酒はやめられない

2010年12月22日 | 健康・病気
本日、私は浅間病院に行く日でした。
9月29日に行って、今日が予約日になっていました。
あれから尿酸値を下げる薬物は飲んでます。
なんか薬物と表現すると〝麻薬〟みたいですね。
言葉って面白いですね。
なかなか中毒にならずに、かなり飲み忘れがあります。
9月に調整した数量をいただいたのに、まだ沢山残っている。
こんなことでは尿酸値は下がっていないかなと不安でしたが、
4.9と下がっていました(正常値2.5~8)。
よかったよかった。

ところが、他のことを医師に指摘された。
γ-GTPが112(正常値16~73)。
ブドウ糖が130(正常値70~110)。
これはアルコールの摂取しすぎだそうです。
30代前半の医師に注意されてしまった。
こんど、3月16日に血液検査することを設定された。
それまでに、お酒を控えなければなりません。
でも、タバコをやめた私です。
酒ぐらい飲まなければ生きていけません。
いや、もう生きていく必要もない…、か。
息子を成人にしたし、女房はおれなしで生きていける。
女房の収入より、私の収入のほうが少ないのです。
いつ死んでもいい。
だから飲んでやる。(とムキになってどうする)

まあ、飲むことをやめることはできないので、内容を変えようと思う。
日本酒は少なくして(やめると書けない)、焼酎・ウイスキーにしよう。
これってまったく科学的根拠はないけど、なんか日本酒のほうがキツイ気がする。
焼酎・ウイスキーを薄く割って飲みたいと思います。
みなさま、それでよろしいでしょうか。
そんなこといっても、みなさまには関係ないことですね。
九想が酒で死ぬなら勝手に死ね、という感じですよね。

あ…、それにしても、タバコはやめられても、
酒をやめることはつらいなァ。
やめなくても、少なくすることがつらい。
困ったもんだ。
あ…、タバコが吸いたい。

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トンボのゆず湯

2010年12月22日 | 健康・病気
今日、病院から帰って、車のオイルを交換して、
家に帰ってからトンボの湯に行った。
9月に1年の定期点検のときオイルを取り換えてから5千キロ乗ったのです。
ずいぶん車を乗っているのだなと思う。
松本・戸隠に行ったし、東京にも何度も行った。

今日は冬至、トンボの湯では20日からゆず湯をやっている。
いいですね。
湯船に大量のゆずが浮かんでいるのは豊かな気持ちになります。
> 4日間で合計5000個以上のゆずを浮かべます。
と、トンボの湯のサイトには書いてある。
今日は、どちらかというと露天風呂より、内風呂に長くいました。
こういうことを味わえるということは幸せですね。

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香川照之

2010年12月22日 | 健康・病気
香川照之という役者がこのところ気になっている。
この前までやっていた「龍馬伝」では岩崎弥太郎を演じていた。
現在放映している「坂の上の雲」では、正岡子規を演っていた。
(私は、仕事で正岡子規が死ぬところを観られなかった)

「ラストデイズ」(NHK総合22:00 ~ 22:50)
「壮絶・松田優作の最後の日々▽秘められし生い立ち
 ▽香川照之が優作のナゾに迫る」を観た。

私は、なぜか松田優作の映画を一度も観ていない。
なので彼の演技を知らない。
松田の評価の高いことは知っている。
だけど、演技を観ていないので理解できない。
今日の番組を観ていて、それが少し理解できる気がした。

松田優作は、父親を知らない。
在日韓国人の母親から生まれた。
下関の遊郭で育った。
香川照之は、三代目市川猿之助と女優浜木綿子との子どもだ。
2歳のとき両親は離婚した。
大人になって初めて歌舞伎の劇場に父に会いに行ったときに冷たく、
「お前は自分の子どもじゃない。おまえと別れておれの人生が始まった」
と言われたらしい。
香川照之という役者のこれからを観ていきたい。

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いのちの乳房

2010年12月21日 | 健康・病気

朝、なにげなく観ていた「とくダネ」(フジテレビ)で、私の心が凍りついた。
いのちの乳房」という写真集を取り上げていた。

「乳ガン」「全摘」「乳房再建」
私は、病気のことを取り上げたテレビ番組や新聞や雑誌の記事が苦手です。
観ていて、読んでいて、辛い。
私や私の家族はそういうことから縁なく暮らしたい。
できることなら、そういうものから目をそらして生きていきたい。

主婦が乳ガンにかかり、命を救うには乳房を全部摘出しなければならない、といわれる。
最初は抵抗するが、家族に説得されて手術をすることにした。
手術をして命が救われた。
そして、医師に勧められて乳房再建手術を受ける。
女性にとって、乳房という存在とは?

アラーキーの写真が美しい。
いや、モデルの表情が活き活きしていていい。
こういうことから目をそらしてはいけないと思った。

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夜の酒場の紙芝居

2010年12月20日 | 健康・病気
にっぽん紀行(NHK総合19:30 ~ 19:58)を観た。
「心に響く夜の酒場の紙芝居▽祖母へ」
温水洋一が案内役だった。

名古屋のある居酒屋で〝出前の紙芝居〟が静かな人気を呼んでいる。
仕事帰りの会社員らの心を癒している。元気づけている。
紙芝居をやっているのは、大学を出て東京の商社で何年か働き、
挫折して岐阜に帰り、現在は寺の住職をしている男性だ。
彼は、今の世の中で自殺をする人が多いことに心を痛め、
心が疲れた大人が元気を取り戻すきっかけにしようと紙芝居を始めた。
紙芝居はすべて自分でストーリーを作り、絵も描いている。

夜の紙芝居で元気づけられている何人かの人を紹介していた。
ある会社の営業部長の話が印象深かった。
その人は50歳。2人の子どもがいる。
親元で暮らす長女は大学4年で就活をしていて内定をもらった。
東京で暮らす長男も大学4年、まだ内定をもらっていないという。
その長男が心配でしょうがない。
そんな気持ちで居酒屋に行き、紙芝居の男性に息子の話をすると、
ある紙芝居を演じてくれたが、どんなだったか私は憶えていない。
このとき女房から電話が来て、話していてTVが分からなくなった。
女房が会社から家に帰ってきて電話をくれたのです。
(電話はTV番組の間にして欲しいですね。こんなこと彼女に言えませんが…、
 言うと、TVなんか観てないで小説でも書けば…、とイヤミを言われます)

子どものとき、祖母に世話になった女性がその祖母の介護をしている。
しかし、その祖母は現在認知症になり、毎日大変なようです。
その祖母との楽しい思い出も、今の介護の苦労のせいで楽しくなくなり、
祖母を恨む気持ちにもなってしまっている。
そんなとき、「夜の酒場の紙芝居」を観て、………。
このへんも女房と会話していてよく理解できなかった。

きちんと報告できなくてすみませんが、
なにしろ「夜の酒場の紙芝居」は、名古屋のその居酒屋に来る客の心を、
癒して、元気づけているということです。
いい話ですね。
私もその「夜の酒場の紙芝居」を観てみたいです。
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ウイスキー

2010年12月19日 | 健康・病気
仕事が終わってから軽井沢のツルヤによった。
晩飯の食材を買うためだ。
そのときなぜかウイスキーが飲みたくなった。
ここ何年か、(何年かなんてものではない、
20年ぐらい、いやそれ以上か)ウイスキーを買っていない。
最近私の買うアルコール類といったら、日本酒、焼酎、ニセビールだ。

今日の晩飯のメニューは、恥ずかしくて書けません。
それをつまみに久しぶりに飲んだトリスがうまかった。
私は夜、ご飯を食べない。
おかずとアルコールだけです。

20代の頃、23歳で死んだ龍彦と買って飲んだのはサントリーレッドだった。
新宿、池袋のコンパ(昔こういう形式の飲み屋があった)などで飲むのは、サントリーオールドだった。
私の25歳の頃からウイスキーより焼酎を飲むようになった。
居酒屋ではウイスキーなどを置いている店がなくなった。
焼酎のほうが料金が安いからでしょうね。

最近、ハイボールが飲まれているという。
サントリーもニッカも、ウイスキーを増産しているとニュースでいっていた。

私は、アルコールが好きだ。
いろんな種類のものがあったほうがいい。
高いものは飲めませんがね~。
それにしても、私がウイスキーを飲むときは必ず愛用していたタバコがない。
なぜないんだ。
昔の自分だったら考えられない。
失恋して、タバコを吸ってウイスキーを飲む。
これが私の若いときの姿でした。



みなみ らんぼう/ウイスキーの小瓶


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三浦一馬

2010年12月18日 | 健康・病気
トップランナー選( NHK総合23:30 ~ 00:00)
「悪魔が発明した楽器?バンドネオンを奏でる20歳好青年・三浦一馬▽超絶技巧」を観た。
世の中すごいことを何事もなく(表面上)やっている人がいるんですね。

私は、バンドネオンという楽器のことは知っていたが、
構造や弾き方は知らなかった。
大変な楽器です。
むかしから「悪魔が作った楽器」といわれているそうです。
彼が弾いていたバンドネオンは、右に38、左に33個のボタンがあった。
音階を弾くボタンの規則性はない。バラバラめちゃくちゃです。
同じボタンを押していても、
蛇腹を引っ張るときと押さえるときでは音程が違う。
「おら、こんな楽器はゴメンだ」という感じです。

三浦一馬は、10歳のときにテレビでこれを観て弾きたいと思ったという。
テレビで弾いていた人に連絡をとり、教えてもらうことにした。
両親は、ピアノの教師をしている。
そういう環境だからですかね。
こんな息子が欲しかった。

私も、息子たちが小さいときから家でギターやケーナをやっていた。
そのせいか、Uは、大学のグリークラブでうたっていた。
Kは高校生のときからギターを弾き、大学ではバンドでベースを弾いていた。
しかし、それだけです。
現在はあまり音楽に縁のない生活をしているようだ。
私も少しだけ夢見ていたことがあった。
息子が音楽で生きるなんてことがないか、と。
親がこんな親だから、息子もあんなもんですね。

Kazuma MIURA Bandoneon Obivion



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浅草からスカイツリー

2010年12月17日 | 健康・病気
なぜかここんところ年末に浅草に行っている。
女房は年末になると浅草に行きたいようだ。
私としてはそれほどでもない。
まぁ、彼女の気持ちを立てて付き合っているようなものだ。
半月ほど前に「こんど東京に行ったときは」などと話していた所は、
表参道や六本木ののイルミネーションだった。
それがつれあいの意見で羽田空港に変更になった。
再び〝国際化〟された羽田を見ようとなった。
なので、昨日の朝のうちは浅草から水上バスで品川まで行って、
それから羽田空港に行く予定だった。

家を9時過ぎに出る。バスで清瀬駅まで行く。
それから西武池袋線、地下鉄有楽町線で池袋まで行った。
ホントなら西武池袋線だけでいいのですが、女房には通勤定期がある。
なので有楽町線で池袋駅まで行かなければならない。
平日の木曜日なのに池袋は人であふれていた。
まるで冬の軽井沢の人口より多い(そんなことはないが)感じがする。
ヤマダ電機(元三越デパート)の中なんて人でごった返していた。
池袋から浅草雷門まで都バスで行く。200円で行ける。

浅草に降りると沢山の人力車がある。
これも流行りなのか。爽やかな青年が客を待っている。
いや、いなせな綺麗な女性もいる。
しかし、女性の引く人力車になんぞゆったりと乗っていられないだろうな。
仲見世は相変わらず人が多い。
日本語より、英語、韓国語、中国語などが飛び交っている。
明日から羽子板市が始まるということで羽子板があった。
女房がいろいろお兄さんから羽子板のことを訊いていた。
新築祝いにはこれ、体の弱い人に贈るのはあれ、などなど、
お兄さんの歯切れのいい東京言葉が気持ちよかった。
浅草の街並みからスカイツリーが見える。

去年までは、本堂に大きなカバーがされていて工事していたが、
昨日は綺麗になっていた。
女房は100円の線香を買った。いつも買う。
そのくせお賽銭は少額にけちる。私は5円だ。

隅田川に出る。スカイツリーが見える。
カモメが沢山いた。
交番でスカイツリーにどう行けばいいか訪ねる。
電車で一駅だが、歩っても2・30分だという。
私と女房は歩くことを選んだ。
酒屋の前にミニスカイツリーがあった。
空には、飛行船が飛んでいた。

スカイツリーの根元にたどり着く。
見上げると首が痛い。
現在、514m。あと120mも高くなるのだ。
まわりは下町の風情だが、スカイツリーが完成するとどうなるのか?

帰りは電車でと思い業平橋駅まで行ったが、やはり徒歩にした。
電車賃をケチった。そんなわけで初老の私たちは疲れました。
羽田空港はこの次に行くことにした。
なにしろいったん家に帰って、孫のクリスマスプレゼントを買って、
孫の住む家まで車で行くことにしていた。
池袋に戻ったのは5時前だった。
西武デパート地下の本屋に行き、絵本を買った。
あたりはすっかり真っ暗です。
ジイジとバアバは、帰りのバスでも電車でも熟睡してました。







 

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孫に会う

2010年12月16日 | 健康・病気

念願の孫にやっと会えた。
久しぶりに会った孫はよく喋る女の子に成長していた。
私と女房が息子の家に入ると「こんばんは」と迎えてくれた。
息子は会社から帰ってなかった。

「私の部屋あるんだよ」と孫の部屋へ案内してくれた。
それからリビングに行き、ずーと喋っていた。
大好きなアニメのこと話していた。
保育園のこと、友だちのことも話してくれた。

私の膝の上に乗って一緒に写真を撮ってくれた。
私は天にも舞い昇る気持ちになった。

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酩酊

2010年12月15日 | 健康・病気

すみません。

今夜は、すっかり酔ってしまいまして九想話が書けません。

申し訳ありません。

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