すっぴん!

2012年04月06日 | 健康・病気

「ラジオビタミン」が終了して始まった「すっぴん!」(NHKラジオ 8:00~11:50)、
月曜日から聴ける時間には聴いてきた。
正直な気持ちは“落胆”です。
私は以前から藤井彩子アナウンサーが好きだったんですが、
村上信夫の魅力には太刀打ちできませんね。
彼は、この3月でNHKを退社した。
このことをネットで知り、ショックでした。
私は彼が大好きです。
私より1つ年下ですができるならいつか飲みたいと思っていたのです。
でも、彼ならNHKを離れてもいい仕事をすることでしょう。
できるひとは前に進んで行きますね。

今日は、高橋源一郎だった。
藤井彩子アナウンサーは毎日です。
私は今日9時45分からの仕事なので9時に家を出た。
9時のニュースが終わってから、金曜日パーソナリティの高橋源一郎の紹介が始まった。
藤井彩子アナが質問し彼が話し始めた。

大学に8年間いて除籍になった。
その頃肉体労働で暮らしていた。
20代の最後の夜、深夜放送(オールナイトニッポン)を聴いていた。
誰の番組か忘れたが、中島みゆき・さだまさし・松山千春が話していた。
そのとき高橋源一郎は思ったそうだ。
おれと同じ世代のこの3人は、立派に日本で成功している。
それに比べておれはナンなんだ。
彼は、心の底で小説家になりたいと考えていた。
でも、自分にはまだむずかしいだろうと思っていた。
しかし、ラジオから聴こえてくる3人の声を聴いていて、このままではだめだと思い、
次の日から1日3枚原稿用紙に小説を書き始めたという。
書けなかったら二度と小説は書かないという決まりを作って。
昼間の仕事は肉体労働なので夜が眠たかったそうだ。
でも、肉体はその環境に慣れるという。
1日に3枚というノルマはきつかった。
肉体労働から帰ってきたら何もする気がしなかったそうだ。
しかし、1ヶ月もするとそれが普通になったらしい。
 
その話を聴いていて車を運転していた私は涙が流れてきてしかたなかった。
それこそおれは何をやってきたんだ、という想いです。
30代の前半まで私は小説を毎日書いていた。
でも30代の後半、仕事が忙しくなり書くことをやめた。
なんであのときに、小説を書くことをやめてしまったのか?
富士見市にいた頃は書いていた。
所沢市に引っ越してからは書かなくなった。
会社が傾き、転職を何度かした。
双子の息子たちを育てるために必死だった。
それなりの会社に入ったら責任ある仕事をまかされた。
日々仕事をこなすのに一所懸命に働いた。
残業代が出なくても毎日10時頃まで仕事をした。
あの頃の会社員はみな誰もやっていたことなんだろうな、と思う。
ところが45歳でバブルがはじけその会社が消滅した。
転職した会社も51歳で閉鎖になった。
なんとか双子の息子たちは大学を卒業させた。

今、それなりに仕事があり、つつましく軽井沢で暮らしている。
がんばらなくてはいけない。
これまでのことを四の五のいっていられない。
高橋源一郎の話を聴いていてそんなことを思った。
彼は29歳で生き方をかえた。
だめな私は、59歳で生き方をかえられるか。
いや、やらなくちゃいけない。
おれはこのまま死にたくはない。
バカなおれはわるあがきをして死のう。

コメント (10)
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