長い間放置していたのに、いきなりこのブログのアクセス数が急増していたので、どうしたのかと思ったら脳科学者の茂木健一郎さんが、私が昨年書いた「新国立競技場建設費を節約すれば江戸城天守を再建できる」という記事を「すばらしいプロジェクトだし、国際的な、観光名所になって経済効果もある」と紹介してくださっていた。それで一晩で280回もリツイートされていた。以下の記事。
http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/48854ad88c592038b7478f61784a8ecd
しかし、旧国立競技場が取り壊されてしまった今となっては「時すでに遅し」という感じもする。旧国立競技場を改修して使用する案にすれば工費は2~300億円程度で済んだであろうから、余裕をもって木造の江戸城天守(350億円程度で再建可能)を再建できたであろう。しかし、壊してしまった今となっては遅きに失した感がある。新しいデザインを公募して新競技場の工費を圧縮しても1500億円を下るのは難しいだろう・・・・。今となっては、江戸城天守に回せる予算をねん出するのは難しい。
新国立競技場が後々の納税者に巨額のメンテナンスコストの支出を強いる負の遺産になるであろうことに対し、江戸城天守ならば日経BPの以下の記事によれば経済波及効果は年間1000億円と試算される。外国人観光客は大いに増え、入館料を徴収すれば独立採算ベースに乗る。納税者に無用の負担をかけることはないのだ。オリンピックの記念モニュメントとしてどちらが世界に誇れる施設となるだろうか。安倍首相が昨年のこの時期に白紙撤回の決断していれば間に合ったのだ。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/matome/20140806/410498/

さて、この新国立競技場計画の騒動の責任は誰が取るべきであろうか。民主党の枝野幹事長は「文科相の辞任が相当」と述べていたが、政治家など何人切っても何も変わらないだろう。文科省とその天下り先であり新国立競技場の事業主体であるJSCの幹部に責任を取らせて更迭せねばならない。
この巨大な失敗を生み出した根源的病理は、安倍首相の大先輩であるところの長州の維新官僚たちが創り上げた「巨大無責任体制」としての日本の官僚システムそのものにある。戦前は、陸軍の巨大無責任体制が暴走したが、現在も文科省やら国交省やらに陸軍の体質が引き継がれ、暴走しているのだ。
日本の官僚機構がここまで増長し、血税浪費の伏魔殿と化したのは、血税を浪費してどんなに失敗を犯しても、自分たちは決して責任は取らないというぬるま湯体質が、彼らの骨の髄まで染みついているからである。
実質的に権力は官僚機構に集中しているにも関わらず、名目的に立法府が行政府の上に立つという憲法の規定を悪用して、政治家にばかり責任を取らせて自分たちはシラを切る。実際には官僚機構の失敗であるにも関わらず、官僚たちはトカゲのシッポ斬りよろしく政治家に責任を取らせる。そして官僚は無反省のまま次の失敗をやらかす。
文科省の官僚たちは、自らの大切な天下り先であるところのJSCを太らせるために、今回の事態を黙認していたのではないのか。責任を取らせるべきは文科省とJSCの担当者である。
<追記>この記事を書いた直後、「舛添都知事が文科省の担当局長を更迭すべきだ、下村文科相が局長を更迭できないのなら、大臣が辞任すべき」と発言をしたというニュースが報道された。 都知事選のときに反舛添キャンペーンを展開したが、舛添のこの発言に関しては支持する。しかし、下村文科相などの小物の辞任で終わらせてはならない。何の問題の解決には何もならないからだ。諸悪の根源であるところの、文科省官僚の無責任体制にこそ鉄槌を下さねばならない。悪徳官僚を毅然と処分できない限り、この国に未来はない。
*****************
国民の血税であることをいいことに、少しでも予算を膨らませて美味しい思いをしようという、本省の官僚と天下り先法人による利権複合体の例として八ッ場ダム計画を見てみよう。
八ッ場ダムは、白紙になった新国立競技場の2500億円のさらに倍近い建設費4600億円を浪費するムダ事業である(実際には地すべりなどによってもっと膨らむことは間違いがない)。構造は、新国立競技場問題と同じである。
国交省と、その天下り先の諸法人が、4600億円の利権にたかり、ダム建設なしには、この巨大利権複合体を維持できなくなってしまって暴走しているのだ。以下の表は八ッ場あしたの会のHPに掲載されているもので、八ッ場ダム関係の工事を契約した特殊法人や企業等に国交省から天下った官僚の人数のリストである。共産党の塩川鉄也議員の調査によれば、2004年から2011年までに国交省から八ッ場受注企業・法人に合計104人の国交省職員が天下っている。
表の出所は以下です。
http://yamba-net.org/media/mura/

http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/48854ad88c592038b7478f61784a8ecd
しかし、旧国立競技場が取り壊されてしまった今となっては「時すでに遅し」という感じもする。旧国立競技場を改修して使用する案にすれば工費は2~300億円程度で済んだであろうから、余裕をもって木造の江戸城天守(350億円程度で再建可能)を再建できたであろう。しかし、壊してしまった今となっては遅きに失した感がある。新しいデザインを公募して新競技場の工費を圧縮しても1500億円を下るのは難しいだろう・・・・。今となっては、江戸城天守に回せる予算をねん出するのは難しい。
新国立競技場が後々の納税者に巨額のメンテナンスコストの支出を強いる負の遺産になるであろうことに対し、江戸城天守ならば日経BPの以下の記事によれば経済波及効果は年間1000億円と試算される。外国人観光客は大いに増え、入館料を徴収すれば独立採算ベースに乗る。納税者に無用の負担をかけることはないのだ。オリンピックの記念モニュメントとしてどちらが世界に誇れる施設となるだろうか。安倍首相が昨年のこの時期に白紙撤回の決断していれば間に合ったのだ。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/matome/20140806/410498/

さて、この新国立競技場計画の騒動の責任は誰が取るべきであろうか。民主党の枝野幹事長は「文科相の辞任が相当」と述べていたが、政治家など何人切っても何も変わらないだろう。文科省とその天下り先であり新国立競技場の事業主体であるJSCの幹部に責任を取らせて更迭せねばならない。
この巨大な失敗を生み出した根源的病理は、安倍首相の大先輩であるところの長州の維新官僚たちが創り上げた「巨大無責任体制」としての日本の官僚システムそのものにある。戦前は、陸軍の巨大無責任体制が暴走したが、現在も文科省やら国交省やらに陸軍の体質が引き継がれ、暴走しているのだ。
日本の官僚機構がここまで増長し、血税浪費の伏魔殿と化したのは、血税を浪費してどんなに失敗を犯しても、自分たちは決して責任は取らないというぬるま湯体質が、彼らの骨の髄まで染みついているからである。
実質的に権力は官僚機構に集中しているにも関わらず、名目的に立法府が行政府の上に立つという憲法の規定を悪用して、政治家にばかり責任を取らせて自分たちはシラを切る。実際には官僚機構の失敗であるにも関わらず、官僚たちはトカゲのシッポ斬りよろしく政治家に責任を取らせる。そして官僚は無反省のまま次の失敗をやらかす。
文科省の官僚たちは、自らの大切な天下り先であるところのJSCを太らせるために、今回の事態を黙認していたのではないのか。責任を取らせるべきは文科省とJSCの担当者である。
<追記>この記事を書いた直後、「舛添都知事が文科省の担当局長を更迭すべきだ、下村文科相が局長を更迭できないのなら、大臣が辞任すべき」と発言をしたというニュースが報道された。 都知事選のときに反舛添キャンペーンを展開したが、舛添のこの発言に関しては支持する。しかし、下村文科相などの小物の辞任で終わらせてはならない。何の問題の解決には何もならないからだ。諸悪の根源であるところの、文科省官僚の無責任体制にこそ鉄槌を下さねばならない。悪徳官僚を毅然と処分できない限り、この国に未来はない。
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国民の血税であることをいいことに、少しでも予算を膨らませて美味しい思いをしようという、本省の官僚と天下り先法人による利権複合体の例として八ッ場ダム計画を見てみよう。
八ッ場ダムは、白紙になった新国立競技場の2500億円のさらに倍近い建設費4600億円を浪費するムダ事業である(実際には地すべりなどによってもっと膨らむことは間違いがない)。構造は、新国立競技場問題と同じである。
国交省と、その天下り先の諸法人が、4600億円の利権にたかり、ダム建設なしには、この巨大利権複合体を維持できなくなってしまって暴走しているのだ。以下の表は八ッ場あしたの会のHPに掲載されているもので、八ッ場ダム関係の工事を契約した特殊法人や企業等に国交省から天下った官僚の人数のリストである。共産党の塩川鉄也議員の調査によれば、2004年から2011年までに国交省から八ッ場受注企業・法人に合計104人の国交省職員が天下っている。
表の出所は以下です。
http://yamba-net.org/media/mura/
