無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

あなたに迫る悪魔の“魔の手”

2019年02月27日 | Weblog
上のタイトルは「朝の朝刊」「馬から落ちて落馬して」と同じダブル表現、とは思ったがそのままにした。

日本の世界報道の自由ランキングは、最近、政府の文書改竄やら統計不正やらを報道しているおかげで、2018年度はめでたく8ランク上がって64位に浮上した。(これでも低くない?)



だが、日本のテレビ・大新聞は政府側の見解を垂れ流すだけで、正義の名のもとに政府を糾弾することは全然していない。

モリカケ問題然り、公文書改竄然り、基幹統計の不正然りである。挙げれば切りがない。

だから、国民は「野党はいつまでモリカケやってんだ!」となり、正体を完全に表している黒幕のほうに目が行かなくなっている。

官僚や小役人の不正になって片付いてしまう。

今日は、最近の政府による東京新聞言論弾圧事件の記事を例にとって話していく。

事件と書いた様に、この事件は日本国民の知る権利が無くなるかも知れないという大事件なのに、当の本人(大新聞)の報道は、

◎東京新聞記者に菅官房長官「あなたに答える必要はない」

官房長官会見で記者が質問中に会見進行役の報道室長から「簡潔にお願いします」などと言われることが「質問妨害」にあたるとの指摘について、菅義偉官房長官は26日の記者会見で、「妨害していることはない。質問の権利を制限することを意図したものではまったくない。質問にしっかり移ってほしいということだ」と述べた。(朝日新聞デジタル2019年2月26日)

朝日の記事を読んでがっかり、政府批判記事かと思ったら、これでは政府見解の垂れ流しではないか!

前に載せたYou Tubeの動画をもう一度貼り付け(↓)
【辺野古土砂投入開始日】東京新聞 望月衣塑子記者 vs 菅官房長官 2018年12月14日午前 記者会見

見るのが面倒な人のために画像で、


望月記者の質問は上の妨害後の22秒で終わっている。
それに対して菅官房長官の回答。(↓)

次の質問は?にもう一度望月記者「関連ですが・・・」と質問開始、


この質問に対して、菅官房長官の回答。(↓)


望月記者の質問の仕方云々を問題にするよりも、2017年から続いている東京新聞望月記者に対するマイクによる質問妨害する会見進行役や菅官房長官の「あなたの予測に答える場ではない」発言のほうがあなたにとって重大な問題なのに国民、特にネトウヨや安倍応援団は気が付かず、菅氏の肩を持ち望月記者を貶すことに余念がない。

菅長官のこの場合の回答は「そんなことは考えていません」の一言で済む話なのに、「あなたの予測に答える場ではない」と望月記者の質問自体を否定する。独裁の兆候である。逆に質問自体を否定することで「怪しいな。やっぱり望月記者の言う通り、そう考えているんじゃないかな。」と勘繰られてしまうのに・・・。
(前の質問の「今お答えした通りです」がどんな回答だったのかがこの動画では分からないためコメントは略す)


こんどは、当該事件に関する批判ブログを載せる。


官房長官の菅義偉は26日の記者会見で、東京新聞の記者から「この会見は一体何のための場だと思っているのか」と問われたのに対し「あなたに答える必要はない」と述べた。

首相官邸側は東京新聞や記者クラブへの文書で「この記者は事実に基づかない質問を繰り返している」と主張している。

記者の質問は「会見は政府のためでもメディアのためでもなく、国民の知る権利に応えるためにある」などとして、見解を尋ねる内容だった。

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菅義偉は傲慢の極みだ。

記者の質問に「答える必要はない」と言うのであれば、記者会見が成り立たなくなる。

突然変異で官房長官になったためか、彼は「官房長官」の何たるかを心得ていない。

官房長官は内閣のスポークスマンだ。
首相に代わって内外の出来事の疑問や質問に応えるのが最大の仕事だ。
それをわきまえていたら「記者の質問に答える必要はない」などと言う愚かなことを言うわけがない。

それにしても、お粗末にもほどがある。安倍政権は内閣の体をなしていない。
少しぐらい知性を持ち合わせた者がいないのか?

常識も、マナーも、ルールも、何も通じない無法地帯だ。


あなたも、上の茶色の一行に書かれている今の国会の現状を噛みしめてほしい。

極端に言えば、あなたは国会に巣食う悪魔の毒牙にかけられようとしているのです。

この「悪魔の“魔の手”」からあなたが脱出する方法はただ一つ、選挙で自民党に投票しなければ良いのです。簡単でしょ?

それが、私が何回も載せている、

◎安倍自民党政権がある限り、私は他の野党を批判する気にはならないだろう!

との言葉になるのだ。

今日はここまで、またね。