沢木耕太郎

2005年12月01日 | 健康・病気
今日は仕事が休みでした。
昼、私は“その他の雑酒”を飲みながら
テレビを観るのを楽しみにしている。
「笑っていいとも」を観て、小堺一機の「ごきげんよう」と続き、
「徹子の部屋」とチャンネルを移し、ゲストがよかったら観る。

「笑っていいとも」はタモリの出演者との会話がいい。
ああいう会話で他人と付き合いたい。
それには相手も気の利いた人でないといけない。
45まで勤めていた半導体製造装置関連の会社には
そういうやつが何人かいた。
仕事で飲んでも、付き合っていて楽しかった。

「ごきげんよう」には秋野暢子が出ていた。
「女には、気の強い女と、ものすごく気の強い女しかいない。
 気だてのいい女なんかいるわけない」と力説していた。
私は、女房の面影を頭に浮かべ素直に頷いた。
そうだ、今夜はこんなことを書くつもりではない。
沢木耕太郎のことを書きたいんだ。

「徹子の部屋」のゲストが沢木耕太郎だった。
いい雰囲気の顔をしていた。私は見るのが初めてだった。
これまで彼の本で読んだのは「一瞬の夏」ぐらいだろうか。
それだってむかし過ぎて今では内容を覚えていない。

番組の初めの頃(途中から観たのだが)、
壇一雄の奥さんのことを話していた。
いい話だったな。
次に「深夜特急」などのことを…。

そして本題の山野井夫妻ご夫婦のことを話した。
「凍」という本に書いたクライマー夫婦の話です。
この夫婦はヒマラヤ・ギャチュンカン北壁登頂に成功する。
しかし、その下山の途中で雪崩に遭い、
ロープ1本に夫婦はぶら下がった。
そのときの凍傷で奥さんは指十本を失った。
でもそのときのことを話すとき、
明るく話す奥さんだったので、
本に書きたくなったと沢木はいっていた。
旦那は、足も手も指がないという。

取材しているとき山野井夫妻が、
ギャチュンカンに置いてきた荷物(山にとってはゴミ)を
取りにまた行くという。
沢木が一緒に行きたいなというと、
「行きましょう」ということになった。

まず、富士山に登った。
なにしろ沢木は登山というものをしたことがない。
小学校のとき高尾山に行ったとき、
途中までしか登れなかったらしい。
ラヤ・ギャチュンカン登山のときは、
沢木は5,500メートルのベースキャンプまで登り、
山頂(前回紛失した荷物を取りに)に行った夫婦を待った。
話を聞いているだけで読みたくなりました。
コメント
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