「娘と日田デート」レポ

その
2です。
10月14日 大分県日田市 訪問

・・日田は、文禄3年(1594年)豊臣秀吉の蔵入地(直轄地)を支配する代官が置かれ、以来大名支配も行われたが、それ以外は徳川幕府の天領(直轄地)となった。その天領も大名預けとなった時期もあるが、貞亨3年(1686年)以来は引続き日田の陣屋(御役所)にあって代官、郡代の天領支配が行われた。豆田、隈の両町を持つ日田は、政治、経済の中心地として栄え、裕福な商人が台頭し、掛屋や大名の御用達として活躍して、九州金融の中心となり、日田金は諸大名に貸し出された。当時、江戸、上方、長崎との経済や文化の交流も多く、日田には文人墨客が訪れ、賑わった。

レポは、
その1
≪欧風懐石・秋子想編≫
その
2≪豆田の町並み編≫・・今日です。
その3≪小鹿田の里編≫
・・へと、続きます。
どうぞおつきあいくださいね~。




豆田町は、慶長6年(1601)に徳川方の丸山城の城下町として生れたたところです。西国郡代のお膝元、天領の町として栄えました。
往事の繁栄を偲ぶ古い家蔵、また町割・地割・町道・用水路などが昔のまま残っています。
御幸通りでは、電柱を撤去し地下に埋める工事を行い、より伝統的町並みを再現しています。
それにより、国土交通省より美しいまちなみ大賞を受賞。2004年には、重要伝統的建造物群保存地区として選定され町並み保存が行われています。
マンホールの図柄は、鵜飼の様子。
三隈川の鵜飼、屋形船は風情があります。
また、クランク状の道路は、旧城下町によく見られる枡形と呼ばれる造りです。
わざと見通しを悪くして侵入者(敵)を待ち伏せするためとも、距離感を狂わせるためともいわれています。
九州随一の繁栄を極めた天領です。
莫大な財をなした豪商も多く、旧家には京都屈指の人形師から取り寄せた雛人形が
今も残ります。
その贅を尽くした「天領日田のお雛祭り」は、全国的にも有名です。
お雛様で有名なのは、升屋の草野家です。
お屋敷は、県指定有形文化財として保存されています。
しかしながら、時期的に雛人形は見学できませんでした。
今回は、≪雛御殿≫の雛人形を見学してきましたよ。
天保年間~250年前の雛人形が、約3000体~圧巻でした。
たくさんの雛人形たち~ああ~どの雛人形を写せばいいのやらあ~!
名代官と呼ばれた塩谷大四郎正義に資金を調達した広瀬久兵衛(博多屋)をはじめ、丸屋・鍋屋・升屋など古い造りに伝統がしみ込んだ日田商家が甍を並べた街並み。
お嫁ちゃん、感動しっぱなしです。
広瀬家は、私設の資料館として公開されています。
広瀬九兵衛さんは、ほら「秋子想」の秋子さんの兄、広瀬淡窓の弟です。
≪広瀬家≫
広瀬貞昌
┃
源兵衛
┃
久兵衛
┣━━┓
月化 三郎右衛門
┣━━┳━━┳━━┓
淡窓 秋子 久兵衛 旭荘
┃ ┃ ┃
青邨 源兵衛 林外
(養子) ┃
┃ 七三郎
貞文 ┃
貞治
┃
正雄
┣━━┳━━┳━━┓
貞雄 道貞 勝貞 興貞
日田は、主人が小さいころ住んでいたこともあり、
今でも、度々おじゃましています。
けど、
もちろん お嫁ちゃんは、初めての場所です。
世田谷育ちのお嫁ちゃん、
歴史のある町並みを見ては、大感激
途中、稲刈りの様子を見ては、大感激
その大感激している様子を見て、おとうさんもおかあさんも大感激でしたよ。




日田報告その
2≪豆田の町並編≫
ご精読~ありがとうございました。
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赤が大分県
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ピンクが大分県日田市

大分県日田

10月14日訪問
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今日はこの辺で