映画「キネマの神様」

2023年03月29日 | 映画

今日、NHK-BSで放送された映画「キネマの神様」を観た。
(今日は、志村けんの命日なのですね)
私は、映画の「キネマの神様」が放送されるのを待ちわびていた。
それは原作を読んでいて小説に感動していたからです。
でも、映画を観てちょっとガッカリした。
原作とほとんど違うストーリーなのです。
映画のストーリーとしてはそれなりによかったのですが、
私としては小説のストーリーを映画にしてほしかった。

映画のストーリーは、賭け事の好きな主人公ゴウが借金で、
日々、妻(淑子)や娘(歩)に迷惑をかけていた。
若いときゴウは映画会社の助監督をしていた。
撮影所の近くにあった食堂の娘だった淑子はそこで働いていた。
いつしかそこに食べにくるゴウを好きになる。
映写技師のテラシンが淑子を好きになり、それをゴウは応援するが、
淑子はゴウが好きだった。
ゴウが監督になり、自分で書いたシナリオ「キネマの神様」という映画を撮ることになった。
しかし神経の細やかなゴウは、監督という仕事が勤まらずにその映画は作れなくて、
映画会社を辞めることになった。
そんなゴウを追いかけて、淑子はゴウと結婚する。

あれから約50年。歩の息子の勇太が、古びた映画の脚本を読む。
その作品のタイトルは、「キネマの神様」。
それはゴウが初監督の時、撮影から逃げた作品だった。
勇太はその脚本の面白さに感動し、現代風に書き直して脚本賞に応募しようとゴウに提案する。
最初は半信半疑で始めたゴウであったが、再び自身の作品に向き合う中で、
忘れかけていた夢や青春を取り戻してゆく。
そしてその脚本は、脚本賞の大賞をとった。
その賞金で借金は返せたようだった。
(でも、賞金の100万円で返せる借金だったのか? 借金はもっと多くないのか?)

それなりに心あたたまるエピソードがあり、私は涙など流して映画を観ていたが、
やはり、ものたりなさを映画に感じた。

助監督のときは、的確に映画への助言を監督にいっていたゴウが、
自分が映画を撮るときには下痢をして、映画を撮れなかった。
映画会社を辞めてからゴウは、どんな仕事をして生きてきたのか、描かれてない。
原作の小説では、住み込みのマンション管理人だった。
(その小説を読んだときに私は、マンション管理人をしていた)
若いときのゴウと78歳のゴウに違和感がある。
同じ人間が年を取ったとは思えない感じがあった。

一番感じたのは、あのゴウの役は志村けんにやってもらいたかった、ということです。
死んでしまったから仕方のないことなんでしょうけど、
沢田研二ではないな、と思えてしまった。

私の小説への感想は、2020年03月30日九想話「キネマの神様」を読んで下さい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする