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“特別展、書聖 王羲之”東京国立博物館(2013.2.7)

2013-02-10 09:33:20 | Weblog
 王 羲之(オウギシ、303-361)は、中国東晋の政治家・書家。魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族。書の芸術性を確立した。書聖と呼ばれる。末子の王献之と併せて二王(大王、小王)。日本では奈良時代から書の手本とされた。
 唐の太宗(李世民)が王羲之の書を愛し、崩じた時に「蘭亭序」(真筆)を一緒に昭陵に埋めさせた。王羲之の書で今、残るのは摸本と拓本のみである。
 唐摸宋拓と称されるように、唐時代には摸本、宋時代には拓本が、多数作成された。なお双鉤填墨(ソウコウテンボク)は摸本の技法でまず文字の全体の輪郭を取り、次いで内側に髪の毛ほどの線を重ねる。

A 「行穣帖」(コウジョウジョウ)(原跡:王羲之筆、1巻、唐時代・7~8世紀摸、プリンストン大学付属美術館)
 2行15字の断簡であるが、古くから知られた王羲之の名品である。王羲之が若い頃に書いたもの。唐時代の双鉤填墨(ソウコウテンボク)による摸本。宋時代の徽宗のコレクションでもあった。
     

B 「喪乱帖」(ソウランジョウ)(原跡:王羲之筆、1幅、唐時代・7~8世紀摸、宮内庁三の丸尚三館)
 王羲之の手紙三通の断片を集めたもの、計17行。最初の8行が「喪乱帖」。縦に簾目(スダレメ)のある白麻(ハクマ)紙に、双鉤填墨(ソウコウテンボク)で模したもの。奈良の聖武天皇の遺愛品。王羲之の晩年54歳、永和12年(356)の手紙。
     

C 「定武蘭亭序-韓珠船本-(テイブランテイジョ‐カンジュセンボン‐)」(王羲之筆、1帖、原跡:東晋時代・永和9年(353)、台東区立書道博物館)
 王羲之が、353年(永和9年)3月3日に、名士41人を別荘に招いて、蘭亭に会し曲水の宴を開く。その時に作られた詩集の序文が蘭亭序。王羲之はこれを書いたとき酔っていたと言われる。28行324字。
 「蘭亭序」を愛した唐の太宗は、その在世中、能書の臣下(初唐の三大家:虞世南・欧陽詢・褚遂良)に蘭亭序の臨本を、宮中の専門職人に摸本を作らせた。拓本のなかで、古来最も貴ばれたものが、五代~北宋時代初期に碑石が定武郡で発見された定武本である。下の写真は「定武蘭亭序-韓珠船本-」。
          

D 「蘭亭図巻-万暦本-」(王羲之等筆、1巻、明時代・1592年編、東京国立博物館)
 「蘭亭図巻」は蘭亭序と、北宋の李公麟(リコウリン)の描いた蘭亭図を刻したもの。353年(永和9年)の曲水の宴の図、及び参加した42人の詩と蘭亭序からなる。王献之は当時まだ10歳で、姿が描かれているが詩はない。
   

E 国宝「真草千字文」(智永筆、1帖、隋時代・7世紀、個人蔵)
 智永は王羲之七世の子孫で、隋代一の書家。王羲之の書を後世に伝えようと、異なる1000字を選び、4字1句として250句の千字文を作った。「真草千字文」は真書(楷書)と草書を併記。永欣寺の閣上に30年閉じこもり、800余本を臨書し、諸寺にそれぞれ1本を奉納した。智永の「真草千字文」は、刻本が中国に2つの残るが、唯一の真蹟本が日本に残る。国宝!
         

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