サマーキャンドルナイト

2010年08月27日 | 健康・病気



もともと女房は、今日来る予定ではなかった。
しかし、軽井沢高原教会のサマーキャンドルナイトが、
8月27日にあることを先週、軽井沢に来たときにネットで知ってしまった。
あのひとはなんとか仕事の都合をつけてやってきた。
12時過ぎに中軽井沢に着いた。
昼間は、旧軽井沢あたりに車で行った 。
9月にきょうだいが来るのでそのための下調べをした。
駐車場などを確認したのです。

夜6時40分に家を出た。
5分ほどで軽井沢高原教会に着いた。
駐車場には車が一杯だった。それでもなんとか空きを見つけて停めた。
林の中の地面にロウソクを灯したランタンがいくつもあるのが綺麗だった。
まず、石の教会に行く。ここは素晴らしい。
地下をくぐり抜けて元に戻った。





7時半からサマーキャンドルナイトが始まった。
牧師がお話を始めた。
人には悲しいことがあり、泣くことが多い。
人間で泣いたことのないひとはいないのではないか。
赤ちゃんは泣いて生まれてくる。
人間は多くの涙を流す。しかし、それと同じぐらいの喜びがある。
というようなことを話した。
当たり前じゃないかと思いながらも、このキャンドルに包まれた環境では素直に聞ける。
いただいたキャンドルに火をつけられ、それを隣のひとにうつす。
ちょっぴり心が背伸びする。





毎週日曜日に、ゴスペルを練習しているグループ「クワイヤ」の歌が始まった。
「オールライト」という歌詞を歌う。
いや、歌うというよりかけ声だった。
「オーパッピディ」の曲のときも、私たちは歌った。
アフタービートで手拍子を打ち、大きな声で歌って楽しかった。

私たちは最初にキャンドルと紙の筒をもらい、その紙の筒に願い事を書いた。
それをキャンドルタワーのあるあずまやから高原教会までの道の両側に置く。
それが光の道となる。
高原教会の中では「結び灯」という儀式をやっていた。
私と女房もやりました。
礼拝堂の前にあるキャンドルに、
竹串?の先に火をつけ、願い事を1つ思いながら火をともす。
それを終えると、「三つ撚りの願い糸」というのをいただいた。
「私は年に2回だけなんちゃって信者になろうかな」と女房がいう。
クリスマスと夏に軽井沢高原教会に来てキリスト教の信者になるという。
まったくいい加減な信者です。
長野の善光寺で手を合わし、浅草の浅草寺で祈って、明治神宮でも頭を下げる。
そして年に2回キリスト教の信者になるという。
イエス様、こんなずぼらな女房をお許し下さい。





光の道をあずまやに戻ると、その横でまたハンドベルの演奏が始まった。
淡いなんともいえない神聖な音が響く。
その演奏を聴きながら私たちは石の教会のほうへ歩いた。
ライトアップされていると聞いた石の教会を見たかった。
ありました。厳粛な気持ちになります。



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昭和45年の流行歌

2010年08月27日 | 健康・病気
一昨夜、九想話を書いて寝たのが26日の2時半頃だった。
布団に入りラジオ深夜便を聴いていた。
2時台は、ビートルズの特集だった。
最後に、「Let It Be 」が流れていた。
「しばらくは、深夜便でビートルズの特集はしません」
とアンカーの宮川泰夫がいっていた。

3時のニュースが終わってから、「にっぽんの歌こころの歌」
「昭和歌年鑑:昭和45年の流行歌」が始まった。

「京都の恋」 渚ゆう子
「真夏のあらし」 西郷輝彦
「噂の女」 内山田洋とクール・ファイブ
「命預けます」 藤圭子
「走れコウタロー」 ソルティー・シュガー
「老人と子供のポルカ」 左ト全(ひだり・ぼくぜん) と ひまわりキティーズ
「今日でお別れ」 菅原洋一
「長崎の夜はむらさき」 瀬川瑛子
「酔いどれ女の流れ歌」 森本和子
「希望」  岸洋子

昭和45年、懐かしいです。私が高校3年のときです。
全部この歌は知ってます。
でも、どうしてもフォーク系の曲が好きだった私は、演歌をあまり聴いてない。
渚ゆう子の「京都の恋」なんて私のストライクゾーンからはほど遠かった。
で西郷輝彦の「真夏のあらし」は、まったく私の生活に関係なかった。
ただ「昼も夜も~、夜も昼も~」というフレーズは記憶にあった。
内山田洋とクール・ファイブの「噂の女」は、なぜか私は好きだった。
次の、藤圭子の「命預けます」なんて涙が出るほど懐かしい。
この2人は次の年に結婚した。
この結婚生活がうまくいっていたら、宇多田ひかりは生まれなかったんだよな。
ソルティー・シュガーの「走れコウタロー」は、画期的だった。
美濃部亮吉という人間が懐かしい(歌の途中で物真似で出てくる)。
そして左ト全です。「老人と子供のポルカ」。
あの頃、菅原洋一が売れていた。
「長崎の夜はむらさき」 瀬川瑛子
「酔いどれ女の流れ歌」 森本和子
は、あまり記憶にありません。
でも、みなみらんぼうの歌う「酔いどれ女の流れ歌」は知っている。
この曲は、彼の作った歌です。
「希望」も、私は岸洋子が歌うより、フォー・セインツのほうが好きでした。

しかし、昔は「昭和45年の流行歌」というと出てくるが、
現在、「平成22年のヒットした曲」といわれても何も分からない。
オリコンには流行っている曲は出ているが、みんな知らない。
以前なら、そのときヒットしている曲がラジオ、テレビから聴こえてきたが…。
寂しい世の中になってしまった。

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この九想話を途中まで書いていて寝てしまいました。
職場のイベントのあと、私はとても疲れていて、体がまともではありません。
今日は休日です。のんびりします。
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