穏便内容は隣のスレに移転済み。
そして私は“編集トップ”画面を数カ月、見ないので赤文字は目に痛く無し。
難波港に出入りした形跡を有する船は、
Pau地下発宇宙船:既述
オランダの配下として動くスペイン商船:既述
フランス船籍を装いし金星船籍船:極めて不定期
紅海船籍船:年に一度
アメリカ、シアトル船籍:三年に一度、九年に二度大編隊、二十年無し、三年、五年おきに小型船
メキシコ:三カ月に一度、三年に二度
エクアドル船籍:十年に一度、三十年に一度、大型船
上海から香港にかけての明代、それぞれの市籍船:二、三日おき
九州、四国及び瀬戸内海に面する全藩の船:しょっちゅう
で、難波を訪れた国籍に関してまで言及をするとなると、ただの無計画旅行と、公的検分団との差異を、当人の視神経のご力みにまで深入りする事態となる。
切りが、無い。
答えは、世界中からの訪問があった、なんだ。
ドイツ、オランダ、ベルギー、フランス、スペイン、ポルトガル、イタリア、スイス、オウストリ、リヒテンシュタイン、イギリス、アイルランド、デンマーク、地中海の商人区分け全種、紅海の商人区分け全種、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、マレーシア、ブルネイ、ロシアのウラジオストク、アメリカのサンフランシスコとシアトル、明の内陸への深みは長春、鄭州、長沙、南寧。
北海道からの物流路は津軽つがる、海峡を越えての陸路だった。
東日本各地からの物流路は、全て陸路。
琉球は明に服属しており、上海船籍が琉球産の黒糖、大量を定期的に難波の商社へ納入していた。
難波から上海への支払いは、民度立脚関節形成価値、物、知見、芸能、あらゆるを自由に難波から持ち帰ってもまだ尊大、権だった。
上海の銀行公司が、長い時間をかけ、大量であった作為結果、牌はい、を琉球に配り続ける。
自ら学びいく自己、立ちゆくとの成文の唯一の栽培法、そして他者、唯一の栽培法と識別しつつ。
機を見付けては、栽培の実践を選ばねば、自己に宿る、はしたない、生殖功利への貢献精管観念は、不潔さで危険に晒されいく筈、との危険を導きつつ。
清潔功利に向けて機を、利用した、との指摘を受けずには、ただ栽培への真剣邁進あるのみ。
判明、琉球は根深く、馬鹿。
上海は呆れ、琉球を見限った。
岩手、福島の船は経済力の貧しさを理由に、難波湾を訪問してはいない。
難波の貿易交易相手市は、首位が上海、次席が博多、次が名古屋。
以降はその他、京を含めた無数市の貿易額が拮抗している。
難波が上海に求めしは、派手な在り様へ受容的、そして需要的に振る舞う、広大大陸への番頭役だった。
明代より沿岸各市に集まる、希少珍味を含めた食品、政経判断の気風を告白するあらゆる家具、伝統芸能に仕える装飾品、武術の璽奥告白書籍、伝統芸能の璽奥告白書籍、伝統、現代料理の璽奥告白書籍が上海より難波へ渡っている。
難波はこれらへ好奇の視線を向けつつも、主眼であった、経済と人間の間に駆け込みいく、非人間さを霧散する、人間のしなやかさへの貢献度を冷徹に計りいく。
難波、上海貿易は確かに難波が欲していた利益をもたらしていた。
それはまだ尊大、鷹揚で在り続ける、検分意欲充満人が、政経判断が寸法を図らずのまま供給され続ける時代へ頼り切りての、政経所掌人の野放図な未来構想中座敷だった。
上海からの到着物は、確かに難波が貰い、検分に処す。
経済と人間の間に、人間のしなやかさが、非倫理であるが自動的に充填され続ける事態が欲しい。
政経所掌人は、野放図な未来構想中座敷に籠る一方。
難波政経人が、職務脊髄から慶んだのは、上海が集約する明、清、内陸深みよりの料理、確実な集約事態だった。
人の頭部を、現実、経済労働の時から、私的くつろぎの時に向けて、ゆるりと、平然と、お仕えになる、湯気放つ料理の調理法を大集約する、との非倫理的なる、果汁を絞りてのロウトの下の樽が難波、故に未来永くにかけて多くの人の首と頭部の間があにや。
上海が難波との関係から欲していたのは、首席は、政経の発展に向けての、最小負荷、最大功利選択と、これを支援する様を外界へ自然発表し続ける厨房周辺利器と衛生用品、との長文成立化条件だった。
次席は、民族間不和を霧散、鎮撫しゆく卓効と、これを包む文化的好奇視線との薬包紙の相関が優秀な文化、建物の設計、物事の行間、店員との相槌作法、食品、料理、逸話、何でもだった。
上海政経、高層階層者は名古屋、江戸には近づかず、との判断を選び続けた。
臨沂リンキ、商丘より北方、謎の奇病と大狂乱政経。
上海政経、高層階層者のみ、正確識別を希望したる薬包紙、無数枚の表記曰くは、幼き、願望を、実際表明せしめたるは、より幼きそちら、なれど、実際表明は、臨沂、商丘より北方の青年女体を連続無視の所以を、幼さ勝負の発生条件に頑迷指定。
北方の放置は、次なる大狂乱企画の的を上海に、幼く選びいくやもしれぬ。
江戸への接近を上海が選びいく条件へ、なだれ込みいくとなれば、幼さの根源は如何なる選択を。
上海は、北方への地下支援を選ぶ、事にする、際の判断すら、透明化措置を施し、幼さの視線から身を隠す。
完全な一人思索の時に、思考負荷の霧散利益を選ぶとなれば、上海政経、高層階層者は一人残らずが、それぞれの表現にて、京、医療機器商社の顧問家系、人との境を踏み荒らせしとの逸話無数を平然とまといたる、伝説のキチガイ共、当代一家を、手投げ槍の的役に立たせる。
外星人と京、共同企画なる都市計画に障りしが、北京が集約する、広域に広がる戦史気質。
して、公卿殿らは何をお選びか。
狂っとるぞ。
江戸は、徳川の二代目、秀忠の代から交際を求める書簡を上海に送り続けていた。
上海は断っていた。
毎度必ず、上海政経、高層階層者の眼前に届けられるが、入念吟味の後の上海の意思は変わらなかった。
電話を通じ、上海の僅か一名、二名のみが、京を相手とした唖然、絶望なる事態を知っており、上海、江戸関係を、上海が難波に仄めかしての、論外である、梱包材、月製のぶ厚い幕、はためかし仕草で、事態の簡明化を図ろうとしていたが、選ばずとした。
危険過ぎる、と。
徳川幕府が交際を渇望した相手は、上海、北京、難波だった。
いずこよりも、お断りを、頂いておられた。
何でもを、ほふって下さい、と云われずのまま、ご脳髄自らが、お在りなままの、ご振る舞いにて、高級駝鳥。
これが難波が明かさざる、上海への要求だった。
満たされていた、らしい。
駝鳥は乱獲でもう絶えている。