平成紅白歌合戦

2019年04月29日 | 健康・病気

私は、紅白歌合戦という番組を、どちらかというとあまり観てこなかった。
キライだからというわけではないです。
ただたんに大晦日のその時間に、テレビの前にいることがなかったからです。
今夜、こうやっていろいろ観てみると、
その年の自分がやっていたことを思い出し、いろいろ考えさせられた。
平成元年は1989年なんですね。
そのとき私は何をしていたんだろう?
確か、1988年に日本エルエスアイ(2年後、合併などがあり社名が変更した)という会社に転職した。
この会社は半導体製造機器の前工程で必ず使うハンドラーという装置を造るメーカーだった。
この会社に入れたことは、私の人生にとってよかった。
私は高校を出てからずっと零細企業で働いてきた。
でもその会社は小さかったがメーカーだったのです。
その会社の名前で製品を販売していた。
このことは大きかった。
それまで私のいた会社は下請けだった。
なのですべて仕事をくれる会社のいうなりでした。
私は、資材購買の仕事をしていたのですが、
納期のかかる部品があって、それと同等の他メーカーのものにするには
その会社の許可を得なくてはならなかった。
それにはかなりの面倒な手続きが必要だった。
それがメーカーだったらそんなことは関係なく、
社内の技術の者に事情を説明すれば、簡単に部品を替えられた。
メーカーというのは楽でしたね。
その会社は1998年に消えた。
私は転職して旭硝子の子会社に就職した。
そこが平成14年に消えてしまった。
そのあと私は、知的障害者を支援する施設で仕事をするようになった。
3年半で、その施設を経営する人とケンカをして退職した。
その経営者は、福祉施設で金儲けのことばかり考えていた。
そのあと足場機材をレンタルする会社、警備会社で働き、軽井沢に行った。
軽井沢から帰ってきて、職安の紹介でパソコン教室に通い、そのあといくつか仕事をして、
マンションの管理人をするようになった。
という、じつに情けない人生をおくっている。
さて令和の私はどうなっているのでしょうか?


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