青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

速記掲示板 その八百九十

2023年03月04日 13時48分58秒 | 投稿


長野産、種有り巨峰、傍らには給水器と紙の器。



火力がこれの三分の二で、縦と高さが五糎、横が十・五糎との直方体。
寒天、みんきん、ブドウの実のみ、サクランボ、桃、デラウェアの実のみ、シャインマスカットの皮の刻み、栽培されし野イチゴ、栃木産トチオトメ級のイチゴ、白玉、北海道産小豆、
鮭、トロ切り身、ネギトロ、塩サバ焼きの皮、焼き鳥の皮、スダチ、カボス、ポンカン、金柑、銀杏ぎんなん、愛媛産蜜柑、南米原産、フランス商船経由のグレープフルーツ、佐賀産スイカ、徳島産メロン、炒いたる愛媛産一級大豆、キンツバ、きな粉、臭みを抜いた熊本産納豆、大分産温泉卵の白身、わらび餅、高級茶葉製葛餅くずもち、桜餅、霜柱段階なる氷結ヨーグルト、フランス商船経由のシュークリーム、スイカの皮、ウリ、ヘチマ、ナス、沖縄産亀の甲羅の粉末、ウナギのかば焼きの切り身、北朝鮮産高級シメジと松茸、雀の目ん玉と胸肉、焼いた餅、天津テンシン産の栗、カリントウ、落雁らくがん、天津飯のタレのみ、博多産カマボコ、明太子、正月の黒豆、カズノコ、サトイモ、

茶葉入り、緑の寒天
イセエビの身、タラバガニの堅い皮と身、目ん玉、シロウロなどなどがご参集だった。
名は毎度それぞれで、例えば“のうおふんおふん”、“そうあふあはかいひ、あはぬあはいひいきじきい、のううふくすく、そうおおる、いまや”、“とぅううくん、とぅおおすくあ、そうおほおくあ、とぅううこそん、あんか、ときや”。


まず金魚鉢の中で、最も貪食である金魚が見抜かれる。
月製の成分により抹茶色寒天はものの四秒で硬化するが、この中にその金魚が投入される。
貪食が、菓子の中で、窒息死する。
ねおの菓子工房は爆笑だった。
製造工程の中で、こいつだけが、業を見抜かれ、それを火薬、故とし、爆死の相。
一匹だけ、素材を生かそうとする工程に、果敢突入。
然るにこやつは、御客に非ず、影なる菓子工房職人に仕えようと在るとの捉え、水槽の成立が妥当。
勢いが、あまりに鋭流らしく爆笑が必定だと。
金魚が抹茶色寒天の中で、浮かんで眠っている、ように見える。
大いに、不気味也。
喰わずべし、との要望を、御客は脳内で、感じいって頂きたい。
次に、仮に、寒天をほじり、金魚を救おうとの手仕草をお選びになりいくとして、既に菓子工房の要望が先手。
そのご選択はその時、べからず、に瞬時に付随する、禁忌ごとへの慨嘆が、支配主体の筈。
故に、慨嘆が金魚を救おうとするとの文が成立する。
脳内、思考階梯の間に、無選挙にて平然君臨する、故に、を破壊したい。
そして、大いに不気味也、との感慨が暫く視線の前に浮いたならば、その後の思考あらゆるは、寒天に非ず、自己の頭部をほじくるサジ。
この、一行程の次は、他の行程が御客の頭を調理していく。

もなか、は合わんとのご判定らしい。


“X Japan”、“White Poem I”。
作詞、作曲Yoshiki

1:10~1:20

歌唱:めぬかいみ れおくいや
   ぺいきれずは のうらいく
曲名:置かれず
客席:清、温州から廈門にかけての海運業、七十名、月、色黒めなんヰ、軍人職権、十五名、月圏の異空間文明人、三種、八名。

譜面は金星の王族、ニュフウワァゥンゥクがねおご滞在中に作詞、作曲された。歌唱歌詞は金星語に理解があった侍を経て、そのままの言語で少女二名が歌った。お部屋は蓮獣の室(むろ、部屋)。
曲の作曲はかなり困難と見る。次の音への鍵穴は常に一つずつで、狭い。十秒に何年、かかる。一般人には。


tell     me    why
スサハァー  ハアー  スフゥウュー

tell     me    why
スソホォー   フォー  ヒィィュゥー

tell tell    me    why
オゥ オホゥ ロホォ ヒィィュゥー  ※“オゥ”は文学的驚愕への即応感慨声

the  wind  is    so    so    cold
ラァ キィー ピィー  ティー イイィ  ィヤー

tell   me   why
ヌォゥ  オゥ  イイィー

tell tell    me  why  シ シ ラ ファ♯  ※シ ラ ファ♯ は一音拍で急いで
オゥ オホゥ ア゛ イー   キ イ ヒ ネェー

(スサハァー  ハアー  スフゥウュー スソホォー   フォー  ヒィィュゥー オゥ オホゥ ロホォ ヒィィュゥー ラァ キィー ピィー  ティー イイィ  ィヤーヌォゥ  オゥ  イイィー オゥ オホゥ ア゛ イー   キ イ ヒ ネェー)
古典詩編を現存せしめるべくの営為は、当該詩編に残る文化的威厳への、冠詞溶接気味言及でありつまり、文化的威厳へ、冠詞溶接営為が今、現代芳香を吹きかけ、毀損中。
しかしかくなる、窓風景を、云わずべし。
一連の営為が、何らかの術をどうにか発見し、粗雑な営為に、発見利益へ、出会わせいくのみ。
かくなる事後を、云わずべし。
人は粗雑さを恐れ、古典詩編と、現代芳香の融和を模索せずようになる。
人は、古典詩編のみ、現代芳香のみ、では生きていけず、が文化的生態なるが。
では、古典詩編の文化的威厳を毀損中との、今なる時を真に過ごすは何者。
冠詞溶接気味言及を、過去の文化的連綿利益を足掛かりに、どうにか着想していった、古典詩編維持職務担当者の筈。
こんな仕事に身を委ねた者は、古典詩編と現代芳香の間、今との大地を、踏み溶かしいってしまう。
悲しみを誘うに当然であるその営為の詠唱を禁じる者は居ない、と頭部は主張出来る。
今を否定する者、それは妄想、芸能、秒を数える児童を知っているなら。
悲しみを詠唱する機会は、成立する筈。


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