2014年1月3日(金)
今日、仕事で大失敗をやらかしてしもうた!
その事でずっと悶々としていますが、ジタバタしてもどうしようもなく、ブログでも作成して気を紛らわすしかない・・・。
長かった年末年始の関西・九州旅行もようやくこの日で終了(ブログも長いことかかったけど)になります。
まずは手始めに八代(やつしろ)市の散策です。
と、その前に前日飲みに街中に繰り出しておりましたので、その時の写真を。
旭中央通りの某ホテル前→
↓本町(ほんまち)アーケードとその周辺
この近辺は飲食店が多く、正月とは思えないほど賑わっておりました。
さて朝。
泊まったホテルは東横INN新八代駅前で、従いまして口開けは新八代駅周辺を。
こんなド田舎にある新幹線の駅→
あたかも秘境駅に認定されそうです。が、向こう側は住宅が多く建っていますんでそれはなし。
八代よかとこ物産館→
↓それに隣接しているの「松中信彦スポーツミュージアム」
八代出身・現役唯一の三冠王(最近見ないけど、一応今シーズン5試合出場も快音未だなし)。
私はパ・リーグはタカ派なんですが、開館していないのもありますけど、やっぱり旬はとうの昔です、あまり興味が沸きません。引退して何年後かしたら見たくなる施設かも。
八代駅→
熊本県第二の都市の駅にしては寂しすぎるの一言(駅前も寂しい感じ)。
市街地は駅から離れています。
旭中央通り→
アーケード近くに来ました→
ふと見つけた願掛けの「水かけ不動さん」→
最初は河童の方に目がいったのですけどね(笑)。
水をかけてお不動様の後ろにある炎が消えてしまったら、元も子もないんじゃないでしょうか?(笑)
↓「西武ライオンズ」ということは、だいぶ前からこれはあるってことですね。
因みに秋山監督は隣の氷川町出身。
(359)熊本県八代市役所→
人口約13万人、平成の大合併でやたら面積が巨大化してしまいました。
↓八代城址
江戸時代の一国一城体制の中、熊本藩は熊本と八代の2つの城を持つことが認められていました。ま、それには様々な理由があったようですが。
今は公園として開放されています。
道路を挟んで城址の向かいにある松井神社→
↓松濱軒(しょうひんけん)
細川氏の家老・松井直之が母のために建てた茶屋です。
↓市のHPより抜粋
『古くからの砂浜堤防内の沼地を取り込み、球磨川から導水して庭園とした立地で、浜堤には松林が連なり、八代海・宇土半島・さらには雲仙を望む雄大な眺望の庭園でした。
現在では都市化が進み雄大な眺望をのぞむことはできませんが、大名庭園として変化に富んだ景色を構成しており江戸時代初期の形状をよく今に伝えています。』
お休みなので、その庭園ですら見られません・・・。
前川に架かる新前川橋→
橋からの風景を撮っていたら、たまたまお巡りさんが歩いている所でした。
お巡りさん、つかつかやってきて「何でこちら(お巡りさんの方)にカメラを向けていた!」と詰問される。
私「橋からの風景を撮っていて、たまたまそちらに向いてしまっただけですよ・・・」と焦る。
入水事故があったのか、何らかの事件があったのか全く分からないけど、警察が現場検証らしきをしている。
タイミング悪すぎ・・・。
変に疑いを持たれてもイヤなので、足早にその場を立ち去る。
この橋の袂に「河童渡来の碑」とやらがあるらしいです。
仁徳天皇の御世、支那からこの場所に河童9千匹の大集団がやって来て、八代に住み着いたといいます。ところが、その河童があちらこちらでいたずらが酷く、怒った加藤清正は九州中の猿に河童を攻めさせました。これには河童もお手上げだったようで、九州各地に移り住むようになったとの伝承があるようです。
↓700メートルほどある本町アーケードを通り抜けて急いで八代駅へ。
↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ
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