代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

森林整備が渇水を招く??? 国交省・河川局への反論その3

2005年02月28日 | 治水と緑のダム
 本日は、国交省による「緑のダム否定論」の中で、「森林は、利水の観点から見ると渇水の原因になるので、採用できない」という主張を考察してみましょう。

 森林は確かに、蒸発散によって雨水を大気中に返しているので、水を消費し河川水を減らすという側面を持ちます。その事は誰も否定しておりません。
 ただし同時に、森林土壌に孔隙量が多いと、雨水を土壌中に貯留する機能や、また雨水を地下に浸透させる機能が高まります。すると、渇水期に雨の供給がなくとも、地下に貯留されていた水が河川にじわじわと流出するので、雨が降らなくても川の水を枯らさないという効果も高まります。

 つまり、森林は、渇水対策としては、正と負の二つの効果をあわせ持つことになります。プラスの側面もあれば、マイナスの側面も同時に持つのです。(もっとも蒸発散によって大気中に帰った水分は、再び降雨となって大地を潤すことを忘れてはいけません)。
 
 国交省は、現在の日本の森林面積を前提としています。「さらに森林面積を増やせ」という主張もしておりませんし、「減らせ」という主張もしておりません。

 ならば、現在ある森林面積を前提とした上で、渇水対策としてどのような森林整備をすべきかは明らかでしょう。できるだけプラスの面を伸ばし、逆にマイナスの面を減らすような方向の森林整備を行えばよいのです。つまりは、蒸発散を減らし、土壌孔隙量を増やし、雨水の土壌浸透能を増やすような森林整備を行えばよいのです。すると、渇水の心配は低減いたします。
 
 利水面では、「蒸発散量が多く、土壌浸透能の低い」状態の森林が、「最低の質」のものなのです。そして、間伐・枝打ちを行っていないモヤシ状のスギ人工林は、この「最低の質」の条件を全く満たすものと思われます。

 モヤシのような人工林は、林内の空間に占める葉の量が多いので、蒸発散による水の消費量も増やしています。間伐と枝打ちを丁寧に行えば、蒸発散量はずいぶんと減らせるはずなのです。(ついでに、利水とは関係ありませんが、花粉症の被害も、若干は減らせる可能性があります)。

 さらに、モヤシ状の過密人工林は雨水の土壌浸透能も低いのです。間伐をしていない過密人工林の土壌浸透能は、間伐してから充分な時間が経過し下草が育成した状態の人工林の土壌浸透能の半分しかないのです。これは、吉野川流域ビジョン21委員会の中根周歩氏および広島大・中根研究室の大学院生たちと、NPO法人・吉野川みんなの会の市民たちが共同で、吉野川上流域で実地の測定をすることによって明らかにした事実です。
 (吉野川みんなの会のHPを参照 http://www.daiju.ne.jp/ )

 よって、日本の人工林が現在のように、間伐も枝打ちも行われないまま放置されていることにより、渇水期の河川流量は著しく下がってしまっているはずです。ですので、もしモヤシ状の人工林を増やすような方向に、森林の「整備」を行ったとすれば、国交省・河川局の言うように、渇水を招くのではないかと予想できます。

  ところが、緑のダムを求める市民たちは、「モヤシ人工林を増やせ」などとは一言も述べていません。逆に「モヤシ人工林をなくせ」と主張しているのです。

 「間伐」と「枝打ち」という内容の、モヤシ人工林をなくすような方向の森林整備を行うと、どう転んでも、蒸発散量による水の消費を減らし、逆に雨水の土壌浸透効果も高めてしまいます。よって、河川局の主張とは逆に、現在よりも、渇水期における河川への水の流出量を増やすことになるのです。

 間伐を実施すれば、どれだけ渇水を緩和できるのかに関しては、林野庁と国交省・河川局が協力すれば、全国の河川流域で観測できるでしょう。方法は至って簡単です。間伐前の河川流量と、間伐後の河川流量のデータを長期観測し、時系列的に比較すればよいだけなのです。その観測データを積み重ねていけば、間伐による渇水緩和と洪水制御の二つのファクターを同時に実証できるでしょう。

 一例として、依光良三編著『破壊から再生へ アジアの森から』(日本経済評論者、2003年)という本に掲載されているデータを紹介したいと思います。執筆者の一人である日浦啓全氏は、高知県梼原町における観測データを紹介しております(梼原は町ぐるみで森林認証を取得し、全国でももっとも熱心に間伐に取り組んでいる町です)。

  梼原のデータよれば、間伐を実施してから数年後には渇水期の河川流量が顕著な水準で(1.3倍から1.5倍ほど)、増加していることが見事に示されています。逆に、洪水時のピーク流量の方はといえば、顕著な水準で減少しているのです。(依光編著、前掲書、252-254頁参照)

 さて、国交省の皆様は、このデータにどのように反論しますか?

 ちなみに、依光良三編著『破壊から再生へ アジアの森から』は、私も執筆者の一人です。私は、中国政府が始めた人類史上最大の「緑のダム政策」といえる、「退耕還林」政策に関する論文を書いています。興味がございましたらご笑覧ください。  
 
 
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4 コメント

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アウトサイダーです (じん)
2005-03-06 07:24:33
はじめまして。「森林認証」で検索してたどりつきました。畏れ多いかなと思いつつ、さっそくTBさせていただきました。

「緑のダム」機能に関してもそうだし、「森林環境税」にしてもですけど、農水省(林野庁)・環境省・国交省といったタテ割り行政の垣根を、いかにとりはらって融合させていくかというところが、市民の共感を得る政策として支持を広げるポイントになるのではないかと感じています。

地方分権では、首長の判断とか内発的な市民意識の高揚によって、「森林環境」に関わる官僚的構造を一気に崩壊させることも可能になるのではないかという期待もあります。

そういった「社会変革」のきっかけをつくるのは、「NPO法人・吉野川みんなの会」といった、NPOの存在なのかなと感じています。
返信する
ありがとうございました ()
2005-03-06 12:06:15
 コメントとTBありがとうございました。じんさんのブログの記事も一部、拝読させていただきました。難しい話が非常に分かりやすく記述されており、素晴らしいブログでした。

 私はブログを始めたばかりなのですが、負けないように頑張りたいと思います。



 森林と河川の問題に関しては、ご指摘のように、「森林=林野庁」「河川=国交省・河川局」という従来のタテ割りを、市民の力で打ち壊し、「河道主義」による治水から「流域主義」による治水へと転換させていくのが、目下、最大の課題ではないかと思っています。

 そのためには、国交省が否定する「森林整備による治水効果」を、科学的に実証するという作業は不可欠だと思います。

 『緑のダム』(築地書館)における、吉谷氏(国交省管轄の土木研究所)の緑のダム否定論への反論なども、いずれブログに書きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。 

 

 私も、じんさんのブログにTBさせていただいてよろしいでしょうか? TBのやり方がまだよく分かっていないのですが、ちょっと試してみたいと思います。

 
返信する
渇水流量の罠 (あがたし(安形康))
2006-01-05 18:14:33
>梼原のデータよれば、間伐を実施してから数年後には渇水期の河川流量が顕著な水準で(1.3倍から1.5倍ほど)、増加していることが見事に示されています



こんにちは 安形です.「渇水期の河川流量」って355日流量(以下,渇水流量)のことでしょうか?



もし渇水流量だとすると,その年々変動をダイレクトに議論に使うのは場合によっては危ないです.以前は「流域の低水流出をよく表現する,降雨の状態によって容易には変わらない値」として認識されてきたのが渇水流量です.



http://www.mlit.go.jp/river/opinion/midori_dam/midori_dam.html#outflow



で国交省が引用している研究(太田猛彦氏による)では,森林の成長にともなって渇水流量が減少している例が紹介され,上記のような論理により,森林の生長が流域の水循環を変えて渇水が起きやすくなっていると結論づけられました.



ところが



それと同じ流域の流量データを,あらたに得られた1990年代のデータも追加して解析した蔵治光一郎さん・芝野博文さんがそれをひっくり返しました.まず,

・夏と冬で渇水流量の増減傾向が違う

そして,

・毎年の季節(夏季・冬季)別渇水流量は渇水流量生起前の降雨状態によって大きく左右される

ということが明らかとなりました.



すなわち,少なくともここで対象としている流域(東大愛知演習林:白坂流域)では,季節別渇水流量の年々変動は,降水量のそれの影響を強く受けてしまい,森林の流量への影響を云々するのに耐えない値であるという結論になったわけです.



これは僕も(おそらくは多くの人が)おもしろいと思い,しかし「それって演習林流域のような小さな川でだけはっきり見えるのではないか?」と疑問をもちました.そこで学生にもう少し大きな流域(数十~数百平方キロ.具体的には多目的ダム管理年報記載流域の全国から選んだ8流域)について同様の検討を行わせた結果,流域によってはやはり季節別渇水流量が降水量の変動を強く受けることがわかりました(そうでない流域もありました).これは僕としてもちょっと意外な結果で,いま論文にしているところです.



というわけで,渇水流量の変動をもとにしてなにかを論じた議論に対しては,「降水の変動の影響は本当にないのか?」というツッコミをぼくは入れてしまうのです.そしてそれは,これまで無批判に渇水流量の経年変動を流域環境変動のインデックスとみなしてきた過去の自分への叱責でもあります.



もちろん,間伐により流出特性が変わり渇水時の流量が減りにくくなるという可能性は否定しません(逆に減りやすくなるという可能性も否定はしません).ただその実証方法は,渇水流量の吟味そのものだけでは力不足でしょう.



「破壊から再生へ」を再読したらまたコメントするかもしれません.実は以前読んだとき,冒頭引用の「渇水期の河川流量」の「期の河川」部分を読み落としていまして,渇水流量の話だと記憶してしまっていました.まずは元論文(じつは年末に引っ越し準備で段ボールにしまい込んでしまったばかり・・・)を再読してみますね.



渇水流量の変動を規定するファクタが本当に明らかになれば僕もうれしいしよりよい河川管理・水辺景観計画などにつながるでしょう.

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安形様 ()
2006-01-06 17:03:50
>「渇水期の河川流量」って355日流量(以下,渇水

>流量)のことでしょうか?



 高知大の日浦啓全先生の論文です。一年を通したデータの中から、日単位の流量(立米/日)を、低い順から1位から50位まで載せております。その際、年間降雨量がほぼ同じ年(H9年とH14年)を選択しております。その間に間伐が実施されているそうです。

 ただ、年間降雨量が同じでも、「降り方」が違うとまた変わってくるのかも知れませんが・・・。「間伐の効果」の厳密な比較は相当に難しそうですね。



 蔵治・芝野論文に関しては、私も蔵治さんによるナマの学会発表を拝聴いたしました。大変に感銘を受けた次第です。

 
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