希望屋 ~ren_ka ci=set~

twitterは @renka76139925 です。

地球へ… 最終回を視聴して

2007年09月25日 23時46分13秒 | ▼映像作品・番組

昼頃は雷に見舞われた札幌から、ren.です。
直上で爆ぜること数回、稲妻も2度ほど観ることができて、荒天マニアとしては満足(w


さて、先週土曜日にめでたく最終回を迎えた「地球へ…」。

リアルタイム視聴では、その詰め込みっぷりによる濃さと、原作からアレンジされたポイントへの戸惑い、そして良作が大団円を迎えてしまった喪失感から、しばらく呆然としてしまい、正常な感想がもてない状態になっていました。
しかし、連休中に2度3度観直して、ようやく冷静になってきました。おかげで泣けた泣けた(w


テレビアニメ 地球へ…」の感想を語るには、どうしても「原作 地球へ…」を引き合いにして、その違いを話さなければいけません。
アニメで興味をもち、今後原作を読んでみようと思っている方は、ネタバレに気をつけてください
なんせ、私はネタバレ回避派なもので(w

 *ネタバレここから ~ ここまで*

を参考にしてください。

今回は長いぞ!原作100ページ分だ!覚悟しろ!!(w



大マザーをめぐる丁々発止

大マザーから感じる、強大なプレッシャー……。
  
なんせ大マザーは、地球のエネルギーそのものをともいえる存在となっています。

そのエネルギーによって人間の精神に直接圧力を加え、心を支配すらすることすら出来ます。
つまり一種の、人工ミュウといっても過言ではないでしょう。

アニメの大マザーも、システムとして完璧なものでないことがキースによって語られています。大マザーにとってのミュウは、S・D体制上では癌細胞でしかないのです。
  
しかし、大マザーはそのミュウの因子を排除することは出来ません。そうプログラムされているのです。

*ネタバレここから*
原作では所詮大マザーは小物。真の黒幕が他にいました。
  
S・Dの10年前に作られた、コンピューター"地球 "。
大マザーとは人格が違うため、声も違います。私はすっかり、このための若本さんだと思ってたのに(w
*ネタバレここまで*


ミュウの定義は、人類の進化の可能性。管理社会という環境でのストレス(種への圧迫)を乗り越えられるなら、その存在は偶然ではなく、確固たるものであるということです。


果たして将来、再生された地球を統べるのは人類とミュウのどちらなのか。


*ネタバレここから*

マザーが破壊された後、真に地球を再生するシステムとしての自分をどう使うのか、その判断を託す相手を、テラはミュウだと予想していたようです。

ちなみに、キースにとって学生時代の出会いは、やはり原体験のようです(w
*ネタバレここまで*


ジョミーとキースの対立
なお原作では、チャンバラはありません(w

ジョミーは、ミュウの代表として、その存在を確立したい。

そのためにはS・D体制を崩壊させなければいけない。

キースは、人類の代表として、その尊厳を守りたい。

人類は今までマザーシステムへ依存してきたわけですが、それも尊厳を傷つけるものと気づきました。

ここで双方が帰結するのは、機械の支配からの開放です。

アニメではキースが「時代遅れのシステム」と大マザーを揶揄しています。古い考えのままでは、進化した時代には対応していけないのです。


大マザーへの攻撃

 
地球そのもののエネルギーを自分のものとする大マザー。
ジョミーは仲間達の思念波を仲介することで、ついに大マザーを破壊します。


*ネタバレここから*
原作では大マザーに傷つけられていないキース。
  
そして、大マザーとの交戦でボロボロになるジョミー。
その命を奪うのは、断末魔の大マザーが最後の力で操ったキースの銃撃によるものでした。


この後、前述のテラの元に行き、その機能を停止させることを選択します。

それは、地球の再生を止めるだけではなく、星の崩壊を決定する事となります。

そしてキースも、ジョミーの残留思念によって、その役目を終えさせられます。

*ネタバレここまで*


アニメでは、今際の際にトォニィが駆けつけることが出来ました。

考えてみれば、この結末を彼は予見してました。

それは若さゆえのでたらめさだったかもしれません。
しかし、時代が移るのであれば、若者が時代を継いで作らなければいけない

それこそが「地球へ…」のテーマです。
ミュウが新しい世代の象徴ならば、これがレティシアのいう

 ミュウの力とは、伝える力

ということなのではないでしょうか。

アニメはそれを分かりやすく、ジョミーがソルジャーの地位をトォニィへと手渡すことで表現されたわけです。
原作では、かなり違った表現なのですが……それはまた後ほど、最期にばらしましょう(w


命を伝える者達

地球環境のコントロールをするユグドラシルが崩壊し、大マザーがフェイズ4を指令したことにより、未曾有の危機に陥る人類とミュウ。
  
この危機に直面し、ついには手を結びます。
ちなみに、原作ではミュウ母船・シャングリラの臨時艦長は、ナスカチルドレンのツェーレン。

人類の少女を助け、崩落に散るリオ。

ちなみにここは、地下都市から地上に向かう非常脱出口"空への階段"。

カナリアの子らとフィシスを助けた、ハーレイや長老達。

なお、カナリアの子らというファクターは、アニメオリジナルです。

アニメではカナリアの子らとともに、シャングリラへと逃れたフィシス。

彼女は残された人類のすがる、新たな女神となる器ですが、アニメではそれを否定し、であることを宣言しました。

メギドを墜とすため、艦で特攻をかけるマードックはかっこよかったですね。やっぱりこういう渋い軍人が一人はいなきゃ!
……でも、あのクラスの戦艦を一人で操艦できるものなんだろうか(w
なお、改めていうと、彼は原作にはいません。


*ネタバレここから*
原作では、全てを失ってしまったトォニィ。

ナスカチルドレンの残留思念(精神生命体?)達とともに、宇宙の果ての新天地へと向かいます。
*ネタバレここまで*


次世代の世界
アニメでは、トォニィの回想によって物語は締めくくられます。
青の間にトォニィの思い出の品が並べられ、それが人同士の繋がりを伝える力を象徴します。

なおトォニィ、ようやく「ジョミー」とグランパを呼ぶことが出来ました(w

そして、さらに時間は、地球が自然再生するほど流れます……。揺れる赤い花は、ナスカにも咲いていたものでしょうか。

*ネタバレここから*
原作のエピローグはおそらく、さらにさらに、幾百、幾千年かが過ぎた世界。

時間の流れは、人の姿すら変えてしまいます。
おそらく、宇宙中へと散り散りになった人々が、それぞれの環境に順応した姿なのでしょう。

彼らにDNAレベルで刻まれた地球への望郷の念
その中にジョミーたちやキースたちの"想い"をつなぐ少年と少女がいました。

彼らは、長い時間を経て、改めて出会ったのです。

何のため?

それは、「地球へ」向かうためです。
*ネタバレここまで*


総括

あなたはこのアニメを観て「古臭い」と感じましたか?「よくある話」と
思いましたか?
しかし「地球へ…」は'77年に連載が開始された、30年前の作品です。
その歴史は「機動戦士ガンダム」('79年)よりも古いものです。

アニメと原作には、大きな差異がありました。
ジョミーがナスカショックに陥らなかったり、キースが終盤まで自分の素性を知らなかったり、ブルーが長く命をつないだり……。

しかし、どちらもテーマは同じ。

それは、想いの意味でしょう。

経験による記憶、出会いによる感情、人との理解、自分の意思……。
人それぞれのそうしたものが、この物語では問われているのだと私は思います。

強い意思を持って生きよう。


アニメは原作の難解な部分を、うまく直感的に理解できるようにアレンジされていたと思います。最期まで感心させられました。
むしろ、原作の記憶で目を曇らせられない、アニメからのファンの方が、ストレートにメッセージを受け取れたのではないでしょうか。

原作ファンとしては、賛否分かれるところかもしれません。
私としては、スタンディングオベーションモノなのですが。アニメはエンターテイメントだよ。

……もちろん、絶賛できない部分も、もちろんありますけどね(w キースの心境の変化は、もうちょっと表に出して欲しかったなぁ。

さて、次は「風と木の詩」を(無理 ……カール、ようやく最期にしゃべったよなぁ(w



以上、半年間に渡る「テレビアニメ 地球へ…」のレビューは終了です。

ここまで読んでいただけた方、トラバを交わしてくれた方、本当にありがとうございました。私も楽しませていただきましたよ。

よろしければ、今後も「希望屋 renka ci=set」をご贔屓にいただけると、嬉しゅうございます(w

コメント (16)
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