No tengo dinero ni tiempo.

昔習ったスペイン語で今でも覚えている数少ない文章の1つ。

世界フィギュアスケート選手権

2011-03-26 02:57:10 | スケート観戦
今頃、夜な夜な東京へ行く荷造りをしているはずでした。26日(土)の世界フィギュアスケート選手権のチケットが取れたので、その観戦のために東京へ行く予定でした。チケット争奪は困難でした。アイクリ(ファンクラブ)枠で落選後、プレオーダーでも2回落選し3回目で当選したのですが、ツイッターを見ると全部落選している人も多く、Webニュースでは一般販売の時には既に完売というような理解できない状況が報じられたりしていたので、当選したこと自体ラッキーだったと思っていました。当選してからは、東京に住んでいる友人に連絡を取ったり、別件で東京に行く友人と手土産を検討しようと話したりして、着々と準備を進めているつもりでした。しかし、いつもならばすぐに着手する「交通機関の手配」と「スケート観戦の必需品の使い捨てカイロの手配」だけが滞っていて、3月12日~13日の週末には必ずしよう、と思ってメモにも書いていた矢先に震災が発生しました。
3月11日(金)の地震発生の際には、「これが2週間後じゃなくてよかった」と思ったくらいでした。逆にいえば、東京だし、激震地からは離れているし、2週間経てば落ち着くだろう、くらいしか想像できておらず、原発のことや電力供給の事まで考えが至っていませんでした。しかし地震からまだ間もないタイミングで国際スケート連盟がフィギュアスケート世界選手権の開催について原発事故による放射能汚染を危惧するコメントが出された時、もう開催はされないだろうと思いました。ましてや計画停電と聞いた時には覚悟はできました。節電が呼び掛けられているさなかに照明を明々とつけて大会をやっている場合ではないと思いましたし、スケートリンクの製氷には沢山の電力が必要だと聞いたことがあったからです。結局日本開催を断念し、4月末にモスクワ開催になったとのことですが、よい決断だったと思います。当初、今年秋の日本開催案もあったとニュースで読みましたが、秋に世界選手権ってあまりにも時期がおかしいと思いましたし、まったく中止になってしまうと代表選考を勝ち抜いてきた選手が無念に思えたので、来月に別の国で開催というのはよかったと思いました。
荷造りをしていたならば、恐らくまだ終わってなくて、大会の公式サイトでタイムスケジュールや明日の滑走順、ショートプログラムの順位などを見たり、テレビ放映の録画を見たりして余計に荷造りに時間がかかっていたことと思います。でもそういう日常が、あの震災以来どれほどありがたいことかと感じるようになりました。
テニスの大会でも、4月に東京で予定されていた国際大会が7月に兵庫で延期になっていました。でも外国人にとって、兵庫と原発事故発生地域との距離感があるのだろうかという不安があります。というのも、9月に東京で開催される大会に出場予定のVIP級の選手が放射能汚染を心配して出場辞退するコメントが発表されていました。心配して当然だと、思います。当分の間は日本というだけで場所がどこであっても放射能汚染を心配して渡航を避けるという動きが続くのではと感じます。原発事故のために渡航したくない国になった、人気のない国になったことは否めないと思います。
なお先述のチケットは、払い戻し手続きのため先日書留でチケットの会社に送りました。チケットの額面の金額が返ってくる予定です。写真は送り返す前に記念撮影した時のものです。
コメント (2)

鈴木貴男プロ直伝のフォアボレー

2011-03-20 20:18:19 | テニス観戦
昨日はテニススクールの日でした。以前から私のクラスのコーチが、「実は3月にコーチのためのレッスンがあって、講師がなんと鈴木貴男プロなんですよ。」ととても楽しみにしておられたのですが、そのレッスンを受けてきて間もない昨日のレッスン、「どうでしたか?」と尋ねると開口一番「いや~、マニアックな内容でした。」とおっしゃるのですが、何だか表情は満足げ。というのも、以前コーチは鈴木プロのヒッティングをしたことがあるそうなのですが、覚えてもらっていたとのことでそういうのもあったのかもしれません。
スクールでは、今月のテーマはフォアボレー。ボレーといえば、サーブアンドボレーヤーの鈴木プロの得意技の1つということで、早速直伝の技を教わることとなりました。
コーチはまず、「鈴木プロのフォアボレーのデモンストレーションなんてこんな感じで・・・」と言って、とにかく足音のしないようなすり足でさささささーっと前へ詰める詰める詰める、といった動作をして見せてくださいました。これまでフォアボレーですと、まずスプリットステップ、次に右足を斜め右に踏み出しラケットを持つ右手(右利きの場合)をセット、次に左足を踏み込みラケットにボールを当てて決めに行く、というように「スプリット、1、2」のリズムでコマ送り的に練習することが多かったのですが、「もう、こんなんじゃだめなんですよって感じで。」とのことでした。そのデモンストレーションの後、早速フォアボレーの球だし練習が開始されました。サービスラインからまずファーストボレーで詰め、次にネット前に出されたボールをさらに詰めて深いボレーを決めに行く練習を延々としました。球だし練習は得意な私。だんだん興がのってきて、頭の中では、あの雨の有明コロシアムとか、晴天の靭、またはデ杯のなみはやドーム体育館でこだましていた「タカオ、タカオ」の声を思い出して笑ってしまいそうになるほどでした。やっぱり見ていないようで見ていた鈴木プロのボレーだったのかもしれません。
サーブ練習の時には「ボールのトスでボールを回転ささずにあげる。これは一人で夜中でも練習できるし、もちろん自分もやっている。必ずできるまでしなければならない。」とか「スリクソンのラケットにしてからは軽めのラケットにする代わりにグリップを重くしてトップライトのラケットにチューニングしている。」とかいう話を聞いたよと、コーチは聞かせてくれました。そういう話をもしかしたら「マニアック」とおっしゃったのかもしれません。なおラケットをトップライトにするとどういう効能があるのかは聞きそびれてしまいましたので、また聞いておこうと思いました。
コメント

無知、無関心は最悪

2011-03-14 00:29:27 | その他
3月11日金曜日の午後3時前、「さっき地震あったよね。」とか「え?いつ?知らんで。」とか、そういう声が聞こえてきました。私はまったく気がつかなかったし、それを確認するための行動(ネットで検索したり)も特にしませんでした。定時後、帰宅の時になって全社員宛てに東京地区の電車は全面停止しているから会社に留まれる人はそうするようにと指示をするメールがきたりネットで地震のニュースを見ている人がいましたが、それを目の端でちらっと見ただけで帰路につきました。会社の最寄り駅で地震を知らせる号外を配っていましたのでそれを見ながら電車に乗ると、メールが次から次へと入ってきました。友人の一人が自分の知っているありったけの東方面に在住の知人に安否をSNSやメールを使って確認し、無事を知らせてくれました。「安否って・・・。そりゃ大丈夫でしょ。」と、事の大きさを知らずにいた私は、号外を見るでもなく見ながらいつもどおりに帰宅しました。
帰宅後、いつもどおりにテレビをつけて、はじめに見たものは津波で押し流されていく車や家々でした。はじめは何を見ているのかわからず、ただ立ち尽くして、コートを着たままで30分くらいは見ていました。ここで初めて事の大きさに気付きました。
気を取り直してSNSやメールを見ると、ある友人は会社の社屋で缶詰めになっている夫に会うため差し入れを持ってバスと歩きでやっとの思いでたどり着きその社屋で一夜を過ごしたとあるし、別の友人はたまたま地震発生時近くにいた外国人に声をかけ、その人の行き先まで一緒に歩いたとあるし、また別の知人は東京駅で帰宅難民になって歩いているとのことでした。明らかに非常事態の中、先に述べた安否確認を方々にした友人も含めて、とても冷静に正しく行動していることに感激というか尊敬というか、そういう気持ちでした。私だったらきっとそういう風には振舞えなかったと思いました。ぎゃーぎゃーは言わないかもしれないけどひっそりとパニック状態になって自分の事だけを考えてしまっているのではないだろうかと、恥じました。恥じて落ち込み、その一瞬は何事にも物知りになって関心を持とうと思ったのに、数時間もたてば喉元過ぎれば忘れてしまいます。こうやって忘れたころ母から珍しく電話があり何の急用かと思ったら「津波大変なことになってしまったなあ。私やったら、もう何にもできひんわ、生きてられへんと思うわ。ほんまに怖いなあ。」と、ただそれだけの用件だったので「それでも生きんとあかんでしょ。用件はこれだけ?じゃあ切るで。」と切って後、この母の電話はまさに私の姿だと思ってさらに落ち込みました。私も母もルーティンワークは得意ですが、咄嗟の時の正しい判断力が特に鈍く、私はそれを悩んでいましたが、それを養うには「良く知る」、「多く関心を持つ」、「優しさを持つ」だと改めて感じました。今は喉元が熱い状態ですが、今後は津波や原発の被害についていろんな情報が飛び交うことと思いますが、ある1つのソースだけ(例えば政府の発表だけ)を鵜呑みにせず行動しなければならないと感じています。
コメント (4)