あ、難波による各地への支払いは、難波政経への接近の許容だった。
而して、難波は無言にして、譲渡ごとへの姿勢は皆無。
一連の背後、精密論理を構築し、そしてこれに向けて適宜挑戦し続けしは難波政経の所掌者、無数。
例えば、苫小牧が、難波に、高級水産物を輸送しているとの事実の影は、苫小牧は、正気のまま、難波の陸路を泳いでも是。
轍わだち、に生えし難波産、低級シイタケを、そちらが束ねし、苫小牧、難波交易力との高級交易力にて、岩手の奥の村に、分け売りつつ。
苫小牧は、難波政経がまとう逸話を大量に知っており、難波が提示している支払いとその価値を、正確に識別していた。
甚大なる有償ごと、と。
苫小牧は、難波よりの支払いを受領し続け、適宜、使用に処していた。
難波は、超絶の失礼外交を、一度も選ばずだった。
おい、この価値はこれ程、こうしろ、ああしろ、価値を選ばず、これを貰い、あっちに売り、こうするなら、そちらの手腕は難波色に染まるが故、近い内にいずれどうの、との近接説諭や書簡での説諭を。
政経彼我、優位側が、劣位側の壇上にて最筆頭なる筆、一本のみを前に、劣位へ、説諭を与えるとの、首裏から頭頂部にかけての、一本なる轍剃り事態を選ばずべく。
必ず、政経判断のみならず、市の在り様を、難波色で、高速で染めゆく、と。
物の価値の奥、人間精神への高速侵略がこれ、頭部での轍剃り。
難波側の伝達方法は、専ら顔付き。
奇怪さを、毎瞬意志にて蹴り飛ばし続け中なる、知略上裂帛が満つちょんまげ。
苫小牧産、最高級イクラ満載の木箱、オホーツク海の処女氷が冷凍保存材、こちらを離別で泣かさず、未来への喜び満たし続けるは当方の馬車。
離別に泣かさず、未来へ喜ばせ続け予定を、この顔で、お分かりになって下さい。
苫小牧、最高級イクラより雲上価値なる市よ。
この地より分け隔てられずなる、最高優秀なる海女あま、よ。
苫小牧は分かる。
難波に存在すると思われる、難儀なる高級食品消費行政ではなく、人と、市の頭部を率いる政経、二者の在り様と、牽連を、利益で痙攣に晒しいかずべくは、に関する精髄熟慮による洗練の形跡を。
苫小牧は、難波との取引で得た外貨を、札幌政経への検分に用いていた。
東北各地も、周辺市政経への進出に。
博多が難波との取引を通じて得た外貨の使い方は、渤海湾ボッカイワン、天津市沿岸に赴いての、伝統家具や高級身分向けの室内装飾品を吟味する機会への充当だった。
博多は、外貨の使い方が派手めだった。
岡山は、歴史永きしがらみに従い、難波に果実を輸出する代わり、神戸の商家の連合体から、医学知見を譲渡される利益を自覚する立ち位置に在った。
金星医学知見、月医学知見を口語で紹介されていた。
食料の保健衛生を確保する行政の肝要さ認識が岡山の到達点だった。
難波政経は神戸の商家に、難波のどこの公家とも、鷹揚に面会させていた。
秋田は米が豊作過ぎ、難波から得ていた利益は、裃かみしも、の肩の尖り、至上無二殿による、抜かれと認識していた。
豊作、これ馬鹿の根源にして、豊作化への介入を、皆無にしつらえいく様、豪農とその長兄の間、運命の連帯印象が常。
秋田のこれらですら、一切、触れぬ、雲上なる飛車角、夜空の虚ろ船が、役人の素性に相応。
なかりせば、秋田は食道までが米の庫と成り果てての窒息死が未来。
秋田は外貨で、どこの市にも攻めずだった。
日本各地の市は難波への上納を通じ、思考を大いに躍動させていた、が基本だった。
栃木がイチゴで得た外貨は、江戸への移民費に充てられていた。
長野、松本辺りは、農業行政への気合入れが、難波への輸出で得る利益と認識していた。
価値が認められた物をよその市に渡す、が意味するところとは、長期出産事業の大成功也、との事。
言及せざるべし産道価値文、にして重く捉えていた。
ねおの五階から七階にかけての吹き抜け構造の内に建ちし神楽かぐら、舞台の壁。
この色にて、新品である石は山科区の御陵みささぎ、駅の北側の採石場から。
“星野リゾート界加賀かいかが”
素材、黒檀こくたん、の黒きは、
これを上回り、月伝来の化学塗料で、思考を止める程の黒さに。
壁を走る黒い線は、幾何学への服従を、視認者に訴える際、服従の所以は視認者の瞳孔拍動、素材自らによる服従必要性、いずれなるか、との問いを唱えてくる。
壁の色は金星技術製の石膏せっこう、で純白。
神楽舞台を囲む、非対称六角形な壁、五、六と、六、七階の間の幅が、こうした白、黒しつらえ。
太い横柱は無しで、細いののみ。
幅は二・五米と、二・七米。
それぞれの上の柵は九十糎、八十糎と実に低く危険。
人様のご頭部をあなたは俯瞰すとの危険なお足場を、正にここで、。
柵は難波の家具意匠と上海の建築業界の一提案意匠の、折衷せっちゅう、案。
壁の意匠は十五世紀に聊城リョウジョウ、上海、難波、京。
神楽舞台の四角の傍を、これ程太い、黒い梁が走っている。
一、二、三、一本が高さは上から約四十糎から百糎を斜め方向に走り去っている。
梁を見る者が、根を追うと、例えば柱に刺さっている。
設計者は、追わしめたかった。
芸能を催す場と即座に想像せしめてくる神楽舞台の立脚功利に無貢献であると思われる、角から上空での、滑空や交錯の果て、それらの終わり、止め実態を。
太い梁は、無根拠な指摘を、無制限に浴び続ける。
芸能の傍にこだます、不作法段階から作法判定にかけての印象が、いちいち投票箱に告白されずであるが故に、透明粒子にて浮遊中である、正当講評を歪め得る、恐れを。
それは例えば、いつまでも執拗に、健気に儚く、到達済みである天女の羽衣風格をまだ知らずのまま奔放に、などと分類可能。
芸能舞台との素性を容易に想像せしめてくる構造の四角の傍での滑空物、舞台立脚功利への無関係剛毅印象は、芸能の修練功利にとって、無効能、攪乱的に振る舞う人間の抗いや疲弊を、招集発令せず。
これとの、舞台と梁の間の、滑空事実、無関係さを以ってして、念願なる神楽舞台と見なす者達が存在する。
芸能修練とは無縁ながらも、かつて講評家気取りとの、芸能興行不可避なる業を抱きし者等である。
芸能を理解せずでいながらの、理解試行者は、その頭部に俯瞰上、大量の憤懣粉塵の存在を指摘さる。
この粉塵は、舞台と梁の間、相互無関係を歌う滑空事実を、不動正視能わず。
その故、粉塵は実に無能、が宿る先は、遠く難波の建築素材卸屋の研磨区画の角の花立。
とにかく、絶対に、憤懣粉塵は、滑空事実を不動正視出来ず、ある二つの壁を反射しつつ下降していき、木炭の粒子吸着作用の餌食となる。
二つの壁は常識が形成しており、“能力が不足している事なら自覚している筈だろう”、また“さり気無く正視能力を雑多衝動から徴発し、正視を実施していくなどはしたない事だ”、とこれらに憤懣粉塵は跳ね飛ばされ続ける。
反射はいつまでもは続かず、“芸能周辺に在っては、我が講評は、頭蓋を支う脊椎に咲く花也”との人間のさり気無い願望に、憤懣粉塵は漂着しゆくが、その願望とは、森に生える木の願い、紫雲御殿の御柱みはしら、が我が未来と、真に剛毅。
人間のさり気無い願望は、真に剛毅にて、憤懣粉塵を吸着す。
必ず、かくなる指摘は成立を見る。
居酒屋の店主のさり気無い願望は、難波の酒の卸屋での飛車角前掛けなる日々。
これは、憤懣を、容易に吸着す。
芸能興行の周辺に立つ、芸能を理解せずでいながらの、理解試行者の頭部の全ては、舞台の角を滑空浮遊する梁を正視出来ない。
含意の理解に至らずであった正視上疲弊を推力に、宿している憤懣粉塵は、幼い、さり気無い願望に、吸着されいく。
こう在って欲しい、との願いに吸い込まれていく。
ところで、この場では、誰もが、さっさと梁の根を見やってしまっている。
どこに、刺さっているのか、と。
見やりと、吸い込まれは、相互に共振す。
とにかく、それ故、憤懣粉塵は、概括、柱による梁支え力に梁は頼っている、に吸着されてしまう。
全く容易に、幼子の手を捻るが如く、成りしそれに。
芸能を修練をせずであるながらの、講評家気取り者のつけ上がりは、憤懣粉塵化を経て、黒い梁により吸着され、黒い物体の中に監禁されてしまう。
黒みを剥かれゆきたる月、当人はどうなるだろうか。