さあ がんばろうぜ!

2019年04月28日 | 健康・病気

22歳の私はN女子大生協の書籍部で働いていた。
8月に書籍部担当の研修会があった。
東京の大学生協連の書籍部担当が一緒に勉強した。
そのときに何人かと親しくなった。
私は何ヶ月か後にN女子大生協からT大生協に移籍になり、
T大生協のK店の購買部で働くことになった。
私は、書籍部担当からはずれたことにがっかりした。
私はN女子大生協にバイトとして入り、夜デザイン学校に通っていた。
食堂の隅でアイスクリームやパンを販売していたが、
書籍部の正職員が退職したのでやらないかと誘われた。
私は本を売ることに魅力を感じたのでその誘いを受けることにした。
当然、正職員になったので夜のデザイン学校には行けなくなった。
それはしかたがないと思って諦めた。
もともとそのデザイン学校に入ったのは、その学校の演劇サークルに入るためだった。
私には演劇の才能はないと思い始めていた。
演劇やデザインはやめて、本を売ることで生きて行こうと決めた。
そんなことで書籍部の仕事を始めたのに、購買部になった。
T大生協K店の書籍部には、あの書籍部研修会で知り合った I と U がいた。
それから彼らと付き合うことになる。
書籍部で仕事ができる彼らが私は羨ましかった。
仕事が終わると渋谷や新宿の居酒屋に、彼らとよく行っていた。
三人は将棋が好きだった。
U のアパートと私のアパートは駒込にあった。
彼のアパートでは生協の仲間が集まってよく飲んだ。
将棋もした。
その彼は生協職員がほとんど入党しているある党に入っていた。
それで彼は30代で東京R大生協の専務理事に出世した。
しかし、彼は32歳で死んでしまった。
過労死のようだったと思う。
I は、党員ではなかったが、仕事ができたので30代でT大生協書籍部H店の店長にまでなった。
店長として民放テレビのインタビューを受けている晴れがましい彼の姿を私は観ている。
しかし彼は40代に生協を退職した。
彼とは私がT大生協購買部H店に勤めていたときに、
仕事が終わってからよく駒込の私のアパートで将棋をした。
I は、結婚はしていなかった。
さいたま市にアパートを持っていて仕事をしなくても収入はあった。
私は毎年年賀状を出していて、彼から返事も来ていたが、2年前から来なくなった。
私はT大生協H店では、レコード担当、電気担当などをしていた。
26歳のときに結婚したこともありTY大生協の店長になった。
しかし、店長になったから党に入るように誘われたので、私はTY大生協を退職した。
生協の仕事は好きだったが、その党のことは好きになれなかった。
私は結婚したばかりなのに半年ほど無職で、女房の稼ぎでヒモのように暮らしていた。
あのときはみじめだった。
私の人生は、そのときから下り坂になっていった。
私はこの曲を聴くと、いろんなこれまでのことを思い出します。
できることなら I と U と飲んで、ああだこうだ話してみたいな。

今夜は、エレファントカシマシのライブではない動画にしました。
歌詞を読んで聴いてみて下さい。
この歌は、「集団左遷!!」(TBSドラマ)の主題歌だったんですね。

俺たちの明日 歌詞付き

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする