今日は、ある街の公民館で行われた小さなコンサートに行ってきました。友人が、かつて声楽を習っていたときの先生が出演されるということで、一緒に行ってきました。私は、その先生がソプラノ歌手として出演されること以外、コンサートについての予備知識はありませんでしたが、行ってみると、個人の音楽愛好家の方が主催し、出演者はプロ、アマ、混じってのエントリー制でした。自宅サロンでのコンサートを経て、今回は自宅の外で、といった催し物のようでした。主催者の女性は、ギター、ピアノ、音楽療法・・・とさまざまな音楽を取り組まれている方のようで、コンサート前の挨拶や、出演者の紹介などの語りからも、その心意気が伝わってきて、それだけでここに居合わせてよかった、貴重だ、と思いました。また、休憩時間には「暑い日ですのでどうぞ」と紙コップにお茶を準備されたり、「朝市でいいキュウリがあったので、持ってきました。よかったらどうぞ。」とふるまわれたり、と心の広いあったかい方というのがそういうところからも伝わってきました。
出演者は、主催者さんを除けば、ピアノ1名、クラシックギター7名、と友人の先生のソプラノ歌手1名でした。あれほどまとめてクラシックギターの曲を聴くのは初めてでしたが、出演者の方々が、何より楽しそうに演奏しておられる姿が印象的でした。コンクール受賞者やリサイタルを多く経験されている方もあり、音楽愛好家という言葉からうける印象よりは遥か上の腕前の方ばかりでした。超絶技巧のような曲もかっこよく決めておられて、手の動きを見入っていました。
お目当てのソプラノ歌手の先生も素晴らしかったです。歌詞にあった手の動き、表情、目線、など表現が素晴らしかったですし、鳥のさえずりを表現された超絶技巧の曲では、感激して大拍手しました。その後、友人が先生のところにご挨拶に行ったので一緒に行きましたら、とても気さくに私にも話してくださり、またまた感激。さらにファンになりました。
帰りに、音楽についてぼんやり考えていました。ギターにしてもピアノにしても、楽譜を読み、耳で聴き、頭で考えて、指で奏でて、というように、いろんな感覚をフル活動させて行う。だから今日の出演者は皆生き生きして見えたし、きっと年齢より15歳くらい若く見えたのではないか、と思ったのです。誘ってくれた友人は、今日のコンサートに出演したいと言えば出られるくらいのピアノの腕前が既にある。私は、といえば、高校生まで音楽の部活をしていたとはいえ、今残っているのは、楽譜が平仮名程度に読めるだけ。昔から人前で演奏するということが好きではなく、自己満足で、そこそこ音が出たら、それで終了。本当はその先に、もっと練習すれば、人前で演奏する楽しさとかがあったのかもしれないが、それ以上はする気がなかったし、することが嫌いだったし、純粋に音楽演奏が楽しいと感じることもあまりなかったので、しなかったのです。今日のコンサート後、老化防止のためにも、やはり音楽がよいか、とさんざん思ったのですが、練習環境、練習時間、費用、とあれこれ考えた結果、結局「前も音楽演奏やっていて、楽しいと思ったことなかったじゃないか」と立ち返り、踏み出せないでいます。
たいがいの場合、こうやって書いていたら推敲中に考えもまとまってくるのですが、この問題だけは以前からもまとまらないものの1つで、今日もまとまりそうにありません。ただ、何かをする、ということに踏み出せないことが一番の老化ということだけははっきりしていそうです。
出演者は、主催者さんを除けば、ピアノ1名、クラシックギター7名、と友人の先生のソプラノ歌手1名でした。あれほどまとめてクラシックギターの曲を聴くのは初めてでしたが、出演者の方々が、何より楽しそうに演奏しておられる姿が印象的でした。コンクール受賞者やリサイタルを多く経験されている方もあり、音楽愛好家という言葉からうける印象よりは遥か上の腕前の方ばかりでした。超絶技巧のような曲もかっこよく決めておられて、手の動きを見入っていました。
お目当てのソプラノ歌手の先生も素晴らしかったです。歌詞にあった手の動き、表情、目線、など表現が素晴らしかったですし、鳥のさえずりを表現された超絶技巧の曲では、感激して大拍手しました。その後、友人が先生のところにご挨拶に行ったので一緒に行きましたら、とても気さくに私にも話してくださり、またまた感激。さらにファンになりました。
帰りに、音楽についてぼんやり考えていました。ギターにしてもピアノにしても、楽譜を読み、耳で聴き、頭で考えて、指で奏でて、というように、いろんな感覚をフル活動させて行う。だから今日の出演者は皆生き生きして見えたし、きっと年齢より15歳くらい若く見えたのではないか、と思ったのです。誘ってくれた友人は、今日のコンサートに出演したいと言えば出られるくらいのピアノの腕前が既にある。私は、といえば、高校生まで音楽の部活をしていたとはいえ、今残っているのは、楽譜が平仮名程度に読めるだけ。昔から人前で演奏するということが好きではなく、自己満足で、そこそこ音が出たら、それで終了。本当はその先に、もっと練習すれば、人前で演奏する楽しさとかがあったのかもしれないが、それ以上はする気がなかったし、することが嫌いだったし、純粋に音楽演奏が楽しいと感じることもあまりなかったので、しなかったのです。今日のコンサート後、老化防止のためにも、やはり音楽がよいか、とさんざん思ったのですが、練習環境、練習時間、費用、とあれこれ考えた結果、結局「前も音楽演奏やっていて、楽しいと思ったことなかったじゃないか」と立ち返り、踏み出せないでいます。
たいがいの場合、こうやって書いていたら推敲中に考えもまとまってくるのですが、この問題だけは以前からもまとまらないものの1つで、今日もまとまりそうにありません。ただ、何かをする、ということに踏み出せないことが一番の老化ということだけははっきりしていそうです。