にほん縦断 こころ旅 山口県

2021年11月03日 | テレビ

今週の「にほん縦断 こころ旅 とうちゃこ版」(NHK-BS 19時~)は、山口県です。
私は、昨年私の恩師の手紙が、この番組に採用されたことを九想話に書いた。
(2020年7月30日九想話「とうちゃこ 上野沼」)
それで私も、この番組に挑戦したくなった。
そして6月頃だったか、この秋に火野正平が山口に行くと知った。
それで私は、この番組に手紙を書こうと決めた。
龍彦の生まれた山口のことを書きたいと思った。

書いて7月にネットで手紙を送信した。
今週、月曜日から「にほん縦断 こころ旅」を観ています。
月曜日は、この番組に採用されなかった手紙を紹介していた。
私の手紙はありませんでした。
11月2日は「【山口】お気に入りの柱状節理」、
そして今日は、「【山口】秋の旅初!、こころ旅初の『大島』へ行く」だった。
明日は、番組予告では長門市ということです。
「にほん縦断 こころ旅」の予定では、山口県の次は九州で、
私が手紙に書いた錦帯橋のあるところは岩国です。
長門から岩国へは戻らないだろうと思います。
私は、私の手紙は採用されなかったんだと思った。
私の文章はつまらないから、しょうがないと納得した。
それでもせっかく書いた手紙なので、申し訳ありませんが、それをここに載せます。
みなさま、すみません。
つまらない文章ですが、時間のある方は読んで下さい。

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   錦帯橋

 私は19歳の3月のときに、東京の本郷三丁目にある試薬会社に就職しました。
 そこには同じ新聞の求人広告を見て応募した岡本龍彦という私と同じ年齢の
男性がいた。彼は、プロボクサーを目指して東京に来たということで、仕事が
終わってからボクシングジムに通っていました。
 入社して1週間ほどたった昼休み、私がパンを買いに行こうとしたときに、
龍彦から「おれのも買ってきて」と言われた。「自分のパンは自分で買おうよ」
と私が断ったところ、彼は「なんだと~」と私の胸ぐらをつかんできた。
 私は、ボクサーの龍彦が怖くて涙を流してしまった。
 そのとき龍彦は私に「おめえはおかしな奴だな。あんなことで泣くなんて」
といい、それから龍彦は親しく私に話しかけてくるようになった。
 龍彦は、仕事を終えてからボクシングジムに毎日通い、11月にプロテストに
合格し、4回戦のデビュー戦をすることになったのですが、そのデビュー戦の1
週間前に龍彦は「人を殴るのも、人に殴られるのも怖くなったから、ボクサー
はやめる」と私に言い、ボクシングジムをやめてしまいました。
それから私たちは毎日、仕事が終わってから酒を飲んだり、ギターを弾いたり、
ビリヤードをやったり、映画を観たりといつも一緒にいました。
 翌年の夏、龍彦は会社を辞め、旅に出た。それから私は毎日がつまらなくな
ってしまった。
 秋になり龍彦から「神戸にいる」とハガキが来た。年末の会社の休みに私は、
龍彦に会いに神戸に行った。
 神戸で会い居酒屋で酒を飲んだときに龍彦が、
「実家のある山口に帰るんだけど行くか」
と私を誘ってくれたので、私は龍彦の生まれ故郷が見たくなって行くことにし
た。
 岩国駅に降りて龍彦が錦帯橋に連れて行ってくれた。
 それまでテレビや写真では見たことはあったが、実際に見た錦帯橋はとても
大きく立派で美しい橋でした。
 彼の生まれたのは、錦帯橋の下を流れる錦川の上流にあるところで、山の中
にある集落でした。
 彼は23歳の8月に、東京の私のアパートに遊びに来た。そのとき「備前焼の
窯元に弟子入りして、陶芸の仕事をしようと思う」と言った。
 それから龍彦は備前に行き、陶芸の修行を始めたが、脳髄炎という病気にな
り11月に入院し、脳の手術をしたが12月に亡くなってしまった。
 12月に行われた龍彦の葬式に私は行きました。彼の実家に行く前に龍彦と歩
いた錦帯橋を1人で見に行った。
 正平さん、錦帯橋に行ってみて下さい。
 久しぶりに、あの美しい錦帯橋を見てみたいです。



コメント
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