代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

東京新聞の記事紹介:赤松小三郎記念館が来月開館

2011年11月13日 | 歴史
 このブログでたびたび紹介してきた信州上田藩士・赤松小三郎の記念館が来月開館するという記事が本日(2011年11月13日)の東京新聞の特報面に載っています。「竜馬に先んじた兵学者 赤松小三郎に光を -来月、長野上田に記念館」という小倉貞俊記者の記事です。

 赤松小三郎記念館は今月11月20日に開館の予定だったそうです。ところが大変にショッキングなことに、赤松小三郎記念館ができる丸山邸が火災で焼失してしまったとのニュースが入ってきました。放火か失火かはわからないとのこと。下記サイト参照。
http://shinshu.fm/MHz/22.56/archives/0000374339.html

 ちょうど小三郎の墓石が京都の金戒光明寺から移設されるその日の未明だったそうです。京都にある小三郎の墓石が風化して剥離していたので、全く同じ墓石を造りなおして京都に置き、剥離した墓石の方は京都から引き取り保存のため記念館内に置くことになっていたそうです。

 生前から不運続きの小三郎ですが、死してなお不運続き。どうしてこうなるのでしょうか?
 記念館ができる場所は、上田城の惣構えの北西角にあたる場所で、江戸さながらの情緒ゆたかな場所で、映画「たそがれ瀬兵衛」のロケ地としても知られていた場所でした。火災で失ったものはあまりにも大きい。

 しかし記念館を計画している人々は不屈の闘志で、火災にもめげずに開館を準備しているとか。心より声援を送ります。

 本日付けの東京新聞の記事の中では、地元の有志でつくる赤松小三郎顕彰会の伊藤邦夫会長が次のようにコメントしていました。「明確なビジョンのない政治家が多い今こそ、小三郎の存在が見直されるべきだ」と。全く同感です。

 「米国におもねれば政権は安泰だろう」なんて料簡の狭い人物ばかりが首相になり、まさに亡国に至らんとしています。日本のこの状況を小三郎が見たらどう思うでしょうか。
 「殺されても構わない」くらいの気持ちで理想に向かって突っ走る小三郎のような人物が政治の世界に登場してほしい。
  


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1 コメント

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no way (noga)
2011-11-14 04:39:41
永遠に待ちの政治では、迅速な対応はできない。どこまでも停滞気味である。元来のんきな性格のためか、自分自身は無為無策でありながら、棚から牡丹餅の落ちてくるのを熱心に期待している。

現実の内容は、「世の中は、、、、、」の内容であり、理想の内容は、「あるべき姿」の内容である。これは非現実である。
日本語には時制がなく、日本人は現実 (現在) と非現実 (過去・未来) の世界を独立させて並行して言い表すことが難しい。
非現実 (理想) に向かうための現実対応策が語れない。
現実から理想へと一足飛びに内容が飛ぶ。言霊の効果のようなものか。その過程が明確にされない。

時制を考慮することなく自分の思った内容を述べようとすると、現実肯定主義派と空理空論 (曲学阿世) 派のどちらかに分かれることになる。
これでは政治音痴は止まらない。
両者は話が合わない状態に陥り、議論ができない。そこで、悪い意味での数合わせで、民主的に、物事を決するしかないことを日本人は心得ている。
だから、多数がとにかく足並みをそろえる大連立の構想には意味があると考えられているのであろう。

守旧派の世界は理想的ではないが、過不足なく成り立っている。革新派の世界は穴だらけで成り立たないことが多い。
安心と不信の背比べである。だから、政治家は静観が多く、意思決定には手間を取る。
静観には現在時制を働かせるだけで十分であるが、意思決定に至るには意思(未来時制の内容)の制作が必要になる。
意思の制作に未来時制が必要であるということは、自分が意思を作って示すことも他人から意思を受け取ることも難しいということになる。
つまり、社会全体が意思疎通を欠いた状態のままでとどまっているということである。
それで、勝手な解釈に近い以心伝心が貴重なものと考えられている。

時代に取り残されるのではないかという憂いが常に社会に漂っている。
英米人の政治哲学に基づいて次々と繰り出されてくる条約締結の提案には、ただたじろぐばかりである。
自分たちには、哲学がない。理想もなければ、それに向かって踏み出す力もない。
筋道を明らかにされることのない指導者からの励みの要請に民は閉塞感を持っている。玉砕戦法のようなものか。
だから、我々は耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ必要に迫られることになる。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
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