が形どられていた。手作りなので保存料とか入っていないと思い、早速いただくことにした。クッキーには可愛い札がついていた。もぐもぐ食べながらその札を眺めた。Merry Christmas!と書かれたその札には親子と思われる3匹の猫と、クリスマスツリーと星が描かれていた。星って通常クリスマスツリーのてっぺんに飾るものなのに、なぜ離れているのか・・・と思ってすぐ、この星はもしかしたらキリストが生まれた時にその上に星が出て、東方の三賢者という人たちがその星に導かれてキリストのところに行ったとかいうあの星か、と気づいた。今更なことだが、クリスマスツリーから離れて描かれていて初めて気づいた次第である。
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高橋 聖子 パイプオルガンコンサートを聴きながら『讃美歌21』のまえがきを読む

2023-11-12 18:00:00 | キリスト教
先週の話になるが、クリスチャンの友人に誘われてパイプオルガンのコンサートを聴きに行った。ここのパイプオルガンは昨年も新ストップ設置のコンサートを聴かせてもらっていたことや、場所柄心理的距離が近いこともあり、聴きに行くことにした。予習なしで知らない曲ばかりではあったがおひとりで6曲引き切られた。全部素晴らしい演奏だった。最後の曲は一人で演奏されているとは思えないような大曲で感動した。






ところでその日は最高気温25度を超える日だった。11月としてはおかしいくらい暑かった。演奏者の方もこれほどの気温を予想しておらず空調の用意ができなくてとお詫びをおっしゃっておられた。しかし気温は予測できるものではないし気の毒なことであった。それに、演奏者の方も相当暑かったのではないかと思われた。暑い暑いと思っても涼しくならないので、暑い以外のことを考えたいと思った。プログラムに目を通し、それも終わってしまうと、座席の背もたれに置かれている聖書と讃美歌を手に取った。讃美歌は『讃美歌21』という本で、表紙にはホールの隣に位置する高校の、つまり出身校の父母の会が寄贈と金色の字で刻印されていた。私の頃にはこのホールはなかったが、このホールができてからは歩いてここまでやってきて礼拝を受けるのだと聞く。なんとなく『讃美歌21』のページをめくっていたのだが、ページの端が折れているところが多数あった。そこで、折れたページ1枚1枚を伸ばすことにした。こんなことしてもどうせすぐ折れるだろうけど、このままにしておくのは何かに申し訳ない気がした。折れたページを伸ばしながらまえがきに目をやると、日本の讃美歌の歴史や、なぜ改訂するのかが熱く書かれていた。太平洋戦争が進むなかで戦争賛歌的な内容を取り入れたこと、戦後の戦争責任の反省がないまま不適切な箇所の一部削除など改訂して1954年版を出したこと、それを踏まえて、平和的で差別語や国家神道的な表現のない内外で堂々と歌える歌をと改訂して『讃美歌21』ができたとのことだった。
私が高校生の頃持っていたのは『讃美歌(1954版)』と『讃美歌 第二編』が一冊になったものだった。それが2000年になる直前に『讃美歌21』に改訂されたらしい。改訂されたことを最近まで知らず、ある時、何かのおりに讃美歌を歌って、「あれっ?」と違和感を感じたことがあった。それは『讃美歌21』では493番、「いつくしみ深い」という歌である。前奏を聴いて、これ知っていると意気揚々と「いーつくしみふかーきー」と歌いはじめたのだが、「いつくしみふかい」と歌詞が変わっていて、周辺に間違った歌詞を撒き散らしたが、歌い慣れた歌詞でないことにしっくりきていなかったのは私だけではなく、「いつくしみの後に続くのは深き〜がいいよね。」「そのほうが落ち着くよね。」「なんで深い〜に変えたんやろ。」などと言い合ったが、その時は『讃美歌21』のまえがきを読む前であった。『讃美歌21』のまえがきを読んだ後、考えが変わった。歌は世につれ世は歌につれ。古い考えはバージョンアップしていかなければならないと思っている次第である。
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「詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)の十字架」

2023-01-22 23:00:00 | キリスト教

 クリスチャンの友人から教えてもらい、ライブ配信で聴いた。井田泉先生の優しい声から繰り出される力強いメッセージに、鼓動が早くなることもあった。素晴らしい説教で、何度も聴きたいと思うので、YouTubeと資料のリンクを貼る。たくさんの人に聞いてほしい内容と思うが、この動画のタイトルには尹東柱さんの名前もないし、ふらっと辿るのは難しそうなので、勿体無い気もする。
 
 動画、井田泉先生の話は33:40あたりから。
 KCC「キリスト教一致祈祷週間」礼拝 2023(京都キリスト教協議会)

 資料は、井田先生のホームページより。

 聴いた後、Googleに「組織的犯罪処罰法 改正 2017」「共謀罪 一般市民」「平成の治安維持法」などと手当たり次第に入れると、戦前には尹東柱さん以外にも似たような事例が出てきた。そして、このページ下部の対比表をみて、純粋に怖くなった次第である。

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「パンデミックの祈り」(Prayer for a Pandemic)に激しく共感

2021-12-05 22:00:00 | キリスト教
ネットラジオFEBCで12月4日(土)に放送された「コーヒーブレイクインタビュー」で「母の家ベテル」という教会を知った。ホームページを辿ると、トップページに「パンデミックのための祈り」という文章があり、わかりみがありすぎた。著者の名前にリンクが貼られてあった。
先日、フィギュアスケートのグランプリファイナルが中止になった。コロナのオミクロン株の流行拡大防止で外国人の新規入国停止に伴う判断だと報じられていた。グランプリファイナルは国際大会だから選手、審判、大会役員が外国から入国できないから中止は仕方がないと理解したし、オミクロン株の感染拡大防止のための措置で命を守るための決定だということは理解したが、心のどこかに残念だったな、とか、あの選手今シーズン調子よかったのにな、とか、いろいろ思ってしまっていた。でもこれって「パンデミックの祈り」の「・・・かもしれませんが、」の後に書かれている「・・・を覚えましょう」の心がないのではないか、そして「・・・を覚えましょう」に出てくる人は、明日は我が身ではないか、たまたま今は前半にいるだけではないか、と。

ところで、11月30日のFEBCの「恵子の郵便ポスト」でまた私のメールが読まれた。関西弁混じりのちょっとお恥ずかしい箇所もあるが、自慢げに貼る。この音声の6分03秒くらいから約8分間、聴取起源は1ヶ月とのこと、今回も記念にiPhoneのボイスメモ保存した次第である。
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ネットラジオで自分のメールが読まれてびっくり

2021-08-29 22:00:00 | キリスト教
この日も同じように番組を聴き始めたところ、読まれて数秒後に、私の書いた内容(※)だと確信しました。ネットラジオとはFEBC(キリスト教放送局日本FEBC)で「恵子の郵便ポスト」というコーナーで紹介されました。ご担当のメイン・パーソナリティの吉崎恵子さんは上品な語りと丁寧で優しいコメントが魅力で、そんな恵子さんに読まれることで内容がバージョンアップしたみたいでした。そして、読み終わられた後にはいつもそうされているように私のメールにも丁寧なコメントをいただき嬉しいような恥ずかしいような不思議感覚で、しばらくはそわそわした気持ちでした。
ネットラジオで、聴取期限内なら何度でも聴けるので、記念に録音(単にパソコンの前にiPhoneのボイスメモアプリを置くだけ)した次第です。
この日の放送
聴取期限(9/20まで)
チャプター2【6:05】から約10分

※ FEBC(キリスト教放送局日本FEBC)の「聖書通信講座TeaRoom」を受講し新約聖書 ヨハネによる福音書4〜6章の感想を書いたものです。通信講座といっても無料で、試験、添削、提出締め切りなどはなくメールのやりとりですすめるものです。
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大和田広美さんとの『再会』

2021-02-05 19:00:00 | キリスト教
一昨年、近鉄生駒駅でクリスマスコンサートのチラシをもらった。あの日は寒い中、改札出たところでどこかの教会の人が白い服を着てクリスマスの讃美歌を歌っていた。遠巻きにみていたところその団体の一人が近づいてきてチラシとクリスマスツリーに吊るす飾りみたいなものをくれた。ブログに載せるほどのネタでもないのになんとなく載せて、そのあとは忘れていた。

ところで私はキリスト教徒ではないが、カトリックの友人から教えてもらったことがきっかけでFEBCというキリスト教のラジオ放送を楽しく聴いている。先月マイプレイリストというコーナーを聴いたら大和田広美さんという方が担当しておられた。落ち着いた口調と明るく澄んだ歌声に魅せられ、もっと聴いてみたいとネットにお名前を入れて検索して、気づいた。一昨年、近鉄生駒駅でもらったあのクリスマスコンサートのチラシに賛美ゲストとして出ていた人だった。そのクリスマスコンサートを聴きに行ったわけでもないのに再会できたような気がして、嬉しかった。
でも、、、と、いうことは、盲目のシンガーソングライター?番組ではそんな素振りはひとつもなかったので余計に気になった。
大和田広美さんの歌詞は、これまで聴いたどのキリスト教の歌よりもメッセージが伝わってくる。今風に言えば刺さるものが多い。iTunesStoreで購入して聴き、Youtubeチャンネルも見つけて週に一度更新されるエピソードを聴くのが楽しみになっている。ヘビロテになっている曲は、あなたは孤独ではない、神がそばにいてくださる、神に愛されていると、手を替え品を替え歌われている。盲目の人生を送ってこられた方にこのように歌い上げられると、言葉が見つからないくらい、重い。
いや、私はそこまで深刻では、、、と一瞬でも思った傲慢さを恥ずかしく思った。毎日どれほどまでにたくさんの人に支えられて生きているかと思い、また今日も大和田広美さんの歌を聴きたいと思うのだった。
最後にヘビロテの中から、ショートカットがわりに貼る。動画の後半に収録されている「ああ愛されて」が何度聴いても刺さるのであった。

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