後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

金大中元大統領逝去

2009年08月19日 | Weblog
まずO君の実家(佐用町)が大水害に被災されたことを
改めてお見舞いしたい。
ご両親のお命が助かった経緯は
前々回の「コメント」にO君が文章を寄せてくれたので
生々しい報告をぜひご参照願いたい

振り返ってみれば、不思議おじさんの青春時代は被災の連続だった
高校に入学してわずか2週間後に校舎は全焼した
授業は焼け残った体育館を間仕切りした教室や
隣の今津中学校の音楽室などを借用して行われた
校舎が再建されたのは2年生の秋ぐらいだったと思われる

中学三年生の秋には
第二室戸台風が近畿を縦断した
築150年の旧家の葦葺き屋根は
厚さが1メートル近くもあったのに
吹き抜けた暴風の力は凄まじく
畳6畳ほどの穴がぽっかり開いた

貧しさに苦しんでいた両親だったが
1年後に再建を余儀なくされ
不思議おじさんは無人の小さなお寺で暮らした
今ではJR「新旭駅」の駅前だが
当時は人家もほとんど無く、
竹薮と高い木々に囲まれた“恐ろしい”場所だった
葬式(土葬)の諸道具がお寺にはあり
夜寝るときの怖さは今思い出しても身が竦む

金大中元大統領が亡くなった

2000年の2月
駐大阪韓国総領事から郵便を受け取った
それは1500人の署名を集めて
金大中大統領に宛てて嘆願書を提出した返事だった
宛名を墨書したことを覚えている

嘆願が聞き届けられたことは
日本のマスコミ(毎日新聞)や
韓国の主要新聞・テレビで報じられ
韓国のテレビが不思議おじさんのところまで取材に来た
詳細はhttp://www.nurs.or.jp/~kbj/new_page_3.htmで

その後は、想像をはるかに超える目くるめく展開があり
韓国の文化人や市民との交流が続いている

そんなことを思わず思い出した

ノウゼンカズラは
藤野明先生のお庭から
株分けしていただいたもの