No tengo dinero ni tiempo.

昔習ったスペイン語で今でも覚えている数少ない文章の1つ。

伊達さんの写真

2010-10-31 18:56:21 | テニス観戦
友人が読み終えた新聞から1ページ抜いて私にくれました。2010年10月23日の日経新聞に掲載された日本ヒューレットパッカードの全面広告で、HP OPENで試合中の伊達公子さんの写真でした。会社としてもサポートしている選手が大活躍して大会も最終日まで盛り上がってきっと良い大会だったので日経新聞にこんな全面広告を出したのかな、とか、いや、懸賞の応募者の情報がもっと欲しいのでは、とか、いやまあそれにしても伊達さんすごい功労者だなあとか、その新聞を見ながら友人と話して、それで終わるはずでした。捨てかけていたその写真の下のほうに撮影者の名前が書いてあり、手が止まりました。

「Photo/ Jet Tanaka。」知っている名前でした。だいぶ前・・・5年くらい前の世界スーパージュニアテニスの際に、別の友人つながりでお話したことある人で、その時はまだカメラマンの仕事を始めて間もない頃だったとか言っていたような覚えがあります。突然その人の顔を思い出して、そういえば今年のジュニアで見かけたような気もしてきました。思い立ってその人の名前をWeb検索したらブログが出てきてフリーランスカメラマンの大変さなども綴られていました。日経新聞に掲載されたような写真を何枚も撮っていても、採用されるかどうかは別の問題。それはカメラマンだけではなくどの職業においてもいえることだと思った次第です
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デメ引退

2010-10-30 22:37:38 | テニス観戦
こないだDohaの最終戦をテレビで見ていた時は、そんなこと思いもせず見ていました。29歳の誕生日を迎えたばかりで、30歳になってもなんとなくやってそうな気がしていました。今朝電車でツイッターを見て知った時は、大げさなようですが1つの時代が終わったような気がしました。
夜になってWTAのサイトに行ってみると、コート上で引退セレモニーがあった様子が字(英語)と写真で報じられていました。WTA最終戦で偉大な同僚に囲まれての引退セレモニーは本人にとっても幸せだったのではないかと思いました。
さて、引退を報じているニュースの最後に「Send your own goodbye message to Elena by clicking here... 」とありました。これは何か送らなければ、と思い英作文してみまし・・・実際は「エキサイト翻訳」に助けていただいて、翻訳結果を継ぎ合わせてみました。英作文は高校のときの授業でありましたが、あれだけは暗記ものではなかったので10段階の5でしたから、今回の継ぎ合わせもビミョーなことになっているかもしれません。まあ、ともかくデメお疲れさま、そして、またYONEXのイベントとかで来日してくれるといいなと思っています。
以下は送った英作文です。不備などご指摘いただければ幸いに存じます。
Dear Elena.
Congratulations to you on a great career.
You are shining forever for me.
I'll miss you because I can't watch your tennis game.
Please come to Japan some time.
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じゃがいもグラタンの素

2010-10-26 22:59:58 | 自作料理
グラタンが食べたいと思っていたところじゃがいも売り場の横に「じゃがいもグラタンの素」というものを見つけました。この粉を水に溶いたらホワイトソースになるというのものようです。粉なら一食分でも作りやすいかと早速購入しました。
じゃがいもは薄切りしてレンジで柔らかくしておきました。
具は、1食めは鶏肉と白ネギと椎茸をあらかじめ炒めておきました。2食めは玉ねぎとシイタケをあらかじめ炒めておき、ソーセージは適当な大きさに切っておきました。
じゃがいも、具、水溶きホワイトソース、明治グリルスライスチーズ、をのせて240度余熱なしで20分焼きました。
味は、2食めのほうがおいしかったです。1食めはじゃがいもがメークインでしたが、メークインでないほうがいいのかもしれません。ホワイトソースについては思った以上に美味しくて、手軽さがいいのでこれはまた買ってもいいかなと思っています。
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2010世界スーパージュニアテニスシングルス準決勝の日

2010-10-25 23:11:10 | テニス観戦
近いうちにテレビに出てくるような選手が出るといいなと思いつつ。(14枚
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HP OPEN TENNIS本戦3日め

2010-10-15 00:03:01 | テニス観戦
本戦3日目を観戦しました。写真もアップしました。カメラはコンデジですので自分の復習用ではありますが。
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HP OPEN TENNIS予選

2010-10-11 23:16:10 | テニス観戦
HP OPENの予選を見に行ってきました。久しぶりの生テニス観戦、かつ、テレビでも最近あまり熱心にチェックしていなかったので選手の顔がほとんどわかりません。この日は顔を覚えるプロジェクトということで、覚えているうちにと写真をアップしました。(29枚)
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有明の香り

2010-10-05 23:58:29 | テニス観戦
今朝、久しぶりの友人からメールが来ました。大阪在住のその友人はテニス観戦仲間で、1年に1度のこの時期テニス会場で出会うだけなのだけど観戦のポイントなど合うところがあって出会えば一緒に観戦したりしています。来週、再来週と靭に来ますか、というメールだったのですが、そのメールに返信したうえで、もしかして今有明にいるのと聞くとやはりそうでした。今日はドキちゃんが負けちゃって、なんて書いてくるのでドローや結果などを確認して、今年は有明は珍しく天気も良いし、観戦日和だなと思ったりしていました。
東京に住む別の友人からは、ちょっと大きめの包みが届きました。ジャパンオープン予選初日は即ち東レPPOの最終日ですが、その日に有明に行ってきた際、東レPPOで特設ブースを出していた和菓子の老舗「とらや」さんの御干菓子を送ってきてくださいました。
出場選手が印刷されたカード入りで、御干菓子の箱はテニスコートになっています。開けてみるとボール、PPOロゴ、ラケット、がかたどられていました。かわいい、かわいらしすぎる!!!本当にありがとうございます。明日、友人とご相伴したいと思っています。なお、選手が印刷されたカードの中には「羊羹を使った簡単レシピ」として「さつまいもと『夜の梅』」「羊羹サンドイッチ」が紹介されているのですが、レシピというよりも羊羹を切ってはさむだけみたいなおとぼけさ加減で、これまた和みました。
有明での楽しい様子のおすそ分けをいただき、私は友人に恵まれて幸せだなと思った次第です。ありがとうございます。
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高麗美術館『「写真絵はがき」の中の朝鮮民俗』

2010-10-04 00:21:28 | その他
ソウル旅行後、身近な韓国を探して先週李朝喫茶「李青」さんに行った際、お店に高麗美術館のチラシが置いてありました。「高麗美術館 特別企画展 1910年 日韓併合から100年 「写真絵はがき」の中の朝鮮民俗 100年前への時空の旅[1900-1945年]」という展覧会でした。興味深いタイトルでしたし、一緒の友人も行こうと思っていたということで、早速行くことにしました。

この時代の歴史については学生のころ興味があってあれこれ調べたこともあったし、字面では知っていたはずでした。1910年に日韓併合、そのちょっと前(1905年)に日露戦争終結したあたりから日本は朝鮮半島への影響力を強めていったこと、など・・・。最初に見た展示物は街中の風景。看板には沢山の日本語の文字があったのですが、それは確か1910年以前のだったと(図録も購入して参照しながら書いているのですが、その展示物は図録にないので年については自信がありませんが。)思います。併合以前からこんなに街中に日本語が溢れていたのかと何度も見ました。そして沢山の民間人が観光旅行で朝鮮半島へ行き、郵便を送りあっていたのかと、純粋に驚きました。観光マップのような物の展示もありました。朝鮮半島全体の地図からソウルの詳細な地図まで。こないだソウル旅行で訪れた光化門、安國、仁寺洞、など、道じたいは殆ど変わっていませんでした。明洞のあたりは、昔から一番の繁華街だったみたいで本町となっていました。
光化門のが写っている絵はがきは、だいぶ長いこと立ち止まって見ていました。形は同じで、場所も最近元あった場所に復元されていますが、初めてソウルに行ったころには、そこには朝鮮総統府の建物(旧国立中央博物館)がありました。その時観光で中に入りましたが素晴らしい大理石造りだったと記憶しています。その後1995年に解体されて以降はソウル旅行に行っても別のところに観光に行ったりしていて光化門のことはそれほど意識していなかったのですが、こないだの旅行では宿泊していた場所に近いこともあり何度も前を通りました。旅行2日目、宿泊先のオーナーの娘さんと私たちとでライトアップされた光化門の前を通った時、門が元あった場所に移転したという話から、旧朝鮮総督府が取り壊されましたよねという話になりました。その方によると「建築物としては素晴らしいものことはわかるし、壊したら今後もう絶対つくれないことも分かっていたと思うのですが、上から見た時、北岳山(景福宮北側の山)、朝鮮総督府、支庁、で大、日、本、と見えるように作ったらしくて、これはここにあっちゃまずいでしょ、当然壊すでしょう、という当然の流れだったんです。」とのことでした。これは知らなかった。でもなんでこんな重要なことを知らなかったんだろうと、ちょっと打ちのめされた気がしました。そんなことを思い出して絵はがきを見ました。光化門の後ろには、変わらない姿で北岳山が写っていました。
1Fの展示で随分長居してしまい、2Fにも展示があるとのことで行ってみました。引き続きはがきの展示を見て、ちょっと足がだるくなって座りたくなりました。大きめのテレビでは美術館の創設者の鄭詔文さん(故人)がテレビ出演した際のビデオが流れていて、休憩がてら見ました。在日1世の鄭さん。苦労した生い立ちや骨とう品屋さんから李朝時代の壷を月賦で手に入れたことなどが語られていたのですが「統一してほしいですね。統一するまでは帰れません。だってどこに帰れっていうんですか。」というお話はずしりときました。
初めての訪問でしたが心意気の美術館で、また再訪したいと思いました。
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