おなら吾郎の唄
7月12日は【日本標準時制定記念日】なんですって。
その昔、
太陽が「あそこ」にあるから、そろそろお昼だな。
なんて なんとなく把握していた時間というもの。
けど、この「あそこ」というのは、その場所だけであって、
日本中同じわけではない。
それを統一したのが、1886年の7月12日なのです。
説明文、お借りしました。ありがとうございます。
◇日本標準時制定記念日
1886年(明治19年)7月12日、東経 135度を日本の標準時とし、1888年(明治21年)の1月1日よりこれを実施するとの勅令が交付されたことに由来する。
これによって兵庫県明石市の正午が全国どこでも正午となった。
◇始まりは「地方真太陽時」
本当の太陽の位置(中心の位置)が、その地の真南を通過する瞬間を正午とする地方真太陽時というものが先ずはじめにありました。
我々の一日の周期は太陽の動きにしたがって長い間動いていましたから、太陽が真南に来るのを見れば「ああ、お昼だな」と思うわけです。その場所(地方)で本当の太陽(真太陽)を測って時刻をきめるわけですから、これを「地方真太陽時」と呼びます。
これが、私たちが手に入れた最初の時刻だと言えますね。(「真太陽」はまた見たままの太陽ということで「視太陽」とも呼ばれます。「真太陽時」も「視太陽時」とよばれることもあります。)
ですけど、
雨の日って どうやって 時刻を決めてたんでしょうね。
曖昧・・・。
◇時計と「地方平均太陽時」
はじめはこれで何の問題も無かったのですが、人間が「時計」を発明して太陽の動きをこの時計で測ってみると、この真太陽による一日の長さが季節変化することが判ってきました。
違うと言ってもその差は精々 2~数日分累積して 1分程違ってくるだけのことですが、時計が正確になってくると、毎日チェックして時刻あわせをしなければならなくなってしまいます。
みんなが時計による時刻によって生活するようになると、実際の太陽が真南にくる瞬間よりも時計の示す正午の方が社会生活には重要になってきました。
こうして、地方真太陽時から地方平均太陽時へと使用する時刻がかわって行きました。
日本で、実生活に地方平均太陽時が取り入れられるようになったのは明治13年(1880年)のことでした。
地方真太陽時。
地方平均太陽時。
初めて耳にする言葉です。
ネット画像
≪時計草≫
◇電信と「日本標準時」
時計の発達で平均太陽時を使うようになりましたが、それでもまだ東京は東京、京都は京都、長崎は長崎といった具合に、各地まちまちでした。
これが「地方標準時」。
え!?どういうこと!?
今から考えると何でこんな不便なことをと思いますが、昔はこれで全然問題無かったのです。
考えても見てください。今なら札幌の人と那覇の人が電話で話ながら、
「ああ、いまちょうど正午になったから、そろそろお昼にするよ」
なんてことを言うことは有るでしょう。
また、「このデータを明日の正午までに必ず送ってください」なんていうこともよくある話です。
でもここであたりまえに考えてしまったコンピューターのネットワークや、
電話といった機器は昔は有りませんでした。
「今こちらは正午です」と手紙に書いて、札幌の人が那覇の人に速達郵便で送ったとしてもこれを受け取った人はこの「正午」から大分遅れて受け取るはず(時間じゃなくて、日にちが違いますね)。
札幌と那覇でそれぞれ「地方平均時」を使ったとすると、この二つの都市の間ではそれぞれの時計はおよそ1時間ずれている(那覇の方が遅い)はずなのですが、郵便の配達を待ってはおれぬといって自分で運んだとしても、どんなに頑張っても当時は「1時間以内」でこの手紙を送ることなど出来ませんでしたから、「今は正午です」と書いた手紙を「正午」に届けることは出来ませんでした。
・・・。なるほど。
このように太陽(本当は地球の自転)より早く情報を伝達する術を持たなかった当時においては、それぞれの地方が独立した地方標準時であっても、お互いに困ることは有りませんでした。
これは、現在外国と日本に時差が有っても、その外国と関係しない限りは、時差があってもなくても同じという状況と同じです。
言ってみれば明治時代初期の日本では、北海道から見た東京とか、東京から見た九州などは、全く「外国」みたいなものだったのですね。
・・・。そっか。
そして現代、地球の裏側で行われているサッカーの試合の生中継を見たり、国際電話を掛けたり、はたまた外国の証券市場が開くのを待っていたりといったことをする場合に、「ああ時差があるんだ」と気づくのの同じことが、明治の「電信」の普及によって起こります。電信が日本の主な都市間を結ぶようになると、
福岡支社 発信時刻11:45・・・福岡地方標準時
『札幌支社へ至急。12時までのこの件の処理をお願いします』
札幌支社 受信時刻12:29・・・札幌地方標準時
「12時までって、もう過ぎてるけど?」
なんて言うことが起こりかねなくなりましたので、これではいかんと日本標準時というものを制定し、統一を図るようになったのがこの日。
7月12日です。
・・・。はい。
そして、標準時の基準としては日本の真ん中に近く、かつ経度の区切りのよい 135度の経度線が標準子午線と決定されました。
こうして日本標準時が正式運用を開始したのは明治21年(1888年)1月1日。今から 130年ほど前のことでした。
明治の人って、素晴らしいですよね。
めまぐるしく変化する環境の中
柔軟性と強硬性。あわせもって
前へ。前へ。
『彼らは、明治という時代人の体質で、前をのみ見つめながら歩く。
登っていく坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を登ってゆくでろう。』
司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」の
この一節 好きです。
さて。時計は 朝9時を過ぎました。
おなら吾郎 第2話です。
“いじめとおなら吾郎”・・・
どうぞ観てくださいね。
“いじめとおなら吾郎”・・・
どうぞ観てくださいね。
・・・
今は当たり前に、同じ時計で生活していますが、考えてみると地方ごとに違いますよね。
一番身近に感じるのが、野球中継です。
こっちは、とっくに日が暮れているのに道外の球場はまだ明るい。
だから、私は早寝早起き^^
したっけ。
太陽の動きから時を知る。それだけではすまない時代になり、昔の人は知恵を働かせて色々考えてきたのですね。今では世界にそれが広がっていますが。
はなこころさんの息子さんと共に情報制作界にデビューされてはいかがでしょうか?
いや、ここからすでに発信されていますね!
明石市に暮らしていながら7月12日が日本標準時制定記念日とは知りませんでした(汗)
時計草ってあるんですか!
これこそ明石の市の花にしたら良さそうです。
たくさんの興味深いお話有難うございました。
素敵ですね(o^^o)
今日は 日本標準時制定記念日なんですか(初耳)
それも明治21年1月1日から開始されていたのですか。
私も1つ知識が増えました(笑)
そうですね、標準時間がないと細長い日本では
微妙に時間がずれてしまいますから
疑問に思い決定された方は
先を読む事ができる人ですね
日本は今は一つの時間でわかりやすいのでよかったです。
複雑なのは苦手です(。^p〇q^。)プッ
時計草素敵ですね。
最初見た時は本当に不思議な気がした植物でした。
なにも知らずに暮らしてましたよ。
そう言えば、地方標準時が生きている地方がありましたね。これは都合のよいように考えただけだと思いますが・・・
いまから30年も前、海のある田舎町に単身赴任したとき、町の会合があって夜7時集合とか、真面目な田舎親爺6時50分にその場所に行くと誰もいません。
日時の間違いかと、事務局を訪ねると、事務局員はニタニタと「田舎親爺さんここらは、その地方の00時間があるのですよ」と教えられビックリ。なんと30分遅れが当たり前だったんです。
まさか、こんな風習もう、残っていないと思いますが、
勝手な地方標準時ですね。
12日が標準時記念日とは知りませんでした。
確か明石に行ったときにあったかな。
トケイソウもパッションフルーツもすごいお花ですね~
縦に1周すると日本の明石でしたよね^^。
なんかそんな記憶だけが残っております^^。
日本標準時(JST)ですね~
制定されたのが1886年7月12日だったのですね~(^^♪
明治の人は偉かった~
世界標準(GMT)はグリニッジですね~
私は若いころ大阪商船の船舶通信士として世界一周船に乗船していました。太平洋の経度180度線に日付変更線があり、東から西へ行くときはこの線を越える時日付を1日省略し、西から東へ越える時は日付を2度重ねていました。
60数年まえを想い出していました。