今朝もウォーキングに行って、3,800歩ほど歩いた。
歩いているときに、今日は動物園に行こう、と思った。
その動物園は家から近くにある。
息子たちが幼稚園児の頃、家族4人で行ったことがあった。
そのときのことはあまり覚えていないが、
大きな恐竜の像があるところで息子たちが泣いたことだけは、覚えていた。
あの恐竜の像が今でもあるのかどうか、調べに行きたいと考えた。
ところが、女房がネットで動物園のことを調べると、
予約しないと入れないことが分かった。
そりゃそうだ、コロナだもんな、と動物園行きを諦めた。
8月のときから、庭の芝が伸びているな、と気になっていた。
ブロックやレンガに当たるところが異常に伸びていた。
しかし、8月は暑い、涼しくなったら切ろうと思っていた。
それで今日、伸びた芝を刈ることにした。
植木鋏で切った。
そして、畑に植えてあるミニトマト、ピーマン、ナスの木を抜いた。
抜いて畑がサッパリした。
私が庭で植物たちと格闘していたときに、女房はメロンパンを焼いていた。
夕方、女房が芝刈り機で芝をカットしてくれた。
そのとき私は、扇風機2台をバラして箱に収納した。
これがなかなか難しかった。
タネを撒いて伸びたヘブンリーブルーの余分だったものを、花壇に植えておいたら咲きました。
メロンパンです。
今日、テレビ東京で放送された映画「日日是好日」を女房と観た。
(原作 森下典子、監督・脚本 大森立嗣、出演 樹木希林 黒木華 多部未華子)
「日日是好日」という言葉はいいですね。
茶道というものは、いろいろ作法が細かくあり、
映画を観ていてめんどくさいものだと思った。
しかしそれを長くやっていると、何かが心に芽生えてくるのですね。
ぼんやり生きていたのに、いきなりがんだと宣告され、落ち込み、
手術を受け、退院して家でボーっと暮らしている私にとって、いい映画でした。
今朝、6時半からラジオ体操をやった。
病院のベットで寝起きしていたので、身体が硬くなっていて、腰痛にもなっていた。
私は、入院する前まではラジオ体操をほぼ毎日やっていた。
入院する1週間前ぐらいからやってなかった。
今日からまた毎日やろうと決めた。
ウォーキングを、7時過ぎてからやった。
家を出て図書館のほうへ行って、西友の前を通って帰って来るコースだ。
スマホの歩数計で4,000歩ほどになる。
午後2時過ぎに、違うコースでウォーキングをした。
途中、図書館に寄り、女房から依頼のあった料理のレシピの書いてある雑誌3冊と、
私が読む小説2冊を借りてきた。
現在図書館は、最新の雑誌・新聞が読めない、イスに坐って読んではいけない。
30分以上図書館にいないこと、というルールになっていた。
早く、新型コロナ感染拡大が終息してほしい。
しかし私は、複雑な思いを胸にウォーキングをしていた。
マスクのことです。
私は、1人で歩いているのだから、マスクはしなくてもいいのでは、と思っている。
しかし、マスクをした人に会うとまずいと考えて、マスクをして歩いた。
でも、朝が早いときはほとんど誰にも会わなかった。
息も苦しいので、マスクを外した。
午後のウォーキングは、マスクをして歩いた。
マスクをしてウォーキングをするのは、息がしずらくて辛かった。
今日のスマホのウォーキングのアプリの数は、「11,847」歩だった。
午前中、ショッピングモールに2時間ほど行っていた。
それとウォーキング2回の合計の歩数です。
歩くことは楽しい、明日も歩きます。
今日の16:53に九想庵を訪ねたら「202222」人目の旅人になった。
ちょっとこの数字は珍しいので、スクリーンショットで保存した。
多くの方は、直接九想話に来るのでしょう。
何人かの旅人は、九想庵を経由して九想話を訪ねてくれる。
なので毎日少しづつ旅人の数は増えている。
1日に10人から20人前後です。
その数字を私は、毎日うれしく思いノートに記録しています。
旅人のみなさま、これからも「九想庵」をよろしくお願いします。
昨日、尿管を外されたのでオシッコの管理を自分でしなければならない。
膀胱の腫瘍は取られたので、頻尿ではないはずだが、
1時間も時間がたつと心配になり、トイレに行った。
「水分をとってオシッコを沢山出して下さい」
と看護師にいわれていたので、水分をとるようにしていたせいもある。
消灯になってから2時間おきに目が覚めてトイレに行ったので、よく寝られなかった。
ラジオ深夜便のお世話になった。
朝5時から寝ることを諦めた。
今日は退院だ、とあらためて喜びを感じた。
7時過ぎ、薬剤師の人が「今日、退院ですね」とお薬手帳を持ってきてくれた。
男性の看護師がきて、体温と血圧を計ってくれた。
7時半、朝食が運ばれてきた。
私は、これが最後の病院食だと思って、“まずさ”を味わって食べた。
9時7分、「ナースステーションに行ったら、ディルームにいるようにいわれた」
と女房からのLINEメッセージがあった。
ディルームに行くと女房がいた。
病室に戻っていると医師がきて、「いよいよ退院ですね」といってくれて、
退院後のことを話してくれた。
私は、アルコールは飲んでいいかどうか訊いた。
「食い込んだ腫瘍をとるために、キズが深くなりましたので、次の外来まで控えて下さい」
がん友から、それを確認するようにLINEがあったので訊いたのだが、やっぱりか・・・。
私は次の外来にくる10月7日まで、アルコールと縁を切ろうと決断した。
女房が病室にきて荷物をまとめた。
4階の泌尿器科の窓口に行き、診断書作成を依頼した。
1階の入退院受付で手続きをすませ、私と女房は病院を出た。
昨日までは、家までタクシーで帰ろうと予定していたのだが、私の希望でバス・電車にした。
病院のある町から坂戸駅までの越生線を、私は乗ってみたかったのです。
若葉駅で途中下車して、ワカバウォークで昼めしなどの食材を買った。
バスで私が住む住宅街に入ったとき、私の胸は熱くなった。
おれは帰ってきたんだ、この町で、生き直そう、と思った。
午後は、テレビで野球や相撲を観たりしたが、ほとんど寝ていた。
夕ご飯のおかずは、私の希望で焼き鮭・肉じゃが・冷や奴が並んでいた。
とてもうまかった。
しかし、ノンアルコールビールが、ちょっぴり寂しかった。
>シリーズ初の国内編!神戸・西神中央駅に置かれた一台のピアノ。
>コンクールに出場する小学生、浪人生と母、
>クイーンが大好きな経理の女性・・・どんな思いで曲を弾くのか!
今、ベットに寝転びながらこのテレビを観た。
観ていて涙がこぼれました。
退院したらピアノを練習したいと思った。
最初に入院したのは27歳のときで、東京の練馬区の病院でした。
8月のお盆が終わって茨城の実家から、
豊島区のアパートに帰る電車の中で下腹が痛くなった。
夜、病院に行くと虫垂炎ということで、翌日入院、手術となつた。
2番目は38歳で、所沢の病院です。
秋だつたと思う。
タクシーにバイクでぶつかり、救急車で担ぎ込まれた。
3番目が40歳で、所沢の別な病院。
会社の健康診断で胆石があることが分かり、自覚症状はなかったが腹腔鏡手術を受けた。
4番目の入院は58歳だったかな、埼玉県の狭山市の病院です。
鼠径ヘルニア(脱腸)でした。
5番目が4年前の64歳、長野県佐久市の病院で、
最初の下肢静脈瘤の手術をした。
そして6番目となる今回は、埼玉県M町です。
ここを退院したら、もう入院はしたくない。
写真は、10階の病室から撮りました。
窓際で眺めがいいです。